たった一人で難民を癒した25年。シチリア・“難民が流れ着く島”、孤高の医師ドキュメント

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人口およそ5500人。そのイタリアの小さな孤島に、一人の医者がいる。来る日も来る日も、紺碧(こんぺき)に輝く地中海の岸に立ち、流れ着いた大勢の患者に歩み寄る。患者とは、沈没寸前のゴムボートから救出された「難民」だ。

混迷する難民問題の最前線にて。彼は、たった一人で難民を癒す。ついこの間まで、彼の存在が広く世に知られることはなかった。あのドキュメンタリー映画が世界のスクリーンにかけられるまでは。

“難民たちの中継地”・ランペドゥーサ島

 流れてきた予告編を見て、自分は絶対にこれを観るだろうなと直感した。イタリア製作のドキュメンタリー『Fire At Sea(ファイア・アット・シー、邦題:海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜)』。

 舞台は地中海に浮かぶシチリアの離れ島、Lampedusa(ランペドゥーサ)。のどかな漁師町といった情緒の島には、多くの“来客”が流れ着く。映画の中で、島民のラジオから流れるニュースは抑揚のない声で告げる。「昨夜、難民250人を乗せたボートが沈没しました」

 美しい海に囲まれたランペドゥーサ島は、“ヨーロッパよりアフリカに近い島”。シチリア島からおよそ220キロメートル、それに比べ、北アフリカのチュニジアからはわずか113キロ。そのため、昔からヨーロッパへ亡命するアフリカや中東からの難民・移民たちが目指す最初の経由地となっているのだ。

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「ユア・ポジション・プリーズ(あなたの位置を教えてください)」
「小さな子どもたちがいるんです。お願い、助けて」
「ボートには何人いますか?」
「150人。沈みそうなんです」
「どうか落ち着いてください。すぐにレスキューを送りますから」
夜の静けさを呑んだ海には、イワシ詰めになってゴムボートで漂う難民たちのSOS。それを救助隊の無線が拾い、ヘリコプターや救命ボートが飛び立つ。これが、ランペドゥーサ島の日常だ。

 過去20年でチュニジア、ナイジェリア、ソマリア、エリトリア、リビア、シリアから流れ着いてきた難民の数は約40万人。近年では年間5万人が島を目指す中、沈没、飢えや脱水症状、ボートの燃料漏れが原因のやけどなどで、その半数以上は海のうえで息絶える。運よく生き延びた者は島内の検査所に送られ保護センターで数日滞在し、ヨーロッパへと発っていく。

 そのため、難民と島民が交流することはない。映画では、難民がさまよう生死の溝と島民の平穏な暮らしが交わることなくとうとうと進んでいくのだが、それに平行して“難民を救うある医師のストーリー”が敷かれていた。

たった一人で難民を癒す「お医者さん」

 Pietro Bartolo(ピエトロ・バルトロ)、島唯一の常勤医で、医療サービスセンターの所長。島に押し寄せる難民・移民たちを25年もの間たった一人で診てきた“難民のお医者さん”だ。

 今回HEAPSでは、バルトロ医師を訪ね彼の姿を写真でドキュメントしたイタリア人フォトジャーナリストStefano Schirato(ステファノ・シラート)に取材し、医師と過ごした4日間を語ってもらった。

「ボートから降り立った難民たちを、両腕を広げて一番最初に迎え入れる人。それがバルトロ医師でした」

 医師にとって瀕死の難民を助けることはもはや“使命”だ、とステファノ。島にいつもいる医者は自分一人だけ、そして生死を彷徨う難民はとめどなく流れ着く。極限の状況下で、彼は島民の健康を守るのと同じように、難民の命を救う。

 ステファノは、ボートから救出された難民を迎え入れる医師の姿に心打たれたという。「彼は難民たちの肩に手をやり、ちょっとした冗談なんかを言って心をほぐしてあげていましたから」

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戦争や家族の死など心に傷を負い、命からがら島に着いた難民たち。
心身の疲労で放心状態の彼らに、バルトロ医師は英語や二つ三つ覚えたアラビア語を織り交ぜながら話しかける。

 警察や海軍、沿岸警備隊が囲む張り詰めたレスキュー現場を少しだけ温めて。難民たちに束の間の安堵をあたえる。これまでの壮絶な過去とこれから待ち受ける厳しい未来をわずかな時間だけ忘れさせてあげるのだ。

「カウンセラーが必要かって、なぜ誰も聞いてくれないんだろう」

 2011年のシリア内戦から深刻化するヨーロッパの難民問題。ドイツやオーストリアなど受け入れに積極的な国がある一方で、治安悪化やテロの脅威、経済的負担などの懸念から受け入れ拒否・制限する国もあり、欧州全体は難民・移民問題に揺れている。

 賛否両論ある難民問題だが、バルトロ医師はどう向かい合っているのか。「彼は海に溢れ出す悲劇を目の前にして、“助けること”しか考えていません。受け入れの善し悪しや政治的な倫理を、頭で考えるより先にです」とステファノ。

 理論より感情派。人情に厚い性格からか精神的に参ることもある。思わず「カウンセラーが必要かって、なぜ誰も聞いてくれないんだろう」と口にしたこともあった。難民を助けるのは使命でありパッション、これから先も辞める気はない。しかし毎晩目を閉じれば、難民たちの惨状がまぶたの裏に浮かぶ、と打ち明けたそうだ。

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検死官の役割も務め、難民の死と向き合わざるを得ない医師。時折難民たちが眠る墓を訪れる。
映画の中で彼はゆっくりとこう語った。
「この状況には憤りを感じる。心に空虚という大きな穴が開くんだ」。

“25年の日常”が世に知られて

 バルトロ医師は救命に当たった難民の姿を写真や映像に記録している。そこに映るのは、難民船から救出される者、力尽きた子どもや若者の亡骸。ある日、医師の家に招かれ“真実”を目にしたステファノは医師と一緒に涙したという。

「彼はその映像を何回も何回も見ました。そしていつも決まって涙を流すのです」

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難民の女性を診察中のバルトロ医師。撮影許可を得てカメラを向ける写真家に「先生は目で訴えてきました。『くれぐれもぼくと患者との空間に入りすぎないように』とたしなめているようで」。
自分の仕事に精魂を傾け誇りを持つ医師の姿勢が感じられたという。

 ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した『海は燃えている』。難民救済に情熱を注ぐ彼の“25年間の日常”が、世界に知られることとなった。「医師はいまになって殺到するメディアに少々気後れしていましたが、こうも言っていました。『注目を浴びるのは構わない。自分を通して少しでも世界の関心が難民問題に向けられるならそれで良い』」
 
 映画の中盤で、地元の少年を検眼する“島民のお医者さん”としてのバルトロ医師の姿がある。決して“難民を救うヒーロー”という含みで描写されていないことが印象的だった。

 燃える海の向こうには、人間の鑑のような先生がいた。ただ彼はあたえられた使命に疑問を持つわけでもなく、難民に微笑みかけ、涙を流し、難民を救い、弔い、やるせない現実に憤る。バルトロ医師の四半世紀はそれ以上でもなくそれ以下でもないのだ。

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All photos courtesy of Stefano Schirato
Text by Risa Akita

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