「ぼくは、ただの“音楽を演る娼婦”」フレディ・マーキュリー、愛と孤独とスター性が導く3つの言葉。アイコンたちのパンチライン

シティの真ん中からこんにちは。ニュース、エンタメ、SNS、行き交う人から漏れるイキな英ボキャを知らせるHEAPS(ヒープス)のAZボキャブラリーズ。
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5月のテーマは「アイコンたちのパンチライン」。パンチラインとは英語では「ジョークのオチ」、ヒップホップ業界では「印象的な部分」を意味するが、ここでは「発言中で一番の聞きどころ」。人の脳天と心に響く、パンチのある力強い言葉。古今東西、みんなの記憶に残る世界のアイコンたちを編集部がピック、彼らが口にしたパンチラインを紹介する。

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アイコン一人目は、伝記映画公開から半年以上経つも、ほとぼりがまだまだ冷めぬ英ロックバンド・クイーンのフロントマン「フレディ・マーキュリー」。70年代からの筋金入りクイーンファンにとっては、半世紀の間もずっとほとぼりに帯びていたと思う。70年代に日本で巻き起こったクイーン旋風、2000年代に木村拓哉主演のドラマ『プライド』の主題歌に『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』が起用され再ブーム、そして、2018年公開映画『ボヘミアン・ラプソディ』。同映画が社会現象になり、第三次ブームは継続中。「フレディ・マーキュリー」の名は連呼され、いままでクイーンを知らなかった若者たちまでもが、クイーン、そして70年代ロックを漁っているという。

親日家ぶりやエキゾチックな顔立ち、チャームポイントの前歯、エイズに冒され逝去、そして猫好き(ある時は10匹も飼い、映画オープニングの画も「猫に餌をやるフレディ」。愛猫デライラに捧げた一曲もある)。

誰にも放ってはおかせないカリスマ性とドラマ性を放出したフレディの人生は、1946年9月5日、東アフリカ・タンザニアではじまる。ペルシャ系インド人の両親の元に生を受け(本名ファルーク・バルサラ)、裕福な家庭環境のもとインドで育ち、ピアノを習い、その後イギリスへ。ギターのブライアン・メイとドラムのロジャー・テイラーが結成したクイーンの前身となるバンド「スマイル」に加入し、クイーンとなってからもボーカリストとして歌い、ソングライターとして『ボヘミアン・ラプソディ』『キラー・クイーン』『伝説のチャンピオン』などヒット曲を書く。それらは世界中の誰かの〈俺私の、人生あの時の主題歌、応援歌、アンセム〉になった。

今回は、音楽界のシンデレラ・フレディの、3つのパンチラインを豪快に放っていきたい。

1、「I’m just a musical prostitute, my dear.(ぼくは、ただの“音楽を演る娼婦”だよ)」

1984年、ドイツ・ミュンヘンでのインタビュー。メンバーのソロ活動期間を経て制作した11枚目のアルバム『ザ・ワークス』発売間近だった。

「僕はこの仕事(クイーンのフロントマン)が好きだけど、君のような人たち(ジャーナリスト)に話すのは大嫌いだね」と冗談交じりにはじまり、「君が今日最後のインタビュー相手。心配しないで、一番いい取材になると思うから」とフレディ得意のシニカルユーモア。インタビューの中盤、「アーティストとしての自分自身をどう捉えていますか」と聞かれ、タバコを燻らせたあと口早に言ったのが「I’m just a musical prostitute, my dear.(ぼくは、ただの“音楽を演る娼婦”だよ)」。そしてつけくわえる。「I am just me.(僕は僕でいるだけだ)」。

その昔、子ども心にも「フレディ・マーキュリーは、艶かしい中性的な容姿から男らしい姿まで、よくもあんなにコロコロ変わるもんだ」と思ったものだ。かすかな化粧、パーマの豊かな髪、ヒラヒラの衣装、ヒールブーツ、ダイヤ柄レオタードのグラム的な要素を含んだ初期(グラムといったらデヴィッド・ボウイだが、実際クイーンとボウイは『アンダープレッシャー』という曲で共作している)。

白いタキシードパンツ、口髭、白いタンクトップ、革ジャンのワイルドな後期。その大胆できらびやかで力強い容姿は、まさに娼婦のような危うさと芯の強さと色気があった。歌と音楽という芸で、みんなの心と体を満たしたのだ。

フレディの華やかなファッションは自宅でも健在で、部屋着が着物や長襦袢(ながじゅばん)だったというから、美意識は相当だったとうかがえる。また、あのダイアナ妃とも親交があったようで、ゲイバーへ行ってみたいという彼女を「風変わりな格好をしたゲイのモデルのように」変装させてあげ、二人してお忍びで行った、と当時の友人が語っている。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも、フリルのついた白いジャケットを着ていそいそとやって来たフレディに対してブライアン・メイが「ファンシーな格好だね。怒ったトカゲのように見えるよ」と辛口コメントを言うシーンも。

ちなみに、艶かしく美しい旋律の『キラー・クイーン』は上流階級出身のコールガールについて歌った曲。作曲者のフレディによると「どんな上品な人でも淫らな娼婦だってこともある」という意味を含んでいるらしい。「昼は淑女、夜は娼婦」ではないが、誰もがもつ“娼婦”の面を飄々と賛美している。

2、「I always knew I was a star. And now, the rest of the world seems to agree with me.(自分がスターだということは、ずっとわかっていた。で、いまになってようやく世界のみんながそれに賛同してくれたようだ)」

オアシスのリアム・ギャラガー並みのビッグマウスだが、これがフレディ・マーキュリーの発言だと思うと自然と、そうだなぁ、と頷いてしまう。これが、彼の生まれもって備わるスター性なのだろう。

海外のバンドには、本国や他国よりも先行して日本でアイドル並みに大ヒットする「ビッグ・イン・ジャパン」勢がいる。その代表格だったのが、70年代デビュー当時、イギリスからやって来た貴公子たちクイーンだった。少女漫画から抜け出してきたかのような王子さまルックス。本国や米国で人気に火がつく前に、初来日の際は羽田空港で2000人、3000人の女性ファンが出迎えるなど、どこの国よりも早く彼らは“スター”だったといえる。

そこから世界的なスターの最高峰まで登りつめたフレディだが、彼にはコンプレックスもあった。「出っ歯」だ。映画『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ役を演じた俳優のラミは、フレディそっくりの前歯を作ってもらったほど、その出っ歯は特徴的で、フレディのトレードマークの一つだった。幼少期のあだ名は「バッキー(出っ歯をからかう言葉)」で、インタビューでは上唇を前歯にかぶせるようにして喋る姿が見受けられる。

だが、歯列矯正は絶対にしなかった。その理由は「歯並びを変えることで、歌唱力に影響が出るのを恐れたため」。映画でも描かれていたが、フレディには「孤独」がつきまとっていた。メンバーとの仲違い、セクシュアルマイノリティであることへの葛藤、どれだけ世界に熱狂的なファンがいたとしても、どんなに豊かな生活があっても拭い去れない孤独。『ボヘミアン・ラプソディー』には「ママ、人を殺してしまったよ」という一節があるが、「異性愛者としての過去の自分は死んだ」と、ゲイであることをカミングアウトしているのではと、みんなが推測した(フレディー自身は「何か意味があることではない」と言ったらしいが、真意は誰もわからない)。

世界がようやく気づいた“生まれながらのスター”(I always knew I was a star. And now, the rest of the world seems to agree with me)であっても、家に帰れば一人の孤独な一人の人間。それでも次の日ステージに立てば、世界の何百万、何千万もの目に見つめられ、お返しにと何百万、何千万もの耳にオーガズムをあたえる。
「大きなお尻の女の子たち、君たちがロックな世界を回しているんだ!」(『ファット・ボトムド・ガール』)と女たちを褒め讃え、「誰か僕に愛する人を見つけてくれないか」(『愛にすべてを』)と孤独な人たちに寄り添い、「俺たちはチャンピオンだ!」(『伝説のチャンピオン』)と万人を励まし、フレディは天性のスーパースターの役目を果たしていた。

3、「I won’t be a rock star. I will be a legend.(俺はロックスターにはならない。 俺は伝説になるんだ)」

7万人もの観客と向かいあいながら、19億人もの視聴者にテレビ越しに見つめられながら、ピアノの鍵盤に指を落とすときには、いったいどんな気持ちになるのだろう。

1985年7月13日、ロンドンのウェンブリースタジアムで開催された飢餓救済チャリティーコンサート「ライブエイド」(ミュージシャン/活動家ボブ・ゲルドフ主宰)に出演したクイーン。映画でも、冒頭とクライマックスシーンで忠実に再現されているこのステージで、クイーン、そしてフレディ・マーキュリーは伝説になったのかと思う。伝説という、陳腐にも聞こえかねない言葉を、違和感なく言わせてしまう力がこのステージにはあった。

ライブエイド出演前の85年当時、クイーンのレコード売り上げは伸び悩み、不仲説や解散説などがまことしやかに囁かれていた。失速していたクイーンが復活し「この曲を今夜ここにいるすべての美しい人々に捧げます。それは、みんなのことです」と『愛という名の欲望』を歌い、『ウィー・ウィル・ロックユー』で観客の地響きのような足踏みを起こし、不死鳥のように羽ばたいた空がライブエイドだったのだ。

それから6年後、エイズにより45歳という若さで逝去したフレディ。「伝説になるんだ(I will be a legend.)」と宣言した通り、30年ほど経ったいまでも、リアルタイムでクイーンを追っていた世代が映画を観て涙腺をゆるめ、カラオケボックスからは『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』の熱唱が響き、カーステレオからは『地獄へ道づれ』が流れ、近頃クイーンの曲を知った若者のイヤホンからは『ドント・ストップ・ミー・ナウ』が漏れる。

最後に。クイーンには、実は一部日本語で歌っている曲がある(実は、と言ってもファンにはもう当たり前の話かもしれないが)。76年のアルバム『華麗なるレース』シメの曲、『手をとりあって(Teo Torriatte)』だ(rがなぜか1つ多い)。この曲の1分34秒あたりで、聞こえてくるのが、これ。

手をとりあってこのまま行こう/愛する人よ/静かな宵(よい)に光を灯し/愛しき教えを抱き

フレディのしっかりとした発音の日本語。デビュー当時からどこの国よりも早く自分たちを“スター”にしてくれた日本を愛していたフレディ。フレディを伝説にしたのは、ファンへの愛とファンからの愛— そんなクサいことを憚りなく人に言わせてしまうのが、フレディ・マーキュリーだ。

次回の「アイコンたちのパンチライン」は、
徹子の部屋ならぬ「エレンの部屋」で国民的お茶の間大スター、         
コメディアン、名司会者のエレン・デジェネレス。

“I like my coffee like I like my men. I don’t drink coffee.”
(男が好きなようにコーヒーも好き。でも、私、コーヒー飲まないんだよね)

90年代に「私はレズビアン」と公にカミングアウトした同性愛者エレンの、パンチの効いた語録を紹介する。

▶︎これまでのA-Zボキャブ

もしも〈平成邦画の主人公のセリフ〉が英語だったら第二弾。苦虫女、万引き家族の一言を嚙みしめよう。

もしも〈平成邦画の主人公のセリフ〉が英語だったら。空飛ぶ豚・フーテン寅さん・ジョゼ、平成30年間の「あの一言」。

「愛だけが、時間も空間も超えられる」2010s映画、歯の浮くセリフに罵り言葉を改めて細かく見てみましょう。

「シャキっとしなさい!」一筋縄ではいかない2000sキャラたちのパンチなひとことを吟味しよう。

「うげぇ、超サイテー」!—90年代癖あり名映画の名台詞を解剖。“90s米ギャル捨て台詞”まで。

このクソメガネ野郎が!—『E.T.』『スタンド・バイ・ミー』青春の置き土産、80s名台詞を解剖。

俺の仲間たちよ—『時計仕掛けのオレンジ』『タクシードライバー』主人公らの名台詞(英語)を解剖。

Eye Catch Illustration by Kana Motojima
Text by Risa Akita, Editorial Assistant: Kana Motojima
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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