「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」
大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。
そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。
1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」
#008 「厳粛な法廷で。大山せんせい、盛大に吹き出す」
「私のキングダム、王国にようこそ」。もったいぶった英国風のアクセントでゆったりとした口調はもう誰にも聞き飽きられているが、ジャッジ・ケリーの聴衆はそこに研修の一環で居合せるフレッシュな医学生たちである。彼女は学生たちにこう質問をする。
「この王国の王は誰だかわかるかしら」と、と問う。学生は敬意と親しみを込めた微笑みを返しながら、「Honor, it must be you.(名誉人よ、それはあなたです)」と答える。ここは中世か、大バカ野郎どもが、と私の心の中でツッコミがはいるが、オチはさらに深い。
彼女はこう返す。冷たく厳しい表情で「間違えてはいけません、王は患者さんなのです。弁護士も医師も王に正しい忠言をすべきものなのです、私たちは王を守るべき人間なのです」。学生の一人が、「それではあなたのこの王国での立場は?」、と問う。そこで彼女はさらにすました顔をしてこうさらりと言ってのける。「私は神です」。
この時、私は背筋に悪寒がした。そしてそれと同時に声をあげて一人笑ってしまった。吹き出して笑ったのである。静まったジャッジ・ケリー儀礼の場で、私の笑い声だけが響いた。後でこのことがどういうことになるか、もちろん私はまったく考えずにそうした。
たとえば、わたしが恋愛相談を受けたとき、「相手をどのように喜ばせるかを考え抜いたうえで、そのためにどれだけ自分の身を削れるのか自分と向き合い話し合い、やがて自己犠牲をする諦めと覚悟ができるなら、なんでもできる。できないならできないで大体のことは自ずと答えが出る」と話している。つまり心持ち次第でどんな人間であっても、相手とうまくやっていくことは、元来私には簡単に思えた。よく冗談を言うが、「女は男の自尊心と下半身をくすぐっとけば大抵うまくいく、男は女の虚栄心と下半身を潤わせておけば大抵のことは大目に見られる」と嘯(うそぶ)く。そんな下ネタ全開の軽口をよく叩いていた。
法廷の話に戻ろう。というわけで、私も、このジャッジ・ケリーとうまくやっていきたいと願うものの一人であり、できないことはないはずだと考えていた(もちろんそれは不可能となったが)。できるだけ関わり合いを避けながら、質問されたことに短く的確に答えていくことで自分の任務を遂行できると信じるしかなかった。長く話せば英語でボロが出るし、冗長な説明は相手に必要以上の情報を与え、それに対して突っ込んだ質問を重ねてくると考えたからだった。これはジャッジ・ケリーとの対決だけでなく他の裁判官との対決においてもそうである。
話が混み入ってくるので一つ、裁判の例を挙げるとしよう。ジャッジ・ケリーとの対決の話は、例には少し重すぎるので後に譲るとして、ジャッジ・メイソンの話をしようと思う。彼は彼で要注意な人物である。一見温和で柔軟であるが、芯はなかなかの頑固で一度言い出したことは自分の非があってもなかなか取り下げない。見てくれは五十代半ばの品のいい白人だ。グレーになった髪を七三にわけ、深い笑い皺が目尻にあって地顔にいつも笑みを浮かべている。その日、私は患者であるルグランG(男性)の拘留期間を引き伸ばすために裁判所にいく羽目になった。
裁判所で一番多いケースは、拘留期間の請求と、治療を拒否する患者に対しての薬物投与の強制執行許可の取得である。つまり、患者が薬を服用するのを拒否したときは裁判所の許可がなければ服用を強制できないということになる。もちろん、この許可を取ったとしても患者の口を開けさせて薬を無理やりねじ込むようなことはできない(それに、20年間も歯を一度も磨いたことのない、どう猛で荒れ狂う野獣と変わり果てた人間の口に手を入れることを誰がしようと思うだろう)。
拘留にも申請がいる。入院させること自体では裁判所にいく必要はない。二人の医師の同意があれば確か90日の治療に必要な拘留期間を申請できる。これが切れた後は、拘留の申請が3ヶ月から12ヶ月おきに行われる。日本では、この更新を行った記憶はまったくない。つまり二人の精神科の指定医という資格を持った医師が同意してる限り、患者は入院し続けてなくてはいけなかったように思う。これは薬の投与に関しても同じで、裁判所に行って許可をもらう必要はさらさらない。ただ医師が必要と信じれば強制的に与えられたと覚えている。
だから、私がこちらで研修医をしたときは随分とこの制度のことを「アメリカらしい、さすが自由の国アメリカだ」と心酔したものだが、自分が証言台に立つに及び、あの感動は間違っていたと思い知らされた。一秒でも早くここから逃げ出して熱いお茶でも飲みたいと毎回思う。法廷のある朝は、ドナドナの物悲しいメロディーが目覚めた瞬間から聞こえてくる気がする。愚痴は十分述べた。ジャッジ・メイソンとの対決を話そう。
Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano