ここ最近、ニューヨークのカフェやレストラン、セレクトショップなど、話題の店に行くと、観葉植物が多いことに気づく。天井からブラリ、壁からヒョッコリ、窓際にチョコン、四隅にドドーン、と、店の植物園化が止まらない。壁一面に植物、なんていうのも、もう意外性を感じなくなったほどだ。ただ、ふと思い出す。5年程前まで、壁からヒョッコリ出ていたのは、角つきの鹿の剥製ではなかったか。
色褪せた星条旗や古材(リクレームド・ウッド)、エジソンランプ、タイプライターにミルクスツール(牛の乳搾りに使われる座面が低い椅子)。「古き良き」を合言葉にした、どこか無骨で温かみのある、あのセピア色の世界観。当時、グローバルブランドとなった熱狂のブルックリン・スタイルが、その聖地から影をひそめつつある。
「剥製」や古いものがあることで「ブルックリン・スタイル」と呼ばれたあの頃
「ブルックリン」という言葉が「クール」を意味する形容詞になって久しい。ブルックリンは米国外でも認知されるグローバルブランドになった。
今年初夏、ブルックリン・スタイルの聖地、ウィリアムズバーグ地区から一軒のプロップ・スタジオがなくなった。そこは、リバーサイドの倉庫街にあったスタジオで、古材(リクレイムド・ウッド)やヴィンテージアイテムといったものから、巨大なミラーボールまで、多様なおもしろ小道具が揃うことで知られていた。
「僕らのビジネスは、ウィリアムズバーグの進化とともにあった」。そう話すのは、今年になってその聖地を去り、拠点を移してビジネスを続ける「アクミ・スタジオ(ACME Studio)」の創業者、ショーン氏。
小道具の貸し出しだけでなく「ここで撮影がしたい」と言われればセットを組み、ワークショップや映画上映、結婚式など、イベントをやりたいと言われれば、それようにアレンジして場所を提供してきた。そうしているうちに界隈に住むアーティストたちの溜まり場となり、数々の“コラボレーション”なることも行い、結果、ブルックリン・スタイルの形成にも貢献することとなった。
ブルックリン・スタイルに身を任せて。剥製コレクションが吉と出る
同社の創業は2010年。ウィリアムズバーグのブランド化が顕著になりはじめたのもその頃からだ。ブルックリンが、グローバルブランドとなったきっかけは、あの“セピア色の世界観”ではないだろうか。昔ながらの手法を活かした手作りの商品や、経年の独特の味わいを含んだヴィンテージアイテムたち、そして、それらに価値を見い出す思想も、“ライフスタイル”として商業化していった。
「アクミ」の名前がメインストリームで知られるようになった最たる要因は「剥製の小道具たち」だった。広告撮影やテレビ番組、イベントの小道具として「剥製をレンタルしたい、という問い合わせが急に増えてね」。
セット・デザイナーでもあるショーン氏は、過去の撮影で使った剥製を、複数、丁寧に保管していた。ニューヨークで、状態の良い剥製を複数持っているレンタル会社は珍しかったことから、ブルックリン・スタイルの「剥製ならアクミ」と認知されるようになったそうだ。もちろん、ウィリアムズバーグ地区の倉庫を「自分たちでリノベートしてスタジオにしている」という、アーティスティックなD.I.Y感もブランディングに一役買ったであろう。いるべき場所に、いるべきタイミングで、いるべきかたちでいた、これも、アクミが街の進化とともに成長できた理由の一つに違いない。
たくさんの剥製を持っていたのは「流行る」と予感してのことかと思いきや、ショーン氏にその理由について聞くと「うーん、なんだろ。ただ、なんとなく…」と小首をかしげるばかり。そんな彼の横で「ショーンは、数あるものの中から、変わったものを見つけ出すのが上手いんだ」と、同スタジオのディレクター、ブライアン氏。「もっとも本人は、無意識みたいだけれど」。
鹿や孔雀の剥製がきっかけで、その他にも、リクレイムドウッド、アンティークの地球儀やスーツケース、また、ロープ、木製のとんかち、牛などの家畜の首につけるカウベルといった、“一体、何に使うんだ?” なものまで、「あの頃は、古いもの、インダストリアルなものなら広く需要があったね」と、二人は懐古する。
この古きアメリカを思わせる世界観は、「ニュー・ヴィンテージ」「アメリカン・ヘリテージ」などと呼ばれ、リーマンショック後の人の心理にも合っていたせいか、そのビジュアルを用いたカフェやレストラン、セレクトショップには人が集まるようになった。そうなると、あとは米国ならではの極端な資本主義の原理で、これをビジネスチャンスと捉えた人たちが、四方八方から寄ってくる。あらゆる商業施設や広告に用いられるようになり、ブルックリンの一角ではじまったカウンターカルチャーは、あっという間にメインストリームへ。さらにソーシャルネットワークの普及も手伝ってか海外でも大流行。同じようなテイストが破竹の勢いで市場に拡散されていった。
ヴィンテージ、からの、レトロ、からの、ミレニアルピンク、からの…。
しかし、「ある時から、急にピンク色のもののオーダーが増えたんだ」。レトロなアイテム、たとえば、カールコード式の電話やラジカセも「ピンク色、ありますか?」と聞かれる。「それで僕らも、ピンク色のアイテム、もっと増やそうか、って話になったんだよ」。
それは、後の「ミレニアルピンク」ブームの前夜。セピア色の「ニュー・ヴィンテージ」は、徐々に、70年代頃の「南国リゾートを思わせるレトロ」、もしくは、木材の代わりに真鍮や大理石といった自然素材を使ったクリーンかつシンプルな「北欧テイスト」にシフト。北と南から流れてきたその二つの川が混ざり合い、ひとつの大きな川となって生まれたのが「ミレニアルピンク」だといわれている。
ショーン氏はまた続ける。「ピンクが続いたと思ったら、次は、巨大な鉛筆とかリンゴとか。動物もプラスチック製の置物が人気で、色も緑や赤、ちょっと変わった色の方が好評みたい。あと、そこにあるブロンズ(銅)製の猿もね」。シュールで非現実的、ともするとやや悪趣味な「変わったもの」の需要が増えた。俗にいわれる「マキシマリズム」の流れはいまも続いているという。
今年の6月、彼らはウィリアムズバーグを去った。理由は家賃高騰。2010年当初、月4,000ドル(約40万円)だった約372平米のスペースは、この8年の間に4倍近くまで跳ね上がった。大きな資本に呑み込まれ、そこにはもう、かつてのようなアーティストたちがロフトに住み、協働しながらコツコツと物作りに励むようなDIY精神溢れる場所ではなくなった。
街の変化とともに、人も動く。彼らもブッシュウィックという、ウィリアムズバーグの隣のエリアの倉庫街に引っ越した。
この夏、私たちが彼らの新居を訪ねたとき、彼らは新たなスタートに向けて、改装の真っ只中だった。倉庫の中に所狭しと並ぶ小道具の中には、かつて、ブルックリン・スタイルに彩りを添えた剥製たちの姿もあった。いまやすっかり出番が減ってしまったのでは…などと、こちらが要らぬ郷愁に浸っていると、「それがね、最近またヴィンテージとは違った組み合わせで使われているみたいよ。おもしろいね」とショーン氏。確かに、原色をふんだんに使った過剰にポップなビジュアルの中に動物の剥製がぶっ込まれていたり、王座に剥製が鎮座していたり。しっくりくるか来ないかの微妙なラインを攻めるのに剥製が効果的なスパイスになっている。
栄枯盛衰は世の習い、ということか。なんだか、彼が自分のビジネスを人ごとのように語っていたのが印象的だった。まるで「流行」というものが、うたかたの幻像にすぎないことを悟っているかのようで、それはまさに「ブルックリン・スタイル」なるものの、儚さを表しているようだった。
Interview with Shawn Patrick and Brian Colgan / ACME Studio
Photos by Omi Tanaka
Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine