人気サイト「ティンダー上の○○たち」はこうして生まれた
ひとが「ボランティア経験」をアピールするのは、就職活動のときだけではない。オンライン・デーティングでも、である。出会い系アプリ「ティンダーをスワイプしていたら、同じようなプロフィール写真が立て続けに出てくることに気づいたんだ」。それは、先進国の欧米人が、発展途上国と思しき場所で、褐色肌の子どもたちと戯れている「ボランティアをしました写真」。
こういった写真を5回ほど左にスワイプしたところで「これだけ頻繁に出てくるということは、なんらかのトレンドに違いない」と感じ、直感的にそれらをスクリーンショットしはじめたという。
「ボランティアする僕や私」がずらりと並ぶサイト『Humanitarians of Tinder(ティンダー上の人道主義者たち)』が開設されたのは2014年のこと。その名の通り、出会い系アプリのティンダー上に溢れる“慈善家”たちを取り上げたものだ。開設したのは、ブルックリン在住のフィルムメイカー、コーディ・クラーク。似たような“ボランティア写真”をティンダーのプロフィールに使用している人が多いことに違和感を覚え、それらをスクリーンショットしはじめた。
最初は、友人たちとの会話のネタ程度でしかなかったが、10枚、20枚と溜まっていくうちに、「タンブラーやフェイスブック上でアーカイブしていこう」と思い立つ。こうして人気サイト『ティンダー上の人道主義者たち』は生まれた。
過去に社会現象にもなった市井の人たちの声をすくい取るフォトブログ『ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク(Humans of New York、ニューヨークの人々)』をもじったそのサイト。開設されてすぐ『ワシントン・ポスト』や『ヤフー・ニュース』『ハフィントン・ポスト』など、複数のマスメディアに取り上げられ、瞬く間に注目を集めた。
さすがネットの拡散力。4年たったいまも、フェイスブック上には新しい写真がアップされ続けているが、それらは見ず知らずのフォロワーが投稿してくれたものなのだそう。投稿者は、米国人だけでなく、ヨーロッパや北欧、アジアに住む人々と幅広い。「僕はスクリーンショットを投稿するだけ。コメントも加工もしていない、つまり、オンライン上の画像をあるがままの状態でスクラップするだけ。なのに、自然に議論がはじまって、気づけば世界中に広がっていたんだ」
「発展途上国の子どもたちと一緒」で自分の魅力を水増し?
遠く離れた発展途上国で、現地の有色人種の子供たちと戯れる写真を出会い系アプリに使用する——、その心は「自分は(困っている人をほっておけないほど)温情があって、(遠い異国へ行くぐらいの)冒険心がある人間なんです。魅力的だと思いませんか?」ではないだろうか。
ティンダーは、見た目重視の出会い系アプリ。それゆえ、ユーザーは自分が最も魅力的にみえる写真で自己アピールをするのが常。見た目だけで勝負できそうになければ、雰囲気で勝負できるやや引きのものを。たとえば、大自然の中でロッククライミングやサーフィン、キャンプ、難易度の高いヨガポーズをキメているものや、はたまた、キュートな犬や猫、もしくは見た目の良い友人を“小道具”として使用した写真を目にしたことがある人も少なくないと思う。
そう、この小道具を使って自分の魅力を水増しする技法。「ティンダー上の人道主義者たち」に掲載されている写真への最も多い批判が、「発展途上国の子どもたちを自己アピールの“小道具”として使っている」だ。
犬や猫なら「なんかズルいなー」程度で済む(済まない場合もあるが)話も、「他人の子ども」、しかもマイノリティで未成年、さらに利用する側が先進国の恵まれた立場の人たちとなると物議を醸す。このご時世、人権問題にも発展しかねない。
「有色人種の子どもを”小道具”として使うのも、白人にあたえられた特権なんですか? 無神経きわまりない」
「子どもたちは未成年。彼らの保護者に出会い系アプリで使用する許可はとったのか?」
「他人の子どもを、自分の性的パートナー探しに利用するなんて倫理に反している」
などなど。だいぶ手厳しい批判が飛び交う。
一見すると、白人だけが槍玉にあげられているようだが、有色人種のにわか人道支援家も例外ではない。ボランティア写真を出会い系アプリのプロフィールに使用する、同じメンタリティが垣間みれるものであれば、同じ穴の狢(ムジナ)だ。
人道支援やボランティアとは、本来、利他的なもので、自己を犠牲にしてでも他者に貢献することを含意するものだという意見がある。ただ、実際のところ、「利己的」な動機ゆえの社会貢献も少なくはないだろう。「勉強になるから」「人脈が広がるから」「純粋に人の役に立つことに幸せを感じるから」など。近年であれば「SNS上に投稿するとびきりのネタが欲しいから」というのもあるかもしれない。いずれにせよ、それによって他者が助かるのであれば、利己的な動機で利他的な行為をおこなうこと、それ自体は悪いことではないと思う。
ただ、利己的な動機で利他的な行為(この場合ボランティア)をする自分の写真を、他者に対し、自分の魅力を売りこむために使用するとなると疑問が出てくる。こと出会い系アプリの中でもフックアップ(カジュアルな性的な体の接触)アプリとして親しまれているティンダーのプロフィール写真にそれを選び、使用することに対して、さまざまな世間の思惑が渦巻いているのは無理もない。そして、この「ボランティアプロフ写真スクショ」が、一過性のブームとしていまだ片付けられていないことにも、もう少し触れておくべきだろう。
出典元:Humanitarians of Tinder
時代を写す“オンライン・デーティングのプロフィール写真”
なぜ、4年たったいまも、一過性のブームとして終息することなく存在し続けているのか。ミレニアルズを中心とした「ボランツーリズム(voluntourism〈ボランティア活動と観光を兼ねた旅行〉)の流行とその弊害に注目が集まっていることも関係しているのではないか」とコーディ。
「あくまでも社会で起こっている現象のひとつを記録するために同サイトをはじめた」という彼。しかし、本気で人道支援に取り組んでいる人たちや現地のボランティア団体から「にわか人道支援家たちの醜態を世間に知らせてくれてありがとう」と“感謝”のメッセージが届くこともあるのだという。
また、急速に多様性社会へ向かう近年、いままで世の中から弾かれていた弱い立場の人たち、いわゆるマイノリティの立場を尊重し擁護する動き、および、白人の特権への批判も少なからず影響しているのではないかと思う。もちろん現代の米国で、白人だけに許された法認の特権というのがあるわけではないが、脈々と受け継がれた社会的な優位性が存在するのは事実。すべての白人がその優位性を享受できているわけではないにせよ、近年はそこに対してかつてないほど厳しい目が向けられている。
興味深いのは、白人も「白人の特権」に対して厳しい目を向けていることで、意識の高い人たちの間では「まずは、私たちが恵まれた立場であることを受け入れよう。そして、私たちが教授している特権を、自分のためだけに使うのではなく、もっと世の中をよりよくするために使うべきだ」という議論が起きている。
多くの場合、恵まれた立場の人ほど、恵まれていることに気づかないもので、知らず知らずのうちにやらかしてしまっていることがある。この件であれば、発展途上国の子どもを小道具として使う意図を持っていた人はいないだろうし(いないことを祈る)、そんなふうに見える可能性があることすら気づかなかった、というのが大多数ではないだろうか。しかし、「気づかなかった」はときに「無知、無神経」として解釈され、それは往々にして社会風刺の格好のネタになる。
コーディは意図していなかったにしても、閲覧者の多くは『ティンダー上の人道主義者たち』を社会風刺として捉え、それを楽しんでいる。「オンライン・デーティングのプロフィール写真」は、ある意味、時代や社会を映す鏡だ。ところで、「似たようなのが頻繁に出てくる=なんらかのトレンドか?」、この早期発見こそがロングランヒットの勝因だったのではないかと思う。
Interview with Cody Clarke
Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine