#005「ベッティ、怒る。大山せんせいも怒る」—「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。

【連載】重犯罪者やマフィアにギャングが日々送られてくる、“荒廃した精神の墓場”で働く大山せんせいの日記、5ページ目
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「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」

大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段は街の精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。

そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。

1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」

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#004「ベッティ、怒る。大山せんせいも怒る」

彼女は私に対して怒っていた。私が、彼女を守れなかったことを責めていた。
もちろん守れるわけがないのは彼女も承知だ。夜半過ぎにそれは起きて、私はそこにはいなかった。ただ彼女もどうしていいかわからなかったのだ。

 セッション中に彼女は泣き出し急に私を罵り、途中で部屋を立ち去ってしまった。私は彼女のあまりの混乱ぶりにどう接していいかわからなかった。
 そしてその次のセッションの日。彼女は来なかった。その次の週も来なかった。廊下で彼女を見かけてはその都度目で挨拶をすると、気まずそうながら彼女も微笑み返してきた。けれど私は、セッションに来るようには一言も言わないでおいた。

 私の上司や彼女の心理試験をした心理士たちは「なぜ彼女がセッションに来ないのか」理由を聞きたがった。私は知らないと答えた。知ってどうなる。
 ある心理士は、私に彼女が手におえないと知って得意気に自分の解釈を聞かせた。それはこうだった。

切り取った母親の部位は母親の性的象徴部位であり、ベッティを苦しめた淫乱な母親を罰する意味で彼女はそれらを切り取って並べた。

 それはもう劇的に語った。自分の糞を平気で人に投げつけてくる人間のしそうな、その心理士を知るには興味深い解釈だ。そんなことにはまったく興味がないと私は言ったが、他の心理士はなおも私の解釈を聞きたがった。じゃあこれはどうだと私は言った。

ベッティ―の供述を注意深く読めば、彼女は母親の首・乳房と陰部の他に、象のぬいぐるみを机に並べている。この象のぬいぐるみは彼女の赤ん坊(腹違いの弟に犯されたあげく生み落とした)に、彼女の母親が外で初めて買ってきたものだ。この生まれた男児は母親のども、つまりベティの弟として出征届が出て、母親を殺した時点では里親に養子縁組され、ベッティとは生き別れの状態になっていた。ベッティは調書の中で『自分ではなぜ殺したのか分からない、遺体を切断したことも覚えていない。ただ母親が殺した後もすぐに生き返るような不思議な感じがしていた』と供述している。
ベッティが母親の遺体の切片とともに彼女の赤ん坊のぬいぐるみを並べたことで、なくした彼らを取り戻すために、何か彼女の心のなかで儀式を行っていたのかもしれない。

 ここで彼女が切り取った遺体の一部は、彼女の中で母親の母性の象徴部位であり、遺体から母親の“良い部分”(母性)だけを切り取り、それらの良い部品から“良い”母親を再生しよう、あるいは生き返らせようとした。そして、息子も再生しようとした。性器は産道であり、乳房は母乳であり彼女を産み育てた母親の部分的象徴で、象のぬいぐるみは彼女の人生から消えてしまった彼女の息子の象徴だ、と説明した。

 それに対して、また議論好きの心理士が食ってかかってこようとした。だから、私は信じるべきことは知るべきこととは違う、と講釈をたれた。知ることは誰に対しても不変の答えがあるが、信じることにはない。信じることというのはそれぞれめいめい心の中でが信じていればいいことで議論の価値はない、と突っぱねた。
 それから私は「私自身の解釈も講釈も、スカンクの糞よりも臭い最低の糞だ。聞くやつの気が知れない」と言い放ってその場を離れた。

 その時私は本当に憤りを感じていたし悲しかった。彼らにも自分自身にも、私は怒っていた。ベッティは彼らの研究材料でしかないという思いに胸糞が悪かった。
 ベッティがどんな思いで20年間もこんな所で過ごしているのかを考えれば、そんな解釈がいかにむなしく無意味かが良くわかっているつもりだった。それなのに、挑発を受けて人前で自分の糞のような解釈をたれた自分は、彼らと何の変りもないただのうぬぼれた糞野郎という思いで吐きそうになった。ベッティを守る体裁を見せながら、ただ彼らに負けまいとして彼らの前で彼女を裏切り侮辱しただけのことだった。いま思えば、彼らの前で本当に糞をもらして馬鹿にされたほうがよほどましだった。

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Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano

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