「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」
大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。
そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。
1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」
#007「ここで最もつらい仕事?毎週の最高裁判所通いだ」
週一で裁判所通いがある。私の働く長期療養型精神病院には、最高裁判所が併設されているとちらりと話したのを覚えているだろうか。これはいろいろある精神科医の仕事の中で最もきつい。
ボクサーが劣勢になったら相手に抱き着くのをよく見る。私と一緒だ、とつくづく思う。私は日常的に医師として言葉が分からなくなると、相手を軽くハグしたり適当に握手したりして難を逃れてきた節がある。10年アメリカにいようが変わらない。言葉の壁や対話の根底に流れる感情をくみ取る不得手さはもちろんのこと、細部にこだわれない大雑把な性格が災いして会話の細部を聞き逃すことがよくある(これは英語でも日本語でも決して変わらない)。私がこれからお話しする裁判での地獄は、ここに起因することが多い。
医者の毎週の裁判所通いなど馴染みのない話だと思うので、まずどんな人たちが裁判に行くか話そう。前にお話ししたように、ここには性犯罪者、重度の精神疾患の心神耗弱状態で犯罪を犯し刑事責任能力が無いと見なされた者、そして、ほかの病院で治療に反した者(あるいはさじを投げられた者)、その三つに分かれる。精神科医はこの者たちの病状と経過を法廷で解説する義務を課せられている。これだけ聞くと、そんなに大変な仕事には思えない。患者の病状を英語で説明することなんかは日常茶飯事にやっている。ただ、法廷はその環境が違う。
米国の精神科法廷には二種類の人間しかいないように見える。裁判官と裁判官の机の前にいる人間である。裁判官の机の前にいる人間は、その役目や肩書きによって、ただそこにいるだけだ。裁判官とそうでない人間には大きな隔たりがある。その”好例”として、名物女裁判官がいるので紹介しよう。
仮に、名前を「ジャッジ・ケリー」としておこう。彼女は、これから何度も私の話に登場することになるから嫌でも感じ取れるだろうが、まず何せ自己愛が強い。彼女は白人で50代半ばだろうか、でっぷりとしたカラダを重そうにひきずっていて、丸メガネをかけ、ブロンドの髪は肩まであってボサボサ、だらしなく服を着ている。彼女の首からかけている認識票の色が患者と同じ色であったら、彼女は入口で警備員に「病棟からどうやって抜け出してきたんだ」と問われかねない。
彼女の自己愛の強さ、自己顕示欲の強さは主に証言者に向けられ、彼女の脅威に相手が震え上がることで満足させられる。白人女性の精神科医が証言台に立ったとき、このジャッジ・ケリーの、どう考えても不条理な質問責めにあい、彼女が泣き出して喋れなくなったところを見て、ジャッジ・ケリーは不敵な笑みを浮かべながらさらに詰問して、何か言おうとする彼女を遮って退場させた。法廷が終わったあとも病院の管理職に彼女の非を訴え続け、彼女の医師としての責任能力を問うとして追求の手を緩めず、この医師は職務観察処分に置かれた。ジャッジ・ケリーはどうなったか? 彼女はまだ月に一回法廷に現れて周囲の者に当たり散らしている。
ジャッジ・ケリーは必ず1時間遅れてやってくる。そして、来てもすぐに法廷をはじめない。持ってきたブルーボトルのキャラメルラテを飲み、新聞にゆっくりひととおり目を通して、それが終わると恭(うやうや)しく睨みを効かせながら傍聴席を見まわす。その時、彼女以外の人間は彼女に注目し静粛にしていなければならない。それが彼女の儀式で、彼女の1日と法廷の空気の流れを決めてしまうという理由で、私たちもこれに参加しなければならない。彼女の鋭い眼光に気づかず傍聴席に座る学生の前で、もったいぶって講義をはじめた。
Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano