イスラエル国内に点在する共同体コミューン「KIBBUTZ(キブツ)」。身分の平等を重んじ、貨幣に依存しない自給自足の生活を送ってきたことで知られる、いわばエコ・ビレッジのようなコミュニティだ。かつては理想郷と仰がれていた存在だったが、急成長する国の中で「身分の平等に重きをおいた考えがフィットしたのは昔の話」と、時代に取り残されつつある。そんな中、現地の若者主導で「現代版の共同体へ」と再生を試みる動きをみせている。彼らは、砂漠地帯のエコ・ビレッジに、スタートアップを持ち込んだ。
※キブツは町ではないが、小さなコミュニティ/共同体の暮らす集落≒田舎町(村)という意味合いで本記事ではその表現を用いた。
イスラエルのエコ・ビレッジ? ヒッピー? そもそもキブツって、なに?
時は20世紀初期。諸説あるが、ロシアやヨーロッパでのユダヤ人迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群が、パレスチナに戻り、ガリラヤ湖畔にコミュニティを作ったことがはじまりと言われている。
通称「イスラエル」と呼ばれる国家が建国されたのは1948年5月14日。それ以前から、農業を営みながらコミュニティを形成していたキブツは、建国にも重要な役割を果たした。キブツ人口は、イスラエル総人口の約2パーセントほど(最大でも7パーセントを超えたことはない)と、少数であるにもかかわらず、多くの軍指導者、知識人、政治家を輩出してきた。たとえば、初代首相ダヴィド・ベン=グリオンや、第5代目の初の女性首相ゴルダ・メイアもキブツ出身である。
日用品も「個人がモノを所有するのはNG」
70年代までは、日用品なども個人が所有することはなかったほど「身分の平等」は厳重に守られていた。外部から個人的にもらったプレゼントですら、コミューン全員でシェアすべきかどうか、審議にかけられていたそうだ。
しかし、そんなキブツも国の近代化とともに変化を余儀なくされ、農業だけでなく、工業や観光業も営むように。いつしか、ほとんどのキブツで労働の対価に支払われた金銭的給与を個人が有することが認められるようになった。現在のキブツの様子は、ほとんど我々が暮らす資本主義国の「普通の田舎町と変わらない」そうで、負債が膨らみ続けていることが問題視されていた。
「集産主義的な身分の平等という思想が、時代に合わなくなっていたことは明らか」。高校を卒業後、兵役のために一度キブツを去ると、そのまま戻らず都会での生活を選ぶ若者も少なくなかった。
スタートアップはイスラエルのお家芸
イスラエルの人口は約800万人。日本の人口の約15分の1という小国ながら、国民一人当たりの起業率は世界トップクラス。スタートアップ大国として近年、世界中から注目を集めている。
起業率が高い理由は、大企業と呼べるものが国内に少なかったことや、建国時から周辺にあるアラブ諸国との紛争が絶えず、常に危機感と隣り合わせだったので「自分の身は自分で守る」という精神が根づいていることが挙げられる。また、イスラエルは国を守るために、軍事技術および科学技術の開発に力を注いできたことも大きい。実際、兵役を通してリーダーシップやチームワーク、そしてプログラミングやサイバーセキュリティの教育などを受けた若者たちの多くには、兵役が終わる頃にはベンチャーを立ち上げるために必要な基礎知識と体力が身についているのだとか。
となると、キブツの若者が他のイスラエルの若者と同様に、身につけた知識を使って何かイノベイティブなことしたいと思うは、ある意味、自然なことなのかもしれない。ただ、「少し違うのは、僕らにはキブツならではの集団主義的な考えが染み込んでいることかもしれません。利益をだしたら、仲間とシェアしたいとか、できれば自分のルーツに、つまりキブツに還元したいという潜在的欲求がある気がします」。そう語るのは、自身の出身キブツ内にスタートアップビジネスのインキュベーター施設「マドジェラ(Madgera、ヘブライ語で孵化場の意味。起業家の卵を孵化させる場所という意味が込められている)」を創設したライオン・デイビッド(Lion David)氏。彼は、イスラエル南部の砂漠地方で70年間以上も存続するキブツ内に、スタートアップのインキュベーター基地を作り、変革をもたらそうとしている。それも、「資本主義だけど、コミュニティのみんなが“平等”にしあわせに」を保ったまま。
Photo by Meg Stewart, KIBBUTZ LOTAN。最近のキブツの家。
逆転の発想か。砂漠の田舎町とスタートアップは相性が良い
機会均等、身分の平等といった反資本主義的なキブツに、近代の資本主義の権化ともとれるハイテクスタートアップのインキュベーター施設。言ってしまえば「社会主義から資本主義への移行」というギャップの意味では、ひょっとしてソ連崩壊ぐらいのインパクトがあるのでは、とも思ったが—。
都市部から離れた場所でスタートアップというのは不利にも思えるが、「ネット環境さえ整えば問題なし。むしろ、ここは世の中の雑音や誘惑から遮断されているので、自分のビジネスプランを自分のペースで誰にも邪魔されることなく進められるメリットがあります。生活費もシティに比べたら、かなり抑えられますしね」と、キブツという田舎こそスタートアップに適しているという考えを示す。
また、スタートアップは90パーセントが失敗する、と言われるハイリスクビジネス。「ただの保守的な田舎町であれば、好意的にみられることはなかったでしょう。けれど、キブツは違う。何もない砂漠を開拓し、実るかどうかもわからない農作物を育てて生きてきた共同体。キブツほどリスクへの耐性があるコミュニティも珍しい」とも。極めつけは、「スタートアップって、ゼロからはじめるという意味では、機会均等で平等だと思う。キブツらしいっちゃ、キブツらしい」。
つまり、キブツとスタートアップは相性が良い、というのが、キブツのミレニアルズの新思想のようだ。「スタートアップで儲けたら、利益は共同体とシェア還元する。このまま国の”お荷物”であり続けるより、一人でリッチになるより、キブツのみんなでリッチになるのが一番じゃないか!」と、資本主義にベクトルをよせつつも、共同体の精神は忘れていない。
兵役を終え、外の世界で新たな知識と体力をつけた若者が、共同体の繁栄のために、大海原を旅したサケのように生まれ故郷に帰ってくる。「何も資本主義に魂を売ろうとしているわけじゃない。昔のように農業ではなく、時代に合った新しいことで再生しようとしているだけ」。常に危機感と隣り合わせできた国だからなのだろうか。社会主義から資本主義へも、状況に応じて視点を変えて、あっさり翻ってみたり。でも「魂は売らないよ」って、なんかかっこいいじゃないか。
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Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine