「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」
大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。
そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。
(結構不定期です。今回もお久しぶりです)
1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」
#010「裁判官を騙しきった患者ルグランGの話(後編)」
私は米国に渡る前、感謝祭の日がどれほど重要な日なのかまったく認識していなかった。米国では11月の第4木曜日にあたる。この日を境に、堰を切ったようにクリスマスのホリデーシーズンがはじまる。ラジヲからは飽きもせずクリスマスまでひたすらクリスマスソングが繰り返し、繰り返し流れ出して、街は狂ったようにクリスマス一色になってゆく。サンクスギビングは、家族や親しい友人たちで集まって過ごすのが習わしであり、人と人との絆を確かめる数少ない機会として、米国人は認識している。人は七面鳥を食べて家で皆で過ごす。ロスアンゼルスに住んでいた頃は、感謝祭の週末はどこの店も閉まっていて食事の買い出しに困った覚えがあるし、通りの車もなかったためにしばらく気づかず対向車線を走っていたことがある。それぐらい街から人が消えていた。そんな感謝祭の前日に、この法廷があった。
私は前回の強制服用申請の法廷での成功から自信を持っていた。ジャッジメイソンが法廷の開始を宣言する。証言台のうえで、前回のような緊張なくはじめられ、以前の際に記憶していた入院の経緯から入院後の経過をつまずくことなく余裕を持ってはっきりと説明できた。まったく不安を感じずに法廷の証言を終えて、患者側の弁護士の質問へ。患者側の弁護士も、どこかグレッグの拘留期間の延長はやむを得ないと踏んでいるのか、意地の悪い質問はしてこなかったので、早とちりで間違えを犯すことなく答えた。それからだめ押しで、グレッグ自身の質疑応答に入った。
グレッグは早口でまとまりがなく、未だに躁状態にいることは明白だった。病院側の弁護士が彼に質問をする機会を得て、他の患者と最近ケンカした件や女性患者をさわった件を持ち出すと、グレッグは慌ててしどろもどろになり、自分で何を話しているのかわからなくなっている様子だった。それも終わって判決を待つ雰囲気に落ち着いたとき、グレッグの弁護士が証人喚問を申し出た。グレッグの兄が来ているという。
彼の兄だという人物は、傍聴席の一番奥から前に出てきてグレッグと硬く抱擁し、それから証言台に立った。私は、その兄を見たことがなかった。背が高く細く引き締まった筋肉質な体型で、タイトなスーツとネクタイを着たその出で立ちはグレッグとはまったく違った環境で育った印象をあたえた。丸顔のグレッグとはまったく似ていない細面で、肌の色もグレッグより白かった。確かグレッグもここ十何年も兄には会っていなかったはずである。
兄は説明をし出した。グレッグから最近になり突然電話が入ったこと。その前に、自分の大好きだった叔父が亡くなり、その叔父が亡くなる前に、「グレッグと仲直りすること」を彼に強く言い残していたこと。彼は。自分こそが退院後もグレッグを引き取り面倒見ることを強く主張していた。この兄が、こんなことを芝居がかって話しているときにもグレッグは黙っていられず、兄の話に割り込もうとして何度もジャッジメイソンに静かにするよう諌められた。その度に兄も嫌な顔をして、人差し指を口に当てグレッグに静かにするよう促した。それでもグレッグは兄の状況をわきまえず無邪気に囃し立てたりすることをやめないので、ジャッジメイソンから退場通告がなされて退場となった。
Photo by Alison Marras
グレッグが退場になった後、兄は力なく自分の席に戻っていった。その後に、病院側の弁護士が最後の病院側の弁論を行なった。この弁護士は力強く述べた。グレッグが未だに病状が安定せず市井に戻ってもまだ人に害を及ぼす危険があること、入院期間の延長は妥当であり、ただし延長したとしても治り次第いつでも退院させること。
その弁護士だけでなくそこにいる誰もが、病院側の圧倒的勝利(つまり、グレッグを退院させないこと)を確信していた。弁護士は、さらに後押しをした。通常の3ヶ月の拘留期間ではなく6ヶ月のこ閏期間を申請したい、と付け足した。ジャッジメイソンは慎重にゆっくりと弁護士にこう言った。「それでは君は私に6ヶ月交流するのかこの場で退院させるか決めるように提案している、ということかね」。この老練な弁護士も折れない。「はい、6ヶ月です」と笑顔で答える。その笑顔の裏に、お前いくら何でもこんな奴を退院させられないだろう、というどす黒い思いが格上の裁判官に向けられているのが感じられる。
ジャッジメイソンは弁護士の毒を含んだ笑顔に対し、柔和な優しい笑顔で返しこう宣言した。
「患者グレッグを本日5時までに兄の元へ退院とさせること」
我らが老練な弁護士が、オナー(名誉人よ)、と声をかけたときにメイソンは彼を睨み、「もう判決はおりました」と一言だけ言って制止した。誰も予想していなかった、病院側の負けである。弁護士へのいましめか、心穏やかに過ごすべき感謝祭にほだされたのか。メイソンのジャッジのおかげで予想していなかった退院書類の準備に追われ、その日はクタクタになったのを覚えている。
さて、これには後日談がある。感謝祭が終わって4日たった次の週の月曜日、グレッグが電話をしてきた。救急室からだった。助けを求めてきたのである。相変わらず早口で最初は話が飛んでまとまりがなく何を言いたいのかよくわからなかったが、話の趣旨はこうだ。退院になって友人のところに行った。夜、眠れなくて階段を登ったり降りたり運動してると、近所迷惑だからやめろと友人の嫁と殴り合いのケンカになって、そのまま精神科救急室に連れてこられて3日拘留された。このままだと閉鎖病棟に入院になりそうだから事情を担当医に話して退院させるように説得してほしい、と。
私は混乱していた。法廷ではあの兄が引き取るように、という命令が下っていたからだ。それを尋ねると、あれはただの友達だ、金払うからって頼んだだけだよ、と軽い返事が返ってきた。友人の家に行ったった後、「おまえ(グレッグ)が金銭管理するのは大変だから」と諭されグレッグは自分の持ち金2千ドルを全部彼に渡したらしい。そして、そのまま追い出され無一文で救急室に送られてきたのである。無情にも電話はそこで切れた。思い返したら彼はどこの精神科救急にいるのか私に告げずに切れた。彼の担当医からもまったく電話がなく、その後の彼の行方は知れない。ただ、またいつ彼がここに送られてきても私は驚かない。誰よりもうまく、彼に症例提示を法廷でやってのける自信だけはある。
Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano