【新連載】「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。

重犯罪者やマフィアにギャングが日々送られてくる、“荒廃した精神の墓場”で働く大山せんせいの日記。
Share
Tweet

「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」

大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段はフツーの精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。

そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。

shutterstock_356278409 copy

#001「自尊心より恋心で選択した、精神科医という道」

 そもそも私は精神科医だ。いまは紐育(ニューヨーク)の州立病院で、刑務所から送られてくる精神患者を相手にしている。

 小児科は科学者、整形外科は大工、精神科は詐欺師の巣窟だと、仲間内でいわれていた。これは確かに当たっている。聴診器も持たずに患者と対面してあやふやな難治性の脳内仮説をもとに、相手を説得しながら口先三寸で治療してゆくことを考えると、自分でもまったくその通りだと合点する。それに周りを見渡しても我が強く口のたつ奴が多い。怠け者のわりに自己愛が激しく、患者より自分たちのほうが治療の対象になる場合も多いように見える。

 いずれにしろ、私は運よく自身に溢れる“やまっけ”を犯罪に使わず、医師免許をもった詐欺師としてどうにか捕まらず働いていることを感謝したい。こんな風だから私の医師としての志は他の米国で働いている日本人医師よりも格段と低いと思う。彼らは一応の野心と大志を抱いて遥か米国にまで渡ってきているのだから。私が大学病院にいたころ、そこの医局で働いている医師はみな「できることなら海外の留学経験をしてみたい」と考えていた。
 もちろん、それは後の教授職への昇進やら将来の世間体に大きく関わるからだが。

 ところがアメリカの医師免許試験は4つに分かれていて、その一つ一つが相当の英語能力を必要とする。コンピュータ試験で、臨床問題だったとしたら、ちょっとした患者の二千字ほどのある症例報告と様々な検査結果を一分弱で読みこなし、紛らわしい4択か5択の中から一つの答えを選んでゆく。

 私のときはそれが「一日4百問」。つまり、8時間も続いた。こんな試験が4回もある。落ちたとしても一回の試験は3回までしか受けられない。私の場合、2つの試験に受かるのに3回も受験した。首の皮一枚、というところだった。


shutterstock_139617071

 4番目の最終試験は最近では米国出身の医者にも難しいらしい。周りのものも何度か落ちて受験しなおしているものが多い。この間合格見込みで働きだした同僚が、結局受からずに病院を去っていった。彼女もまた英語になんの障害もない米国生まれ米国育ちだった。
 昔のことでよく覚えていないが、たしか最終試験はこの8時間の試験を二日続けて受けなくてはならなかったと思う。終わった後に気を失うような眠気が襲ってくる試験を、後にも先にもこれ以外受けたことがない。試験中はまるでわんこそばのように次から次へと質問のおかわりがくる。立ち止まったらそこでおしまいだ。先に進んでも前にやった質問が気になって遅れをとればすぐに持ち時間を使いきって最後まではたどり着けない。
 試験勉強をしているときは、マラソンをしていて後ろから追い越そうとする次の走者がひたひたと足音をさせて近づいてくる夢をよく見た。夢の中で恐怖を感じながらも、決して後ろを振り返れない自分がいた。試験が終わったいまでもよく見る。

 試験への恨み言はやめて話を戻そう。
 つまりは皆、留学はしたいがこんな試験は受けたくはない。一生米国で暮らすのならともかく、1,2年こちらの医療を覗いて帰ろうとするなら、こんな拷問のような試験は受ける必要がない。だけれど、この四つの試験を合格していなければ臨床医として患者をみることは許されない。
 だから多くの場合は研究医としてくる。つまり医師であるが患者を診ず、ただ病院で働く研究者として米国を訪れる。
 正直、私は研究者という生き方になんの共振点も持たない。つまりつきぬけるような科学への興味やら、一切の享楽をたってそれに打ち込めるだけの求道心というものが私には見事に欠落している。エリートという自負もないし出世なんて自分の首を絞めるだけだと思っている。

 では、なぜそんな私がその拷問のような試験に絶え抜き、この米国に移住しようとしたのか。もちろん、自尊心の選択ではない。自尊心よりさらに切実な私の“恋心の選択”だったのである。まあこの話の詳しいものも含めて、これから私は、「荒廃した精神の墓場」と呼ばれる場所で働く自分の周辺のあれやこれやについて、この場をお借りして書いていこうと思う。

Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano

Share
Tweet
default
 
 
 
 
 

Latest

All articles loaded
No more articles to load