コンドームのサガミでおなじみ「相模ゴム工業」。既存のコンドームを次々アップデート、シングルのためのクラブイベントにグラビアアイドルを宣伝大使にするなど、ユニークな活動でも知られる「おもしろ会社」だ。そして何より、世界最薄を実現した『サガミオリジナル001(ゼロゼロワン)』、知らない日本の成人男性を数えたほうが早そうだ。
ところで、戦時中の創業から80年以上も日本の性の営みに貢献してきたこのコンドーム会社の現社長については、ほとんど世に知られていない。
「一人でいる方が好きだった」青年が、人の温もりを伝えるためコンドームに人生を賭けて40年。四代目相模ゴム工業社長、大跡一郎(おおあといちろう)の仕事人生を知るべく、独占インタビューを行った。
サガミを創業したのは情熱的な女性実業家
「うちは女系家族ですよ。まぁパワフルでした」。
相模ゴム工業(以下、サガミ)の創業は1933年、旗手は大跡の祖母である松川サクだ。当時、戦前の不景気・世界恐慌による経済悪化による深刻な物資不足にもかかわらず人口は増加、余裕のない親は子を捨てた。敗戦による貧困とベビーブームが拍車をかけ、当時の政府は人工妊娠中絶を容認した。
中等教育を受ける女子の数がやっと男子の半数に達した頃でもあるこの時代、松川サクが考えていたのは「産む機会は女性が選ぶべき」。そこで生みだしたのが「女性を守るための避妊具」、今日のコンドームの基礎となる天然ゴムラテックス製コンドームだ。
松川サクといえば、男装して吉原に乗り込み使い心地を偵察したり(小説『さっく一代』/梶山季之より)、リアカーを引っ張って薬局をまわるなど並外れたバイタリティを持つ経営者だと語られている。
松川サク。Photo via 相模ゴム工業
当時の工場。Photo via 相模ゴム工業
「見切りの早さがすごかった。北京に工場出してうまくいってたけど、『この戦争は負ける』と判断したらお金持って東京に戻って、今度は『空爆が危ない』ってなったらすぐに故郷の神奈川に戻って細々生産、おかげで戦後すぐにベビーブーム需要に対応できた。体力と決断力。経営者としてとても大事な要素ですよね」と、大跡は祖母、そして初代の女性社長の敏腕さをふり返る。
幼少期から“おばあちゃん”を受け継いでいたかといえばそうでもない。
「アメリカから帰ってきたらさ、やる気もなにもなくなっちゃってね。『卒業』って知ってる? 当時有名な映画があってね。あの主人公じゃないけど、しばらくぼんやりしてたらそのうちお袋が我慢できなくなって『会社入れ』って。
アメリカの大学院生活をもっと粘ろうと思ってたんだけど、お袋が83歳のばあさん(創業者の松川サク)連れて卒業式に来るっていうから、慌てて卒業したんですよ。でも式なんか出たくないから、お袋たちを式の次の日に呼んで。そりゃあもう怒ってたなぁ」。
たくましい女系家族で育った大跡はその後、サガミに入社する。27歳のときだ。
相模ゴム本社工場内の植木。
「サガミオリジナル」のはじまり
創業者松川サクが世に生み出したコンドームを四代目大跡が革新。サガミの最も象徴的な製品「ゴムじゃないコンドーム、サガミオリジナル」が誕生する。
世界的なエイズ流行と予防への啓発もあり、1980年代にピークを迎えたコンドームの消費はバブル崩壊後に落ち込んでいた。そんななか、サガミは98年にコンドームの常識を覆す商品を製品化し世に出す。これが日本初のポリウレタン製のコンドーム、今日の日本の性の営みをサポートする『サガミオリジナル』。
Photo via 相模ゴム工業
「バブル崩壊後、いろんな新規事業を考えたんですけど、結局自分たちの本業でいこうと。一度止めていたポリウレタン製コンドームの開発を進めることにしました」。
昼ごはんはコロッケにしました、とでもいうようななんでもない口調の大跡だったが、当時安価に製造・販売できたラテックスに対してポリウレタンは原料からして高コスト。そしてもちろん、これまでにない製造方法だ。莫大な初期投資が必要で「あれは相当に勇気がいりましてね」と続けた。
「確信? 全然なかったですよ。ただ、うちはずっと、お客様の製品やブランドを作ること(OEM)をやってたんですが、自分たちのブランドを作るべきだと。それなら新しい素材で、思いっきりやってやろうと」。大勝負に大勝負を重ね、日本で初めてコンドームのCMを流し、出稿も大規模にやった。
「バブルがはじけて日本全体が調子悪くて落ち込んでましたからね、元気出すにはいいだろな、と」
1998.3.17日経
1998.2.10夕刊フジ”
1998.2.13夕刊フジ
1998.2.14夕刊フジ
Photos via 相模ゴム工業
30年かけたプロジェクト頓挫からの大逆転劇
34年の開発期間を要して誕生した『サガミオリジナル』は発売後、爆発的な売り上げを記録するが、その数ヶ月後、急転直下の事態に見舞われる。
「一番困難だったのはやはりこの時ですかね…。苦労して苦労して、ようやくできたいいものだけを売ってたら、今度は爆発的に売れすぎてすぐに品不足になって。そのタイミングで未出荷品に不適合品が発見されたんです」
販売した商品も全品回収し、生産ラインを止めることを決断。原因究明、システム見直し、設備も品質の検査方法も変えて、生産管理のすべてを変えた。生産停止期間は長く2年に及んだ。「でもね、そのおかげで薄いのができたんですよ」
これ、0.005mmの皮膜をまとっているのだが、境目が見えるだろうか。
作れない、売れない。地獄のような2年間で重ねた試行錯誤、そこで培ったノウハウから2005年には0.02mmの薄さの『サガミオリジナル002』を実現、薄さの限界を突破した。さらに、2013年には、0.01mmの薄さの『サガミオリジナル001』を生む。
「あの時うまくいってそのまま走ってたら、もっと深刻な製造上の欠点が発覚したかもしれない」と大跡。
産物『サガミオリジナル001』は、長年続いたコンドーム出荷量の低下をとどめ、回復を促すほど爆発的に売り上げた。熱狂的な支持がいまだどれだけ健在かは言わずもがな、そっと枕の下に忍ばせているのは筆者だけではないはず。
生きてるあいだは、おもしろいことしましょう
コンドーム製品に革新を起こす一方で、またおもしろいのはサガミのプロジェクトだ。
最新の『ACT OF LOVE(アクト・オブ・ラブ)』では、地球上の73種類の動物たちの求愛行動を一冊の図鑑にまとめた。7年前のLOVE DISTANCE(ラブ・ディスタンス、実際の遠距離恋愛カップルを起用、10億ミリの道のりを走ったプロジェクト。カンヌ国際広告祭金賞を受賞)にも勝ることをまたやってくれた。
毎年行われるシングルたちのためのクリスマス・クラブイベント『さびしんぼナイト』など、コンドームメーカーの枠にはおさまらない。
「生きてるあいだはおもしろいことしましょう、と。人生は3万日くらいで短く、会社にいる時間は1日の3分の1以上。生きる為・食べる為だけに働くのではつまらないし、会社にいる時間だけでも楽しくやらないのは損ですよ。
仕事がおもしろいって人間が集まると、おもしろいものができてくる。どうしてもね、メーカーって同じルーティンでやってしまうんです。ひとつ技術があると深く掘りすぎる。だから、知の深耕だけでなく、やったことのない新しい分野の“知の探索”をしなさいと社員にはよく言っています」。さすが、「社訓・おもしろ会社」だ。
さびしんぼナイト Photos via 相模ゴム工業
相模ゴムの開発室。この小さな開発室からすべてがはじまっている。
創業時からサガミが世の中に伝えたい、コンドームの役割
避妊法と考えればコンドームだけじゃない。ピルや避妊インプラント、体内で避妊をコントロールするマイクロチップも現実的になっている。だが、義務教育の保健体育でもイラストつきで学習したように、コンドームだけが避妊と「性感染症予防」を両立できる。
これはサガミがコンドームを作り続ける理由だが、創業者松川サクの頃より変わらずに大切にするコンドームの役割はもう一つある。
「『家族計画』です。コンドームは避妊するための道具でもありますけど、『どのタイミングで子どもを作るか』というための道具でもあるんです。あまり早すぎても育児放棄、虐待に繋がらないか。とも働きするにはどのタイミングで保育させるか。そういう、自分や家族の人生のタイミングを考えるのが、コンドームの最大の役割なんです」
個人の生き方が多様化し自由になったいまは、計画的に作るというよりも、子どもを作るか、作らないかの二択が目立つ。ひょっとすれば筆者の世代にはオールドファッションなものに映ってしまう価値観は、新鮮ではっとした。コンドームは新しい命を避けるものではなく、「いつ産むか」考えるためのもの。
コンドームがあるんだからいつでも愛し合えよ、でも自分の人生と、それからパートナーと子どもを大切にできるときを見極めろよ。大跡がコンドームを通して若い人に伝えたいのはここだ。
若者よ、街に出よ。人に触れよ
約80年にも渡り日本の性を支え続けるコンドーム会社の社長は、セックスをしない「草食系」ともいわれる、筆者ら若い世代のセックス観についてどう思うのだろう。
コンドーム使用者の多くは20代から30代だが、コンドームの出荷量は最盛期の1980年代の半分まで落ちている。
「少し、臆病になっているかもね。セックスもだし、人に接することに」と大跡。
世の中が大きく変わって、セックス以外にも楽しいことが溢れている。人と接しなくてもいい社会ができ、仕事もパソコンがあれば家でできる。公園で遊ぶ子どもの数も減った。
「でも人間って集団で生きる動物で、それを望んでいると思う。だから、セックスをしよう、その前に愛そう、恋しよう、人と接しよう、そう考えてもらうこと。我々はそこからはじめないといけない。いくら『いいコンドームですよ!』って連呼して売っても、どうしようもないんですよ」
OEMを脱却してユーザーの顔が見えるようになったのがこの仕事の一番の醍醐味だと大跡は話す。数々のプロジェクトもサガミのメッセージをもって若者に接点をもつためのものだ。
大跡自身の青春時代はというと、「むしろ逆だった」という。内向性で、映画が好きで一人で本を呼んでいるほうが好きな青年だった。
「でもね、仕事が変えてくれましたよ。いまの若い人に言いたいこと…。『書を捨てよ、街に出よ』ですね。スマホいじって終わり、顔も合わせずに終わりではなくね。自分の言う通りになんてみんななりゃしないんですよ。でもね、犬も歩けば棒に当たるんです」
Sagami
Photos & Text by Takuya Wada
企画編集 : HEAPS Magazine