あのピカソも。“女はオブジェ”をひと蹴りしたアート界「フェミニズム」のパイオニアたち。100年前の絵画に見つける、秘められた女性像

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男性と対等になるために、フェミニンさは捨て“男っぽく強い女性”を目指そう。「We Can Do It!」のポスターさながらの拳を握ったセカンドウェーブ・フェミニズム。それに対し、何もフェミニンから脱却することはない、自分らしさを尊重すればいいんじゃない、とサードウェーブ・フェミニズムがあるという話はした(記事▶︎エマ・ワトソンのおっぱい騒動で明るみに出た“フェミニズム、世代間のズレ”)。

さて、サード、セカンドとフェミニズム史を遡れば、そこにはもちろん“ファースト”がある。フランス革命後に形成され、19世紀後半から20世紀初頭にかけて興隆、今日のフェミニズム思想・運動の起源となった「ファーストウェーブ」フェミニズムだ。

欧米を中心に女権運動家たちがドレスにハイヒール姿で婦人参政権を訴えたフェミニズム創生期。
その頃ちょうど、美術界でも先進的な男性画家の手によって早くから“強い女性像”が描かれ、たくましき女性画家らもアートを通して女性像を打ち出してきた。そのいくつかの例を紹介しよう。

「ピカソが描いた意外な一枚。男か、それとも女?『ガートルード・スタインの肖像』」

 こちらの描き手は、当時24歳のパブロ・ピカソ。一見したら男性に見えるこの人、米女流作家のガートルード・スタインだ。

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「ピカソは女性を女性らしく描く、ある意味、“男らしい”画家です。しかし、スタインだけは別格でした」そう語るのは、ジェンダー学者のアンドリュー・リア(Andrew Lear)教授。

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現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館で、絵画からフェミニズムを紐解くガイドツアー「Nasty Women(ナスティ・ウーマン、いやな女たち)」を主宰している。

 このスタインという女性は、熱心な美術コレクターでもあり、20世紀初頭のパリで画家や詩人が集うサロンを主催していたというほど、当時にして“パリ文化界のドン”。ピカソやマティス、セザンヌのパトロンであり、ヘミングウェイの恩師でもある。パリの文化人コミュニティの中心人物だった。

 ピカソが描いた肖像画をもう一度見てみよう。華やかなドレスではなく、マニッシュな黒いローブ。女らしさを一切感じさせない無骨な手。どっしりとした構えっぷり。レズビアンだったともいわれるスタインだが、ピカソは意図的に彼女をジェンダーレスに描くことで、“柔和で可憐で上品”という伝統的な女性の描き方のルールを打ちやぶった。

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「女性を優雅に描く画家の異色作。ウォーホルのミューズの叔母をボーイッシュに描いた『イーディス・ミンターン・ストークスの肖像』」

 ここにも一人、普段は女性を優雅に描くことで定評のあった画家が描いた力強い女性像が絵画に見てとれる。米画家、ジョン・シンガー・サージェントだ。パリやロンドンで上流階級の女性たちを優雅に描くのが定番だった彼の異色作が、『イーディス・ミンターン・ストークスの肖像』(1897年)。

 まず、絵の女性の服装を見て欲しい。当時の絵画で女性が着ているものといえば“艶やかなドレス”。しかし、この作品ではサイクリング服で、アクティブでボーイッシュな女性を彷彿とさせる。さらに、描かれているのはニューヨーク会の社交界の花であったイーディス・ミンターン・ストークスだというから、別の一面を描いたものだろう。ちなみにその社交界の花、ウォーホルのミューズ、イーディ・セジウィックの大叔母。慈善家としても活動し、その頃からすでに移民女性のための裁縫学校を運営していた先進的な女性だ。

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  さらに、この絵が秘めるもう一点。彼女の背後に存在感なく佇むのは、彼女の夫。当日、病気だった愛犬の代理で夫が引っ張りだされてきたというのだから、いかに彼女が夫を尻に敷いていたのかがわかる。“夫に従順な妻”という従来の力関係を優雅に否定する斬新な一枚だ。

「女性=美しいオブジェ」に逆行したたくましい女流画家たち

「絵画の中の女性」と聞くと、このようなイメージが強いのではないかと思う。

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ウィリアム・マクレガー・パクストン(William McGregor Paxton)『Tea Leaves(ティー・リーヴス、1909年)』
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ジョン・シンガー・サージェント『The Wyndham Sisters(ザ・ウィンダム・シスターズ、1899年)』

 ルノワール調の上流階級のお嬢さんや踊り子、高級娼婦や江戸時代の花魁。「女は美しいオブジェ」として描かれるのが主流であり、絵の女性は鑑賞者の“目の保養”という見方もできる。

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エドガー・ドガ『Dancers, Pink and Green(ダンサーズ、ピンク・アンド・グリーン、1890年頃)』
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礒田湖龍斎(こりゅうさい)『花魁と禿の初詣図(1780年代頃)』

 ファーストウェーブ・フェミニズム期、その常識に逆行した女流画家たちもいる。

 たとえば、マダム・ポンパドゥールのようなドレスでめかしこんだフランス人画家、アデライド・ラビーユ=ギアール。『弟子二人と一緒の自画像』(1785年)では、パレットを片手にキャンバスに向かう自分と二人の生徒を描いた。「当時、女流画家を受け入れなかった芸術アカデミーに対して、『アート界にもっと女性を』とアピールした作品です。ポリティカルな絵画といえるでしょう」

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 また自分の“男装姿”を描いたという、アバンギャルドなフランス人画家ローザ・ボヌール。『The Horse Fair(馬の市、1852-55)』で荒馬にまたがる中央の人物は、ボヌール自身。彼女、プライベートでも男装家で、警察の許可を得て(当時、異性の服装は違法だった)ショートヘアに男性用のズボンを履きタバコを吸う、型破りな女性だったそうだ。

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 ドガと親交の深かった米印象派画家、メアリー・カサットは、少々違うアプローチ。彼女が描いたのは、ティーパーティーを取り仕切る女性や縫い物をする女、赤子を寝かしつける母、子どもを行水させる母、本を読んでやる保母など、家事・育児をする女たち。これ、いまの時代に聞いてもピンとこないが、「現代の感覚では、この女性たちは家庭的でフェミニンに映るでしょう。しかし、女性=美しいオブジェだった当時において、彼女の絵は“女性のリアルライフ”を描いたものとして画期的だったのです」

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メアリー・カサット『縫い物をする若い母親(1990)』
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メアリー・カサット『ティーテーブルに座る女(1883-85)』

 フェミニズム史を語る上で欠かせないの“20世紀米国モダニズムの母”、ジョージア・オキーフについても触れておこう。社会的地位のあった年上の夫との生活に息を詰まらせ一人旅をしたり、夫の死後は単身ニューメキシコ州に移住し最期まで一人暮らしをした、インディペンデントな女性だ。
 カラカラの砂漠地帯で、荒野の風景や牛の骨、花(本人は否定したらしいが、女性器の象徴だと評論されている)などを描くこと40年。オキーフの“自立した女性像”というフェミニズムは、アートスタイルのみならずライフスタイルから体現されていたといえよう。

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ジョージア・オキーフ『牛の頭蓋骨、赤、白、青』(1931年)
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ジョージア・オキーフ『レッドカンナ』(1919年)(1931年)

 現代からだいぶタイムスリップしてしまったが、絵画に見つけるバイタリティに満ちあふれた女性像はいかがだっただろうか。ファーストウェーブの時代まで遡ると、打ち出される女性像は多岐にわたっており、“自分らしくいる”という気概があったように思う。ドレスで着飾ろうがパンツルックで闊歩しようが女性としての自分自身に誇りがあった。曖昧といわれるサードウェーブ・フェミニズムだが、「女性であり、自分という人間である」と主張するそこには、当時の先進的な絵画に描かれた女性像のスピリットに通ずるものがあるのかもしれない。

Nasty Women at MET

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Photos & Text by Risa Akita
Edit: HEAPS Magazine

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