「ニューヨークとストリートフォトグラフィの相性」。 70・80年代、真のコミュニティだけが撮らせたシーンを語る 写真家Robert Herman

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ニューヨークは、フォトジェニックな街だ。

ゆえに、この街を捉えた写真はいまも昔もごまんとあるが、その中でも彼の写真は格別で、ニューヨークの街角が吸って吐いてきた数十年前の空気がひしひしと伝わってくる。それは、あの角を曲がれば会えそうな市井の人が写っているせいなのか、あるいは、偶然か意図したのかはわからないが、絶対的に美しい、その構図のせいなのか。

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Elizabeth Street, New York, NY, 1980
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Sign Language, New York, NY, 1980

1970・80年代のニューヨークのストリートをフィルムカメラに残してきた写真家、Robert Herman(ロバート・ハーマン)。目に飛び込んでくる鮮やかなカラーとその温度までも感じさせるような淡い日差しからは、二度と戻ってこない時代のモメントが息を吹き返す。

「ニューヨーク×ストリートフォトグラフィ」。ニューヨークとストリート写真の相性、切っても切れない関係。いまはなきかつてのストリートの趣を目撃してきた写真家に、語ってもらった。

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映画畑出身のフォトグラファー。シネマティックな写真スタイル

 1955年、ブルックリンに生まれたロバート。両親が経営していた映画館で12歳から手伝いをしていた彼は、観る映画もミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』やアメリカン・ニューシネマの金字塔『イージー・ライダー』など大人びたテイスト。少年時代は、映画三昧だった。
 大学で進んだ道も映画学科で、ドキュメンタリー映画を撮っていた。その“映画生活”で、写真にはまったのは「大学の選択クラスがきっかけ」。卒業後も映画制作の道へと進んだが、ロケの合間には街を歩き、趣味で写真を撮っていた。

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Greenpoint, Brooklyn, NY, 1982
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Out In The Field, East New York, Brooklyn, NY, 1994

 映画畑出身だからか、ロバートの写真は、まるでシネマトグラファーが撮ったカラー映画のワイドショットのようだ。

「カメラの技術は授業で学んだ。そして写真の“ランゲージ(スタイル)”は巨匠たちから学んだんだ」。Robert Frank(ロバート・フランク)やHarry Callahan(ハリー・キャラハン)、 Garry Winogrand(ギャリー・ウィノグランド)、Lee Friedlander(リー・フリードランダー)など、ストリートでカメラを構えてきた先人たちの写真集を書店で穴が空くほど見つめていたロバート。彼らがメッセージを伝える言語として使った「写真」、そのスタイルに影響された。

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Prince Street, New York, NY, 1981
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Train Conductor, Long Island City, NY, 1985

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ストリート自体がコミュニティだった街

 ニューヨークはなぜストリートフォトグラフィに適した街なのか、という投げかけにロバートは「かつてはそうだったがね」とぽつりとこぼした。ストリートフォトグラフィの黄金期は、ニューヨークに「真のコミュニティがあった時代」なんだという。

 いまでは高級マンションやブティックが立ち並ぶソーホーには芸術家たちや露天商人たちがたむろし、壁には違法グラフィティが消されずにびっしりと残っていた。まだ一般的に受け入れられていなかった頃の、ヒリヒリとしたグラフィティだ。

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This Is Not René , West Broadway, New York, NY, 1981

 小綺麗なレストランが多く集まるリトルイタリーやチャイナタウン界隈。商業化したエリアには、かつてイタリア系移民による家族経営の小さなパスタ屋やベーカリー、コーヒーショップ、肉屋などが軒を連ねていた。通りでは子どもたちは遊び、大人たちも申し合わせたかのようにぶらりと佇む。

「ドアを開けて一歩外に出れば、“豊かな被写体”に会える場所がニューヨーク。そこには呼吸をしている生き生きとしたみんなの人生があったんだ」

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The Clash, New York, NY, 1981

 軒先の椅子に腰掛けひと休みするイタリア系の職人さん。いつも会えば煙草をふかして雑談するアパートの管理人、1ドルの裁縫道具を売り歩くおじさん。ピンボールで遊ぶ憂いを帯びた少女に、伝説のライブハウスCBGB(シービージービー)まだ在りし頃のパンクスカップル。

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Workingman, Little Italy, New York, NY, 1984
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Ralph, New York, NY, 1980
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Essex Street, New York, NY, 1980
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Playing Pinball at Footlight Records, New York, NY, 1980
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The Misfits, New York, NY, 1981

 わざわざコミュニティが形成されるわけではない。その頃のニューヨークでは、ストリート自体がコミュニティだったのだ。

「写真とは、『失敗を受け入れること』だ」

 ロバートには好きな時間帯がある。日が沈む2時間前だ。

「特に冬の光が好きだ。太陽の位置が低いから日中はフラットな出来に、早朝や夕暮れ時は濁った空気とも相俟って暖かいトーンになるから好きなんだ」

 彼の写真のほとんどは、ソーホーやリトルイタリー、チャイナタウン、グリニッジヴィレッジ、イーストヴィレッジなどロウワーマンハッタンで撮影される。理由は、「日の光を遮る高いビルがないから」

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The End of a Day in Long Island City, Queens, NY, 1980
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First Love, New York, NY, 1980

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The Gladiators, New York, NY, 1983

 ストリートフォトグラフィのパイオニアで20世紀を代表するフランス人写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンは「決定的瞬間(decisive moment)」という概念を生み出した。首からカメラを下げてぷらぷら街を歩くことが好きだったブレッソンは、シャッターチャンス、構図、光の加減次第で通りでぱちりと撮る単なるスナップ写真が、芸術性の高い1枚になり得ることを証明したのである。

 ストリート写真家がストリートを撮ろうと思う瞬間はどのようなものだろう。ロバートの場合、「撮らなければ」という衝動に駆られるのだという。

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 たとえば週末の昼下がり。当時住んでいたリトルイタリーのアパートのベランダでくつろいでいると、突然「アパートを飛び出して写真を撮らなければ」と思い立つ。特に理由はない。

 愛用のニコンにコダクロームフィルムを収め、アパートの階段を駆け下り通りの角を曲がる。そこには、ちょっと面白い角度で停められた二台の車があり、車体に反射する自然光が眩しい。いい構図だなと思う。これだけでもいい写真だが、何か思いがけない偶然が起こらないだろうか。しばらく待ってみる。
 すると、そこにふたりの子どもがやって来た。何も考えずにシャッターを押す。一枚撮っただけではその場を去らない。満足できるまで撮り続け家に戻り、「ああ、写真を撮らなければという直感は正しかったのだな」と実感する。そんな具合だ。

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Eldorado, Little Italy, New York, NY, 1983

「ストリートフォトグラフィはスピリチュアルなもの。禅の境地に身を置き、直感を信じる」

 シャッターボタンを押すという行為は何も考えずに体で行う、とロバート。何度もシャッターを切ってきた人差し指は、反射的に動く。彼のレンズはズームできない単焦点レンズ。自分が被写体に近づかなければならない。頭で考えず体が動く。まるでアスリートのようだ、とたとえる。

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 ストリートには3時間いるときもあれば8時間のときもある。なにもいい写真が撮れずに帰途につくことだってある。

「決定的瞬間を逃すことだらけさ。然るべきときに然るべき場所にいつも居られるわけじゃなし、その場にいたとしてもカメラを取り出す時間がなかったり、カメラすら持っていなかったりする。実際、いままでストリートで撮った写真の半分以上は構図がおかしかったり、何かが欠けている。でもそれが人生というもので。要は、写真とは失敗を受け入れることなんだ」

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ストリートフォトは、一種のセルフポートレート

「ストリートフォトは、世界を映し出す鏡のようであるだろう。でも実際は、撮り手の感情を映し出しているんだ」

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Self-portrait in a Flower Shop Window, New York, NY, 1981

 直感に従い、道端の小さな“声”に耳を傾け、自分とのコネクションを見つける。このプロセスが好きだ、とロバート。何をやっても上手くいかない時期だって、一枚でもいい写真を取ることができたなら、自分にも何か素晴らしいことができるのだなと思えるから。

「写真を撮ることは、“一体化(identification)”と“感情移入(empathy)”。被写体に自分の感情を重ね合わせたときに確立するものだ。街角で年老いた男を見たら、僕自身のどこかに年老いた男がいる。子どもを見かけたら、自分のどこかに子どもらしい、か弱さや脆さを感じている」

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Chips, New York, NY, 1981
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Flowers, New York, NY, 1981

『SAMO IS DEAD』と題された写真。彼はこれをセルフポートレートだ、と言う。
 
「Same Old Shit is dead(いつものくだらんことはもう終わり)」を意味するタギングは、のちにジャン=ミシェル・バスキアによるものだとわかった。撮影当時、双極性障害を患っていた彼は、自分も新しく生まれ変わりたいと、知らず知らずのうちにこの光景に自己投影していたのだ。

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SAMO IS DEAD, SoHo, New York, NY, 1981

 30年の時を経て、撮りためた2万5000枚から88枚に絞り込み、3年前、1冊の写真集ができた。『The New Yorkers』。飾り気のないタイトルだが、そこには多くを語らず大切なことだけをぽつりぽつり口にする、ロバートの人となりが映し出されている。

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 彼はいまでもニューヨークの街角でストリートフォトグラフィを続ける。手にはニコンでなく、iPhone。昨年出版された『The Phone Book』には、彼が邂逅するフォトジェニックなニューヨークがiPhoneのカメラを通して映し出されている。
「近所のスーパーマーケットに行く道にだって思いがけない被写体がいるかもしれない。そんな時にポケットからさっと取り出して撮れるから携帯のカメラが好きなんだ」

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Radio City Reflection, New York, NY, USA
Woman in a hand-made dress, New York, NY
Woman in a Handmade Dress, New York, NY, USA
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Radio City Reflection, New York, NY, USA

 古びたニコンのフィルムカメラだろうが携帯カメラだろうが関係ない。プロ、アマすら関係ない。雑多な人種の老若男女が行き交うニューヨークには、いつの時代の誰をもストリートフォトグラファーにしてしまう、そんなマジックがある。

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Robert Herman

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All Photos by Robert Herman
All interview photos by Kohei Kawashima
Text by Risa Akita

Edit:HEAPS Magazine

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