「突然、世界が“病気”について話しだした。基礎症状や免疫抑制薬、孤立。リモートワーク、一日中パジャマでいることについて」。
それは、さまざまな「病気」や「疾患」「障害」を抱える人にとっての、これまでの普通の毎日だった。病気や障害の多くは、外からは見えにくい。ましてやそれらは捉えがたい。同じ病気や疾患を抱えていても、その人によって程度も違えば日常生活や心への影響も異なる。また、その日のコンディションや過ごす場所によって、形を変えるもの。
昨日はやって来なかったが、今日はやって来るかもしれない。昨日より明日の方がちょっと穏やかかもしれない。生き物のように、するすると形や温度を変えていく「病気であること」。
イギリスで生まれた雑誌『SICK(シック)』では、エッセイや詩、フィクション、ノンフィクション、ビジュアルアートなどの表現で、当事者たちが自らの人生観、考え、捉え方でもって、日々の暮らしやそのときどきに生まれる感情を表現する。そこには、病気の人へのインタビュー記事からでは見えてこない、その人それぞれの、その日ごとの揺れ動くあいだの声と気持ちがある。
自身も疾患を抱えるというSICK創立者のオリビア・スプリングに話を聞きつつ、病気であることのニュアンスをめくっていく。
HEAPS(以下、H):雑誌『SICK』は、病気や障害を持つクリエイターによるインディペンデント雑誌。オリビアも抱えてる病気や症状がある?
Olivia(以下、O):数年前に、慢性ライム病と診断されました。
H:具体的に、どんな症状があるの?
O:疲労感、脚や関節の痛み、全身の脱力感、めまい、集中力の欠如など。さまざまな症状に悩まされてる。特に疲労感は、ベッドから起きあがるのも大変なときがあるくらいひどくて。うつ病や不安神経症も発症していて、これらと一緒に生きるのは大変なこと。
H:いろんな症状に悩まされているんだ。
O:もはや抱えている病気は一つじゃないと思ってる。ライム病やME/CFS(筋痛性脳脊髄炎*/慢性疲労症候群)、PoTS(体位性頻脈症候群**)、線維筋痛症***などは、いろいろな症状とともに慢性的な痛みを引きおこす病気で、エネルギーが制限されてしまう。同じ病気を持っている人は似たような症状がある場合もあるし、人それぞれ違う場合もある。たとえば、私の痛みはほとんど脚だけど、ほかの人は腕が痛い、みたいな。
*身体が衰弱し 、強い全身倦怠感、記憶力の低下、睡眠障害などさまざまな症状が出る難病。
**起立した状態の場合に脈拍数が上がり、動悸や息切れ、めまい、頭痛などを発症する自律神経に関する病気。
***全身に激しい痛みが起こる病気。
H:仕事に行ったり、外に出るのも大変そう。
O:日によって症状は違うから、毎日出勤することや毎週決まった日に出勤できることを前提にした仕事はつらいかな。自分の体調がどうなるかわからないし、仕事のために決まった時間にどこかに行くという場合は管理するのが大変。
H:SICKのアイデアは、どのようなタイミングで思いついたの?
O:大学在学中。病気や疾患を持っている人たちの生活や経験に焦点をあてるアイデアはつねにあったんだ。SICKがユニークな存在であるのは、雑誌作りに参加している全員が病気や障害を持っていること。それに、必ずしも“誰か特定の人たちのため”にエッセイや詩を書いているわけではないからだと思う。
H:病気や障がいを一括りにせず、表現方法もさまざまですね。
O:病気や障がいにはさまざまな種類やパターンがあって、誰かの経験を正確に理解することはできない。
私はシックを、投稿者、読者、支援者の小さなコミュニティだと考えてる。社会から疎外された人々のコミュニティであること、それによって私たちは繋がりをもっていることもまた事実。
それぞれの「病気であること」がきこえてくる表現を、いくつかみてみたい。
病気、社会、自分との三角関係
「燃えるタバコを貪欲に吸いこむ短い時間に、(正常な生活を送ることを)先延ばしにするつらい気持ちもいっときのあいだ忘れ、希望の重さからも離れることができた。一服するたびに、『いま、ここ』が私にとっての休暇となる」
病気との向き合い方は人それぞれ。社会学者でライターのキース・カーン=ハリスは、21歳のときにME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)と診断された。慢性的な疲労感とともに微熱や頭痛、関節痛といった症状が長期的に続き、日常生活が困難になるケースも多い病。
しかし「liveable(生きていくことはできる)」で、仕事も家族もあきらめなければならなくはなかった。
当時のキースは「普通」の20代が送る生活を切望していた。持病がありつつも、ある時は酒を飲み、タバコを吸いドラッグをやり、セックスをし、冒険だってした。が、これらの行動は一時的な喜びをもたらすのみで、症状の回復からは遠ざかる。一時は症状の改善に向け規則正しい生活を試みたものの、30代になって「喫煙生活」に舞いもどる。
エッセイ『Smoke Your Way to Hopelessness』の一文で、“喫煙”が自分にとってどんなものなのかを表現した。
「私から健常者へのアドバイス。あなたが目をギラギラさせて病気や障害を持つ人にヘルプ役を買ってでる前に、まずは彼らの視点に立ってみて。あなた自身、見た目や体の大きさ、性格など、自分ではコントロールできない特徴について、知らない人にアドバイスをしてもらいたい? たぶん、嫌でしょう。(中略)どんな状況にいるのかわからない障害者を助けるのではなく、ボランティアなど、より長く続けられることに打ちこんでみてください。健康問題に対する解決策があると思いこむよりも、障害や慢性的な病気を抱える人をそっとしておく方がよい場合もあるから」
病気や障害を抱える人々が向きあわなければならないもう一つは、周りの人だ。
健常者との関係性についてのリアルが表れているのが、サンフランシスコを拠点とするライター、エッセイスト、アナ・ハミルトンによるエッセイ『The Advice Impulse』。
運動障害を伴う脳性麻痺を抱えるアナ、杖を持って歩いていると「セロリジュースが効く」とか、「ヨガは試したか?」「もっと運動をしたほうがいいんじゃない?」というおせっかいなアドバイスをしてくる人がいるという。「私は障害者! 私はあなたのおせっかいなアドバイスが聞きたいです!」とでも見えているのだろうかと訝り、同エッセイではアドバイスについて書いた。
目に見えない。だから…。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っているライター/詩人のエルスペス・ウィルソン
。詩『Loud and Fear』では、詩の抽象表現でしか醸しだせない当事者が感じる「こわさ」や「不安」が伝わってくる。
同詩「誰かの死亡記事を読みながらテイラー・スウィフトを聴いている。私はひどい人間だ、というつるんとした疑いを持ちながら」ではじまる。
そして詩は、こう終わる。
I worry that I write poems with too many Is /I/i/I/ but I have no idea who the third person is;
I have never met them
they just haunt me
詩を綴るとき、たくさんの「I(私)」。「i(わたし)」。
「I(私)」が出てくるのが心配になる。
でも、第三の人が誰なのかはわからない。
彼らに出会ったことはない。
彼らがつきまとってくる。
「自分自身でもときどき、目に見えない病気の存在について疑い、冒険に出ることを夢見る。見えないのなら、私を痛めつけることもないんじゃない? マチュピチュの山登りやテオティワカンのピラミッドに登りたいと思っても、大きなTesco(英国のコンビニチェーン)まで往復するのがやっと」
月経痛や性行痛がみられる子宮内膜症や、線維筋痛症などさまざまな疾患を抱え、1日のほとんどをベッドで過ごすライター/エディターのジェニファー・バラによるエッセイ『BED』からの抜粋。
ベッドの上での夢、そしてベッドの外での現実。そして、ときおり浮かぶ「本当に私って病気なの?」までがベッドの周りに現れては消える。
アート作品からも、「病気ってなに?」をみてみよう。
タイツの先が「手」の形になっていたり、2つのワンピースが1枚に繋がっている作品など、どこか違和感を感じる。その「あれ?」のなかに言葉では表せない気持ちが編みこまれている。
ロンドンを拠点とするビジュアルアーティスト/ライターで、重度のMEを患っているマリオン・ミッチェルは編み物で幼少期、成長期の不安についてを表現した。
「ME」。病気を、私を知ってくれる人がいない
本のタイトルは『WHAT IS KNOWN ABOUT M.E.』『WHAT I KNOW ABOUT M.E.』『WHAT MY DOCTOR KNOWS ABOUT M.E.』自身の病気「ME(筋痛性脳脊髄炎)」と、「ME(私)」をかけている。
同じME/CFSを抱えるアーティストでも、まったく異なるアウトプットをしたのが、アーティスト、クリスティーナ・バルタイス。15年以上にわたりME/CFSを抱える彼女は、自らの病のことをよく知っている医師に出会うことができないという悩みを持っており、その経験や将来への不安を、「本」を使ったインスタレーションで表現した。
「人々はこの経験を思い出し、学んだことを生かすのだろうか。憧れの会社、行きたかった食事、行きたかったライブについて考えるだろうか。」
「孤立とは、私たちが何者であるかや、自分自身や他人との関わり方、そして私たちが作りたい社会のあり方について教えてくれる。多くの人にとって、自粛、社会的距離、隔離を経験したこの新しい現実は、また元の生活が再開する瞬間が待ち遠しい、ただの小休止点に過ぎない。でも、これまでも現在も、そしてこれからも、孤立によって形作られる人々がいる」
「長きにわたり病気や障害を抱える人たちにとって、“孤独”は不思議なことに、普段の生活の“一部”になる」
ブロガーでジャーナリストのナターシャ・リップマンのエッセイ『Shaped by Isolation』。 エッセイでは、自身の親友であり、三叉神経痛(顔に痛みの出る病気)だと診断されたメリッサがでてくる。彼女は、ロンドンで築いたキャリアや人間関係を諦め、実家のある故郷へと戻らなければならなかった。恋人とも、遠距離恋愛。
COVID-19で、突如誰しもに身近になった隔離や孤独。健常者が孤独や不安について、孤独がもたらすものについて目を向けたこのタイミングで、病気である人がずっと抱えてきた孤独についてを綴った。
H:SICKでは、エッセイや詩、アート作品にくわえて、取材記事もあります。2号では、義足のタトゥーアーティスト、ミラ・マリアにインタビューをしています。ほかの雑誌がやらないような、SICKの取材アプローチはあるのでしょうか。
O:ミラが取材中に言っていたことに、私も深くうなずきました。それは「障害をテーマにした媒体のために障害を持つ人によって取材されること」と、「障害がテーマではない媒体のために障害を持っていない人によって取材されること」は違う、ということです。
H:どのように?
O:(障害がテーマではない媒体の場合、)ストーリーが枠にはめられたり、文脈から外れたり、「インスピレーショナル」と飾りたてられ、障害を持たない人が良い気分になるように使われてしまう。
SICKの取材では「障害」については厳密な話をしていないんだ。母親であることやアーティストであることなど、いろいろなテーマについて話すとき、自然と「障害を持っていることについて」が出てくるから。
H:さまざまな人の病気のニュアンスが表現されているSICK。アーティストや作家たちにとってどんな存在なのでしょう?
O:コントリビューター、読者、サポーターの小さなコミュニティだと考えてる。病気や障害にはさまざまな種類やパターンがあって、誰かの経験を正確に理解することはできない。でも、社会から疎外された人々のコミュニティの一員として、繋がりは持てるから。
H:それに、とにかく雑誌としてグラフィックやビジュアルがとにかくポップでたのしい。SICKのカラフルな世界観、好きです。
O:ファッショナブルな服を着ておしゃれして、杖を片手に家の外に飛びだして、みんなからの「障害者はこういうふうだ」をはね返しちゃう。SICKのデザインはこんな感じ。「私たちは病気や障害を持っています、そしてこんな姿なんです」っていう、表明。
Interview with Olivia Spring of SICK
All Images via SICK
Text by Ayumi Sugiura and HEAPS
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine