抜け落ちた記録を埋め、新たに重ねる。中東の文化と生活の考察をグラフィックデザインで綴る『Journal Safar』

過去から今日までの中東のグラフィックデザイン、ビジュアルカルチャーをアーカイブ。
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中東地域の「印刷」の歴史は、古く、複雑だ。

活字印刷技術が発明された15世紀末には、同地域でも印刷所の開設は進むも、同文化圏の記述に使われるアラビア文字」の印刷をイスラム教徒がおこなうことは禁じられていた。理由には諸説あるが、うち「文字への美意識」は興味深い。印刷されたアラビア文字の活字は伝統のアラビア文字書道の美をそいだ見た目になっていた、ということも指摘されていたのだ。

さて、時は2020年、大変便利な世の中になったというのにその古臭いカルチャーは廃れない。それどころか、絶え間なく人間的な速度で成長し続ける〈ジンカルチャー〉。身銭を切ってもつくりたくて仕方がない。いろいろ度外視の独立した精神のもと「インディペンデントの出版」、その自由な制作を毎月1冊探っていく。

 今回取りあげる一冊は、中東よりアラビア語で「旅」を意味するsafar(サファル)の言葉をのせた『ジャーナル・サファル(Journal Safar)』。2014年にレバノンの首都ベイルートで創刊した、ビジュアルとデザインカルチャーを網羅する雑誌だ。ベイルートに拠点を構えるデザイン事務所「スタジオ・サファル」が、中東視点での生活と文化の考察、歴史への言及、そして政治から社会で起きていることを、独特のグラフィックデザインを通して記録する。

「これまで中東では、グラフィックデザインを用いてカルチャーをドキュメントする雑誌が、なかったんです」

 グラフィックデザインを通しての記録、として、同誌面にはこんな企画がある。50年〜70年代のレバノン映画ヴィンテージポスターやアラビア語ブックデザインの歴史など、中東の「デザイン」を掲載してアーカイブしたり、レバノンに出稼ぎに来た移民家事労働者が直面する現実という社会的な話をポップなイラストで表現したり。また、レバノンのパスポートのデザインを考察する記事なんかも。トピックは多岐にわたるが、どのページをめくったとしても雑誌のビジュアル表現としてグラフィックデザインにこだわる様子が見受けられる。

 ベイルートといえば、昨年8月に起こったベイルート港爆発事故が思い出される。サファールの事務所もこの事故によって破壊された。そんななかでも制作を続け、「号を追うごとに発行部数は増えています」という彼らはこれまで第5号を出版、第6号のプレオーダー受付中だ。

「アラビア語×英語のバイリンガル表記、隔年誌で継続、デザイン重視という点では世界で唯一無二」と自負するサファルの、共同創刊者でクリエイティブディレクターのハテム・イマムに取材をし、〈グラフィックデザインで記録する中東カルチャーと生活〉を探った。


HEAPS(以下、H):「Safar」はアラビア語で「旅」の意味。旅雑誌じゃないのに、なぜこのタイトルに?

Hatem Imam(以下、I):文化や言語の境界線を越えて届ける、というのが由来。雑誌の共同創刊者マヤと一緒に立ち上げた、デザイン事務所の名前でもあるんだ。デザイナーや編集者の8人から成る小さなチームと、10人ほどのコントリビューターとともに毎号制作している。

H:発行部数は、号を追うごとに右肩上がりだと聞きましたよ。

I:創刊号はいまよりずっと実験的だったのもあって、印刷部数は約500部だけ。最新号はメディア露出もあっで読者層が拡大して、印刷部数は4,000部から5,000部にまで伸びたよ。
それまでアートやデザインに興味を持つ国内の読者が多かった印象だけど、中東に興味を持つ世界中の人からも注目されるようになった。みんなこの地域から生まれるグラフィックデザインやビジュアルカルチャーに関心がある様子だね。

H:ハテムはレバノンのベイルート・アメリカン大学でグラフィックデザインの学士号を取得後、英国のクリエイティブアーツ大学で美術の修士号を取得。欧米・欧州のデザインやアートの知識を踏まえて、中東から雑誌を発信しています。なぜ「中東」のグラフィックデザインにこだわったんですか?

I:グラフィックデザインに関する著書や論文のほとんどは、米国や欧州のどちらかのもの。これこそが僕たちが雑誌を作った理由なんだ。米国や欧州以外の地域で生まれるグラフィックデザインやビジュアルカルチャーについて批評的に考察したり、それらを用いて文化を記録したりする必要があると感じて。

H:これまでそういった雑誌はなかったんですか。

I: 中東では、グラフィックデザインに関する資料や記録が、大きく抜け落ちている。もちろんグラフィックデザインは昔からあったし、イラストを描く人、雑誌を作る人、広告代理店で働く人だっていた。けれど、それらをわざわざグラフィックデザインと呼ぶことはなかったし、自らをグラフィックデザイナーと名乗る人もいなかった。ちなみにベイルートの大学で初めてグラフィックデザインの学位が誕生したのは、1992年のこと。


H:ニューヨークの名門美術大学パーソンズが、米国で初めてグラフィックデザインの学科を立ち上げたのが1910年。比較するとだいぶ遅かったことがわかります。

そういえば、第4号のタグラインは「Flirt with, flee from, and fall for graphic design and visual culture(グラフィックデザインやビジュアルカルチャーと遊んで、好きに動きまわって、夢中になる)」 でした。中東ではいまも、グラフィックデザインを用いて自由に遊ぶ機会は限られているんでしょうか。

I:その通り。 グラフィックデザインに関する出版物やプラットフォームは多くないからね。グラフィックデザインに関して欧州や欧米と比較すると、中東は異なる道を歩んできたんだね。中東のデザインには豊富な歴史があるにも関わらず、文書化されてこなかった。でも昨年になってやっと、アラビアデザインの歴史に特化した本が出版されたんだ。

H:これまで出版した各号のテーマを振り返ってみましょう。

第1号『Norouz(イラン歴の新年)』
第2号『Animals(動物)』
第3号『Obsessions(取り憑かれること)』

とても抽象的なテーマからデザインやアートを誌面で表現してます。
そして第4号は、『Nostalgia(ノスタルジア)』、第5号は『Migrations(移住)』。

第4号『ノスタルジア』
・50年代、60年代、70年代のレバノン映画ヴィンテージポスターコレクションを回想

・国旗にも描かれる、レバノンのシンボル「杉の木」のビジュアルヒストリー

・アラビア語のブックデザインの歴史

第5号『移住』
・中東諸国特有の労働契約制度で非人道的だとの批判もある「カファラ制度」の元に生きる移民家事労働者。彼らの権利と支援に取り組むコミュニティのメンバー2人に聞いた、労働者が直面する現実

・レバノンのジャズトランペット奏者マゼン・カーバジュによる、ドイツ語を学ぶための日々の試み

・アラブ世界に存在する反黒人主義について

第4号、特に第5号では、政治的、社会的な事柄を背景に中東の日常にある生活と実態に迫ろうとしています。

I:1、2、3号は実験的だったし、なるべく広く展開できるテーマを選んでいた。けれど4号、5号ではどんな雑誌にしたいかに焦点を置き、ターゲットを絞り、僕たち自身が話したかったことをテーマにしたんだ。『ノスタルジア』は中東のデザインの歴史を網羅しているし、『移住』は社会的、政治的に関連する内容に仕上がっている。



H:3号と4号の間には、2年間の空白がありました。その間、どんなことを考えていましたか?

I:その2年間は、雑誌が成長するための時間だった。方向性を見直すためにサイズやフォーマット、製本方法や紙を変更し、本棚に並べたくなるような雑誌に一新した。新聞のように一度読んで終わりではなく、何度でも読み返したくなるような、息の長い雑誌を作りたかった。こうした雑誌の外見(デザイン)の変化が、中身(コンテンツ)の変化に繋がったというわけさ。

H:それまで抽象的でアート色が強かった表紙も、4号からは中東を連想させる色味を使ったデザインになったような感じがします。そして、表と裏の両面が表紙になりました。右からめくるページはアラビア語で、左からめくるページは英語で表記されていて、左右両方から読める。

I:アラビア語は右から左に読み、英語は左から右に読むでしょう。ならばと両方向から読めるようにしたんだ。 レバノンは公用語のアラビア語にくわえ、英語やフランス語なども話される多言語使用国だからね。それに伴い紙面デザインは、見開きの片ページに写真やイラストを、片ページにテキストを置くという構成で統一した。うまく機能しているし、お気に入りだよ。

H:第4号では、50年代、60年代、70年代のレバノン映画ヴィンテージポスターコレクションをアーカイブ。かつての文化を、グラフィックデザインから考察しています。

I:僕たちにとって、今日のグラフィックやデザイン業界を理解することはとても重要。そしてそれには、アーカイブを遡ったり、過去を研究することが欠かせない。過去に何が起きたのか、そこからどんな教訓を学べるのかを知る必要があるから。



H:第5号では、レバノンに恒常的にあり続けた社会問題である「移民」を特集。 移民家事労働者の権利と支援に取り組むコミュニティ「Egna Legna Besidet」のメンバー2人を取材(両表紙の女性たち)。
移民家事労働者が直面する現実や、カファラ制度を終わらせるための取り組みについて綴っている。こうした重たいシリアスな内容を、たとえば新聞が取り上げるのは普通だけど、グラフィックデザインの雑誌が取り上げ特集することは、読者への届き方がまた違うと思う。グラフィックデザインを用いるからこそできることってなんだろう。

I:重たいシリアスなストーリーって、人間味をあたえるものに仕上げることが重要だと思うんだ。移民について話す場合って、事実を淡々と報道して解説するといった、ジャーナリズムの方法が使われることが一般的だと思う。でも僕たちはそうではなく、さまざまな角度からの視点をあたえたいんだよね。

H:たとえば、どんなふうに?

I:第5号には『ザ・メイドルーム』という記事がある。これは、移民家事労働者が雇い主からあたえられる部屋についてをドキュメントすることで、待遇の不当性を訴えている。

H:なるほど。このページでは、彼らにあたえられた部屋の様子をイラストを通して描写しています。この無機質なイラストを通して視覚的にかつ直感的に、移民家事労働者の置かれた境遇を察することができますね。また、Egna Legna Besidetのメンバーの写真も、ズーム取材中に撮ったスクリーンショットだそうで。自由なビジュアルを通して、人間味のあるストーリー表現がある。



さて、現在、第6号 「Power(権力)」のプレオーダーを受付中。第5号に続き、社会やそこにある問題に関するトピックとのことですが、悪化する中東の社会情勢の影響を受けてのこと?

I:そうです。このテーマは現在の状況に関連している。本来なら「political situation(政治情勢)」をテーマにしたかったんだけど、いま中東では、権力に関する事態がたくさん起きているからね。

H:汚職の蔓延、大規模な反政府抗議デモ、35パーセントにも上昇する失業率。そんな不安定な社会のなかで、雑誌制作を続けていくモチベーションが知りたい。

I:この雑誌は僕たちの声(The magazine is our voice)。たとえば未曾有の経済危機や破壊的なパンデミックなどに対するレバノンの公共政策は、どういうわけか僕たちを黙らせようとし、声を上げにくい状況を作っている。だからこの雑誌は、僕たち国民の声をすくい上げるのにも不可欠なんだ。

H:それらを記録していくサファルの手段は、これからもグラフィックデザインというわけですね。最後に、いまの中東を感じさせるグラフィックデザインって、どんなものだと思いますか。

I:中東のグラフィックデザインは、とことんハイブリッドだと思う。西洋のグラフィックデザインの影響を残しつつも、文字をうつくしく見せる書法「カリグラフィー」や、イスラムの代表的な幾何学的文様「アラベスク」といった中東の伝統が混ざり合っている。これは今後も廃れることなく、こうあり続けると思う。

Interview with Hatem Imam of Journal Safar

All images via Journal Safar
Text by Yu Takamichi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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