#009「裁判官を騙しきった患者ルグランGの話」—「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。

【連載】重犯罪者やマフィアにギャングが日々送られてくる、“荒廃した精神の墓場”で働く大山せんせいの日記、9ページ目。
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「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」

大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。

そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。
(結構不定期です。今回もお久しぶりです)

1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」

#009「裁判官を騙しきった患者ルグランGの話(前編)」

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 まず患者のルグランGこと、グレッグルグランについて話しておこう。

 46歳のナットキングコールに似た屈強な黒人のグレッグは僕の患者で、長い間、病院の出入りを繰り返している。躁鬱病の診断を17歳から持っている彼は、家族と言わず彼が友人というとも誰からも愛想をつかされていた。本人は周りの人間が自分にそぐわない、“つき合いに値しない人間だ”とうそぶいていたが、周りの人間もまた、彼をつき合うに値しない人間だと考えていた。周りは、きちんと薬を飲めば無茶苦茶な人生から救われると口を揃えていうものの、病気を差し引いても残る彼の無軌道な人格そのものは、そんなもので簡単に修正できそうもないことはよく分かっていた。
 そもそも彼をどうやってよくしていこうと考える者は誰もいなかった。悪い連中とつるんでいてヘロインにも手を出していたし、その連中は彼を利用して彼の妹を呼び出してから輪姦した。その時、躁状態だった彼は妹を慰めながら自分の家に連れ帰ったあとに、こともあろうに彼女の寝込みを襲ってしまった。これは彼自身にも納得できない行動だった。

 誤解されやすいが、躁状態はただ気分があがっている状態とは違う。感情の問題と同時に、思考や感覚の問題でもある。ひどい状態だと沸々と湧きあがってくる雑多で断片的な思考が道徳や理性の道筋を遮断して、本能の衝動に駆り立てる。感情もかき乱される悲しい思いが一気に喜びに転じたり、時にはその相反する二つの気持ちが同時に存在したりする。常人の考え及ぶ状態ではないのである。躁状態の時は幻聴を伴ったり、誇大妄想が出たりすることもある。
 ルグランは入院の当初、自分は高名な精神科医であり「お前ごときに私が治せるわけがない」と私に言い放っていた。もちろん彼は間違っていて、高名な外科医という点は妄想でしかない。ただ私ごときに彼が治せるわけがない、というのは当たっていた。入院してから彼は薬も飲まなかったし、私と話してもいつもイライラとして怒鳴り出す始末で、まったく話し合いにならなかった。

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 結局、薬を無理にでも飲ませる許可を得るために、まず入院して2週間ほど経ったところで裁判所に行くことになった。裁判所では一般的にはこうだ。裁判官の座る席が上座にあって、それと対峙するように向かって右側に病院側の弁護士と医者なんかの証言者が、そして左側に患者側の弁護士と患者が座る。傍聴人たちは弁護士席の後ろに座る。証言台は裁判官と弁護士の間だ。
 患者の名が呼ばれ裁判がはじまると、大概は医者がまず証言台に立つ。それから最初は、「真実のみ証言する」ことを宣誓をしてから、病院側の弁護士が入院のいきさつや、いまの患者の状態を私に誘導質問してくる。弁護士はこの過程で、この患者への投薬が退院に向けての何が何でも必要だというところに話しが落ちるように持って行く。それが終わると、今度は患者側の弁護士から、それに対抗する質問がはじまる。患者の投薬の不要性を証明するのと同時に、証言者の信憑性を疑わせるために行われるのだ。つまり、証言者である私をこき下ろし、私の無能を証明するための質問が矢継ぎ早にされる。服用させようとする薬はどうやって選択したのか。患者への説明がどれほどされているのか、といったことで探りを入れてくる。一つひとつの質問にはイエスかノーで答えなくてはならない。たとえその中間の答えがあっても、どちらかに答えなくてはならない。多くの答えはイエスと答えればいい質問だ。
 小気味よく飛んでくる質問にイエス、イエス、と調子に乗って答えて油断していると、次にはイエスと答えてはいけない質問が紛れ込んでくる。そういった質問は二重否定の文を使ったりと仕掛けがあって、一瞬にして判断するのが英語が母国語でない人間には難しい。私は、迷ったときは何度も質問を再度聞き直す。何度も咄嗟にイエスと答えて失敗したからだ。三度までは、ごまかしながら聞ける。そしてあえて質問の流れを止めてゆっくり答える。一気に増した緊張を鎮めるためには、時間を稼ぎながら落ちくよう自分をなだめていくしかない。この時はなんとか切り抜けた。

 私の証言が無事に終わると、今度は患者自身の番だ。これは、患者の状態が顕著に悪ければ病院側には優位に働く。グレッグは、仕事は何かと裁判官に聞かれて、『医者だ、裁判官も昔やってたよ』と、しっかり答えてくれた。この時の裁判官は優しい親しみに満ちた笑顔で彼の話を一通り聞き、彼を丁寧な口調で、退出し隣の控え室で待ってるように促した。彼の退出を確認したあと、残った全員の前で、先ほどと同じ温和な笑顔で強制服用を承認した。しかし、この命令が出たあともグレッグは薬を服用としようとはしなかった。私は経口薬を飲まないときのための代用として注射薬を申請し、先の裁判で許可が下りていたので、グレッグは朝晩と薬を拒否するたびに注射を打たれることになった。最初はグレッグも抵抗し暴れて私に殴りかかってきたりしたが、その度に屈強の男たちに取り押さえられて注射を打たれた。さすがに4、5日もすると彼も観念して経口薬を服用するようになった。

 それから2週間過ぎた頃から、自分のことを医者とか弁護士というのを聞かなくなってきた。口調も急き立てるような早口の喋り方とは変わって落ち着いてきたし、話が通じるようになってきた。しかし、それでも寛解には程遠かった。相変わらず衝動性が高くすぐ他の患者と喧嘩になっていたし、性欲も旺盛で嫌がる女性患者を触ったりと病棟内でのトラブルは絶えなかった。ただ以前と違うところはいえば、その場が収まることだった。
 彼の交流期間である3ヶ月は、あっという間に過ぎた。私は、拘留期間延長の申請を裁判所に提出した。裁判所に行ったのはその1週間後、そしてちょうど感謝祭(サンクスギヴィング)の前の日だった。この絶妙なタイミングが助けとなり、私たちはグレッグにしてやられることになる

Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano

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