「最近の若いのは…」これ、いわれ続けて数千年。歴史をたどれば古代エジプトにまで遡るらしい。みんな、元「最近の若者は……」だったわけで。誰もが一度は通る、青二才。
ゆとり世代ど真ん中でスクスク育った日本産の青二才が、夏の冷やし中華はじめましたくらいの感じではじめます。お悩み、失敗談、お仕事の話から恋愛事情まで、プライベートに突っ込んで世界各地の青二才たちにいろいろ訊くシリーズ。
青二才、十二人目「まったく興味がないうえに、これっぽっちもアーティストと働く機会がなかったから、「思い切ってやめて、独立しちゃおう」って(笑)」
どうも、青二才シリーズです。令和になったからってわけじゃないけど、春の青二才祭りをやってます。なんだか急に暑くなってきているけど、ひどい花粉症が続いているあいだはギリギリ春ってことでもいいですよね。
青二才十二人目は、ロイヤ・ザックス(Roya Sachs)、27歳。「うちの実家のリビングは世界一、居心地の悪いリビングだと思う」なんて笑い飛ばすこちらの彼女は、祖父は写真家ギュンター・ザックス(Gunter Sachs)で、父は著名なアーティスト / デザイナーのロルフ・ザックス(Rolf Sachs)という、生粋のアート一家出身なんです。これだけでも十分お腹一杯になれそうだけれど、2017年には当時弱冠26歳にして、マンハッタンのランドマークの高層ビル「LEVER HOUSE(リーバ・ハウス)」のアートキュレーターに抜擢。あれ、アメリカの国家歴史登録材にもなっているビルらしいです。それだけでなく、今回取材場所に指定された会員制のラグジュアリーコワーキングスペース「Spring Place(スプリング・プレイス)」のアートディレクターとしても活躍。と、この歳で凄まじいキャリアを築いている彼女。
他のインタビューに目を通してみると、基本的に家族に関するお話は一切ナシ。踏み込みんだら「気を損ねてしまい、序盤で取りやめなんてこともあり得るんじゃ」なんて、恐る恐るインタビューに臨んだ取材陣だったが。蓋を開けてみれば、膝を突き合わせて何から何まで喋り倒してくれました。はい、「(元)青二才・アートキュレーター、ロイヤのあれこれ」。
HEAPS(以下、H):いやー、それにしてもここのアートディレクションをしてるって、どエラいことですよ。そこに掛かってるバーバラ・カステンもロイヤが選んだの?
Roya(以下、R):そうそう。それから、企業とのパートナーシップだったり、コラボレーション、あとはここで開かれるイベントなんかにも携わってる。言ってしまえば、コンサルタントね。
H:今回はLEVER HOUSE(リーバ・ハウス)のキュレターってことで取材を依頼したんだけど、手広くやってますね。お仕事については少し後ほど伺いたいのだけど、まずはロイヤがいまのキャリアに至るまでのことについて教えてほしい。お父さんはデザイナー/アーティストのロルフ・ザックス、おじいちゃんは写真家のギュンター・サックスっていう、生粋のアートファミリーで育ったわけだけど、ぶっちゃけどんな幼少期を過ごしたの?
R:生まれはミュンヘン、14歳まではロンドンで育った。上にお兄ちゃんが二人いて、まあとてもアーティスティックな環境で育ったわ。ちなみに母親は小説を書いたり、アートブックなんかに寄稿する著者ね。
H:ザ・アートファミリーですね。幼少期に自分の家族はつくづくアートワールドだなと思った経験とかある?
R:思うに、実家のリビングは“世界一居心地の悪いリビング”だと思う(笑)
H:詳しく教えてください。
R:うちの両親は、趣味で椅子を集めていたんだけど、椅子っていうけどどれもこれもいわゆるアート作品で、どれにも座ることを許されてなかったの(笑)
H:しょっぱなからすごいのきました(笑)。ちなみにご家族はロイヤが小さな頃から、クリエティブな分野に進んで欲しかったんだろうか?
R:うーん、そうだったと思う。 人生には、自分がクリエイティブなタイプの人間か、またはそうでないかって感じさせる機会が折々であると思うんだけど、私は小さな頃から、自分をクリエイティブな人間だと思っていた。アート作品が側にあることは居心地のいいことであり、同時にインスパイアを受けるものだって子どもながらに感じていたかな。
Spring Placeで、アートが飾られた会議室を選んでくれたロイヤ。
H:じゃあ小さな頃の夢っていうのも、アート関連の仕事につくことだったんだ?
R:まさか!(笑)。小さい頃はそれこそ、女の子なら一度は持つような憧れがあったもの。10歳くらいでファッションに興味を持つフェーズがやってきたし、「CNNのリポーターになりたい」って思ってた時期もあった(笑)
H:そういう一面もあってよかった(笑)。ちなみにいまロイヤがやってることに繋がる家族との幼少期の思い出ってあるの?
R:テートモダンで2003年に開かれたオラファー・エリアソンの『ザ・ウェザー・プロジェクト』っていうインスタレーションなんだけど、そこに連れてってもらったんだ。12歳の頃かな。太陽を模したインスタレーションで、天井全面鏡ばりになってて、うーん、なんて言えばいいんだろう…..「暖色のオアシス」みたいな感じがあって。 会場に入った瞬間にその空間に体も心も感情もすべてが反応する瞬間を感じて、そんな体験をアートがもたらすことができるんだってことに、心をもってかれちゃったの。
H:ロイヤに改めてアートを意識させるきっかけになったんだね。14歳で、スイスにある名門ル・ロゼ学院に行くわけだけど、そこではアートを勉強してたの?
R:アート、歴史、言語の3つを専攻してた。世界中から国籍も、人種もさまざまな生徒が集まるんだけど、高校生の私にとってはとても貴重な体験になったわ。
H:その後、ニューヨーク大学の芸術学部に入学するため、ニューヨークに渡るね。慣れ親しんだ、ヨーロッパを後にするのは寂しさを感じたりしなかった?
R:昔から、家族から物理的に離れて、 家族とは関係ないことで自分自身のアイデンティティを手に入れることがとても重要だと思っていたのも、ニューヨークにきた理由の一つで。
H:アート一家で育ったがゆえの葛藤はもちろんあったんだね。
R:家族のことをとても誇りに思ってるし、わたしのアイデンティティを語るうえでも家族は欠かすことのできないもの。だけれども、 キュレーターとして自分の声を持つことは、それがアート一家に育った背景があろうがあるまいが、免れないというか、重要なことだよね。
H:おっしゃる通りです。ちなみに、アートキュレーターになろうと思ったきっかけはなんだったんだろう?
R:もともと、高校のときからリサーチなどの“準備作業”の方を好んでいたところがあったんだけど、大学在学中に、写真やコラージュ、スケッチだったり、デザインも一通りやってみたの。そしたら、「この先、アーティストとしてはよくならない」って気づいた時があって。 作品を作ることよりも、モノやヒト、歴史の背景にあるストーリーを学んだり、調べたりすることの方がわたしにとってはおもしろくって。だから、作品のための舞台を作る方が向いてるなって。でもそのタイミングではアートキュレーターになりたいって明確なビジョンはまだ持ってなかったんだけど。
H:はいはいはい。
R:ちょうどそんなことを考えてた時に、MoMAのペインティングと彫刻を扱う部門のインターンシッププログラムを見つけて、大学卒業のタイミングで働きはじめたの。MoMAは。作品がもつ正しい歴史的背景を伝えて、鑑賞する人に学んでもらうことに重きを置いている。正しい歴史的背景を、いかに正しく伝えるか、の重要性を学ぶことができた。ただ、だからこそというのかな、組織的だし階級的だから、何をするにしてもとてもスローペースで。
H:独立心が育っていくわけだ。でもそのあと、サザビーズ*でも働いたんでしょ?
*サザビーズ (Sasaby’s):18世紀にロンドンで設立された最も歴史のあるオークションハウス(競売会社)。インターネット上で世界初の美術品オークションを開催したことでも知られる。メインオークションでは、一晩で300億円以上にものぼる美術品が落札されることも。世界40カ国に90拠点を持つ。現在、本社はニューヨーク。
R:でも2ヶ月でやめちゃった。
H:なんでまた? やっぱりフリーでやりたくなっちゃった(笑)?
R:アーティストと一緒に働きたいと思って入ったはいいものの、配属先はマーケティングだったりブランディングの部署。 まったく興味がないうえに、これっぽっちもアーティストと働く機会がなかったから、「思い切ってやめて、独立しちゃおう」って(笑)。当時すでにいくつかのプロジェクトも抱えていたし、どのアーティストとやりたいかっていうのも明確にあったから。サザビーズでの2ヶ月間で、オークション市場がもつスピート感を肌で感じることができたのは、アート業界がどういうものかを理解する上でとても役立ったけどね。
H:ちなみにご家族は何も言わなかった?
R:母はわたしの決断にとても協力的だったけど、父は「お前正気か? もし将来ミュージアムのキュレーターになりたいんだったら、時間はかかるものだぞ」って。でも親ってそういうものじゃない?(笑)
H:お父さん、さぞかし心配だったんでしょう(笑)
R:もちろんリスクを伴う決断だったとはわかってた。でも、自分が最終的にどうなるかもその時わからなかったし…いち早く何かを学びたいなら、私の場合、自らを崖から突き落とす必要があるから(笑)
H:こうやってインディペンデントアートキュレーターとしてのロイヤのキャリアがスタートしました(笑)
R:もうこれ以上どこにも勤めたくなかったしね(笑)
H:結果的に英断となったわけで。いまではかの有名なLEVER HOUSE(リーバ・ハウス)のキュレーターとして活躍中なロイヤ。きっかけはなんだったの?
R:リーバ・ハウス・アートコレクション(以下、LHアートコレクション)の立ち上げ当初からキュレーターを勤めていたリチャード・D・マーシャル(Richard D. Marshall)が数年前に亡くなり、それから後任がいなくてショーができない状態が続いていて。2016年に、友人と私が共同監督として『Virtually There(バーチャリー・ゼア)』っていうショーを手がけたんだけど、その作品を見たリーバ・ハウスのオーナーのアビー・ローゼンと、アートディーラーでLHアートコレクションをアビーと共同で創始したアルベルト・ムグラビから、アプローチがあって。はじめはゲストキュレーターとして、キャサリン・ベルナールの展示をキュレートしたの。
H:そのゲストキュレーターとして初となる展示が、ものすごく気に入られた?
R:うれしいことにそうだったみたい。前任のキュレーターだったリチャードは、それこそホイットニー美術館とかを手がけた権威あるアートキュレーターだったんだけど、LHアートコレクションは、これまでと違った市場だったりアーティストに精通している“新たな視点”を持った若いキュレーターを探してたみたいで、そこからは正式にリーバ・ハウスのキュレーターを任されることになった。
H:世代交代だね。それにしても大抜擢じゃないですか。
R: ただ、肝心なのは、それまでのリーバ・ハウスになかった“若いアーティストだけを集める”というのではダメで。リーバ・ハウスで行われる展示作品は、すべてリーバ・ハウスのコレクション、つまりリーバ・ハウスが購入することになるんだけど、 若手アーティストだけじゃなく、すでに世の中に知られたアーティストもコレクションしている。だから、さまざまなジャンルのアーティストをいろんな観点からバランスよく、なおかつ彼らがコレクションしたいと思えるものをセレクトしてあげなくちゃいけない。
H:過去には、ダミアン・ハースト(Damien Hirst)、 ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)、バーバラ・クルーガー(Barbara Krueger)、キース・ヘリング(Keith Haring)、トム・サックス(Tom Sachs)、イサム・ノグチ(Isamu Noguchi)など、錚々たる面々の展示が行われてきたけど、ロイヤは最年少かつ黒人で初の展示をおこなったレジナルド・シルベスター・Ⅱ(Reginald Sylvester II)をはじめ、手がけた4つの展示のうち3つはマイノリティアーティストと、見事に新風を吹き込んできたわけだけど、それは意識してのこと何だろうか?
R:確かに言われてみればそうね(笑)。あまり意識はしていなかったかも。
H:無意識的にっていうそれこそが「新たな視点」なのかもね。アーティストを選ぶうえでの基準は?
R: 「私が考えるリーバ・ハウスがコレクションすべきアーティスト」と「実際にリーバ・ハウスがコレクションしたいアーティスト」、それから「リーバ・ハウスという特殊なスペースにうまく作用するアーティスト」という観点が基準になってくる。リーバ・ハウスって、強いアイデンティティを持ったアイコニックな建築だから。通常のギャラリーや美術館と違って、ガラス張りになっているから、作品が360度丸裸になれば、展示は24時間年中無休状態。だから日の光や暗闇も考慮しなくちゃいけなし、屋内と屋外それぞれのオーディエンスといかにコミュニケーションをとるのかを考えなくちゃいけなくて。通常のギャラリーや美術館とは異なるアプローチが必要になってくる。
H:そういうことも考えなくちゃいけないのか。
R:リーバ・ハウスで展示をおこなうっていうのは、一流・若手問わず、アーティストにとって簡単なものではないけど、興味深い挑戦であることは間違いないわね。多くの人に見てもらえるという意味で、こんなチャンスはなかなかない。このガラス張りのビルを、1日に20万人以上の人が行き交うわけだから。
H:このリーバ・ハウスという特殊な空間でのエキシビションを作り上げていくのに、アーティストとのやり取りってどんなものなんだろう?
R:たとえば、昨年の暮れまで展示していたピーター・ハリー(Peter Halley)の展示の場合、彼がリーバ・ハウスにきた際に、最初に彼に言ったのが「この建物ってあなたのペイントみたいだと思わない? もし、“あなたのペイントの中に足を踏み入れる”ことができたらどんな何だろう?」って。ピーターを招待すると決まったときに、まず初めに頭に浮かんだのがリーバ・ハウスの構造だったり骨組みが、ピーターの作品を彷彿とさせているなってことだったから。その会話をきっかけに、リーバ・ハウスという建物を、内からも外からもまったく新たな次元のものへと昇華してくれた。
H:外観写真を見ると、リーバ・ハウス自体が彼の作品のように見えるもんね。あっぱれです。他のアーティストのエキシビションの際も、ロイヤはしっかりディレクションをくわえるの?
R:アーティストによってそれぞれかな。これもおもしろいところ。たとえば、幾度もブレインストーミングを一緒に重ねる必要のある人もいれば、この空間にきた瞬間に「もう自分のやりたいことはわかった」ってタイプの人もいて。だから私の役割って、プロジェクト毎にシフトする。 あくまで私の役割はアーティストが描くポイントまで到達することの手助けで、余計な口出しはしない。私が必要とされたとき、私が必要とされたことに対して、対応するようにしている。
H:アーティスト側とリーバ・ハウス側、いったりきたりするのは大変そうだね(笑)
R:まさに!でもそれが楽しくてやってるわ(笑)
H:ちなみに新しいアーティストはどうやって見つけるの?
R:完全に時と場合によりけりね。
H:インスタも使ったり?
R:もちろん。アーティストにとって素晴らしいツールだと思う。自分の作品をより簡単に世の中に見せるっていう点でね。場合によっては、もはやギャラリーが必要なくなってきてるもんね。あとは、エキシビションはもちろん、パフォーマンスだったりライブにもよく行くし、アートフェアも然り。
H:唐突だけど、アートキュレーターとしての挑戦って何だろう?
R:難しい質問ね….(笑)。私にとってみたら、一つひとつのプロジェクトが挑戦だからなあ。ただ、 自分の信念に正直でいること、そしてそれを正しく変換し、相手に伝えること。私にとっては“体験”がものすごく重要なキーワードで、私が手がけるショーはどれも「みんなに反応だったり体験をもたらす」ことに重きを置いている。
私が、自分の役割をきっちり成し遂げれば、観る人に対して、刺激なのか、疑問なのか、アイデアなのか、はたまた色のイメージなのか、何か反応だったり体験をあたえられるはずで。 「どうすれば、観る人に、確かに反応してもらえるのか?」。それがアートキュレーターとしていつも一番自分に問い続けていること。それが一番の挑戦で、一番重要なこと。
H:12歳のロイヤが感じた、「体も心も感情もすべてが反応する瞬間」を、28歳のロイヤは作る側になった。輝かしいキャリアを持ったロイヤだけど、プレッシャーを感じることもあったかと思うんだけど。
R:そうね、自分自身で何か新しいことをはじめた時には間違いなくプレッシャーはある。誰も何が正しくて何が間違いか教えてくれる人がいないから。失敗から即座に学べなきゃいけない。ただ、私はプレッシャーとリスクって直結してると思ってて、インディペンデントであればなおさら、毎回リスクを背負うわけなんだけど、リスクを背負うことでいつも気を抜かずにいられるじゃない。自分の立ち位置であぐらをかかないというか。リスクを取ることで、新たなことへの挑戦にも自信がつくから。だからプレッシャーってとても大事なことだと思うの。
H:でも時にはプレッシャーで眠れない夜とかもあったでしょ?
R:もちろん。眠れない夜はたくさんあった(笑)。3ヶ月くらいまともに寝れない日々が続いたこともあったし。
H:はたまたどうして?
R:さっきの、友人と私が共同監督として手がけた『バーチャリー・ゼア』が、これまでの人生で一番プレッシャーを感じたときかな。ブラジルからカンパーナブラザーズが衣装担当で来てくれて、音楽はフランスのアンダーグランドシーンで活躍するアーティストが担当、ステージはホイットニー・ビエンナーレ*に選出されたアーティストがやってくれたりと、集まってくれた30名のコラボレーターが、当時のわたしたちにとってビックネームすぎて。それに、30名の表現者を一つの空間に入れるって、何が起こるかまったくの予測不可能だったわけ。これまでのキャリアで最も難解かつ、荒々しい体験になったけど、ある意味最もやりがいのあるプロジェクトになったわ。ただ、もう一度いうけど、3ヶ月間はまともに寝れなかったけどね(笑)
*2年に一度、ホイットニー美術館で開催される、アートシーンの最先端を紹介する祭典。新進気鋭のアーティス作品が展示される。
H:ロイヤにもそういう青二才的な経験がありホッとしました(笑)。かなりいまさらだけど、ロイヤが思う「アートキュレーター」の定義って何だろう?
R:私が思う「アートキュレーター」は、人、アイデア、場所を繋げられる人だと思う。全体のコンセプトと一つ一つのピースが一体となるように監督すると同時に、アーティストが思い描くビジョンに忠実になれるような環境を整えてあげられる人。
H:いまではアートキュレーション以外にも、ここ「Spring Place(スプリング・プレイス)」のアートディレクション、それからパフォーマンスアートを専門にしたオーガニゼーション「Parforma(パフォーマ)」のメンバーも兼任してるけど、それぞれの仕事がいかに相互作用しているんだろう?
R: 異なる3つの役目があるのはとてもいいことね。いい意味で一歩引いて別の視点で見ることを強いられるから。より良い判断だったり問題解決ができるようになるの。一つのことだけをしていると、どうしても外部の視点って得られないから。
H:寝る暇もないくらい忙しいんじゃない?(笑)
R:「もう退職してメキシコにでも・・・」って言いたいところだけど、でも基本的に7時間は睡眠とるようにしてる。最低7時間は寝ないと再起不能(笑)。
H:ロイヤ以外にも「アートキュレーション」を生業にしている人が世の中にはいると思うけど、ロイヤにしかない強みってなんだろう?
R:キュレーターって職業って競争的じゃないというか。それぞれに得意分野というかスタイルがあるじゃない?
H:ロイヤのスタイルを言葉でいうと?
R:「大きいスケールでの経験的パフォーマンスアート」かな。そういう意味で、ギャラリーやミュージアムに所属しているキュレーターだったり、新鋭アーティストを専門にやってるキュレーターだったり、はたまた20世紀初頭の日本の陶芸を専門にやってる人たちと比べようがないというか。キュレーターはみんなお互いをサポートし合ってるわ。
H:アートキュレターとして、今後新たに足を踏み入れたい分野はある?
R:イマーシブ・シアター(体験型演劇)の分野に足を踏み入れたいの。アートとイマーシブ・シアターがいかに連携するのかやってみたいと思ってるわ。
H:いつか、お誘いお待ちしてます! 実際、これまで「アート一家の出身だから」っていうようなロイヤに対する他の人からの先入観を垣間見ることもあったと思うんだけど、そういう部分にどんな葛藤があったんだろう?
R:「自分自身の声を確立すること」、そして「家族背景を抜きで私の作品が評価されるようになること」この二つはこれまでずっと念頭に置いてきた。最初にも言ったけど、それがアート一家に育った背景があろうがあるまいが、今後やっていくためには自分の声を持つことは免れないわけだけど、それをみんなに理解してもらうのには苦労したかな。それに実際、両親がやってることや、祖父がやってたことと、まったく異なる方向に進んでるわけだし。 いま、自分で自分の場所を見つけられたっていうのは、素直にうれしい。
H:並々ならぬ葛藤だよね。でもよかった、本当に。最後に、今後の展望を教えてください。
R:絶えず挑戦を続けて、尊敬するアーティストと一緒にできる機会をより増やしていきたいわね。「We shall see (そのうちわかるでしょう)」。
Aonisai 012: Roya
Roya Sachs(ロイヤ・ザックス)
1991年生まれ。
祖父は写真家のGunter Sachs(ギュンター・ザックス)、父は現代アーティスト / デザイナーのRolf Sachs(ロルフ・ザックス)という生粋のアート一家に育つ。
弱冠26歳で、LEVER HOUSEのキュレーターに抜擢される。
現在はLEVER HOUSEをはじめ数々のキュレーションを手がける傍ら、
コーワーキングスペース「Spring Place(スプリング・プレイス)」のアートディレクションや、
数々のパフォーマンス・アートを手がけるオーガナイゼーション「Parforma(パフォーマ)」のメンバーとしても活動中。
Photos by Kohei Kawashima
Text by Shimpei Nakagawa
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine