「次、どこ行こうか」80年代の米国田舎町、ティーンの日常。自転車、悪態、親のいない夜。束の間のエキサイトメントを繰り返した

15歳から当時珍しいビデオカメラを回して。人生のランダムな瞬間を捉えた、世界で一番気の抜けた文化遺産。
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「小さな町の退屈したロックキッズが、ネットやスマホなき時代にやっていたこと」。

1980年後半から90年代にかけてのアメリカ。田舎町。15歳、ティーン真っ盛り。そばに携えたのは、当時まだ珍しかったビデオカメラだった。いつもつきまとう退屈と、一周まわって素晴らしいナンセンス、その場限りの線香花火のような興奮の末に撮れてしまった、二度と戻らない平日と週末。

80年代を舞台にした青春おバカコメディ映画のような(そしてもっとおバカでリアルな)日常が、30年の月日を経て、埃をかぶったVHSテープから再生される。

ティーンネージャーの昼間と夜と深夜の記録
My VHS Home Videos 80s 90s

 わらわら友だちを招いてのハウスパーティーや深夜のコンビニでの悪ふざけ、手作りホラームービー、廃墟となった空き家を破壊、親がいない夜、ある週末、ガールフレンドとそのルームメイトのアパート訪問、自分のポスターだらけのベッドルームツアー、裏庭に建ててもらった自分と友だちの基地、木登り、独立記念日パーティー、町をだらだらドライブ、初めての髭剃り、ある日のハイスクール、警察に車をとめられる、スケボー、マクドナルドのドライブスルー。どうしようもなくどうしようもないティーンネージャーの日常が、当時の映像で覗けるユーチューブチャンネル『MY VHS HOME VIDEOS 80s 90s 00s』がある。映像はすべて、ワシントン州の田舎町に生まれ、いまは首都シアトルに住むレン・エンダースが撮った。




当時のレン・エンダース。

 1970年生まれ、現在50歳。チャンネルでは、16〜19歳だった1980年代後半から、20代前半を過ごした90年代前半までのホームビデオを、4年前からアップロードしている。BGMは常に、80年代量産型ハードロックやヘアメタル、トップ40ロック、あるいは「Fuck(クソ)」「Shit(クソ)」「Son of a Bitch(クソ野郎)」「dick(クソ野郎)」「Fuck off(失せろ)」「Fuck Yourself(失せろ)」の語彙少なめの悪態ダイアログ。
 バッドマンや13日の金曜日のジェイソン、アイアン・メイデン、モトリー・クルー、コーラ、キャンディーバー、当時のティーンに人気だった自転車BMX、友だちとスプレーペイントしたオンボロの中古車(人生初の車)。70年代のテキサスにある田舎の高校を舞台に夏休み前の最後の登校日を描いた、ティーンのセックス、ドラッグ、ロックンロール映画『Dazed and Confused(邦題:バッドチューニング)』を思い出す(青春映画好きにはぜひ観てもらいたい映画。今回の取材でもレファレンスとして多出する)。

 今回は、弊誌の写真から社会や文化を覗く「フォトグラフィ・テリング」の特別版、「Videography-Tellingビデオグラフィ・テリング」。当時のビデオブログで撮りためた当時の田舎町のティーンの生活を再生したい。ビデオに映っているみんな、まさか30年経って、あの時言った言葉やあの時の表情が世界のみんなに観られるとは、思いもしなかっただろう。

HEAPS(以下、H):『Dazed and Confused』みたいですね。

Len(以下、L):あの映画、すっげぇ好き。

H:ロックンロールに、深夜のコンビニ、退屈した果ての友だちとのくだらないおふざけ。変哲もない日常を撮ろうとしたのは?

L:最初は、友だちとホラームービーを撮ろうと思ってたんだけど、俺が“鬼”監督で仕切りまくったら、みんなそんなのおもしろくないと怒っちゃって。じゃあ、週末遊んだときにカメラも持っていくかと。これといった理由はなし。

H:ビデオカメラは借りものだったそうで。当時、一般的な家庭にビデオカメラはなかった?

L:いや、まったく。90年代になると、だんだん家庭にも浸透してきたけど、80年代、ビデオカメラは贅沢品だった。まわりの友だちやその家族も持っていなかった。1000ドル(約10万)以上、当時の価格だととにかく高かった。地元のビデオ屋でレンタルしていたからそこで借りて。1日5ドル、週末で20ドルくらい。薪木集めとか親父の手伝いをして、お駄賃もらって、週末借りて、撮れるだけ撮った。

H:映っている友だちには、気恥ずかしそうだったり、バツが悪そうな人も多い。

L:驚いたり、隠れたりね。

H:いまじゃ、みんな写真も動画も撮られ慣れている。日常に「撮影」がある感じ。やっていることをドキュメントしなきゃというプレッシャーさえ感じることも。

L:すべーてのものを撮らなきゃ、って感じだよね。それにいまじゃ通りの真ん中でユーチューブの撮影をしていても誰も気にしないでしょ。

H:当時のビデオでは、通りすがりの人たちがビデオカメラの存在を見て怪訝な顔をするのも耐えている。

L:正直、あの頃のビデオカメラは大きくて、ワイヤーやらバッテリー電源やらもグルグル手に抱えて運んでいたから、これが目の前に来たらちょっと驚くよね。

H:自分たちがやっていることをドキュメントするという行為は、普通だった?

L:普通じゃなかった。俺自身、とりあえずなんでも取っておく変な性質があって、思い出として写真やメモをキープしていたんだ。高校時代のバインダーを振り返っているビデオ、観た?

H:これか(バインダーの表紙の落書きになぜか「日本」という漢字が 笑)。

L:みんな「なんで高校の時のバインダー、まだ持っているの?」って驚くんだ。バインダーには
メモや宿題が挟まっている。こういうのを切り取って、箱に入れて、忘れちゃう。

H:華麗なる収集癖。撮りためたビデオテープも同じ末路に?

L:箱にしまって、引き出しや屋根裏部屋へ、ポイ。忘れちゃった。2007年ごろにVHSテープをデジタル変換できるツールをゲットして、1年かけてVHSをDVDに移行した。30年間、一度も観られることがなかったテープ。70本から80本くらいあった。

H:1本のテープでどれくらいの時間、撮影できたんですか。

L:2時間くらい。画質を下げてもっと長く撮ることもできたけど、ひどい質になるからやめた。

H:当時のティーンは、ビデオカメラを欲しがった?

L:そんなでもなかった。手の届かない物だったから、(手に入れること自体)あまり考えもしなかったかな。いまのキッズはみんな携帯でカメラを持っているし、編集スキルもある。TikTokをしたり、クリエイティブなことができる。でも当時は、カメラに触れる機会がなければ、手に入れようとさえも思わなかった。映画製作とかに興味がある人は別だったと思うけど。平均的なティーンは、別にって感じだった。



H:そして平均的な“田舎”のティーンの生活が、ビデオにはそのまま映されています。

L:文字通り、なーんにもすることがなかった。いまみたいに、携帯ですぐに友だちと繋がれるわけでもない。まずは彼らが家にいることを願って家電にかけて、ある時間にある場所で落ち合う約束をして、その場所に行って、彼らと会えることを願って、もし会えなかったら、ほかにやることを探すしかない。

H:行き当たりばったり。

L:俺らの町は『ストレンジャー・シングス』みたいだった。1日中自転車で駆けまわったり、木に登ったり、縄でブランコ作ったりして、そこで何時間も時間を潰す。ハイティーンになると、パーティーしたり、(金属製の)ビールの樽を持って、森やビーチで焚き火したり。『Dazed and Confused』で、みんなムーンタワー(町の照明塔)に登ってパーティーしたように、町の変わったスポットでパーティーしたりする。

H:町中をひたすら自転車で乗り回すビデオの「Now where should we go?(次、どこ行く?)」という発言が、すべてを物語っている。このビデオでは、暇すぎて、空き瓶をただ岩に打ちつけるシーンもある(笑)。なにもすることがないとき、結局行きつくはめになる場所などありましたか。

L:ビーチや小川。川沿いを何マイルも歩いたり、自転車道をずっとずっと走らせたり。オートバイを持っている友だちの後ろに乗せてもらうこともあった。家の近くにあった、ジャックポットという小さなフードマート(コンビニのようなもの)も、ハングアウトスポットだった。店の前に座って、店に入っていく人たちを眺めては、「ヘイ、調子はどう?」と話しかけたり。


H:町中をだらだら車で回っているビデオもありますね。車から通行人に向かって卑猥な言葉を叫んだり、と若気の至り満載。

L:理由もなく迷惑行為をしてたよね。ムカつくことを叫んでみんなの反応を見る。それだけ。この道は交通量が多い通りで、町のみんなは16、17歳になって運転できる歳になると、夜中に車で何往復もするんだ。何時間も何時間も。で、寄ったガソリンスタンドでたまたま会った友だちに「あそこでパーティーやっているみたいだぜ」と聞いて直行するまでね。

H:カーステレオからはスレイヤー(80年代の米メタルバンド)。当時の田舎のロックキッズは、どうやって音楽を聴いていたんですか。 

L:地元のロックラジオ局を流していた。メタルはあんまり流れなかったけど。雑誌はいつもチェックして、新しいバンドについて情報収集していた。ビデオにもあるけど、地元のレコード屋で、ジャケットがクールだと思ったレコードにお小遣いをつぎ込んでいたよ。どんな音かもわからないのに。

H:お小遣いがパーになる可能性もある。大きな賭けだ。

L:その通りで、不発弾もいっぱいあった。家に帰ってプレーヤーにかけて、なんだクソみたいだな、とボラれた気分になったことも多かった。あと、友だちとカセットテープ交換もした。ときどき、お金が貯まったらシアトル(ワシントン州の首都)に行ってレコードストアや服屋を回った。

H:MTVも観ていた?

L:小さな町だったから、放送されていなかった。これは本当にサイアクだった。夜や週末の音楽番組はあったけど、24時間はなかった。その代わり、ビデオ・ヒッツという、新しい音楽ビデオをトップ10形式で流す番組を、毎日学校から帰ってきたら見逃さないようにしていたよ。ポップ寄りで、もっとメタルが聴きたかったけど。鍵っ子って知ってる?

H:もちろん。鍵っ子だった?

L:80年代、共働きも増えて、本当にたくさん鍵っ子がいた。俺も学校から帰ってきたら家には誰もいなかった。家の雑用をして、宿題して、親が帰ってくるまでずっとテレビを観ていた。当時の子どもたちは、テレビカルチャーと一緒に育った。

H:当時のカルチャーといえば、ポスターカルチャーも。ビデオでは、バンドポスターで埋め尽くされた自分のベッドルームを紹介しています。ポスターは、自分のアイデンティティを提示する視覚的な表現ですよね。

L:メタルヘッズのベッドルームには、クールなロックバンドのポスターがないとダメだった。自分が好きなものをすべて壁に貼りつける。



H:あと、一番青春っぽいなと思うのが、親が外出して不在のある週末を撮ったビデオ。親のいない家に友だちを泊めて(悪ふざけしながら起こして)、昼下がりに町の中心地までだらだらとドライブして、ビデオストアに入って、帰ってきてレコードかけて、マクドナルドのドライブスルーでコーラを買って、家に戻って、楽器を弾いて、1日を過ごす。当時のティーンにとって、親のいない週末はなにを意味していましたか。

L:親がいない週末は、この上ない自由で、それはそれは一大事だった。ティーンみんなが夢見てたこととも言えるね。親が次の日まで帰ってこないとわかったら、即、友だちを呼ぶ。ただし、後から親に絶対にバレないように、証拠隠滅は抜かりなく。誰も呼ばないようにと言われたのに、ゴミ箱にビール瓶の山が残っていたり、家が汚くなっていたら、それ相応の罰を受けるからね。

H:親の居ぬ間にホームパーティー、翌朝には家がめちゃくちゃ。よく青春映画で観るやつですね。ビデオでも、ホームパーティーや祝日のパーティーなど、なにかにつけてパーティー。

L:『Dazed and Confused』でも、親がいないときにパーティーをしようと計画していたのに、親が出発する前にビールの樽が家に配達されちゃって、計画が台無しになったシーンがあるでしょ。あれと同じ。超慎重にこっそり計画しなきゃいけない。友だち呼んで、アルコールも調達して。そこで、アルコールを買うのに快く協力してくれる大人を見つける必要が出てくる。

H:『Dazed and Confused』では、主人公などの高校生とつるむちょっと年上のゴロツキがいますよね。自分よりも年下のグループと遊ぶ、年上の友だちは実際いた?

L:いたよ。特にメタル好きの同年代はあまりいなかったから、同じくメタル好きの同年代の友だちがいない、22歳、26歳の人と友だちになったり年齢もバラバラなグループもあったり。小さな町だったから、ライブやイベントもない。そうやって趣味を通じて遊んでいた。

H:ビデオに撮るのも、というかそもそもやったら絶対ダメないたずらもドキュメントしていますね。フードマートでキャンディを万引きしたり、警察の車に卵を投げつけたり。いま、これらを自分で動画におさめてネットにあげたら絶対バッシングを受ける。

L:バカなパンク(不良)キッズだったね。いまだったら、誰かに撮影されて、ネットで拡散されちゃうね。ビデオのなかにも、ふざけすぎていたり、NGワードを発しているものもあって、そこは編集で削除した。

H:(汗)

L:俺と友だちは、町の親からの評判が悪かった。小さな町だと、みんながみんなを知っていて、みんなの親を知っている。「あいつらと遊んではいけない」「ピアスをあけていて、ロックTシャツやスタッズのファッションをして、メタルを聴いている変なヤツだ」「悪魔崇拝者に違いない」「絶対クスリをやっている」と思われていた。実際、俺自身、アルコールさえ飲んでなかったのにね。親からは、警察のお世話には絶対になるな、飲酒やタバコもやるな、と言われていた。

H:一番、80年代の雰囲気を象徴するビデオは?

L:アーケードゲームをやったり、レコードショップやビデオストアを回るビデオかな。これほど80年代っぽいものはない。

H:ビデオのなかには再生回数50万回以上のものもありますね。コメントを見ると、「もう戻ってこないあの時代、ホームシックになる」や「同じ年代にティーンだったけど、まったく同じことやっていた!」など、ほかの州や町で育ち同じような思い出を持つ同年代のコメントも多い。ティーン期を90年代のアメリカの郊外で過ごした知り合いも、同じような体験をしたと言っていました。

L:本当におもしろいよね。当時は、SNSもないし、遠く離れた他の町の同年代がどんなことをしてどんな遊びをしているのか知る由もなかった。自分たちが当時やっていたことは、つまらないと思っていたしね。ふつうのティーンがやるような、ふつうのことをやっていただけだった。ただ、ホームパーティーやBMXを乗りまわすような、普段ビデオカメラを持ち込まないふつうのことを撮ったというのが、珍しかったんだと思う。

H:みんなの脳内の思い出シーンを、実際の映像として再生してあげた。みんな感謝していると思います。あの頃、退屈は退屈なりにたのしかったんでしょうか。

L:たのしんではいた。けど、何かたのしいことをしなきゃと退屈が背中を押していたような感じ。常に待ち伏せている退屈から逃れようと、どうにかして退屈な状況から抜け出そうとしていた。ただ座ってダベっているだけではつまらない。どこ行こうか? じゃあビデオカメラもあるし、自転車でそこらをまわってみるか。なにかおもしろいことが起こるかもしれないしって感じ。



H:どれくらい暇だったんですか。

L:家でテレビばかり見ていると、親に「外に行って遊んでこい」と言われる。でもなにもすることがなくて、ただほっつき歩いて、やることを探す。

H:ボーイフレンドやガールフレンドがいる人は、別ですかね?

L:恋人たちも、退屈していた。俺の家に友だちが泊まりに来て、なにもすることがないから、ただ座ってラジオを聞いていた。で、頭のなかに浮かんできたこと、なんでもいいから口にする。ただただ座って「超退屈なんだけど。サイアク」「俺も。なにかやることある?」。この会話、なんどもなんどもした。バスの停留所で待っているときも、いまみたくスマホはないから、赤の他人とベンチに隣り合わせで座って、なにも言わずに黙りこくって、じっと地面を見つめているだけ。それが普通だった。

H:ティーンにとって退屈とはどんなものでしたか。

L:なにがなんでも避けたいもの。究極のサイアクネス。どうしたら暇を潰せるかを考え、退屈から脱出する方法を思いつこうとしていた。

H:ビデオのコメントを見ると、いま16、17歳のティーンが「この時代(80年代)にティーンを過ごしたかった」「こういう生活、いいな」と言っているのが印象的でした。
 
L:みんなに「うわ、こいつバカじゃん」って嘲笑されると思っていたから、「こんな時代に生きてみたかった」という現役ティーンの反応には驚いた。

H:なんで彼らは憧れを抱くんだろう?

L:SNSからのプレッシャーがないからじゃない? いつも最高の時間や人生を過ごしている、と見せなくていい。マヌケなキッズとして、そのままでいていい。自分がマヌケだってことすら、考えない。

H:あと、なんとなく思ったのですが、当時のティーンは、諦めがいい気がします。なかったらないでまあいいや、というか、あるもので我慢しよう、というか。『Dazed and Confused』の有名なセリフ「It’d be a lot cooler if you did(もし〔マリファナを〕持っていたら、超よかったけど〔なきゃないでいいや〕」のような。

L:まさにそんな感じ。いまは、なんでも欲しいものが手に入る。オンラインで今日オーダーすれば明日には届いているよね。あの頃は、まあ欲しいものが手に入ればクールだけど、もしなくてもしょうがない。現実を受け止めて、あるもので我慢しようって感じだった。今日過ごせる場所がベッドルームだったら、じゃあ、絵を描こうとか。あまり選択肢がない方が良かったりもする。

H:当時ティーンとして、なにが欲しかった?

L:ただたのしいことをしたかった。退屈な時間を潰せるなにかが欲しかった。

H:コメントには「ビデオから“匂い”が漂ってくる。タバコ、ウィード、90年代のバイブス」というのがあります。このバイブスってどんなことだと思いますか?

L:ヘアスタイルやファッションじゃないかな。マレットヘア(襟足だけを長く伸ばした)とか。

H:具体的な答えですね。地元の床屋でこの髪型に?

L:地元のヘアサロンでね。当時は「マレット」という名前がなかったから、「フェザード(鳥の羽。ハイレイヤーをかけた髪型)みたいにして」と注文していた。同じヘアスタイリストに、友だちも俺もお世話になっていた。

H:みんなとはちょっと違う感じにしたり?

L:いや、みんな友だちと同じ髪型にしたがった。俺は友だちの髪型と同じにしてほしいと言い、友だちは俺の髪型と同じがいいと言う。それでみんなで同じ髪型にして、同じようなシャツにパンツにする。お揃いにして、ギャングというか、同じグループだぜって、そうしたかったんだよ。

Interview with Len Enders

All Photos via Len Enders
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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