「自分を僧だと名乗ったことはなくて…ただ僧たちと一緒に暮らした」米ミュージシャン、ヒンドゥー教徒になる

キリスト教徒から、ヒンドゥー教徒へ。ミュージシャン、音と神、かたくなく神聖なもの。
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※(取材・執筆は2020年夏となります。当時コロナ禍以降、社会の根本的な価値観が変わりゆく予感のなかで、HEAPS編集部では宗教の現在地についての探究を進めていました)

国内のみならず世界中でもツアーをおこない、スポティファイ(音楽配信サービス)の月間リスナーは100万人以上。ティーンエイジャーのころから楽曲制作を手がけてきた米国人シンガーソングライターのトレバー・ホール。ミュージシャンとして誰もが憧れるようなバイオグラフィーを持つ彼に、もう1つのくわえたいのは「ヒンドゥー教徒」というプロフィールだ。インドで修行したという。キリスト教の家庭に育った、現在はヒンドゥー教徒の米国人ミュージシャン。
インドに住むヒンドゥー教徒とはちょっと毛色が違うトレバーのヒンドゥー教徒としての価値観や宗教観、音楽との共存について聞いてみる。

——「すべては1枚のヨギの絵から始まったんだ」ヒンドゥー教ミュージシャン、トレバー・ホール

HEAPS(以下、H):ヒンドゥー教徒でありミュージシャンでもあるトレバー。まず、いつ、どうしてヒンドゥー教徒になろうと思ったんでしょう?まわりにヒンドゥー教徒はいたんですか。

Trevor(以下、T):僕は(アメリカの)小さな町で育ったから、インドに行くとか、そんなことは全然考えもしなかった。高校のとき、インターナショナルな寄宿学校に通っていて、そこで1人の男の子と仲良くなった。その子の部屋の壁にインドのヨギ(ヒンドゥー教の瞑想やヨガをする人)の聖人の絵が飾られていて「これなに?」と聞くと、「インドではすごく有名な聖人で、ぼくの父や兄弟はいま彼と一緒にいるんだ」と。
僕はその聖人にすごく興味が湧いて、深い愛を感じ始めるようになったんだよ。なぜだかわからないけど。実際に会ったこともない人なのに、説明できないほどの魅力を感じて、インドやヒンドゥー教に興味をもった。すべてはその絵から始まったんだ。

H:その前までは、なにか宗教を信仰していましたか?

T:キリスト教の教会に通って育ったけど、リベラルな家庭だったから、なにも縛られるようなことはなかった。両親も僕が自分で選ぶ道を受け入れてくれるような人たちで。

H:そのころ、ヒンドゥー教のことは知っていた?

T:育ったのは小さな町だったから、(キリスト教以外の)他の宗教とか、信念とか、仏教、ヒンドゥー教、なんてものは寄宿学校に行くまではなにも知らなかった。だから異なる文化や人々、暮らしには、小さいころから常にすごく興味はあったんだ。

H:そして学校に入って、先述のヨギの絵を見てからヒンドゥー教に触れることに。

T:寄宿学校に、ヒンドゥー教の道を選んだ一人の先生がいた。僕に瞑想を教えてくれた最初の人でもあるし、初めて「アシュラム」に連れていってくれた人でもある。結果、僕はこのアシュラムに6年間通うことになったんだけど。

H:アシュラムとは、ヒンドゥー教の精神的な修行をする、道場のような施設のこと。

T:ツアーがないときは、アシュラムに戻って僧たちと一緒に過ごしていたよ。毎日、日の入りの時間になると、アシュラムは祈りの場として一般人に開放されていたから、いろいろと手伝いをしたり、一緒に歌ったり。それ以外は、皿を洗ったり、床を掃いたり、コミュニティ行事に参加したり。

H:そののちに、僧侶になった?

T:“僧”として住んでいたけど、正式な儀式なんかはしていないんだ。自分を僧侶だと名乗ったことはないよ。ただ、アシュラムで僧侶たちと一緒に暮らして、僕も彼らと同じ生活をしていただけ。自分の道はミュージシャンだとわかっていたから、そういう儀式はしなかった。

H:もし正式に僧侶になるとしたら、どんなことをするんですか?

T:ヒンドゥー教では、「サニヤス」といってヒンドゥー教の教えに人生のすべてを捧げるという決断がある。もしサニヤスの道を選ぶなら、儀式をして、ヒンドゥーの名前を新しく得て、オレンジの服のみ着る。残りの人生をこの道に捧げて生きていくという誓約をする。それがヒンドゥー教で僧侶になるということ。

H:僧になるにはどれくらいの期間、修行を?

T:生徒による。グル(ヒンドゥー教の指導者)の判断次第だから。通常は12年くらい(寺院に)住んで、僧になれる。

H:トレバーは僧侶にはならなかったけど、修行中の6年間でなにか大変な経験はしましたか?

T:そこまで辛いことに直面することはなかったよ。唯一、絶対に従わなければいけなかった規則は、ベジタリアンになること。でも僕はすでにベジタリアンだったから、なにも問題はなかった。僕の指導者が教えてくれたのはすごくシンプルなこと。みんなを愛する努力をし、みんなの役に立つ良い人になろうとすること。

H:ヒンドゥー教徒としての毎日について教えてください。お祈りの時間が決められているとか。

T:そうだね。ヘイ、バディー…(トレバーの飼い犬が乱入)。通常インドでは、神聖な時間は日の出と日の入り。いま(米山岳時間は午後1時過ぎ)はそのどちらでもない中間だけど、普段は日の出と日の入りの時間には祈るか瞑想をする。家にいるときは、毎朝、少なくとも15分から30分は瞑想するようにしているよ。

H:時差があると大変ですね。インド人じゃない人がヒンドゥー教徒になるのは珍しくないですか?

T:「ヒンドゥー」という言葉は、実際にインドという国自体やインド人を意味することもあるから、そう思ったんでしょ? ここ最近、米国では多くの人が東洋の宗教や信仰へとなにかの答えを求めている。周りの友だちもそう。日本やインドみたく古来の特有な文化が、比較的新しい国・米国ではあまりないから、僕たちは、なにか昔からの特有の文化と繋がりたいのかもしれない。

H:トレバーがヒンドゥー教徒であることについて、友だちや家族、ミュージシャン仲間はなんて?

T:(ヒンドゥー教徒になっても)僕は僕なわけで。僕らはみんな人間で、みんな繋がっている。 だから、僕の友だちや家族は、みんな僕が僕だってわかっている。僕はトレバーで、友だちで、息子で、兄弟。アシュラム時代、よく、バンドのメンバーが挨拶しにきてくれたし。

H:逆に、ヒンドゥー教徒たちはトレバーのことをどう思っている?

T:インドで出会った教徒たちは、僕のことをヨソ者扱いしなかった。みんな「わあ、そんなに遠くからここまで来たと。ヒンドゥー教を学ぶために来ているなんて、驚いたし、うれしいよ!」って。彼らにとっても喜ばしいことなんだ。「白人だからそんなことするべきじゃない…」なんていう人に会ったことはないし、みんな僕に良くしてくれているんだ。

H:ツアーがないときはよくインドに行くんですか?

T:以前は毎年行っていたけど、いまはちょっと忙しくなってきたからそこまでは行けていない。

H:成功している証ですね。

T:できるだけ行くようにはしているんだけど。2年に1回とか、そんな感じ。

H:奥さんとはインドで出会ったと聞きました。彼女もヒンドゥー教徒なんですか?

T:そうだよ。僕らはインドで同じ指導者から教わっていたんだ。米国に戻って、恋に落ちて、結婚した。

H:運命的な出会い。

——「インドでは、音は神として扱われているんだ」

H:音楽は、レゲエ、フォーク、アコースティックが融合したような、スピリチュアルな音色ですね。ヒンドゥー教への信仰となにか関係性が?

T:いろんなジャンルの音楽を聴いて育ったんだけど、なかでも特に引き寄せられた音楽が、レゲエだった。スピリチュアルな感じがして、すごく気に入ったんだ。これが僕の基礎で、刺激となったことかな。(ワンちゃん乱入)こら!インタビューしているところなんだよ!レゲエは、ラスタファーライ(レゲエの基礎となる思想)を伝える手段。インドでも、スピリチュアルな道を深める方法として音楽が使われる。(またワンちゃんが…)すごい噛んでくるんだよ、ごめんね。

H:飼い犬に噛まれている(笑)

T:1ヶ月前に、保護した犬なんだ。

H:さっき言っていた、インドでは音楽がスピリチュアルと繋がっているというところ、トレバーにとっては、信仰が音楽づくりにどう繋がっていますか。

T:インドでは、音は神として扱われているんだ。振動は神聖なもので、この宇宙やすべては一つの振動のなかに作られていると信じている。音楽はもちろん振動だし、音楽を敬う心は神聖なもの。少なくとも僕にとって、音楽とヒンドゥー教の繋がりが、これにあてはまる。

H:インドのサウンドやヒンドゥー教のメッセージなどを、自分の音楽に取り入れたり?

T: もちろん、ヒンドゥーの教えによって影響を受けた曲はたくさんあるし、グルが教えてくれたことや、神聖な書物から得た教えが曲作りに刺激をあたえたこともある。

H:なにか具体例を教えて。

T:そうだね、『Jagadeesha』っていう曲。サンスクリットの言葉で「宇宙の主」を意味する。あと、お気に入りの曲の一つ『Chapter Of The Forest』は、インドにある神聖な川と、そこでの僕自身の経験について書いたもの。

H:どこか、宗教的だったり、スピリチュアルな場所で演奏したことはありますか?

T:あるけど、ちゃんとした形ではなかったな。僕の指導者の一人でもあったインド人歌手のコンサートで、少しだけパートを歌ってほしいと頼まれただけで。

H:ミュージシャンでありながらヒンドゥー教徒の道を歩むなかで、なにか思い出深いことはありましたか。

T:ミュージシャンでもある1人の指導者と、1ヶ月ほどインドに滞在していたときのことかな。彼はとてもスピリチュアルな人で、僕は毎日自転車に乗って彼の村に行って、彼の家に泊めさせてもらった。1日中歌を歌ったり、信仰やインドの文化を学んだりしていた。そこで教わった歌が自分の多くの曲に影響をあたえたんだ。僕にとって、とても特別な時間で。

H:トレバーの場合、ミュージシャンとしての音楽とヒンドゥー教徒としての信仰が、うまく作用しあっている気がします。

T:僕にとって音楽はとてもスピリチュアルなものなんだ。昔からずっとスピリチュアルなことにはすごく興味があったから、自然と表裏一体になったんだね。音楽とスピリチュアルなことを別々のものとして考えたことはないし、音楽は僕が与えられた最高の才能で、他の誰かにも共有できる才能だとわかっていた。音楽とヒンドゥー教の世界、両方の一番良いところを知っているような感じ。僕にとって、音楽とヒンドゥー教は常に共存していて離れないものなんだ。

——「ただ、なにか大きなものに身を委ねて信じることも大切」

H:従来の伝統的なヒンドゥー教と比べて、現代のヒンドゥー教になにか変化はありますか。インドのヒンドゥー教徒を見ていて思うこととか。

T:そうだね、古い伝統的なやり方は残念ながら失われている。インドは、急速に成長している国でしょ? あと、欧米化しつつもある。若い人たちは古いしきたりや伝統には興味はない。彼らはもっと物質的なこと、たとえば大きなキャリアやお金、欧米のライフスタイルに興味がある。神秘的な慣習にはずっと残り続けてもらいたいけど、これからどうなるかは様子をみていくしかないね。

H:ヒンドゥー教だけはなく、一般的に若者のあいだではいま宗教離れが進んでいると聞きます。

T:“宗教”という言葉って、ちょっと触れにくい感じがするでしょ? いまの若い子たちが宗教に興味がない理由って、彼らにとって宗教というものが古臭く見えるからだと思う。まあ、本当のところはわからないけどね。特に若い世代って、なにかに飢えている、けど、宗教のような戒律や制限には課せられたくないというか。自分で自分の道を作っていきたいというか。僕は、これもすごくうつくしいことだと思う。

H:それでも、なにか信仰をもつことっていうのは重要なこと。とくに、パンデミックで疲弊したいまの世の中では、いっそう「なにかを信じること」は大切に?

T:そうだね、信念だったり、自分より大きなパワーを信じることは大事だと思う。なにかが身に降りかかってきたときに、あとは運命に任せます、と、見えざる力に頼ることができるから。多くの人が、流れに身を任せるということは、自分の弱みを表していると思うかもしれない。でも僕にとっては、強みだと思う。いま起こっている良いことも悪いこともすべてを信じることができたとき、それはなにか理由をもってして起きたんだ、と思うことができる。いまみんな「なにが起きているの?将来どうなるの?」と心が乱れているときに、ただ、なにか大きなものに身を委ねて信じることも大切なのかもしれない。

H:その“大きなもの”が、トレバーにとってはヒンドゥー教だと。

T:僕は自分の直感や、指導者や影響をあたえてくれた人たち、そして彼らが教えてくれたことに従っている。僕にとってすべての根底にあるのは「愛」で、これが自分のなかで育みたいもの。自分が愛をもって接する指導者やインスピレーションの指南をとても大切に思っている。

H:(なんてピースで、愛にあふれた人なんだろう)。ヒンドゥー教がもつ魅力とはなんでしょうか。

T:人によって違うと思うけど、僕にとっては「すごく神秘的」なところ。さまざまなテイストやカラーがあって、それで満たされている。クリエイティブ(な宗教)であるといってもいいと思う。

Interview with Trevor Hall

Images via Trevor Hall

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