8年目の“家族編集部”。一家の日々と記憶を手で作ってアーカイブ。家族の成長、行きつけ麺屋、家族旅行を忘れない『Rubbish』

世界に1冊しかない“FAMzine(ファムジン)”、もう10号目。
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世界一ユニークな編集部、部員は「家族」!!。前代未聞(?)の「家族編集部」である。

シンガポールに住む“リム家”が制作するのは、インディペンデント雑誌『Rubbish(ラビッシュ)』。リム一家は、父のパンと母のクレア、長男のレン、長女のアイラの4人。通称“FAMzine(ファムジン、ファミリー+ジン)”は、8年前に家族旅行で東京へ行ったことがきっかけで誕生。以来、日々の家族の出来事などをもとに、“家族の記録”として制作を続けてきた。

毎号「食べ物」「祖父母について」「アナログ写真」などさまざまなテーマで、家族メンバーそれぞれがエピソードや写真、イラストを持ち寄って1冊を作る。家族編集部による家族の記録は、なんと10号も創刊されてきた。

編集だけでなく、デザイン、印刷、製本まで、すべて家族で分担。

毎号の「表紙」も注目したい。ある時は雑誌がテイクアウトフード用のビニール袋に入っていたり、またあるときは表紙にカシオの腕時計が巻きついていたり、もう自由すぎます。

聞きたいこと満載な「家族編集部」の制作を聞くべく一家に連絡。お父さんのパンと、お母さんのクレアが取材を引き受けてくれることに。家族で手掛ける制作、制作プロセスに込めた子どもたちへの思いについて。

HEAPS:家族編集部ということで、まずは家族紹介をお願いします!

Claire(以下、C):私はクレア、一家の母さんです。息子のレンはもうすぐ18歳で、娘のアイラは15歳で学生。あとはお父さんのパン。

Pann(以下、P):私はパン、今年48歳。ご存知のとおり、一家の父親です。趣味は…多すぎて困っちゃいますが、音楽を聴くことや演奏すること。LPやギターを集めるのも好きだし、本や家具を集めるのも好き。

H:収集が好きなんですね。クレアさんや子どもたちは?

C:私も好きなことはかなりたくさんありますよ。家族と一緒にガーデニングをしたり、サイクリングをしたり、テレビを見たり映画を見たり。『Rubbish』をはじめたとき、レンとアイラはまだ小さかったけど、二人とも絵を描くのが好きだった。アイラはいまでも絵を描くことが好きで、レンはいまはコンピュータゲームをする方が好きみたい。

P:それに、二人ともアニメがとても好きなんだ。アイラは漫画を読むのも好き。


4年前に撮影されたリム家の集合写真。

H:“家族編集部”のアイデアはどこから?

C:お父さんのパンからです。

P:2008年あたりかな。その頃、5、6歳だった息子は絵を描くのが好きで、家族で外食をするときにiPadを渡すとすぐ夢中になっちゃう。そこでクレアはいつも紙や色鉛筆などを持ち歩いていた。僕たちは息子の絵がとても好きだったから、これをなんとかしたいと思って、ある晩、家族でアート活動をするグループを作ろうと思ったんだ。

H:子どもの絵を飾るなどはよく見ますが、家族のアート活動グループ始動。たのしそう。

P:私は普段、広告デザイン会社でクリエイティブ・ディレクターをしていて、学校でもデザインを教えたりと家にいないことが多い。なかなか子どもたちにしてあげられることも少なく、それを残念に思っていた。それで、この家族のプロジェクトをはじめようとクレアに提案したんだ。そうすれば、子どもたちに創造性や芸術について、そしてプロジェクトをきちんと取り組むことについてを教えることができると思って。そして2011年に家族4人のアートコレクティブ「Holycrap(ホーリークラップ)」を立ち上げた。

H:その2年後には『Rubbish』を創刊。1号目は、東京旅行の思い出を集めた号ですね。

P:パリに仕事で行く予定があって、家族で一緒に行こうとしていたんだけど、直前で仕事がキャンセルになってしまって。そうしたら親友の一人が東京と京都への旅行を手配してくれたんだ。決まった2日後には飛行機で移動してたよ(笑)。初めての家族4人だけの旅行で、東京と京都で10日間を過ごしたんだ。

H:誌面はスナップ写真でいっぱい。

P:家族みんなにフィルムカメラを持たせて、各々好きなものを撮ったんだ。

C:旅行から帰ってきたときには撮影済みフィルムは何百本! 全部を現像したときに、この旅での経験を記録したいと思ったの。

P:1,000枚くらいの写真があったよね。そのまま残したら、きっとずっと家のどこかで眠ってしまう。雑誌を作ればいつでも特別な瞬間をアーカイブとして保存できると思ったんだ。これが『Rubbish』のはじまり。



H:ほかの号では「アーバンガーデニング」「パンの亡き父」「フードへの愛」など、各号さまざまなテーマがありますが、どうやって決めているのですか?

C:家族みんなで考えるよ。子どもたちは家族みんなが好きなものや次の号で読みたいものをノートに書いて、みんなで話し合って一つのアイデアに絞る。

H:インスピレーション源は?

C:やっぱり、自分たちが好きなものかな。2号目はね、ちょうど私の両親の結婚50周年という特別な年だったから、両親のための雑誌を作ろうということになったんだ。子どもたちは、おじいちゃん、おばあちゃんと仲が良いから、インタビューをして「これまでどのように二人が過ごしてきたのか」について調べて。まさか、旅行の1号目を出して翌年すぐに2号目なんて想像していなかったよ(笑)

H:編集会議、どうやってやっているのか知りたいです。

P:いつも家のダイニングテーブルに座って、抹茶をいれて、まずはそれを飲みながらおしゃべりをする感じ。

H:抹茶を!

P:ひととおりおしゃべりをしたら、雑誌のセクションはどうするのか、どの章にどのセクションを持ってくるのかを考えて、私が意見をまとめる。子どもたちにはイラストをお願いすることが多いんだけど、フリーランスのクリエイターと仕事をするように接しています。彼らが制作したイラストを持ってきたら、コメントをして、もう修正をしてもらう、みたいな。

H:家族だけど、プロとして。

C:基本的には、子どもたちにいろいろ教えてあげたいからこのスタイルをとってる。私も仕事を辞める前はデザイナーで、パンとはデザイン学校で出会ったんだ。私たち二人はデザインが大好きだから、自分たちが好きなプリントやアートを子どもたちに教えているの。

P:文章は、子ども二人とクレアが担当している。で、私がみんなの制作したものを統括して、デザインしまとめる。デザインした後、試し刷りをして家族みんなに見せ、コメントをもらって何度か修正をして完成。



H:家族それぞれに役割があるのですね。

C:雑誌に掲載されているイラストは、すべてレンとアイラが描いたもの。

P:それから、写真撮影はほとんど父の私。文章はほとんどクレア。私は文章が下手だから書かないんだ。(笑)レンとアイラの文章の校正もクレアがやっているよ。

H:家族会議で意見の食い違いや揉めごとは? 意見が合わなかったとき、夕飯のときに険悪なムードになったり。

C:それはないかな。パンはいつも物事を進めるときに、「なぜこのようなやり方をしているのか」を説明する。子どもたちはたいていそれを理解して受けいれているから険悪なムードになったりはしないね。

P:私たち家族が大切にしていることのひとつが、コミュニケーション。会話をするときは、家族それぞれが心から伝えること、そして相手の言葉を心で聞くことをとても大事にしている。だから、意見の食い違いはいままでほとんどなかった。ただ締め切りが近づくと、修正が多くなったりしてみんなストレスが溜まっちゃうね。

H:それはどこの編集部も同じか(笑)。次に、気になる号の制作について。第3号『FOREVER IN A DAY』は、紙飛行機や小枝、カセットテープなど、テーマは「工作」。これはどんなコンセプト?

C:「思い出を集めること」がテーマ。これまでに撮りためてきた写真を見ていると、我が家にも長年の“家族の写真”がたくさんある。当時レンは10歳、つまり、私たちも親になってから10年が経っていた。そんな10年分の写真を見ていたら、すべてをタイムカプセルのようにまとめたくなってね。たった10年の出来事だけど、私たちにとってはとても貴重なものだから。忘れてしまった出来事もあるかもしれないし。

H:この紙飛行機、本物だ。

C:紙飛行機はレン作。中の小枝はアイラが入れたもの。小枝を集めるのが好きだったのね。この号は、実際にタイムカプセルのように庭に埋めたんだ。20年後に掘り起こしたら、また紙飛行機に対面できる。


H:20年後に家族で掘り出しイベント。たのしみですね。第5号『In the Name of the Father』もいい。コンセプトは「パンのお父さんの家族史」。

P:私の父は、私たちが結婚する数年前に亡くなっているんだ。だからレンとアイラは、私の話でしか祖父のことを知らない。だからこの号は、二人への「まだ会ったことのないおじいちゃんのことを伝える小さな本」みたいなものでもあるんだ。

H:この号の製作中、新しい家族の発見はありましたか?

P:ええ、もちろん。

C:子どもたちはおじいちゃんに会うことはなかったけど、パンの母でありおじいちゃんの妻に話を聞いて、彼がどんな人物であったかを知ることができたと思う。

P:アジアの家庭では、親は子どもたちに多くを語らないことが多いでしょう? 私の母も昔はそうだった。でも制作時は、父に関する“新聞の切り抜き”などが入ったブリーフケースを持ってきて、父との関係についていろいろと話をしてくれた。

H:おじいさんは新聞に載るような有名な方だったんですか?

P:父は1970年代後半、シンガポールではかなり有名な中国のオーケストラの指揮者をしていて、たくさん作曲もしていたんだ。彼が載っている新聞記事も『Rubbish』に掲載しているよ。私自身、幼い頃に見たことがあったと思うけど、忘れてしまっていた。



H:6号では「家族のフード愛」を絵文字で表現したそうで。

C:私たちは食べることが大好きだから、このテーマはすぐに決まっちゃった。シンガポールには屋台の文化があるんだけど、この号では私たちが一番好きな屋台や屋台飯について紹介している。あとは子どもたちが好きな食べ物についてや、缶詰の絵のコレクション、家で家族で一緒に料理をする時間も多くなったから、家庭でのレシピみたいなものも載せてる。

P:実際、一番たのしい制作だったかも!

H:雑誌自体が、テイクアウトのボックスみたいになってる!

C:シンガポールでは、よくテイクアウトをするときにボックスに食べ物を詰めるから、この雑誌も“ボックスに詰めた”んだ。

H:表紙や誌面のいたるところにフードの絵文字が使われていますね。

P:シンガポール人はよく絵文字を使う。フードの絵文字を好んで使っているのがおもしろいと思ったんだ。

H:雑誌のなかで、トマトヌードル(トマトケチャップベースの麺料理)を出す屋台のオーナー(フーさん)を取材していたけど、お知り合い?

P:このヌードル屋さんは家から徒歩5分くらいのところにあって、私たち家族みんなこのトマトヌードルがとても好きだから、毎週日曜日には必ず行っているんだ。フーさんはとてもフレンドリーで親切な方。

C:いつもトマトヌードルをおいしく食べて、フーさんと話をする。フーさんは年配なので、遠からず屋台を畳んでしまうとき、このヌードルを食べられなくなってしまうよね。だから取材をして雑誌に掲載すれば、屋台のはじまりから、40年ものあいだ続けられてきた理由をみんなが知ることができると思った。




H:家族行きつけのご飯屋も記録に残して…。フーさんのトマトヌードル、一度食べてみたいなあ。ところで、第10号は、創刊号と同様、テーマが再び「東京」に。

P:昨年、10号目の創刊の記念として、日本行きの飛行機を予約したんだ。私たちが最初の家族旅行で行った東京の場所で写真を撮りたかったんだけど、コロナのせいで行くことができなくなってしまって。日本に行けないのなら、日本を私たちの雑誌に“招いてしまおう”と思って、第1号をデザインし直して第10号を制作したんだ。私たちの日本への愛が詰まった号になってるよ。

C:ロックダウン中、日本に関連するいろんなことをしたんだよ。たとえば「1週間丸ごとジブリ映画鑑賞」をしてそれについて家族で話をしたり。あとは日本食を作って日本での思い出を思い返したり。第10号は、かつての日本旅行の思い出と、ロックダウン中にシンガポールで体験したストーリーの組み合わせになってる。

H:東京の写真やレシート、お土産などのアイテムなどが挟まっているけど、これは以前の旅行中に集めたものなんですね。

C:旅行だったり、いつもと違う場所や特別な場所に行ったりしたときにはレシートのような小さいものを残しておくのが好きなんだ。私の癖。

H:ちなみに旅行では、東京と京都のどこに行ったんでしたっけ。

C:京都では…あの通りの名前、なんだっけ?

P:祇園だね。

C:あと、有名なお寺!

H:金閣寺と銀閣寺?

C:そう。とてもきれいだった。

H:日本旅行で、特に思い出に残っているエピソードはありますか?

P:毎晩子どもたちが寝静まったら、ファミリーマートに行って、チョーヤの梅酒を買って、クレアと2人で毎晩小瓶1本を空けてたね(笑)。子どもたちが寝静まったころにゆっくりと飲む梅酒は最高だった。

H:それは最高の日本での過ごし方かもしれません(笑)。リム家のみんな、日本のことを好きでいてくれて、とてもうれしいです。

C:いまは旅行は無理だけど、できるようになったら、まず最初に行くのは東京だね。




H:いままで発行してきたもののなかで、特に大変だった号にまつわるエピソードはありますか?

C:自分たちが好きなことをテーマにしているから、あまり難しいと感じたことはないかも。ただ、デザインするのは毎号難しそう。パンは完璧主義者だから、いつも自分がやっていることに満足していなさそうで、もっと良くしようと思っているみたい。いざ印刷しようとしているときに、突然子どもたちに「ここを変えなきゃ」と言いだすこともある。子どもに「でも、もう印刷しているでしょ?」と言われると「まだ印刷してないからいける」って。難しいのは、パンを満足させることかもね。

P:えっ、本当に?

C:いつも「もっとよくしたい」とか「もっとおもしろくしたい」って思ってるよね…ごめん、いまからアイラを塾に迎えに行かなきゃ! 今日はお会いできてよかった。

H:こちらこそ!

(クレア退出)

続けますね。

P:ええ、続けて続けて。

H:1冊作るのにも、家族みんなの協力と熱意がないと。レンとアイラには『Rubbish』を作るのが嫌な時代、なかったんですか? 反抗期とか。

P:いまのところ、それはなさそう。さっきも言ったけど、家族として機能するためにはコミュニケーションが一番大事で、相手の話を心で聞くようにしている。そうすれば、ほぼ問題なしだよ。そりゃたとえば、子どもたちが描いたイラストに対して何回も修正の指示をあたえると、子どもたちも「なんでこんなに描きなおさないといけないの?」って疑問に思うかもしれない。でも、これも「人生に近道はない」という私からの彼らへのメッセージなんだ。

H:家族が成長していくにつれ、雑誌も変化してきましたか?

P:前までは子どもたちも小さかったから、週末はいつも家族で一緒にいたけど、レンはもう18歳だから、友だちと出かけるようになった。前は、雑誌を作るのは週末だったけど、いまは週末は私とクレアしか家にいない。

H:家族それぞれのライフスタイルが変わるとともに、制作も必然と変わりますよね。

P:締め切りさえ守れれば、いつ作業するかは子どもたちに一任している。子どもたちには「今回の号では、たくさんの絵を描いてほしい。二週間後に見せてね」という感じで締め切りを渡すんだ。そして二週間後フィードバックやコメントを戻して、「よし、来週、もう1回提出」って感じ。子どもたちも、この制作のやり方をとてもよく理解してくれている。


H:それにしても「家族で作る雑誌」というのは類を見ないですよね。家族の思い出を写真アルバムだったり、ビデオだったりで記録する家族は多いと思いますが、なぜリム家は「雑誌」を選んだんでしょう?

P:写真はいいと思うけど、実際にはあまり見ないよね。でも雑誌にすれば、デザインをしたうえで写真を載せることもできるし、ストーリーを書くこともできる。ただの写真よりもいいでしょ? 
じゃあ「ビデオでもいいのでは?」という意見に関しては…正直なところ私はプリントデザイナーだから、ビデオ編集よりもプリントデザインの方が得意だから、雑誌を作っている。

H:雑誌を家族で作ることの醍醐味を教えてください。家族の編集部だからできることってありますか? 

P:若いころ、たとえば10代や20代前半のころは早く実家を出たいと思うけど、30歳くらいになると、実家に帰りたくなって、親が恋しくなるでしょ。私とクレアが『Rubbish』でやっていることは、子どもたちが成長していく過程での記憶をアーカイブし、収集することなんだ。いつか子どもたちがこの雑誌をまた目にしたとき、私とクレアはもうこの世界にはいないかもしれない。子どもたちは「日記のようでいてデザインが良くて、見た目がおもしくて、コレクション性がある世界で唯一無二の雑誌」を持つことになる。

H:DNAのように唯一無二。

P:ネット検索してみるとわかるけど、ほかに家族で作っている雑誌はあまりないんだよね。たとえやっている人がいたとしても、私たちとはパッケージも違えば、コンセプトやテーマも違う。

H:今後も家族編集部は続いていくのでしょうか? 子どもたちが家を出て行くまで?

P:正直言ってわからない。でも、自分たちがたのしいと思う限り続けるよ。もしある日、やっていても幸せを感じられなくなるような日がきたら、その時はやめる。だから、その日がいつになるかはわからないけど、いまのところ新しい号や家族との制作のことを考えてワクワクしてる。

H:最後に。『Rubbish』という“ファムジン”は、リム家にとってどんな存在?

P:雑誌を読んだ人からは「とてもクールなプロジェクトだ」や「あなたの一家はこんなことをしているんだ」という意見をもらうけど、実際に私たちがこの雑誌のことを見返すのは、10年、20年後。子どもたちの将来のために記憶を集めているんだ。だからこれは…“思い出のコレクション”のようなもの。

Interview with Pann and Claire Lim

All Images via Holycrap
Text by Ayumi Sugiura
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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