「その日、ハバナの街角から音楽が消えた」ー各紙がそう報じたあの日。昨年11月25日、キューバ革命の父フィデル・カストロが逝去した日だ。
キューバの代名詞、サルサの陽気なリズムや酒場のざわめきは止み、その日からキューバは一斉に9日間の喪に服した。国民から愛された社会主義リーダーの死。なにかひとつの時代の幕が閉じたように誰しもが感じただろう。
その日から時計の針を引き戻すこと二週間前、まだカストロ在りし頃のキューバ。なんら変わりない7日間のストリートを偶然にもカメラにおさめていた男がいた。
それがある時代の終わりとも知らずに
カストロ没14日前、首都ハバナのストリートでカメラを構えていたのはAliocha Boi(アリオチャ・ボイ)。パリを拠点に報道写真やストリートフォトを専門とするフランス人フォトグラファーだ。
「キューバに降り立ったのは、あれがはじめてだった」
自分の過去作品を展示していたハバナのギャラリーに招待され、25歳の若手写真家はふらりとハバナ行きの飛行機に。現地のストリートに迷い込むと、「目がくらむほどの色彩豊かな建物と人情味あふれる市井の人」。レンズ越しにこの街の風景を捉えようと決めるのに時間はいらなかった。
キューバという国は、「カリブ海の赤い島」と形容される社会主義国家。アメリカ・フロリダと目と鼻の先の地理でありつつも、1961年に社会主義政権が確立してから、アメリカとの国交断絶・経済封鎖。資本主義化していく世界に取り残された国となっていた。
車もその昔輸入されたアメリカ車やソ連製のクラシックカー、という時間の止まった空間で生きるキューバの民は外国人写真家をどう迎え入れたのだろう。
「観光地では外国人に慣れている者、小銭をせびってくる者もいた。でも少し喧騒から離れると、もっと素朴な人たちに出会える。『写真を撮ってくれてありがとう』と丁寧にお礼を言ってくる人たちもいたよ。ストリートで写真を撮って感謝されたことなんてこれまでなかった」
目を狂わせる街の色、陽気なストリートの民、力強い少年の目
「他国とは隔絶したコミュニティでキューバの人たちは互いに助け合い、“ストリートでも賢く楽しく生きる術”を備えているんだ」
写真家のお気に入りは、ベッドの上でタバコを燻らせ恍惚の表情の元ボクサー。現役時代の栄光を忘れまいとて身につけているのか、アディダスのスポーツシャツがまばゆい。
写真家が惹かれたのは、色の花が咲いたかのような街並みやストリートで出くわす自然体の人、それに、さまざまな眼差しをした子どもたちだ。彼らのときに無垢な目、楽しそうに細める目、恥じらいを含んだ目、またあるときは何かを訴えかけるような強い目に魅了されていった。「たとえばこの少年。プライドと決意が同居したような眼差しが印象的だった」
両手に持ったサンドイッチを見つめる少年や、かくれんぼのように塀から頭を出す少女、学校の遠足なのだろう楽しげに大きく手を振る学生たち。色彩のコントラストと同じく強い子どもたちの視線の先に広がる空間には、決まって哀愁が漂う。
キューバという閉ざされた国に生まれ成長してきた彼らは、何か芯の通った精神で支えられているのかもしれない。
市井にしっかりと溶け込んでいた「カストロの存在」
キューバ革命の英雄カストロの存在は、誰彼の生活に息づいていた。通りの壁、地元民のTシャツ、家の中。
先ほどの元ボクサーの居間を訪れた写真家は、「ミュージアムのようだった」と言う。壁一面に、カストロの肖像画や切り抜き、キューバ革命時代のカストロの戦友で映画『モーター・サイクル・ダイアリーズ』でその半生が描かれたチェ・ゲバラの写真やポスター。それは、ある者が聖母マリアのイコンを、またある者が好きな俳優のブロマイドを飾るように掲げられている。
「彼とは、カストロのことやキューバの政治について一切話はしなかった。でも壁の写真たちを見るだけでカストロに対する彼の畏怖や敬意の念が感じられるだろう?」
1週間の滞在を終え帰国した写真家の耳に程なくして入ってきたのが、カストロの訃報だった。そのとき写真家は「あと数週間長く滞在していたのなら、国民的英雄の喪失に沈む街のまたとない雰囲気を撮れていた」と感じたという。
2015年アメリカと国交正常化、2016年フィデル・カストロの死。キューバは着実に変わろうとしている。輸入制限がなくなれば街には外国製品があふれ、観光客が通りを闊歩し、商業化した建物が立ち並ぶ日もそう遠くはない。
革命の父がいたキューバ最期の風景。写真に映る力強い目線の少年が大人になる時代には、キューバはどのようになっているのか。
All images via Aliocha Boi
Text by Risa Akita