午後3時を少し回ったころ。しんと静まり返った厨房に白シャツと黒いエプロン姿の青年が一人、つかつかと歩いて来た。彼の名はクリス。真っ先に今日の献立と手順を確認して手際よく包丁を研ぎはじめた。彼は過去に罪を犯し、服役した経験がある。
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その数分後にエプロンの紐を結びながら現れたのはお坊さん。1月に取材した“料理で人助けをする僧侶”、ダイケンだ(詳しくは、▶︎お坊さんの無料クッキングクラス。エプロン着け説く生徒は「元囚人 ・ホームレス・不法移民」)。
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挨拶もそこそこにダイケンは「じゃあカボチャを切ってみましょうか」。少々ぎこちないクリスの手先にひたむきな眼差しを投げかけた。
「お坊さんの無料クッキングクラス」。好調スタート
ハーレムにある教会の厨房で行われているお坊さんのクッキングクラス。昨年10月に引き続き、第2回目となる6週間の集中料理トレーニングが今年2月にスタートしたばかりだ。
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クラスの主な対象者は、キッチンスタッフを目指す失業者たち。社会復帰を目指す元囚人やホームレス、若者など複雑な過去や現状から就職困難な人々だ。彼らに基本的な調理スキルを与え、レストランへの就職まで手助けするという、お坊さんによる社会復帰プログラムなのである。
「今回のトレーニングには4人の研修生が選ばれました。いまのところ好調です」とダイケン。講師も一人増やしてのぞむトレーニングでは、これまで棒切りや千切り、半月切りなどさまざまなナイフスキルや鶏一羽のさばき方を教えてきた。
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取材をしたこの日はトレーニング第3週目の水曜日。研修生たちは、月曜日と火曜日に習った調理スキルを使い、包丁を握る。
「面接で服役という言葉を出した瞬間、不合格決定だから」
「Behind you!(後ろ、通ります!)」
狭い厨房を機敏に動く研修生たちのかけ声が響く。「これは初回のクラスで教えました。誰かの背後を通る時やドアを開ける時、ぶつかってお湯やトレイをぶちまけないようにするための基本ですね」
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炊き出しまで3時間。その日のメニューは、トマトパスタに白米、豆、カボチャ(スクワッシュ)、サラダとベジタリアン仕様。70人分と多めに作るため、手の空いた研修生から野菜をカット、お米を計量し、豆を煮る。
「その玉ねぎ刻んだらこっちに頂戴」「豆の空き缶はリサイクルに出すからすすがないと」「パスタの茹で具合こんなもんでいい?」。大鍋から吐き出される湯気と料理人たちのエネルギーが小さい厨房に充満する。
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木べらを片手にコンロのそばにいるのはクリスだ。「玉ねぎ炒めるの難しいんだよね。今日は上手くいったけど、いつも焦げて見た目も最悪なんだ」と照れ笑いする。
レストランのキッチンで働きたいという料理好きな彼は、過去に服役経験ありの33歳だ。13年前に罪を犯したが、足を洗い学位まで取った。にも関わらず、これまで就職活動の面接では服役経験がネックとなり、ことごとく跳ねられてきたという。「いくら面接が上手くいっていても服役という言葉を出した瞬間、不合格決定だから」。
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そうきっぱりと話す彼のエプロンのポケットには、授業で習ったことをメモしているというノートが(字が汚くて恥ずかしいからと中身は見せてくれなかったが)。真面目さがのぞく。
厨房裏は分刻みの世界
「そういう料理には白ワインが合うわよ」とクリスにアドバイスする声が聞こえてきた。彼女は、ワイン業界での経験がある研修生のエルジーだ。今は定住先がなく、ギリギリの生活をしているという。「家でも毎日料理しているんだけど、自己流だから。トレーニングでは野菜の切り方からローストの仕方まできちんとプロになるためのスキルを教えてくれるの」。
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ドミニカ共和国からの移民ミネルバはスクワッシュを手際よく切り、種をくり抜いていた。最近ベジタリアンになったそうで、「野菜を美味しく調理するスキルを学びたいのよ」。
ご飯が炊けたことを告げるタイマーがけたたましく鳴り、まな板からは野菜を刻む音が小気味よく。豆の煮え具合もチェック、分刻みで動いていく。
あらかた作業が終わり一息つく頃には寡黙なダイケンも「ネットフリックスでやっている、あのシェフのドキュメンタリーはお薦めですよ」と研修生に話しかけ、クリスは「昨日(バレンタインデー)は、ガールフレンドにパエリアを作ったぜ。大成功した」と嬉しそうに雑談していた。
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時計を見ると、炊き出しの午後6時まであと30分。ダイケンはオーブンからほっくり焼けたかぼちゃを取り出しみんなを集め、味見する。「どうでしょう。塩気が足りないかな」。豆やご飯を皿に移し替え、大広間に配膳。しばらくしてホームレスたちが続々と姿を現した。
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「最近、卒業生が無事就職できました」
トレーニング終了まで残り3週間では、卵の調理方法(オムレツ、ポーチドエッグ、目玉焼きなど)やお菓子作り、食の安全管理についても教授する予定、とダイケンは話す。
「課題もいろいろありますよ。たとえば、時間通りに来ること。遅れる場合は前もって報告する。基本ルールもきっちり守って欲しいですからね。それに研修生同士仲がいいのは結構なのですが、少しおしゃべりが過ぎて一度言ったことを忘れることも多々あります。もっとプロの現場では集中しなければいけませんね」と厳しい指摘も。
ただ「料理が好きだから」でなく、真剣にキッチンでの職を望む者向けですよ、と念を押した。
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「つい先日ですね」。最後にダイケンは嬉しいニュースを報せてくれた。元研修生の就職が決まったという。レストランのキッチンスタッフとして働くそうだ。ダイケンの夢が現実になった。
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また食業界への就職を斡旋する会社と提携もはじめるなど着実に前進、これからの研修生のため道しるべを立てておく。
炊き出しも終盤を迎えたころ。研修生たちはエプロンと頭巾を外してダイケンにお礼を言い、厨房裏の勝手口から帰って行った。「じゃあまた来週」と声を掛けるダイケン。彼の目に料理人になった生徒たちが映るのはもうすぐと信じたい。
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Photos by Mitsuhiro Honda
Text by Risa Akita