“体があったくなりゃあ、心もぬくもる。お湯の中には花が咲く”。(♪『いい湯だな』)
そうそう、その土地の人間模様の花が咲く。今回は、“湯気の中”には花が咲く、にしておこう。
世界のいろんなところに、千差万別のフロとサウナ。営む人らの人間模様、そこに集まる人らの人間模様。蒸した室(へや)で隣りあう一期一会、いつもの曜日に見る顔なじみとの汗流れるつき合い、自分一人との裸のやり取り。まっしろな湯気と蒸気のおくの、いろんな人間模様をのぞくシリーズ。
“フロといえば”、“サウナといえば”に、一番には引っかからなそうな場所も、このシリーズでは探ってみたい。たとえば、イスラム文化圏の公共浴場、モロッコの女たちの社交場となるフロ、内戦あとの旧市街地に復活するバスハウス、それからフロ文化に欠かせない、いい匂いの四角いのを1000年も前から作ってきた石鹸メーカー、などなど。それでは、のれんをくぐりまして。
時が来るまでは汗を溜め、その日が来たら思い切り晴れ晴れしようではありませんか。
(もちろんですが、自宅のシャワーや風呂は浴びてください)
2箇所目のフロは、中東の国、シリア。シリアと聞いて「フロ」が思い浮かぶことは…そうそうない。2011年から内戦が続く国には、どうしても「戦争」「イスラム国」「砂やホコリにまみれた都市の残骸」など、負のイメージがつきまとう。が、シリアにこそ公衆浴場・ハマムや、数千年以上の歴史をもつ石鹸づくりの伝統がある。その昔「首都ダマスカスには365のハマムがあり、1日1ハマムしても1年間かかる」という伝説があったほど。
内戦が起こるずっと前、起こっていたとき、いま。国に争いがふりかかるなかでも、そこにはいつでもハマムと石鹸の伝統があった。実はオフロ大国だったシリア伝統のフロと石鹸、浸(使)かってみたい。
知ってた? シリアにもあったフロカルチャー
「ハマム」と聞いてピンとくる人はどれくらいいるだろう。中東、北アフリカなどのイスラム文化圏を中心に、世界の地域に存在する公衆浴場のことだ。トルコやギリシャ、ハンガリー、インド、パキスタンに多くみられ、“トルコ式サウナ”と呼ばれるもの。元をたどれば、ローマ帝国の浴場文化から影響を受けてはじまったというほど、長い長い歴史を持つフロ文化。
つい100年前くらいまでは、モスクやバザール(市場)と同じように「いちコミュニティに、もれなく、いちハマム」が基本。近所の人たちが体をきれいにするために必ず行く場所だったという。
それから社会の近代化が進み、各家庭にシャワーや風呂があることが珍しくなくなるにつれ、ハマムの軒数は世界中で大幅に減っていく。しかし、現在でも数多くのハマムが生き残り、地元住民のため、そして観光客がたのしむために、昔と変わらない憩いの場を提供しつづけている。
今回の舞台、シリアももちろん例外ではない。シリアには“ご近所ハマム”的な、地元コミュニティと根強い繋がりがあるようなこじんまりとした場所から、より高級なスパに値するような場所まで数多くが各都市に存在。
フロといえば、桶! シリアでは、フロといったら〈アレッポソープ〉! だ。シリアの都市の周辺地域で採れる天然オリーブオイルを使って作られる、オーガニック石鹸で、数多くのメーカーが存在し、伝統的な製法で石鹸を作りつづける。長きにわたって引き継いできた製法ならではの、高品質が自慢。「シリア民がハマムに行く際には、必ず持参する」。
「アレッポソープには、2000年続く歴史がありますよ」。胸を張るアレッポのメーカー「Pearl Soap(パール・ソープ)」オーナーのタラルさんとビデオを繋ぐ。伝統の石鹸づくりとフロ文化を聞こうと会話していくなかで、ここ数年においてのシリア内戦の渦中の石鹸づくりと、フロの話があった。
まるで酒造? 先祖代々伝わる伝統の石鹸作り
巨大な窯で石鹸の元となる溶液をかき混ぜる。まるで、船のオールで緑の波を漕ぐように、大きくぐるうりぐるうり。床一面に、石鹸の素地を広げる。何十畳もある長い床に、緑のカーペットをひいていくようだ。最後、カッターのような道具に“乗って”、固まった石鹸を切りわけていく。
パッと見た工程はシンプルな大仕事。何人もが体いっぱいで作業をしている(作業着が日本の作務衣のようで、ぐっと親近感が湧いてしまった。動画はコチラ)。
だが、「誰が作るかによって、石鹸のクオリティに差が出てしまう」繊細さを持っているという。タラルさんら作り手が熟知するアレッポソープの魅力だ。伝統的な製造方法を利用した石鹸作りは決して単純なものではない。曰く、一人前の石鹸職人になるためには、約3年から4年ほどはかかる。「沸騰したオイルを、温度を細かく気にしながら扱ったりするような仕事ですからね。スキルは必須です」。
1945年の創業から、パール・ソープはこの工程を繰り返している。タラルさんのおじいさんの代から家族経営。アレッポにある他の石鹸メーカーの多くも、代々家族経営が多い。パール・ソープは、石鹸の製造担当と包装担当あわせて約50人ほどの従業員で運営している。
水とアルカリを混ぜた溶液を沸騰させたところにオリーブオイルを混ぜる。
混ぜたものを1日から2日間沸騰させた後に、違う濃度のオリーブオイルを混ぜる。
それを床に流し出し、1日に放置したあと、切り分ける。
素地となる天然オリーブオイルも、高品質なオリーブから取れるものであればよい、とはいかない。トルコやチュニジア、レバノンなどの国でもアレッポソープと同じ製法で石鹸を作る工場があるというが、「クオリティは異なる」とタラルさん。乾燥気候で育ったアレッポ産の高品質オリーブから採れる天然オリーブオイルを使ってこそ、アレッポで作られるアレッポソープになる。「アレッポで作られるアレッポソープの方が…品質は間違いなく良いですよ(ニコッ)」と自信たっぷりの笑顔。家族経営の中小メーカーが代々引き継がれてきたこだわりで作るアレッポソープは、「日本酒の酒造に似ていますね」とも。
かのクレオパトラも愛したという“古今東西・高品質の石鹸”、アレッポソープ。タラルさんの石鹸も、代理店を通して世界中の国々で販売されているという。「エコロジーへの関心が高いヨーロッパではとても人気ですし、中東の湾岸諸国でも私たちの石鹸はよく売れます。なかでも日本での売り上げはとても良くて、毎年右肩上がりです」。
本場アレッポの住民にとってももちろん欠かせないアイテムだ。「アレッポの人たちはアレッポソープが大好きです。私たちの伝統ですからね!」。卸売を経て、市民が手に入れる時点での価格は3ユーロほど(約350円)。その他の低クオリティの石鹸と比べると割高ではあるというが…。「アレッポソープには良質のオイルを使っていますから。パーソナルケア、自分の肌のためを思い、ハマムに行くときや、シャワーを浴びるときは、誰もがみんながアレッポソープを使いますよ」
切り分けた石鹸を積み重ね、6ヶ月から9ヶ月ほどかけて乾燥させ、出荷できる状態の石鹸が出来上がる。
そりゃ家にフロはあるけれど。たまの息抜き・ハマムの行き方、浸かり方
アレッポのハマム事情を、タラルさんからここで少し。「昔は、みんな行かなきゃいけない場所だった。でもいまはみんな現代的な家に住んでいて、シャワーの一つや二つ、持ってますからね。2、3ヶ月に一度くらい友だちと一緒に行って何時間か過ごす、みたいな使い方をしています」。昔は、体を洗い流し、きれいにできる唯一の場所として「生活に不可欠であったフロ屋」が時代とともに役割を変えていき「フロに入りにいくというイベントの目的地」となったというのは、世界中で見られる傾向のようだ(ニューヨークのロシアンバスも)。
「100人くらいが一度に入れるような大きな施設で、10から15くらいの種類のサウナがある。湯船に使ったり、マッサージを受けたり、食事したり…。全部含めて10ドル(約1,100円)くらいですかね。そこまで高いわけではありません」。
通常ハマムは「ホットルーム」「ウォームルーム」「クールルーム」という、3つのメインエリアからなる。ホットルームは、いわゆるサウナのエリア。ここでは蒸気による熱で汗を流すことができるだけではなく、マッサージや垢すりを専属スタッフから受けることができる。ウォームルームには湯船があり、お湯につかることができる。最後のクールルームは、サウナや湯船に入った後の火照った体をゆっくりと冷ますラウンジエリア。
食事を取ったり、コーヒーやお茶を飲んだり、そして水タバコをフカしたりもできる。「男女は別々に入ること」がルールであり、最初から入り口がわかれているようなところもあれば、昼間は女性用、夜は男性用と時間でわけられているところあるそうだ。男性はトランクスなどの着用が義務づけられているが、女性は着用なしで裸でも入浴ができる。
戦争を経験したアレッポ「ハマムの数、石鹸工場の働き手も減りました」
現在、アレッポの中心地にハマムは、3、4ヶ所しか残っていないという。「戦争の前は、25ほどありました。でも戦争でそのエリアがほとんどが完全に破壊されてしまって」。
「最近シリアのニュース、全然聞かないなあ」と、どこかシリアが平和になってきているような気がしていた。しかし、シリア政府軍と反政府勢力による内戦は、現在も継続している。アレッポは最も戦火が激しかったといわれる場所。多くの人命が失われ、旧市街の大部分が完全に破壊されるなどの多くの社会基盤がダメージを受けた。多くのアレッポ住民が国内の他の地域に逃げだしたことも重なり、営業を再開したハマムに来る客の数も昔と比べて、4分の1ほどになってしまったという。
一方で、内戦の続くアレッポで、思わぬかたちで役割をになったのもハマムだ。シリアの首都ダマスカスでは、市の管理する水源のあるエリアが反政府勢力のコントロール下になり、水不足に陥った。一般家庭では、飲水を優先にした最小限の利用しかできない。そんな状況のなかで、独自で井戸水を引いているハマムには、変わらずに十分な水があった。ハマムに行けば、思い切り体の汚れを落とすことができる。フロに浸かることができる。戦前は特別な機会に訪れる場所であったハマムが、市民にとって再び“必要な場所”として機能するようになったのだ。
シリア内戦は、現在もアレッポの石鹸メーカーたちにも莫大な被害をもたらしていると話すタラルさん。「もともと100くらいの工場があったんですが、現在稼働しているのは20ほどです」。タラルさんのメーカーが昔使っていた工場も被害を受け、現在修復中だという。生産拠点をアレッポ市内の別の工場へと移転して製造を再開しているが、戦争の傷跡はビジネスに影響をあたえている。
「いまでも状況は決して良いとは言えません。私たちはいまでも、危険と戦火と隣りあわなせなわけですから。戦争がはじまる前は1年間に2,000トンの石鹸を生産してました。が、いまは年に300トンほどしか生産できていません。原材料を大量に仕入れることが困難になったのと、働き手をじゅうぶんに確保することが難しくなってしまって…。戦争が起きてからというもの、私たちは多くの若い男性たちを失ってしまいました」。
「戦争を終わらせて、石鹸工場を建て直さなくてはなりません」
戦争からの復興は少しづつだが進んできているという。が、戦争が社会に残した傷跡の深さは、計り知れない。「戦争を経て、工場での働き手たちを失い、友人たちを失ってきました。これは戦争です。本当につらく、真っ暗なんです。私たちがシリア、そしてここアレッポで見てきたことを、世界中の誰にも経験してほしくないと思っています」
将来については、どう思っているんだろう。「まずこの戦争が終わらなくてはいけない。そうすれば、アレッポにいるすべての人たち、シリアにいるすべての人たちが、生きることに希望を持つことができる」。そして、「そうすれば、私たちは昔よりもっと働くことができ、私たちが失った何年間、戦争によってもたらされた被害を修復することができます。私は未来に希望を持っていますよ。戦争を終わらせて、石鹸工場を建て直さなくてはなりません」
戦争の話をするときには、やり場のない悲しみの表情、目の奥底から垣間見える漆黒が揺らいでいた。それでも、ビデオ越しのタラルさんの笑顔は大きく、目尻にはいっぱいのシワを寄せ、こう言ってくれた。「数年のうちに、私たちにも日常と平和を取り戻せる日がやってきたら、ぜひ私たちのことを訪ねてくださいね。歓迎します」
Interview with Talal Anis
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All images via Pearl Soap
Text by HEAPS and Kaz Hamaguchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine