「アル・カポネは街のいいおじさん」金を惜しまず市井の懐に入ったカポネ流〈堅気とのつき合い方〉—Gの黒雑学

【連載】米国Gの黒雑学。縦横無尽の斬り口で、亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がし痛いところをつんつん突いていく、二十五話目。
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「友は近くに置け、敵はもっと近くに置け」
(映画『ゴッドファーザー』から)

「友情がすべて」のマフィオーソの道。しかし、
昨晩、盃を交わした友が敵になる。信頼の友の手で葬られる。
“友と敵の境界線は曖昧”でまかり通るワイズガイのしたたかな世界では、
敵を友より近くに置き、敵の弱みを握り、自分の利益にするのが賢い。

ジェットブラックのようにドス黒く、朱肉のように真っ赤なギャングスターの世界。
呂律のまわらないゴッドファーザーのドン・コルレオーネ、
マシンガンぶっ放つパチーノのトニー・モンタナ、
ギャング・オブ・ニューヨークのディカプリオ。
映画に登場する不埒な罪人たちに血を騒がせるのもいいが、
暗黒街を闊歩し殺し殺されたギャングたちの飯、身なり、女、表向きの仕事…
本物のギャングの雑学、知りたくないか?

重要参考人は、アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長。
縦横無尽の斬り口で亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がす連載、二十五話目。

***

前回は、国民にも愛されたギャング「アル・カポネ」を主人公に、市街地にあるホテルに事務所を構えたり不都合な新聞社買収したりなど、カポネ流の大胆な自己PR、イメージコントロール術を学んだ。カポネ第二弾となる今回は、彼が大切にした「市井の人々との繋がり」について。大恐慌時代の善行やジャズエイジへの貢献について話そう。

▶︎1話目から読む

#025「まるで、あしながおじさん?市井と仲良し、困った人々を支援する『アル・カポネのいいひと戦略』」

コミュニティのいいおじさん?炊き出し、貧しい子どもへ寄付で“いいひと大作戦”

 血みどろの抗争事件・聖バレンタインデーの虐殺などを指揮したといわれているカポネだが、堅気の市民たちにはやさしかった(らしい)。ちなみに、自分の部下たちにはダイヤモンドを散りばめたバックルのベルトをプレゼントした、とも伝えられる太っ腹でもあるが。
「アル・カポネの気前のよさは、ある意味では“成功した犯罪者”として必要なコミュニティからの擁護を受けるための、計算だったかもしれません。でも、たんに彼は人のためになにか良いことをするのが好きだっただけかもしれないですけどね」と館長さんは推測。まるで、 孤児の少女を援助し学校にまで出してくれた資産家“あしながおじさん”といったところか。

 カポネの“いい人伝説”で語られることが多いのが、大恐慌時代の無料食料配布。およそ5000人の貧しい老若男女に1日3食を配ったといわれている。1930年の感謝祭の献立はビーフシチューと、貧窮する社会をその日しのぎで生きる国民に食のたのしみをあたえたのだ。貧困で腹を空かせる失業者たちに無料で食料を配ったことで、「カポネ=慈善者」のイメージが国民の頭に芽生えることに。また、貧困な家庭の子どもたちを経済的に助けたり、地域の学校に牛乳配達を提供したりと、助けが必要な経済的弱者や子どもたちを支援するためのお金は惜しまなかった。
「これらの行為の根元にあるものは、いいパブリックイメージを打ち出すという目的だけでなく、イタリア系ならではの“家族を大切にする”精神だと思います。貧しい子どもたちを見ていられなかったのでしょう」。

 あくまでも犯罪者ではなくコミュニティの味方ですよ、とアピールしたカポネは「たとえば、ギャングの抗争で一般市民が巻き込まれた場合、彼らが負った怪我の治療費用や医師の手配もしました。抗争で店の窓や商品などが破損された場合には、きちんと修理を対応したり商品の補充まで事後処理をしっかりとしたのです」。

 事実、カポネのライバルだったノース・サイド・ギャングがカポネを暗殺するため、ホテルでランチ中だったカポネを狙撃しようと試みたことがあった。走行中の車から銃撃するという“ドライブ・バイ・シューティング”形式で、トミーガンをぶっ放す。カポネは運よく無傷だったが、まわりにいた罪なき一般人が流れ弾にあい怪我をした。カポネは、自分の暗殺計画のせいで怪我を負った彼らを哀れに思い、治療代を全額負担したのだ。

20’sシカゴ・ジャズシーン開花にも貢献?

 禁酒法時代に巨万の富を築いたといわれているカポネは、本拠地シカゴに数多くのスピークイージークラブを経営していた。ジャズ愛好家でもあったため、ただクラブを経営するだけではなく実際に自分のクラブに足を運び、ジャズの演奏を嗜んでいた。それだけにとどまらなのがカポネだ。ジャズをたのしむだけでなく、ジャズミュージシャンを金銭的にサポート、パトロンとして彼らを支えた。シカゴといえばジャズやブルースの街といわれているが、その文化を築いた1920年代のジャズシーンを支えていたのは“カポネの金とジャズ愛”だったのかもしれない。

 極めつけのカポネの“いいひと話”をして、この回を終わらせたい。カポネは、顔にキズがあることから“スカーフェイス”と呼ばれていた。まだ駆け出しのギャング時代、フランク・ガルチオとうギャングとの喧嘩で顔をナイフで切りつけられたときにできた傷だ。この“スカーフェイス”というあだ名を嫌っていたことから、このガルチオにも相当な怒りを覚えていたことだろう。「しかし」と館長さん。「のちにカポネは、ガルチオをニューヨークでの専用ボディガードとして雇いました。私情を抜きにする心の広さももっていましたね」。

 さあて、次回のお題は「マフィアとゲイシーンの濃厚な結びつき」。ニューヨークのゲイシーンに深く関わっていたあるマフィア一家や、ゲイカルチャーの震源地「ストーンウォール」でおこった暴動の裏に隠されたギャングの存在、そして家族や自分自身がゲイだったというギャングについての話をしてみたい。

▶︎▶︎#026「NYゲイシーンのバックにいたギャングたち。ゲイとギャングの複雑な関係」

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重要参考人
ローカン・オトウェイ/Lorcan Otway

20171117019_02のコピー
Photo by Shinjo Arai

1955年ニューヨーク生まれ。アイルランド系クエーカー教徒の家庭で育つ。劇作家で俳優だった父が購入した劇場とパブの経営を引き継ぎ、2010年に現アメリカン・ギャングスター・ミュージアム(Museum of the American Gangster)を開館。写真家でもあるほか、船の模型を自作したり、歴史を語り出すと止まらない(特に禁酒法時代の話)博学者でもある。いつもシャツにベストのダンディルックな男。

Eye Catch: Illustration by Kana Motojima
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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