#006 前編「ベッティが思い出した、せんせいと重なる記憶」—「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。

【連載】重犯罪者やマフィアにギャングが日々送られてくる、“荒廃した精神の墓場”で働く大山せんせいの日記、6ページ目前半。
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「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」

大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。

そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。

1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」

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#006 前編「ベッティが思い出した、せんせいと重なる記憶」

 彼女が2週続けて来なかったあとの翌週も、私はカウンセリングルームで待っていた。なんとなく去りがたくして10分が過ぎ、オフィスに帰ろうとしていると、扉が開き彼女が入って来た。
 彼女はこの2週間セッションをすっぽかしたことを素直に詫びた。私も詫びた。彼女を守れなかったことを詫びた。私は彼女の様子を見て、この二週間彼女が私を避けていたのはセッションが嫌になったからではなく彼女が私に怒り散らしてしまうのが嫌でそれを避けるためかもしれない、と感じた。それをそのまま彼女に伝えると、彼女はそうだと言った。

 私は彼女に聞いた。

以前、私に似た人に会ったことがあるのか?

 彼女は笑いながら否定した。それでも私は次の質問をした。

私を見て誰か思い起こすことがないか?

 彼女はイエスと答えた。このセッションがない2週間、彼女なりにどうして私に腹が立つのかを考えたという。そして、「あることを夢に見た」と話しはじめた。そしてその夢は、考えれば彼女の過去の出来事だというのだ。

 彼女が六、七歳のころの夏のこと。窓辺に立って外をそっと眺めていた頃だ。当時は学校が夏休みだったのかもしれない。母親の手伝いをしながら道端で果物を売っているアジア人の少年と目があった。年の頃は、彼女と同じ。
 その少年と彼女はそれから毎日窓越しにお互いの顔を見た。彼女は二階に住んでいて、通りを挟んで少年の母親の果物屋の屋台があった。少年は、毎日陽気に身振り手振りで彼女を笑わせようとした。彼女もそんな少年にだんだん打ち解けて少年を見るのを毎日楽しむようになってきたという。

 ある日、少年は自分の指で自分と少女を交互に指して「いまからそこに行く」という仕草をした。彼女は急いで姿を隠した。少年が来たことが母親に知れたらと思うと怖かったのだ。
 机の下に隠れていると階段を駆け上がってくる足音が聞こえて、部屋をノックす音が聞こえた。彼女は椅子の裏で息を殺していた。しばらくの沈黙があって階段をゆっくり下る足音がした。
 彼女は呼び止めようとして衝動的に入り口のドアを開けた。そこには少年が置いていった紙袋があった。入っていたのは、香りのよいオレンジが3つ。彼女はそれを全部食べて母親が帰って来る前に窓から皮を捨てた。

 それからも時々、少年は彼女のアパートの前に果物の紙袋を置いていった。果物を食べながら、窓越しに互いに笑いあうようになった。
 しかし彼女は決してドアを開けなかった。少年もそれを受け入れているようだった。袋を置いてノックしてはさっさと屋台に戻っていく。しかし、その日々も長くは続かなかった。

 ある日窓を覗くとその屋台が見当たらなくなっていた。あたりを見回しても同じような屋台はなかった。それ以来、少年は彼女の生活から消えた。その日、母親は新しい男を連れてきた。ひどく酒臭い男だった。

 それからこの日以来、この酒乱の男は彼女の家に入り込んでは彼女に暴力を振るい性的虐待を加えるようになる。彼女は日々が辛くなればなるほど、外を見て少年を探した。少年が戻ってきてくれたら今度こそドアを開けて、外下がどんなところであってもそれを超えて少年と家から羽ばたいて行こうと決めていたいた。しかし少年はついに現れなかった。

 そして、その少年の面影が私に重なるのだと、彼女は言った。その少年が意味しているものが、痛いほどわかった。少年は、私であり絶望に支配された彼女の唯一の希望であった。少年がどれだけの光を彼女に投げかけてくれたのか。そしてそれを失った後、どれだけの孤独の闇が彼女を襲ったことか。どれだけの明けることのない夜を過ごしたのたことか。どれだけの人々の無関心に耐え、それを許し続けてきたことか。そしてそれを越えてどうにか、いま、ここに立っていのだ。私の前にこうして立っているのだ。

 深い感慨が私をとらえた。私は、彼女の目を見ないようにしていた。目に涙があふれてきていて、目を合わせたら涙をこらえることができなくなると思ったからだった。私は下唇をかんだが、喉が鳴って堰を切ったように嗚咽した。彼女もまた、そんな私を見て涙を流していた。私たちは無言のまま泣いていた。とても言葉にならなかった。

 その日のセッションは、締まりがないまま終わった。私は泣いていることを謝り、時間が来たからやめようと宣言しただけだった。泣いたことの言い訳はしなかった。

 それからのセッションで私が何をしたかというと、何もしなかった。ただお互いに話したいことを話した。ただ、会話が依然よりも滑らかになった。お互いに親愛の情が増し、お互いの空気が自然に二人の間を循環するように言葉は流れていった。彼女は良く笑顔を見せるようになり、退院した後の計画を話すようになった。これは、いままでになかったことだった。彼女が自分の未来について話すことを、どの心理士たちも聞いたことはないと言った。彼女は、動物のシェルターで働きたいんだ、と言った。

 その後、ベッティはどうなったか。彼女は、23年の入院を経てまだここにいる。退院の許可は下りていない。以前から新設で明るく振舞っていたが、この頃は大声で笑ったりより自然な元気に溢れていて、私がセッションをはじめた当初より若く美人になっていると皆が口をそろえて言う。病状も良くなりすぎていて、何も知らない患者の家族からはよく職員と間違われているほどだ。

 実はベッティにはいってないことがまだある。彼女は覚えていないが、実は、私たちは彼女の病状が安定していないときに会っている。

Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano

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