生物学者、作家 / Shin-Ichi Fukuoka
生物学者であり、ベストセラー作家でもある彼は、ニューヨークと不思議な縁で結ばれている。彼の名は福岡伸一。20世紀の生物学を牽引してきたロックフェラー大学に、駆け出しの研究員としてやってきたのは25年前。それから四半世紀して、彼は再びこの地を踏んだ。肉眼では見えないミクロの世界を見つめてきた彼はいま、フェルメールに恋をしている。
理系の論理と文系の感性を持つ “Sense of Wonder”の仕掛人
福岡伸一には、妙な存在感がある。それはきっと彼が、わたしたちには見えない、もしくはわたしたちが見ようとしない世界を見てきたからではないだろうか。彼の著書が愛読されるのは、彼がその世界を惜しみなく共有してくれるからではないだろうか。わたしたち“一般人”を置いてきぼりにしないで、生命の不思議について分かりやすく、かつ詩人のように語ってくれる。彼は知っている、つなぐことと伝えることの意義を。
彼が身を置く分子生物学とは、生命現象を分子レベルで理解し説明することを目的とする学問だ。ミクロな世界で生命の未知を解明しようと挑んできた彼に宿ったもの。それは、過信することなく冷静に実験結果をいくどとなく検証した上で、論理的に説明するという研究者としての資質と、人に伝える才能だった。説明ベタな学者や研究者が多い中、福岡はまったく違った。生命における歴史的な科学者たちの思考とその舞台裏を合わせて紹介し、現在進行形の生命観をつづった『生物と無生物のあいだ』(2007年、講談社現代新書)がいまなおロングセラーなのが何よりの証拠だ。彼はサイエンスという理系の脳と、感性豊かな心情を言葉に置き換える文系の力を持っている。分かりたい。分かったら人に伝えたい。心と頭脳に鮮明に刻まれたSense of Wonder(“自然の精妙さ”に驚く感性)が彼を突き動かしてきた。
さて、そんな彼が“雲隠れ”した。潜伏先はニューヨーク。マンハッタンにある世界屈指の生物・医学系研究機関、ロックフェラー大学は彼の古巣だ。博士研究員 (Postdoctoral Fellow、略してポスドク)として、修業を積んだのは25年前。四半世紀経ったいま、ここで一体何をしているのかというと、客員研究員としてもう一度、原点に戻って自分の研究を見直し、勉強し直しているという。そしてもう一つ、彼はここニューヨークで何かを仕掛けるつもりらしい。
世界をあるがままにとらえる
「昆虫少年」だったという福岡ハカセ。生物学を極めんと大学に進み、ファーブルやドリトルのような学者を夢見るも、昆虫学者が“絶滅危惧種”だと知る。1980年前後は、分子生物学がアメリカから日本に大きな波としてやってきた時代。これからは個体ではなく、細胞や遺伝子を「共通の原理」としてモレキュラーに(分子的に)、ミクロに生物を学ばないとダメだという潮流に、感応しやすい福岡青年は迷わずに乗った。「もう虫のことなんか忘れて、遺伝子の世界にどっぷりでしたね」
博士号をとってからが大変な生物学の世界。ポスドクとしてニューヨーク、ロックフェラー大学に入ったのは1988年のことだ。実験づくしの毎日。給料もレント(家賃)を払ったら何も残らないというポスドク時代、福岡青年の楽しみは「ぼろアパートから大学まで、いろいろな道を通って街を散策すること」。ある日、70丁目と5番街にあるフリック・コレクションを知り、ふらりと入ってみた。するとなんと、フェルメールの絵が3点もあった。実際に目の前で、しかも至近距離で見ると、その写実性に心を奪われた。
実はフェルメールとの出会いは、昆虫少年時代にさかのぼる。相棒の顕微鏡を見ながら、「そもそも顕微鏡って誰がつくったんだ?」と調べまくり、気づけば17世紀のオランダ史にどっぷり。顕微鏡のプロトタイプをつくったといわれるレーウェンフックにたどり着き、彼と同年に同じ街で生まれたフェルメールを知った。その記憶がざわざわと甦る。調べてみると、メトロポリタン美術館に5点、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーに4点、さらにボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館に1点、プリンストン(ニュージャージー)の個人基金に1点(当時)、若くして亡くなったため、わずか37点しかないフェルメールの作品のうち、13点が東海岸にあるではないか。「これはコンプリートするしかない」。オタク心に火がついて、福岡青年のフェルメール巡礼が始まる。作品が所蔵されている美術館に実際におもむき、その土地の空気を感じながらフェルメールの作品を鑑賞すると決めた。4年かけて36点をコンプリートした(1点は盗難され現在行方不明)。
なぜそんなにもフェルメールに惹かれたのか。それは、世界をあるがままに記述しようとしたフェルメールに共鳴したからだ。「彼は、科学的なマインドで、いかに三次元を二次元に落とし込むかと究明していった人。正確に描くという公平さが好ましい。科学者と似たマインドセットを感じたんです」
デジタル技術で名画を「リ・クリエイト」
当時の色彩とフェルメールの筆遣いを再現
福岡のフェルメール熱は冷めず、遂にはデジタル技術を駆使し、名画を「リ・クリエイト」するまでに。精密な原画データをもとに、350年前に描かれた当時の色彩とブラッシュストローク(筆遣い)を再現。「3Dとまではいきませんが、キャンバスに凹凸印刷しているため、油絵の重厚感もあります」。2012年には、全37作品をデジタルマスタリングし、フェルメール・センター銀座で展覧会を行った。この展覧会、現在も全国巡回中で、来場者は総計50万人ちかくにのぼる。それを2015年春、ニューヨークでも仕掛ける。
「『リ・クリエイト』なんて英語はないけど、あえてそう銘打ちます。変な日本人がなんかやってるってニューヨーカーをびっくりさせたい」と笑う。門外不出の作品がある上、盗まれた一作もあるため、一挙にフェルメールの全37作品が集うなど決してない。福岡がありえない展示会を行ったのには“狙い”がある。
まず彼には、フェルメールオタクとして疑問に思うことがあった。それは、フェルメールの作品を一つか二つ観て、フェルメールを知った気でいる人々の存在「。フェルメールの作品は、彼が描いた順に観ることで見えてくることがあるんです。彼の初期の作品には迷いがある。どういうテーマで描くのか、自分が何者になるのかという迷いが。しかしそれが、メトロポリタン美術館にある『眠る女』という作品を境に、彼の『正確に描く』という命題がはっきり現れ、吹っ切れる瞬間が、並べることで見えてくるんです。フェルメールの作品の文脈は、作品の中にあるのではなく外側にある。作品と作品をつなぐことで、彼の生きた足跡を知ることができるのです」。フェルメールを知った気でいる人々に、彼の本当の凄さを思い知らせる。福岡の動機は、フェルメールへの限りない敬意から生まれた純粋な「知ってほしい」という思いだ。また、「リ・クリエイト」を見た人にSense of Wonderを起こしたい。さらに、「オリジナルを見に行く」につなげたいとも。
さて、福岡のフェルメールオタクぶりは、本家本元からもラブコールを受ける。それは、名作として知られる『真珠の耳飾りの少女』を所蔵するオランダのマウリッツハウス王立美術館が、キャンペーンのために福岡を起用したいというものだった。
「本物みたいな『リ・クリエイト』作品を自宅で楽しむ福岡博士が、思い立ってニューヨークの自宅から飛び出し、本物を観にマウリッツハウス王立美術館を訪れる」というシナリオ。「すごいですよね。普通、ニセモノをつくったら怒られるか無視されるだけですよね。ヨーロッパのエスプリを感じました」
本家本元から「フェルメール通」としてお墨付きを得た彼は現在、著書『フェルメール 光の王国』(2011年、木楽舎)の英語版を仕上げており、どう日の目を見せようか虎視眈々と考察中。同書は、フェルメールの作品をめぐる美術ミステリー紀行で、多くの日本人フェルメールファンをはじめ美術に興味のない者も唸らせ人気を博した一冊。英語版が出れば、おそらく世界中のフェルメールファンの“萌えポイント”をくすぐって、スマッシュヒットになるに違いない。
造形美や色に惹かれ夢中に
人生で大切なことは、すべて虫から教わった
両親が買ってくれた顕微鏡と昆虫図鑑、そして飽くなき探究心が福岡少年の三種の神器だった。捕まえたい虫を決めたら探しにいく。枝から茎、葉っぱの後ろを念入りにチェックしても見つからない。「いないなぁと残念がってさまよっていると、不思議なことに気がつくんです。地面に何かが散らばっている。しゃがんで近くで見ると、どうも幼虫の糞らしい。はっと思って、頭上の樹の葉っぱをみるとちゃんとそこに幼虫がとまっているのです」。しかし、これで常にうまくいくとは限らない。糞は栄養の塊。すぐになくなってしまう。まさに糞が落ちたその瞬間に立ち会わなければ「ゲット」にいたらない。季節が原因なのか、時間帯が原因なのか…。調べ直し、仮説を立て、再び狙ったポイントへ。忍耐強く検証する。捕まえたら捕まえたで、標本の仕方など新しい学びと実践がはじまる。「人生で大切なことは、すべて虫から学んだと思ってる」というほど、彼の人格やマインドセットは、この小学生時代に築かれた。
造形美や色に惹かれ虫を愛でるようになった福岡少年。高学年にもなると「昆虫図鑑を全部暗記するオタク」に。また、無益な争いを避けるかのように、禁欲的に食べ物を限局する虫の生態を通して、「生物はそれぞれ自分のニッチを定め、資源の住み分けを自然にしている」と悟る。地球に存在する1,000万種ともいわれる生物のうち、半分は虫。その不思議と謎にはまるともう、少年の願いは一つしかない。「新種を発見する!」。そう決意してからは、毎日、目を皿にして探しまくった。
台風が過ぎ去った後、チャンスは来た。なぎ倒された大木を見て、少年はすかさず考える。「普段は届かない梢の方が調べられる。こういうところに新種がいるんだ」。そうして必死になって葉をかき分けていると、なんと見たこともない翡翠色をした虫を発見!「これはもしかして…」。高鳴る胸の鼓動を抑えながら、ビンに確保した虫を見つめ、図鑑をめくりながら「勘違い」の可能性を消していく。ちゃんと確認した。載っていない。「いよいよ新種か…」
そこでとっさに上野の国立科学博物館に行って確認しようと思い立つあたりが、ただの昆虫少年ではない。虫を入れたビンを握りしめ、息せき切って博物館に駆け込んだ少年を、親切な受付嬢が研究棟の昆虫学者につないでくれた。導かれるように研究室に入ると、標本に囲まれた「お茶の水博士」のような人物が福岡少年に尋ねた。「採取した状況を教えてくれるかい。重要なことなんだ」。少年が事情を説明すると学者は、「残念だけど、これは新種じゃない。カメムシの幼体だね」とすんなりといい放った。図鑑には成虫の姿が描かれており、不完全変態の昆虫の幼体期までは図解されていない。世紀の大発見ならず。しかし少年には大きな発見があった。「虫の研究を仕事にしている人がいるんだ」。そうして少年は生物学の道を志すことを決める。ちなみに、福岡少年の相手をしてくれた学者は、当時、昆虫学の第一人者だった黒澤良彦先生というから、彼が生物学者として歩むのは運命だったと思えてくる。
文脈が世界を構築する
要素ではなく「つながり」が大事
福岡には哲学と思想がある。世界はいろいろな要素でできているが、大事なのは要素ではなく、つながり方だと考えている。要素はいくら集めたってキリがない。要素は変わったり動いたりもするのでなおさらた。それは昆虫少年としてさまざまな虫を一生懸命集めていたときから分かりきっていることだった。終わりのない要素収集の中で彼は、つながり方で見えてくるものに注視した。ドットをコネクトすることで、何かが分かる。昆虫採集でも研究でも、フェルメールを追いかけていてもそうだった。自らで文脈、コンテクストを読むことで、世界は構築される。生命を見つめ、芸術と向き合い、彼は文脈を見つめている。科学者としての冷静さと感性豊かな情熱を武器に。
すでにニューヨーク・タイムズ紙でもフェルメールオタクとしてフィーチャーされた福岡が当地で仕掛ける、「リ・クリエイト」。遊び心あふれる“贋作”に仕掛けた、フェルメールの文脈を読む旅を、ニューヨーカーはどう感じ、Sense of Wonderを刺激されるのだろうか。
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