「アル・カポネは家具のセールスマンだった」トマト売りに花屋のギャングまで。米国Gたちの“表の顔”を暴く

【連載】米国Gの黒雑学。縦横無尽の斬り口で、亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がし痛いところをつんつん突いていく、二話目。
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「友は近くに置け、敵はもっと近くに置け」
(映画『ゴッドファーザー』から)

「友情がすべて」のマフィオーソの道。しかし、
昨晩、盃を交わした友が敵になる。信頼の友の手で葬られる。
“友と敵の境界線は曖昧”でまかり通るワイズガイのしたたかな世界では、
敵を友より近くに置き、敵の弱みを握り、自分の利益にするのが賢い。

ジェットブラックのようにドス黒く、朱肉のように真っ赤なギャングスターの世界。
呂律のまわらないゴッドファーザーのドン・コルレオーネ、
マシンガンぶっ放つパチーノのトニー・モンタナ、
ギャング・オブ・ニューヨークのディカプリオ。
映画に登場する不埒な罪人たちに血を騒がせるのもいいが、
暗黒街を闊歩し殺し殺されたギャングたちの飯、身なり、女、表向きの仕事…
本物のギャングの雑学、知りたくないか?

重要参考人は、アメリカン・ギャングスター・ミュージアムの館長。
縦横無尽の斬り口で亜米利加ギャングの仮面をぺりぺり剥がす連載、二話目。

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前回は、ギャング連載をはじめるにあたって「ギャングスターって何者なんだ?」「マフィアとギャングって何が違うんだ?」とギャングのギャの字をなぞってみた(結果、スヌーピーもコロンブスもギャングメンバーという新事実発覚)。第二、三話では「ギャングのお仕事」について、二度にわたって解説。前半では、表向きは家具セールスマンのカポネ、トマト売りのギャングがいたって!? あくまで善良市民然の肩書きを持っていた伝説ギャングたちや、ユダヤ系ギャングは金曜夜は仕事は休み?など。後半では、雇用側を脅しては稼ぎ、雇用者と癒着しては稼いだ、ギャングと(ユニオン)労働組合との絡みなどについて話す。

▶︎1話目から読む

#002「“家具のセールスマン”だったアル・カポネ、“花屋”だったギャングメンバー。ユダヤ系ギャングは安息日に銃を置く」

「自称〇〇」という胡散臭い字面が存在する。自称バンドマン、自称イラストレーター、自称起業家…。堅気の世界の胡散臭い人たちによくあることだが、あの黒い世界の人たちにも自称〇〇は存在する。たとえば、シカゴ暗黒街の帝王で豪華ホテル住まいだったギャング中のギャング、アル・カポネ。彼が差し出した名刺には、きっとこう書かれていただろう。「家具販売業者(自称)」(!?)

ギャングたちには“フロント・ビジネス”(表向きの職業)が必要でした」と、アメリカンギャングミュージアムの館長。「ワケあって裁判所に出頭しなければならない際に『私の職業は、ギャングスターです』とは言えませんからね」。確かに考えてみれば、そりゃそうだ。 

 禁酒法時代の密売酒販売にレストラン経営、麻薬売買など札束の山を闇で執り仕切るギャングたち。扱っているのは確かに汚い金だが、ビジネスマンであることには変わらないと言っちゃ変わらない。シチリア系マフィア、コーサ・ノストラのボスで、暴力でなく政治力を駆使した“暗黒街の首相”フランク・コステロの逸話がある。ギャング追放を推進する米国議会公聴会で「善良なるアメリカ市民としてどんな行いをしましたか?」と聞かれた彼はこう答えた。「税金をきちんと納めました」

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公聴会でのフランク・コステロ。
Collection of Museum of the American Gangster

 自称・家具セールスマンのアル・カポネが実際家具好きだったかは定かでないが、シカゴのアイルランド系ギャング、ディーン・オバニオンは「自分の趣味を仕事にもしていました」。銃ショップ、あるいはカジノ経営? 妄想は膨らむが正解は、「花屋です」。「大きくなったら何になりたいー?」「お花屋さんー!」の「お花屋さん」だ。禁酒法時代のシカゴで、幅を利かせていたアイルランド系・ポーランド系ギャング「ノースサイド・ギャング」を束ねていた本物のGさんは、花が好きだった。もちろんこの花屋は、ノースサイド・ギャングのメンバーが出入りしたり、お金のやりとりの場にしたり、とギャングビジネスのアジトとして活用されてもいた。しかしそこは、犯罪行為をカバーするだけの隠れ蓑、見かけだけの花屋、ではなくオバニオン自身がフローリストとして花をこさえていた本当の花屋でもあった。「ギャング仲間の葬式のため、オバニオンの花屋にフラワーアレンジメントを頼むギャングもいました」。ギャング抗争の末、敵の銃弾に彼が倒れたのも、花屋の店内だったという。

 家具のセールスマンやお花屋さんの他にもギャングの表向きの肩書きは多い。NY五代ファミリー・ボナンノ一家を全米最大最強に育てたカルロ・ガンビーノの「労働問題コンサルタント」から、同じくボナンノ一家のボスにまで登りつめたジョセフ・マッシーノの「レストラン経営者」、ニューオーリンズのギャング、カルロス・マルセロの珍職「トマト売り」まで。さらにボストンのユダヤ系ギャング、ハリー・“ドク”・サガンスキーは、禁酒法時代、薬局兼もぐり酒屋に歯科クリニックを開業していた歯医者さんだったというから、ギャングのカメレオンぶりに(ボルサリーノを)脱帽だ。

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外では野蛮なG、家では敬虔に。炊き出しギャングに救われた失業者

 ユダヤ教のしきたりには、仕事をしてはいけない「安息日(シャバット)」がある。一般的に安息日にあたるのは、金曜日の日没から土曜日の日没までで、この時間は「料理をしてはいけない」「電気製品を使用してはいけない」「傘をさしてはいけない」「ペンを持たない」。冷静に考えると結構タガが外れた決まりごと…。しかし、ユダヤ系ギャングでも敬虔なユダヤ教徒の者はこれに従い、「金曜の日没から土曜の日没まではギャング業、休業」。ゆすりも殺しもしばし休みだ。そして家ではコーシャーフード(ユダヤ教の掟に従って料理されたご飯)を食す。イタリア系やアイルランド系のギャングにも、外では野蛮、家では「敬虔なカトリック教徒」の二足わらじも多いという。なんだか、昼は淑女、夜は娼婦のような物言いだが。

 さらに利益をあげるだけでなく、社会に貢献したギャングもいる。毎度おなじみアル・カポネさんだ。1929年に世界を襲った大恐慌。職にあぶれ今日の飯、明日の飯はどうするかと虚ろにあぐねる失業者たちのため、彼は毎週炊き出し(スープキッチン)をおこなった。世間のイメージアップだと言われればそれまでだが、ギャングのボランティア活動が何千人もの腹を満たしたことは確かだ。

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アル・カポネのスープキッチンに並ぶ人々。

 次回は「ギャングのお仕事」後半。ギャングと労働組合(ユニオン)の関係について、話を進めていこう。

▶︎▶︎#003「ザ・ソプラノズでもスコセッシ最新作でも“ギャングと労働組合”持ちつ持たれつの関係」

Interview with Lorcan Otway

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重要参考人
ローカン・オトウェイ/Lorcan Otway

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Photo by Shinjo Arai

1955年ニューヨーク生まれ。アイルランド系クエーカー教徒の家庭で育つ。劇作家で俳優だった父が購入した劇場とパブの経営を引き継ぎ、2010年に現アメリカン・ギャングスター・ミュージアム(Museum of the American Gangster)を開館。写真家でもあるほか、船の模型を自作したり、歴史を語り出すと止まらない(特に禁酒法時代の話)博学者でもある。いつもシャツにベストのダンディルックな男。
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Museum Photo by Shinjo Arai
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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