人は夜に惹かれる。ゴッホは星空の下に夜のカフェテラスを描き、エドワード・ホッパーは深夜の小食堂にて“夜ふかしする人々”をメランコリックに絵にした。詩人の中原中也も夜の余情を詩に綴り、フォークデュオのサイモン・アンド・ガーファンクルは、闇とネオンに浮かぶ静寂を爪弾く。芸術と夜は、確かに気があうようだ。
そしてここにも、夜の帳(とばり)に誘われたあるストリートフォトグラファー。カメラを片手にストリート軒先の蛍光灯をカメラのライト代わりにして、夜のストリートフォトグラフィを焼きあげる。
人工的な光で撮る夜の写真
写真を美しく撮るのに、自然光は必須だ。写真家は良いライティングを常に求める。しかし日没後、夜に自然光はない。「それでも、光を探すことにおいては同じですよ。ぼくの場合は、人工的なライトを探していましたが」。店の光る看板、ネオン、それから、開いた扉から申し訳なさそうに漏れる光。蛍光灯に集まる蝿のように、夜の人工的な光に引き寄せられて。
若き写真家でダニエル・ソアレス(Daniel Soares)は、夜のストリートフォトグラファーでもある。シリーズ『Neon Nights(ネオン・ナイツ)』では、昼とは別の顔をみせる夜の通りを題材にする。
撮影ロケーションは、ニューヨークシティ。マンハッタンのチャイナタウンに下町ブルックリンにクイーンズを縦横無尽に徘徊する。「1時間ほどで切り上げて帰宅するときもあるし、レンズから顔を離したら“ああもう太陽が昇ってら”というときもありましたね。獲物(被写体)が来るまでじっと待つ。釣りと同じ要領でしょうか」
夜のマジックアワーは、午後8時から
写真用語で「マジックアワー」というものがある。日の出と日の入り直前の、太陽光が一番美しい瞬きするほどの時間帯だ。どんなものでも綺麗に撮れる魔法の時間。夜のストリートフォトにおける“マジックアワー”とは、一体何時だろう。
「お店の人がシャッターを閉める夜8時くらいでしょうか。それか、明るくなるまでずっと」。写真家の写真は単なる夜の建物写真でない。ストリートフォトだ。そこには人がいて欲しい。お店を片付ける者や家路に急ぐ者、独り映画を見に行く者、夜食を買い求める者がふらつくマジックアワーには、人寂しい通りに蛍光灯の熱と人間の体温が灯る。
「夜のストリートフォトを上手く撮るコツですか? 特にこれといった高度なテクニックは要らない。機材もカメラだけ、三脚は使いませんでした。欲をいえば、 光を多く取り入れるため大口径レンズがあればなおいいですが。あとは遅いシャッタースピードはNGです。被写体が動いて(残像のある写真になって)しまいますから」
自然光がない分、夜のストリートフォトは技術的に難しい気がする。しかし「ネオンライトがあるし、大丈夫です」。それよか「程よいネオンがあっても人っ子ひとり通らなかったり、いいネオンと被写体がいても車がフレームを遮っていたり。撮影技術より、タイミングの方が難しい」。それに、深夜過ぎてカメラ片手に徘徊していることを訝しる近所の目に対し堂々と振る舞うことの方が、ちょっとした術を要するらしいのだ。
夜だけの写真の魅力
昼の喧騒を置き去りにした夜のストリート。写真家は、被写体、つまりは眠らぬ夜の徘徊者たちがどうしてストリートにたどり着いたのか想像するのが好きだという。「彼らはこれからパーティーに向かうのだろうか。デートの帰りだろうか。鬱屈した気分を晴らすために映画に来たのか」。勝手なる他人のライフストーリーは、視覚が制限された夜、撮影する側のインスピレーションになる。
「明るい日中、目にうるさいほどに飛び込んできた物体。たとえば、通りに散らばったゴミや路面に連なる車が見えなくなる。そうすると、“見える”部分が際立ちます。ネオンの光は絵の具のように筆跡を残し、闇の部分は黒い絵の具のように特定の物体たちを上から塗りつぶす。真昼間のストリートフォトにはない“絵画”が夜には出来上がるのです」
「赤い扉をみると、黒く塗りつぶしたくなる」と歌ったローリング・ストーンズではないが。目に痛いネオンサインをいまにも覆ってしまいそうに迫る黒い闇。闇のひだに隠れる夜の魔物、ストリートフォトの妖艶が目を覚ます。
“Neon Nights”/Daniel Soares
Photos by Daniel Soares
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine