“元祖メモ魔”、古代ギリシャの偉大な哲学者アリストテレス。彼が生涯に著した本は500冊以上にものぼるといわれているが、現存しているその3分の1は「彼が常々メモし、記録し続けた研究ノート」を息子や弟子が編集したものだ。大半が自分のための研究ノートや、自身の講義のために準備したノートだったという。自分の発想や考え、知識をノートに書き留めておき、そのノートを保存したアリストテレスの収集が、後世へ知恵を遺した。
さて、時は2020年、大変便利な世の中になったというのにその古臭いカルチャーは廃れない。それどころか、絶え間なく人間的な速度で成長し続ける〈ジンカルチャー〉。身銭を切ってもつくりたくて仕方がない。いろいろ度外視の独立した精神のもと「インディペンデントの出版」、その自由な制作を毎月1冊探っていく。
研究者の研究結果と、アーティストの作品とを繋げて、うつくしい雑誌を作る。フランス発のインディペンデント雑誌『Klima Magazine(クリーマ・マガジン、以下クリーマ)』がやりたいこと。それは、「学術的な研究と芸術の世界をわかりやすくなめらかに繋げる」こと。
「研究結果って、多くの人には読まれないですよね」。だからクリーマは、社会学やジェンダー学、環境学、歴史学などさまざまな学問に対する研究結果の報告——つまり研究論文を、まっさらなコピー用紙にプリントアウトするのではなく、アーティストたちの作品を交えながら雑誌としてまとめあげる。
だからそこには、メキシコのアクティビズムについて研究をする博士課程の学生が、詩人と写真家と共作したフォトエッセイがあり、人類学者の生態学に関する論文の隣にアーティストによるキノコの絵が描かれている。
2019年に創刊されたクリーマは、これまで「SFの世界における政治とイデオロギーの問題点」をテーマにした第一号と、「生態系の危機」をテーマにした第二号を出版。研究者たちによる学術的で専門的な分野の気づきや見解を読み物にし、アーティストたちと協力して全体像をアーティスティックに表現する。学術研究とアートという二つの領域を繋げ、研究者とアーティストと一緒に誌面をつくる編集者の雑誌づくりを聞いてみた。
HEAPS(以下、H):雑誌のタイトルである“クリーマ”って響き、かわいいです。どんな意味なんだろう。
Loucia (ルイシア、以下L)&Antonine (アントニン、以下A):「クライメイト(気候)」。
H:あ、クライメイトか! 意味がわかったところで、コンセプトを再確認したいのですが、「学術的な研究と芸術の世界をわかりやすく繋げたい」。これはどういうことでしょう?
A:研究の分野と芸術の分野って、いずれもけっこう閉ざされた世界だよね。世間一般に開放されていないというか。そしてこの2つがお互い交わらないものだから、交わらせてみたり衝突させてみたりしたかったんだ。
L:私はアーティストで、アントニンは研究者なんだけど、お互い思っていたことがあった。それは「研究と芸術はエリート主義な感じがすること」。たとえば研究論文は一般には公開されておらず、多くの人に読まれることはない。その研究と、そして芸術の世界を、誰でも入りやすい世界にしたかった。
H:雑誌制作に携わっているのが、博士課程の学生とのこと。
A:学生だけじゃなく、研究者も一緒に雑誌作りに参加しているよ。
L:そう。若い研究生と著名な研究者の名前が、隣どうしで掲載されている。
H:学問の分野は、人類学や政治学、生態学といろいろですね。
A:そうね。それに、哲学や社会学、歴史学。人間科学。たくさん。
L:あと、芸術系もね。
H:実際に、さまざまな学問分野の学生や研究者たちの研究結果が発表されているのか…。
・「SF小説を媒介に、現代の政治問題や世界問題をどう問題視していくか」。政治哲学の博士/研究者のアリス・キャラべディアンによる論文。
・「アフロフューチャリズム**」に関する研究論文。現象学*の博士課程学生マウェナ・イェホエシーが書いた。
・「サイボーグとフェミニズム」に関する論文。女性学の教授ドナ・ハラウェイが1985年に発表した。
・新自由主義的な資本主義におけるテクノロジーの可能性を探る。美術史の学生キンバリー・ハーソーンがおこなった研究論文
*哲学やその他の諸学問の基礎を与える学問。
**アフリカ視点で未来を思い描くこと。
どれも難しそうな文献ですが、うつくしいレタリングとテキストデザインでレイアウトされています。まるで論文ではなく、アート雑誌を読んでいるみたいな感覚になる。誌面を飾るのはテキストだけでなく、アーティストたちの作品も。
A:そう、研究者だけでなく、そのテーマにまつわる作品を手がけるアーティストも雑誌作りに参加してもらっているんだ。
H:第一号のテーマがSFなら、人間と未知の領域を作品のテーマにするアーティスト、マティス・ガッサーのコラージュ作品や、第二号のテーマが生物の絶滅なら、世界と自然の関係性を追求しているグラフィックデザイナー、トーマス・レ・プロボストの作品を掲載しています。これらのアートは研究論文の内容と関連している?
A:いや、まったく。アートはアートとして掲載。アートも研究結果として扱っているから。
H:第二号の誌面ビジュアルもおもしろいですね。植物の写真だったり、複数のアーティストが描くキノコや寄生植物の絵だったり…。あ、ポケモンのフシギソウのイラストが(笑)。第二号でも、研究のコンテンツもこれまたいろいろな視点が。
・海洋哺乳類を切り口に植民地主義と教育を紐解く、作家アレクシス・ガムスの研究論文からの引用
・科学分野の哲学者ヴィンシアン・デスプレが発表した文献。政治・宗教・社会観の変化にともなう生き物たちのあり方を、人類学と動物行動学を組み合わせて研究する。
・米国とメキシコの国境を題材にしたフォトエッセイ。写真家ガレス・スミットと詩人オフィーリア・ゼペタ、歴史家で文筆家のマーティン・ズィカーリがコラボレーションした。
L:あと、生態学とファッションを考察する論文もあるよ。哲学者のエマヌエーレ・コッチャが執筆したんだ。
H:生態学とファッション?
L:どういうこと!? ってなるよね(笑)。生態学という1つのテーマに、いろいろな価値観や新しい視点をあたえているんだ。
H:これらの研究論文、特に学生たちの論文は、すでに彼らが課題として提出したものを掲載しているのでしょうか。それとも雑誌のために新しく執筆依頼している?
A:編集部からの依頼がほとんど。彼らの専攻にあわせたトピックを考案して、それで書いてくれませんか、と。あとは、すでに積み重ねてきたリサーチや論文から必要な部分を引き出しつつ、専門分野を知らない読者にもわかりやすいように書き直してもらったり。ときどき文章が込みいりすぎていることがあるから、ここをこう直してください、もっとこうしてください、とオーダーする。
H:そこのプロセス、さら〜と説明していますが、編集業務としてかなり大変なことです。
A:(論文全文の前に)最初にイントロを送ってきてくれる人たちもいる。だって、論文全部読むの、私でさえもトゥーマッチなことがあるからね。
H:どうやって研究者やアーティストたちを探し出すの?
A:インターネット!(笑)
L:展示会や読んだ本から知ることもあるよ。卒業校のネットワークから繋がった人や、調べものをしている最中に見つけた人もいる。研究者であるアントニンは、もともと取り上げたい人たちがいるしね。
A:そう。たまに制作段階の最後の最後に、「そういえば、この人も雑誌に入れたいんだった!」って言い出しちゃうこともある。で、アートディレクターから「時間がないからダメ!」って断られる。でも「いやいや、お願いだから!」って粘るんだ(笑)
H:毎回いろいろな分野の研究者たちに声をかけて、テーマを決めて、書いてもらって、校正して、200から300ページにわたる1冊を作る。編集者の腕の見せどころですね。
A:慎重なコンテンツ作りを大事にしているから、1冊の制作に1年かかったこともあった。
H:制作でいちばん工夫している部分や気をつけている部分はありますか?
A:全体のバランス感かな。みんなにわかりやすい雑誌にもしたいけど、クオリティも保ちたい。研究論文とアートの量も同じくらいになるように気をつけている。研究者がアーティストと一緒にページを作ることもあるし。取り上げる人も男女バランスよく、あとはビッグネームだけじゃなく、若い世代の研究者たちも積極的に声をかけている。
H:個人的には、2号に掲載されていた宇宙空間をテーマにした詩が好きです。レイアウトも、大きなフォントで8ページにわたってるこの感じ、壮大さが出ていていい。クリーマは、詩や散文などの文学的な要素もあるのが特徴的だと思います。
L:掲載内容が研究論文とアートだけだと、どこか堅苦しくなることもあるともともと思っていた。文学と詩があると、斬新さがあっていいでしょう。
H:うん、いい。
A:研究者たちがいつも書いている形式(論文)からかけ離れた「詩」に挑戦してもらうのもおもしろいしね。
L:ガチガチの科学サイトみたいな論文の隣に詩があって、そしてビジュアルイメージも含まれている。みんなに手に取りやすい雑誌であると思う。
A:ただただ雑誌を「うつくしいもの」として完成させたい。
L:グラフィックデザインも大事にしている。雑誌のアカデミックな部分に興味もってもらうのも大事だけど、同時にアーティスティックな部分にも興味をもってほしい。
H:読者層はきっとさまざまなのでしょうね。
A:アーティストもいるし、美大生もグラフィックデザイナーの学生もたくさんいる。もちろん研究者も。
L:雑誌を読んだ若いアーティストや研究者たちが誌面で気になる人を見つけると「一緒になにかしたいから、この人の連絡先を教えてほしい」と連絡をくれる。この瞬間が、一番心が踊るんだ。
Interview with Antonine Scalia and Loucia Carlier from Klima Magazine
Eyecatch Graphic by Midori Hongo
All images via Klima Magazine
Text by HEAPS, editorial assistant: Hannah Tamaoki
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine