青二才、九人目「料理をする。みんなが僕の料理をたのしむ。あとのことは本当にどうでもよかった(笑)」

【連載】日本のゆとりが訊く。世界の新生態系ミレニアルズは「青二才」のあれこれ。青二才シリーズ、九人目。

「最近の若いのは…」これ、いわれ続けて数千年。歴史をたどれば古代エジプトにまで遡るらしい。
みんな、元「最近の若者は……」だったわけで。誰もが一度は通る、青二才。
現在、青二才真っ只中なのは、世間から何かと揶揄される「ゆとり・さとり」。
米国では「ミレニアルズ」と称される世代の一端だが、彼らもンまあパンチ、効いてます。
というわけで、ゆとり世代ど真ん中でスクスク育った日本産の青二才が、夏の冷やし中華はじめましたくらいの感じではじめます。
お悩み、失敗談、お仕事の話から恋愛事情まで、プライベートに突っ込んで米国から世界各地の青二才たちにいろいろ訊くシリーズ。

九人目「料理をすること、そしてみんなが僕の料理や空間をたのしんでいるってことがすべてで、あとのことは本当にどうでもよかった(笑)。」

「たゆえど沈まず」を(勝手に)スタンスに、お世辞でも“不定期”とは言えない頻度ではあるものの、どうにかこうにかながらえてきた青二才連載も、はい、おかげさまで九人目突入です。

青二才九人目は、フリン・マクギャリー(Flynn McGarry)、19歳。その端正な見た目から「料理界のジャスティン・ビーバー」なんて呼ばれちゃったりもする彼は、そうです。シェフなんです。料理に没頭したくて両親にホームスクーリングを嘆願、週5日レストランで働きはじめたのは12歳のとき。シェフとして自宅で月1開催していたポップアップレストランは予約困難な人気ディナーに。この時点で13歳。ここまでのキャリアで非凡さダダ漏れなシェフのフリンだけれど、15歳でニューヨークタイムズの表紙を飾り、なおかつそこで語った「19歳で自分の店を持つ」をビシッと決めて、ファインダイニング「Gem(ジェム)」をオープンさせた恐るべき19歳なんです。
今回は料理界のプリンス(彼がこう言われるのを嫌がるのは重々承知のうえ)との対峙が実現。一度は取材を「フリンの回答をPRが取りまとめて伝えるね」と断られたものの「でも、普段の感じのフリンくんと話したいんだよね!」と食いさがると仕込み前の1時間ほどをくれた。取材中も他のシェフの動きが気になって仕方がない、料理にひたむきな「青二才・シェフ、フリンのあれこれ」。


フリン・マクギャリー。

HEAPS(以下、H):仕込み前、忙しい中に時間をありがとう。料理をはじめたのは11歳のときだったよね?

Flynn(以下、F):詳しくいうと10歳だね。

H:料理をはじめる前のフリン少年って、どんなだった?

F:カリフォルニアの、ビーチの近くで育ったからサーフィンをよくやっていたよ。サッカーも好きだしギターも弾いてた。どこにでもいる少年だったと思う。

H:カリフォルニアンボーイ。

F:父親は写真家で、母親はライター。クリエイティブな環境ではあったかも。だから子どもながらに、“料理も表現”という手段としてはじめた感覚だったかな。

H:他のインタビューで読んだんだけど、「当時食卓に並ぶのはトマトソースパスタばかり。外食もあまりしなかった」というファミリーストーリーはおもしろいなと思ったんだけど。

F:トマトソースパスタにはうんざりしてたのは間違いない(笑)。外食することもあったんだけど、今夜はあそこの三つ星レストランで…なんていうレベルではなかった。

H:僕の場合、うんざり料理がチャーハンで、出てくるたびに冷蔵庫にある調味料を引っ張り出して味を変えようとするんだけど、やっぱり飽きちゃって。逃げ道としてあったのはスーパーの惣菜コーナーでした。

F:まだ料理をしてなかった幼少期、僕の逃げ道はベーグルだったな。そしたらベーグルにめっちゃハマっちゃって(笑)。料理をはじめるようになったのは、うんざりメニューのおかげなんだ。月曜はチキン、火曜はサーモン、水曜はトマトソースパスタ…という具合に、毎週押し寄せるルーティンが嫌で、“ならば、たとえ同じ食材でもどう調理すれば違う料理になるんだろう”って。それで母親の料理に提案してみたり、自分で作りはじめたんだ。

H:当時、10歳。フリン少年はすでにインディペンデントで早熟だね。そして12歳のとき、料理に専念にするために両親にホームスクーリングを頼み込んだんだよね。

F:料理について、学べば学ぶほどもっと学びたい、知りたいって気持ちになって。さっきも言ったように当時はいろんなことをやっていたけど、こんな感情を抱いたのは料理が初めてだったから。

H:それにしても決断が早い。

F:「ルイス! アビーに人参の頭を落として洗うように伝えてくれるかな?」
(突然厨房に向かって)
あ、ごめんごめん。

H:ボス、お構いなく。少しずつキッチンが波立ってきてるね。話を戻して、決してグルメな家族とは言えなかったということだけど、当時、どうやって料理を学んだの?

F:料理本やインターネットからだね。2年間は独学で料理の基本を学んで、ホームスクーリングをはじめてから、レストランで働きはじめた。

H:当時の1日の流れはどんな感じだったの?

F:午前中は少し勉強して、お昼からはレストランのキッチンで働いていたよ。週5日。2日ある休みはどちらとも1日中勉強。

H:友だちと遊ぶこともなく?

F:たまーに。基本的には料理と勉強だったよ。

H:ストイックだね。しかも、ご両親が子ども部屋にキッチンを導入してくれたんでしょ?

F:ホームスクーリングに変えたときに、父親がちょっとした調理台とコンロを作ってくれたんだ。家のキッチンを使うことが多かったけど、自分の部屋という、子どもにとっての“自分だけの世界”で料理に打ち込めるっていうのは心地よかったよ。


H:自室キッチンでいろいろと構想を膨らませたわけだ。その後すぐに、その構想をもとに12歳のときに自宅で月1回のポップアップレストランEureka(エウレカ)をはじめたんだよね。堂々「一人160ドルのコース料理」。人気メニューはなんだったの?

F:エウレカでは、イマジネーションや新たに学んだ技術を試す場だと思っていたから、毎回コース内容をガラッと変えていたよ。基本的には、どのメニューも一回作ったっきり。

H:月1回とはいえ、毎回まったく違ったコース内容を創作するのはおいそれとはいかないと思うんだけど、メニュー作りって滞らなかった?

F:実際の現場(レストラン)での経験もそうだし、暇がさえあればファーマーズマーケットだったりアジア系の市場に足を運んで、知らない食材を見たり触ったり試したりしてインスピレーションを取ってたよ。

H:研究熱心。で、そうこうするうちに13歳で有名雑誌『ニューヨーカー』にフリンの特集記事が出てエウレカは予約困難な人気ディナーに。当時、自分の身の周りに何が起こっているのか理解してたの?

F:僕は、みんなが僕の料理を食べにきてくれることがただうれしかった。だから、料理をすること、そしてみんなが僕の料理や空間をたのしんでいるってことがすべてで、あとのことは本当にどうでもよかった(笑)。

H:その姿勢はいまも変わってなさそう。

F:確かに、これまで一度も自分自身が「有名になりたい」って感覚でメディアに出たことはないかも。メディアに出るのも、料理や空間、そのすべてをひっくるめたひとときの体験に来てもらう、知ってもらうために必要だなと感じたから。あくまで、僕が熱中しているのは「素晴らしい体験を人々に提供すること」だから。

H:あっぱれです。だけど、やっぱり大人を目の前に料理を作ることに多少なりとも動く心はあったんじゃないかな、とも思うんだけど。

F:確かに、見知らぬ大勢の大人が僕の自宅で、僕の作った料理を食べてる光景を見たときは変な感覚ではあったね(笑)。

H:そりゃそうだよね(笑)。エウレカの様子を見たんだけど、レストラン然としたリビングに大勢の大人が整然と座っていたのが印象的だった。

F:毎月一回のエウレカがあるときって、前夜から家族総出でソファーやテレビを出して、机を入れて、って具合にリビングの模様替えしてたよ。

H:サポートしてくれた家族には感謝だね。その後、13歳からニューヨークの「Eleven Madison Park(イレブン・マディソン・パーク)」やシカゴの「Alinea(アリネア)」などの超名門レストランで修行を積んだフリンだけど、同僚は10歳以上、もしくはそれ以上に歳の離れた人たちだったんでしょ?「今日からよろしくお願いします!」ってキッチンに入ってきたのが中学生で、みんなびっくりしてたんじゃない?

F:そうだね、どのキッチンでも初めて入ったときは「えっ?子どもじゃん?」っていう反応は感じた。けど、一度実際の作業に入れば、みんな僕の年齢のことなんて気にしないし理解してくれた。もちろん、あたえられた仕事をしっかり仕上げている限り、だよ。

H:怖気づいたりしたことは?

F:とりあえず学びたいって思いが強くて目の前のことに必死だったから、まわりの同僚が僕のことをどう考えてるかってあまり気にならなかったかも。

H:したたかなフリンくんだけど、そりゃ大きなプレッシャーもあったと思う。眠れない夜、なんてのは?

F:そりゃもう、毎日がプレッシャーだったよ。ありがたいことに、仕事終わりはヘトヘトで疲れて寝ちゃうことがほとんどだったけど(笑)。ただ、この業界はそういったプレッシャーに満ちてるところだから、そのプレッシャーとつき合うのも僕の仕事の一部だと思ってる。

H:15歳で今度は『ニューヨークタイムズ』の表紙を飾り、否応無しに世間からの注目が集まったときはどうだった?

F:なるべく気にしないようにしてたよ。それに、表紙を飾ったその日だって、レストランで15時間のシフトをこなしてた(笑)。どんなに世間で騒がれようとも、自分のやっていることに気持ちを注ぐことに努めたよ。

H:ブレないフリンくん、さすがです。その記事内で「世界一のレストランを作りたい」って言ってたけど、フリン君が考える「世界一のレストラン」ってなんだろう。

F:そうだ、あのインタビューではそんなこと言ったんだよね(笑)。なんでそんなこと言ったかというと、実際には「世界一のレストラン」って存在しないと思うから。達成不可能な目標をあえて設定することで、自分がたゆまぬ努力を続けられる。しいていうならば、「いかに完璧な体験を人々に提供できるのか」をいつ何時も考えて、実行できる店、それが世界一のレストランだと思うかな。「これくらいでオッケー」っていう考えは一切ない。完璧かナシかだけ。




フリンくんの皿。
Photos via Gem

H:すごく職人気質だ。ここで突然素っ頓狂な質問です。家にいるときはどんな料理を作るの?

F:僕のアパートに、実はキッチンはないんだよね(笑)。

H:えええっ、どういうこと!?

F:キッチンのあったスペースをストレージに変えちゃった! だってここにいないときは、僕が作るんじゃなくて、作ってくれるとこに行きたいじゃん。だからここにいないときは、自分自身に料理をすることはないね。もし作るとすれば、とてもシンプルなパスタかな。シンプルなイタリアンフードは僕にとって正義。だから休みの日は素朴でおいしいイタリアン。ここ最近ジャパニーズもよく行くよ。SOBA(蕎麦)にハマってる。

H:蕎麦も素朴な味だもんね。リサーチ感覚っていうよりは単純に料理を味わいに行くって感覚なのかな。「天才シェフ」ともいわれるフリン君にこんなこと聞くのもあれなんだけど、油ギットギトのファストフードとか食べないの?

F:たまに食べるよ(笑)? チャイナタウンにあるポパイとか。

H:!!!フライドチキンのファストフード店にフリンくんいるんだ(笑)!あの角にあるとこだよね?

F:そうそう。あそこのポパイは何か違う。他のポパイよりうまいんだ(笑)。ここにいるスタッフもみんなそう言ってるから間違いないよ(笑)。


H:それ本当(笑)? ちなみにスナック菓子は食べる?

F:プレッツェルは大好き。ちゃんとした食事は夕方の4時にとる一回で、あとは間食で繋いでる。まあテイスティングを一日中やってるしね。

H:休みの日も?

F:休みの日はランチも食べるから、一日2食だ。

H:休みの日にポパイもあり(笑)?

F:休みの日もだし、ここでみんなで食べることもあるよ。みんなチャイナタウンのポパイが大好き(笑)。

H:おつき合いありがとう(笑)。ところでさ、ちょっといまさらなんだけどさ、なんでカリフォルニアからニューヨークにきたの? そういえば。

F:昔からニューヨークに越してきたいって思ってたんだよね。ニューヨークって何をするにも大変な街じゃん? それはレストラン業界もそうで、オープンするにも運営を続けていくにも最困難な街がニューヨークだと思うよ。だから、ニューヨークでやりたかった。

H:ストイックです、本当に。ここも単刀直入に聞いちゃうけど、19歳でお店を持ったフリンくんのお店Gem(ジェム)の開業資金はどうやって?

F:20人くらいの投資家から投資をしてもらったんだ。大変だったよ、資金調達には2年かかった。

H:いちシェフとしてキッチンに立っていたその昔と、オーナーでありスーシェフとしてキッチンに立っているいま、決定的に何が違う?

F:いまの仕事はより料理だったり、お店の全体像を捉えるという感じ。見ての通り大きなお店ではないから、もちろん僕も調理をするけど、どちらかというと味を含めてすべてが完璧に仕上がっているのかを確認する。全体を仕上げる役目の比重が多くなった。

H:自分のお店を持ったフリン君の1日のスケジュールを教えてください。

F:7時に起床して、その日の食材を買いにファーマーズマーケットにいく。いまここにある野菜は今朝ファーマーズマーケットで買ってきたものだよ。その後、溜まっているメールを片付けて、11時くらいからキッチンに入る。後片付けがはじまる午後11時半くらいまではここ(キッチン)にずっといるよ。




H:あ、ということはそろそろ仕込みに入らなきゃだよね。あといくつかだけ!これまで良くも悪くも「若い」って文言がつきまとってきたと思うんだけど、そういう部分について葛藤とかある?

F:言う通り、これまでずっと「年齢的」なものとつき合ってこなきゃならなかった。僕が実際にやっていることそのものより、僕の“年齢的なキャリア”に人々の焦点がいきがちなのは事実だし。それに対してもどかしい気持ちはいつもあった。だけど、15歳の僕にとっては大きな葛藤だったこれも、近い将来、そうだな、25歳の僕にとってみたら関係なくなる。とまでは言わないけど、ネガティブな感覚ではなくなると思ってる。

H:そんな葛藤の一方で、「若いシェフ」であることをどうたのしんでる?

F:日々、僕が大好きなことにものすごい労力を費やせていること。毎日3、4時間睡眠でもへっちゃらなんていまのうちだけだからね(笑)。

H:最後に、フリンシェフ。描く未来を教えて?

F:休みが欲しいかなあ(笑)。あ、言ってみただけだよ(笑)。真面目にいうと、内装も料理も最高級のファインダイニングや、コース料理だけじゃなくて、ほかの分野の料理だったりカジュアルなレストランも将来やってみたいと思ってる。ただ、いまはまだまだジェムが僕にとっての唯一のフォーカスだ。

***
Aonisai 009: Flynn


Flynn McGarry(フリン・マクギャリー)

1998年生まれ。
12歳で料理をはじめ、19歳で自分の店「Gem(ジェム)」でシェフを務める。
今年、米国のサンダンス映画祭にて、自身のドキュメンタリー映画『Chef Flynn』が上映された。

@diningwithflynn

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Photos by Kohei Kawashima
Text by Shimpei Nakagawa
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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