「あれは、この世にたった8年間だけ存在したユートピアで、誰もが戻りたいと思っている日々だ」
ハワイ、カウアイ島とニューヨークを繋ぐ電話口、落ち着いた声でゆっくりと“あの8年間”について話しだした。
いまは幻のユートピア、テイラー・キャンプ。その数年間、一人写真を撮り「そして、あの日々で私の写真人生は“変えられた”」という、写真家ジョン・ウィルへイムに話を聞いた。
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13人のヒッピーとある女優の兄と、島
昨年の夏頃、ネットでも話題になったテイラー・キャンプ。別名「ヒッピーたちの理想卿」、ジョンが撮り続けたその生活と、裸の住人たちのセンセーショナルな写真は話題をさらった。
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テイラー・キャンプの起こりは1969年。ベトナム戦争のまっただ中で、人間性の回復を求め、愛と自由とセックスを愛するヒッピー思想が根強く広まったときでもある。
「正義なきベトナム戦争」への反戦運動と比例しながら、戦時下に全米で大きなムーブメントとなっていた。
そして当時、反戦運動や大学紛争から逃げてきた(最後の選択は、銃を取るか逃げるか、だった)13人がハワイのカウアイ島の人里離れた場所に住み着いたのがはじまりだった。その島に邸宅と広大な土地(28,328㎡)を所有していたのは女優エリザベス・テイラーの兄で、驚くことにヒッピーたちがその“絶景”に住むことを許可した。
電気もない場所で、海と島の恵み、育てた食物で生活し、自分たちでツリー・ハウスを作って暮らしはじめる。次第に、学生やヒッピー、戦争から逃れた兵士たちが集まり、ただ安らぎの地を求めて一つのコミュニティを形成した(しかし、コミューンではなかった、ただ同じ場所で暮らしていた、とジョン)。
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「とにかく、泳いで食べてセックスをして、眠って。起きてマリファナをして歌っていたよ。月曜も水曜も日曜もないし、ルールもなにもなかった。ああ、人の家にあがるときは砂を払ってから、なんて小さな“了解”はあったかな。あと、祈るための教会もあった」
当時23歳。若かりしジョンが、島に住み着いたヒッピーや学生、ベトナム戦争から逃げた兵士や市民と時を過ごしたのはもう30年と数年前のこと。何が一番恋しいのかと聞くと、ただそこにあった風景だ、という。
口火は、パンケーキと裸の姉妹
ジョンはテイラー・キャンプの住人ではなく、当時はハワイの学校で写真を教えていた。「ヒッピーたちの暮らしがいよいよ本格化している」と聞きつけ、1971年、初めて足を踏み入れたのだった。
目にしたのは冴えわたる美しい海と、浜辺に散らばる裸体、住民手製のツリー・ハウス。
「最初は誰も写真なんて撮らせてくれなかったよ。何度も通って、ある日デビ姉妹とパンケーキを食べたんだ。彼女たちがポートレイトを撮らせてくれて、そこからみんなすぐに私のカメラを気にしなくなった。カメラがあろうと自然体で、むしろ写真を撮ってくれという恋人や家族もいたさ」。それからテイラー・キャンプに通い、写真を撮り続けた。
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テイラー・キャンプの住民がカウアイ島の元々の住人と大きく揉めることはなかったが、キャンプの住人が増え、揉めごとと確執は悪化し1977年に幕を閉じることとなった。
30年後の、かつての住人の姿
最後の日から30年たって、「あの頃の住人たちに連絡を取りはじめたんだ」。テイラー・キャンプでの暮らし、それがいかにして終焉したかを語るドキュメンタリー映画を制作、2010年に公開され、幻の8年間が世間にあらわになった。
「完全無欠のユートピアと美化するつもりはない」と、当時のフリーセックスやアルコール中毒、ドラッグの日常的な存在も話す。
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「ただそこには、社会と時代の変化から切り離されたゆえの安らぎと、本能と快楽、それから不安と焦燥と、依存と暴力があった。理性や道徳とか、きまりごとを削ぎ落として、平和と愛を探しそこに裸で身を委ねる人間の姿に、どうしようもなく美しい自然光が降り注ぐんだ、想像できるかい?」
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「あの人間の表情と、構図と光の加減。もう一度撮ることができたら」。極端な世界にシャッターを切り続けてきた。忘れられない影響は、ファインダー越しというより、脳と肌に直接刻まれたのかもしれない。「いまでも私は秘境やそこに住む人々を撮り続けているんだ。もう一度、あの時のような“究極の風景”を探し続けているのかもしれない」という声は、だから強かに耳に残る。
道徳なんていうのは満腹時のげっぷみたいなもんだ、という台詞はなんの小説だったろうか。そんな、ある種“贅沢な精神”を削ぎ落とした人間たちの姿。安らぎを求め、本能的な快楽に身を委ね、一時間先も考えずにドラックに溺れ、それでいて理想郷の“終わり”をいつも思いながら過ごした刹那の表情は、もう二度と撮れない。それはわかっているんだ、と「あの日々に一度だけでも戻りたい」というジョンの電話越しの言葉が語っていた。
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All images © John Wehrheim
Taylor Camp
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Text by Sako Hirano