「ジャケ買い」。それは文字通り、レコードのジャケットデザインに一目惚れし、視聴という過程をすっ飛ばして「これは買わずにいられない」などと取り憑かれたようにお会計してしまうこと。つまり、見てくれの誘惑である(なので、結構な確率で失敗したりもする)。
最近は専らデジタルダウンロードやストリーミング配信の時代になってしまったが、ひと昔前、音楽狂たちはレコード屋に通いつめ、アルバムを掘り出してはジャケ買いした。「ピンク・フロイドのプリズム」に「レッド・ツェッペリンの裸の子どもたち」を。先に言ってしまうと、このジャケ買いは“正解”だ。なぜなら、それらは“彼ら”のデザインだから。
ロック全盛期に現れた「レコードジャケット職人」
「ぼくらのアルバムデザインがこんなにもアイコニックになるなんて、当時はまったく思わなかった。ただ普通と違うことをしているとは知っていたけど」
電話口から上品なイギリス訛りが漏れる。声の主は、今回HEAPSの取材を快諾してくれた、オーブリー・パウエル(Aubrey Powell、70歳)。ロック全盛期の1960年から80年代、奇抜で前衛的、一目見たら忘れられないアルバムジャケットの数々を魔法のように生み出した英デザイン集団「Hipgnosis(ヒプノシス)」のメンバーだ。
どこかざらりと神経を撫ぜ、不協和音をぽろりと残していくようなデザイン。イギリスのカルト的ロックバンドといえるピンク・フロイドやレッド・ツェッペリン、ジェネシス、Tレックス、ブラック・サバスが愛したデザイン集団でもある。だが、その芸術性や世界観、話題性が高く評価されたことだけがヒプノシスの功績ではない。彼らが唯一無二の革命家だった理由とは、「アーティスト写真のみが常だった“レコードジャケット”を、“アート”に変換したから」に他ならない。
事のはじまりは「ピンク・フロイドがルームメイトだったから」
後のヒプノシス初のデザインとなったのは、ピンク・フロイドのセカンド・アルバムジャケットだ。半世紀前、1968年のロンドン。当時大学生のオーブリーは同居人で友人のストーム・ソーガソンと、ブックデザインなどを手掛けお小遣い稼ぎしていたころ。ある日ピンク・フロイドがやってきて、ジャケットデザインを依頼をしてきた。なぜ一介の大学生にそんなミラクルが起こったのか? 「シド・バレット(元ピンク・フロイドのオリジナルメンバー)が同居人だったんだよ」。
ここでラッキーだったのは、むしろピンク・フロイドの方だろう。「その頃、みんなが傾倒していた東洋のニューエイジやスピリチュアルな世界観」でデザインされた幽玄なジャケットは、まさにピンク・フロイドのサイケデリックで宇宙的なサウンドを視覚化したかのように仕上がった。これは、それまでのジャケットデザイン、たとえば初期のリズム・アンド・ブルースやジャズの「白背景に赤・青・黒の太いフォント」だったり、ロックンロールの「アーティストポートレートがどーん」を思い切りよく覆す。デカデカとしたアーティスト写真もタイトルもない、奇抜なレコードジャケット。ヒプノシスは堂々誕生した。
ピンク・フロイド『Saucerful Of Secrets(神秘、68年)』。ちなみに「Hipgnosis」の由来は、シドがアパートのドアに残した同名の落書きから
レコード会社に嫌われて、世間の度肝を抜いて
〜「もはや、バンドの“5人目のメンバー”だった」
ヒプノシスの、これまでの常套を一切取り入れずに、バンドの新しくも確かなコンセプトをビジュアルで表現する前衛さは、「何か新しいものを求めていた」バンドとファンの琴線にすぐに触れることとなる。
ロンドン・ソーホー地区にあったスタジオには、ミュージシャンやマネージャーが出入りし、まるでアンディ・ウォーホルのシルバー・ファクトリー状態だ。「ぼくたち、もはやバンドメンバーのようだった」。スタジオは、「胸糞悪くなるほど汚かった」とオーブリーが思い出し笑いするほど散らかっていて、下描きやペケの作品を外の通りに捨てると、ファンがすぐに持っていったのだとか(ちなみに、いまでも“ゴミ箱から拾われた”作品がオークションに賭けられ高値を叩き出したりもする)。
「当時バンドには、金が有り余っていてね。レコード会社よりも決定権があった」。ミリオンセラーを叩き出していたロックバンドたちは、ミュージックビデオもなかった時代、アルバムデザインにお金をかけられたという。だから、レコード会社がノーでも、バンドがイエスと言ったらイエス。
いい例が、ピンク・フロイドの『原子心母(Atom, Heart Mother:1970年)』。牛一頭が、こちらをシュールに見つめている。バンド名もアルバムタイトルも見当たらない。もはやコメディだ。「いやぁ、レコード会社にはひどく嫌われたよね。バンド名もタイトルもないデザイン作るなんてって。でも、バンドはとにかく気に入った」。しかしこの挑戦的な牛、レコード会社の「こんなんで売れないんじゃないか」という胃の痛みを見事に吹き飛ばし、飄々と全英チャート1位に輝いた。
「リリース直後、ロサンゼルスのサンセットストリップを歩いていたら、大きなビルボードにこの牛がでーんといた。
牛がいた3週間、街中は『あの牛のやつみたか? 本の広告? バンド? あれはなんなんだ?』と持ちきりさ」
飛んでいった豚、炎に包まれた人、顔が歪んだロックスター
当たり前だが、当時フォトショップなんてものはない。数週間かけてデザインを考案しバンドにプレゼン、撮影する。「いまだったら、デスクトップに向かってちょちょいと2時間でできることが、あの頃は一ヶ月以上かかったからね。デザインはよっぽどのことがない限り変更しない。一回ぽっきりだ」
ピンク・フロイド『Wish You Were Here(炎〜あなたがここにいてほしい、75年)』のジャケットは、握手する二人のビジネスマン。右の彼は燃えている。「これ、実際に背広に火を灯したのさ」。『Animals(アニマルズ、77年)』では、テムズ川沿いのバタシー発電所上空に豚の巨大風船を浮かばせた。だが、撮影途中で豚は飛ばされ、ヒースロー空港のフライトキャンセル、新聞にも載る大事態になった。「結末は、ある農夫からの一本の電話。『あの豚の風船を探しているのはあんたたちか? おらの農場にいるんだが、うちの牛が怯えちまってるよ』」。この大騒動で、オーブリー“逮捕”、破天荒にもほどがある。
怖いものなしの彼らは、ロックスター、ピーター・ガブリエルの顔をも歪ませた。“スターは美しく撮る”を無視して。
「ツェッペリンのなんて、音楽も聴かず歌詞も見ずにデザインしたよ。ジミー・ペイジは『俺たちのこと知っているだろう?』ってさ」。バンドやタイトル、歌詞、サウンドが必ずしも関連していないデザインは、アルバムに自由無限の「アート」という側面を与えたのだ。
12インチの“メッセージボード”
CDの普及にデジタル配信。アルバムジャケットは時代とともにどんどん小さくなってしまった。「ユーチューブとかSpotify(スポティファイ)とか、親指大までになってしまったろう?」。でもオーブリー、「デジタルエイジにも感謝しているよ。だってあんなに時間がかからなくてすむから!」と、現在は映画制作やポール・マッカートニーのツアーのクリエイティブディレクターも務めており現役だ。
「レコードジャケットの何が美しいかって、それは直径12インチの正方形、つまり“大きなキャンバス”なんだ。コンピューターもフォトショップも存在しなかった時代、アルバムジャケットは、バンドからファンへのメッセージボードだった。アルバムのコンセプト、ストーリー、声、世界観を届けるね」
正方形のキャンバス、そしてメッセージボード。アルバムジャケットがいつしか“アルバムアートワーク”と呼ばれるようになったのは、ヒプノシスがかけた魔術のせいだろう。そして半世紀、いまだ解かれていない。
Interview with Aubrey Powell
Aubrey Powell/Hipgnosis
オーブリー・パウエル(Aubrey Powell)
▶︎『Vinyl . Album . Cover . Art: The Complete Hipgnosis Catalogue』
オーブリーが出版したヒプノシス・アルバムジャケット写真集、発売中。詳しくは、コチラから。
▶︎『Pink Floyd: Their Mortal Remains』
オーブリーがクリエイティブ・ディレクター/キュレーターを務めている「ピンク・フロイド」大展覧会が、英・ロンドン、ビクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム(Victoria and Albert Museum、V&A)で今年の10月1日まで開催中。詳しくは、コチラから。
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All images via Aubrey Powell
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine