ずっと不安定なミャンマーで。10代から14年間続けたパンクバンド、クーデター後の会話と発信【XVoices—今日それぞれのリアル】

ある状況の一人ひとりの、リアルな最近の日々のことを記録していきます。
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かしこまらないときにこそできる話があって、そういうものは大抵、理想の行数にはおさまらない。これだって取材ではあるものの、いつものより肩の力を抜いて、メモにとらわれず記事のできあがりも気にせず、ただ話してみたらどんなことを聞けるんだろう。
数字のことやただしさも一度据え置いて。もしかしたら明日明後日には変わっているかもしれない、その人が今日感じている手前のリアルについてを記録していきます。とりとめのないことこそ行間の白にこぼさないように、なるべくそのまま。

※※※

 ミャンマーで大きな事変が起こったのは今年がはじまって間もない2月。ミャンマー国軍によるクーデター(「2021年ミャンマークーデター」)だった。

半世紀にわたる軍事政権を経て、2015年、民主化運動の活動家アウンサンスーチー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)*が勝利し、多くが民主化への希望をもったが、数ヶ月前のクーデターにより国軍が政権を掌握、軍による市民への弾圧で犠牲者は増えている。

一方で、クーデター後のミャンマーの民主化運動では、香港などアジアでおこっている一連の民主化運動に合流しながら、若者世代を中心にしたソーシャルメディアでの活動やアートピースを用いた主張などがさかんにおこなわれている。

 一度、HEAPSが別の記事のために取材していたミャンマーのパンクバンド「The Rebel Riot(ザ・レベル・ライオット)」も、誰よりもミャンマーの民主化や自由を願い活動を続けた一人で、今回のクーデターでも積極的に声を上げている。

 バンド結成は、2007年に発生した反政府デモ運動「サフラン革命**」の直後、旧首都であるヤンゴンにて。人口の9割が敬虔な仏教徒であるミャンマーという国において、カラフルなスパイキーヘアに鋲ジャン、スタッズベルトを何重にも巻いた彼らの出で立ちは異様に映ったかもしれない。結成の原動力には、ミャンマーにおける真の民主化による自由の獲得、少数民族迫害の根絶、宗教間における争いの撲滅などがあり、そもそも社会的、政治的な主張を持って生まれたバンドだ。

*ミャンマーにおける民主主義の実現を掲げる政党。2015年に行われた総選挙で8割近い議席を獲得し、新政権を担当。2021年ミャンマー国軍によるクーデターによりウィン・ミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問をはじめ幹部の一斉逮捕により政権を失う。

**2007年に発生したミャンマーにおける反政府デモ運動。多くの仏教徒の僧侶がデモに参加したことから、彼らの袈裟の色にちなみサフラン革命と呼ばれた。日本人記者を始め多くの死傷者をだした。

 ミャンマーにおける社会的な問題と対峙するパンクバンドとして、2012年から16年にかけて3枚のオリジナルアルバムを発表。依然として一定の権力を保持し続ける国軍に対するアンチテーゼ、政治的腐敗によって引き起こされるさまざまな社会的問題、宗教間の対立、偏った教育政策への批判をテーマに、多くのパンクチューンを発表してきた。

 15年には彼らの活動をフィーチャーしたドキュメンタリー映画『My Buddha is Punk / マイブッダイズパンク』(米・アンドレアス・ハルトマン監督)が公開され、全世界のパンクファンに、ミャンマーという国の複雑な状況によって形作られた独自のパンクアティテュードが知られることになる。

 彼らは、2021年ミャンマークーデターが発生した後も主張と姿勢を一貫している。自身のフェイスブックを介し、クーデターを批判する内容のミュージックビデオや、主張と姿勢の表明、クーデターによって引き起こされたさまざまな社会問題をポスト・拡散し続けており、国内の若者層や国外のパンクバンドをはじめ、多くの人々の共感と支援の輪を広げている。

 結成以来、パンクロックを通じてミャンマーの自由を叫び続け、民主政権発足後もその体制に常に疑問を持ち続けてきたバンドは、今回のクーデターをどう受け止め、どのように対峙しているのだろう。バンドのボーカリストでありパンクコミュニティのリーダーでもある、チョウ・チョウ氏にチャットで聞いてみた。


先頭を切るのが、チョウ・チョウ氏。
©KaungKaung

HEAPS(以下、H):クーデター発生から3ヶ月ほど経ったいまでも混乱は鎮まっていないと聞きました。クーデターが発生した日の様子を教えてください。

チョウ(以下、K):2月1日。朝7時ごろに起きたんだけど、まずスマホからインターネットにまったく繋がらない。「なんてこった、なんか変だぞ」と感じて、友だちに何度電話をかけてみても繋がらない。インターネット回線と電話回線が完全にシャットダウンされていたんだ。

H:不穏なはじまりですね…。それが国軍のクーデターのせいだと気がついたのは?

K:すぐに僕の友だちが訪ねてきて、教えてくれたんだ。「国軍がクーデーターを起こした! アウンサンスーチーが軟禁されて、他の国民民主連盟の政治家たちや指導者たちも逮捕されてしまったぞ!」。それを聞いて激しい怒りと絶望がこみ上げてきたね。その友人と、これからどうしたらいいのか相談した。

H:予期しない突然のことだったんですね。

K:どうしたらいいのかまったくわからなくて、結局、その友人との会話も続かずに沈黙だけが流れて。そのうち、彼は家族の様子を確かめに家に戻ったんだ。僕もすぐに近所の様子を見に行った。

H:街の人々はどのような様子でしたか?

K:人々は完全にパニックに陥っていて、食べ物を確保するために食料品店に殺到していたよ。すごく悲しい気持ちになって、自分自身やこの国の若者たちの将来を憂いて…気がついたら涙が流れていた。

H:一夜にして生活が一変してしまった。その後のチョウさんたちの動きは早く、反クーデターデモなどのアクションを次々と起こします。

K:うん、すぐに仲間内のパンクコミュニティでミーティングを開いたんだ。このふざけたクーデーターに対してなんらかのアクションを起こしてゆく、という方向にまとまった。具体的には、軍部のクーデーターに対して自分たちでもデモを起こして、市民の強い連携を見せつけること。そして、革命を起こすために、ミュージックビデオを作ろうと考えたんだ。



H:パンクスでありバンドマンらしい考えですね。

K:僕らは音楽の力を信じている。音楽は、パンクミュージックを愛するキッズは言うまでもなく、多くの人々にパワーをあたえることができると思っている。フード・ノット・ボムス*のミャンマークルーとも協力して反クーデターへのアクションを同時に起こしていこうと計画したんだ。

*1980年にキース・マクヘンリーらによってアメリカで創立された食糧支援団体。自らを慈善団体として位置づけせず、精力的にボランティアによる草の根運動を展開し、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア、オーストラリアなどへ活動の和を広げる。30年以上にわたり、飢餓の撲滅、人権の尊重、搾取の廃止、地球環境の破壊を阻止するために行動を続ける。チョウさんらミャンマーのパンクコミュニティのメンバーは同団体のミャンマー支部としても活動中。

H:バンドメンバーとはどのような話をしたんでしょう。

K:ストリートでの抗議活動について話し合ったよ。食べ物や飲み物、ガスマスクやヘルメットなどのデモ活動に必要になる物品の供出やデモ参加者へのサポート方法なんかについてなど。あとは音楽を作り続けていくこと、アルバムやミュージックビデオの制作についても。

H:なるほど。パンクコミュニティ以外の人たちはどうでしたか? 家族や友だちのクーデターに対する反応は。

K:友人、家族、みんなが本当に怒っていて、クーデターに対してなにか行動を起こしたいと考えていたよ。特に同年代の友だちたちは、自分らの子どもたちの将来を心配した。



H:クーデター発生から、実際にチョウさんたちはどのような活動をしてきましたか。

K:すでに多くのデモに参加したり、食料や飲み物の配布もしてきた。二曲ぶんのミュージックビデオも撮影した。

H:クーデター発生直後にシングル『One Day』もリリースしたそうですね。「既存の支配的なシステムから解放され、次世代のため、より良い世界へ向かうために障害となるすべてのもの破壊しよう。その変化にともなう闘いにも恐れずに進もう」という強烈なメッセージソングです。

重厚なサウンドと実際のデモの映像、バンドメンバーをはじめパンクコミュニティの面々が勢揃いした迫力あるミュージックビデオから強い意志が感じられる。約5ヶ月前から制作されていた曲だと聞きました。

K:クーデターが起きて、このタイミングでリリースするのがベストだと思った。「THIS IS TIME FOR REVOLUTION(いまが革命のときだ)」という歌詞は、クーデター後に追加したんだ。

H:曲中のシャウト部分。強い主張を感じます。どんな思いで制作していたのですか。

K:この曲を書きはじめたときは、ミャンマーのより良い未来を自分たちが想像したとき、どのような社会が理想であるかを考えはじめていた頃だった。僕たちの国では、1962年から軍事政権の独裁がはじまって、でもその後、2010年から20年までは民主化の道を歩んでいるように見えていた。だけど、100パーセント民主主義であったとは言い難い。背後では、依然として軍部が強い影響力を持っていたからね。

H:手放しで安心できる状態ではなかったと。

K:常に真の自由は感じることができずにいたよ。自由を得るため、自分たちの人生のため闘わなければならない、そして自分自身を変えてゆくにはいましかない。『One Day』はそういう気持ちで書きはじめたんだ。

H:そのリリースから間髪入れずに、3月5日にさらに新しいシングル『Rebel Riot -A.C.A.B』を発表。警察に対する激しい抗議を、Fワードと激しい曲調で表現したパンクソングです。

K:僕らにとって警察は「ギャング」みたいなものなんだよ。彼らは罪のない貧しい人々をすぐに逮捕する。その一方で、公然と法律違反を繰り返す金持ち連中とはツーカーな関係。そういえば、彼らの態度を端的に表したエピソードがある。昨年、路上でビールを飲んでいたという理由だけで僕らは逮捕されてしまったんだけど、逮捕されたとき警察の方が僕らより酔っ払っていたんだよ。そのうえ、逮捕された友だちの中には意味なく殴られた人もいる。

H:それはひどい。

K:実はこの曲も、今回のクーデター前から作っていて次のアルバム用にとレコーディングしていたんだ。だけど、今回のクーデター後のデモで警察がおこなった市民への暴力や殺人*を目の当たりにして、この曲もすぐにリリースしようと決めたんだ。

*デモの弾圧を行う治安当局による市民の死傷者は増え続けており、現地の人権監視団体「政治囚支援協会(AAPP)」によると2021年5月現在の死者数は700人以上といわれている。特に2021年3月、デモ参加中に頭部に発砲をうけ死亡した当時19歳の少女チェー・シンさんの死は衝撃をもって報じられ、英語で「すべて、うまくいく」と書かれたTシャツを着用しデモ活動に参加している様子は、本デモの象徴的な存在としてSNSを中心に拡散された。

H:今回の反クーデターのデモでは、多くのミャンマーの若者が率いているように感じます。昨今、アジア全域で活発になっている民主化推進運動はミャンマーの若者たちにも影響をあたえていると思いますか?

K:うん。特にタイや香港からの影響はあると思う。

H:バンドの公式フェイスブックページには、デモに関するニュースや告知、バンドのミュージックビデオ、チョウさんがおこなっているフード・ノット・ボムスの活動の様子、海外のパンクコミュニティからミャンマーに向けて贈られた「Three-finger salute(三指敬礼)*」の画像など、精力的に投稿していますね。なかには1000を超える「いいね」や多くのシェアがされているものも。内容や投稿はバンドメンバーでおこなっているんですか?

*アジアにおける近年の民主主義運動(タイ、香港、カンボジアなど)でも象徴的に使われるハンドジェスチャー。不服従やある体制に対する反対の姿勢を示すために使われ、ミャンマーでは今回の軍事クーデターに対する反発の意味を込めて使われている。

K:全部、僕が投稿しているよ。特別に担当を決めているわけではなくて、メンバーは誰でもバンド活動や政治的主張に関して自ら責任を持って投稿することができるんだ。ただ、誰かが投稿した内容に関して不快に感じるメンバーがいた場合は、投稿者と話し合って削除することにしているよ。まだ削除したことは1回もないけどね(笑)

H:バンドでは、政治的な活動にはいま日々どれくらいの時間をかけていますか? といっても、The Rebel Riotの場合は、作曲やレコーディングもそこに含まれますね。あとはSNSの投稿とか…。

K:クーデターが起こる前は週4くらいで外に出てバンド活動をしていたけど、いまは以前ほど外出することができない。状況は日に日に悪くなるし、市民の安全は保証されていない。SNSへの投稿は僕たちの考えやいまの状況をシェアするために1日に4、5回ほどやっている。バンドの作曲活動はあまり頻繁にはできていないね。いまはバンド活動に集中できる状況じゃないよ。





H:日に日に状況が悪くなっているニュースを目にします。現在、多くの市民の死傷者を出し国際的にも軍部への批判が高まっていますが、この状況が長引くと国際的に孤立してしまう可能性もあるのでは。

K:うん、本当にそうなったら、かなりクレージーな状況になると思うよ。昔の混乱した時代のようになると思う。北朝鮮のような国になる可能性だってあると思うよ。

H:もしそうなったら、デモ運動への弾圧も厳しくなりそう。

K:確実に変化するだろうね。ミャンマー国外からのニュースや情報はシャットダウンされると思うし、反政府運動はさらに地下に潜ることになると思う。

H:パンクバンドとしての活動は続けていく?

K:もちろん活動は続ける。でも仮に、国によって表現の自由、言論の自由が奪われてしまったらなにかしらの変化は必須になるかもしれない。いまと同じような活動はできないと思うし、確実にそれなりの制限はされるだろう。いまのミャンマーでパンクスとして生きていくことは、とても困難で危険が伴う。けど、パンクは僕の生き方そのものだし、何事もその生き方を変えることはできない。

H:一刻も早くミャンマーの人々が望む国政によって、平和な日常が戻るように願います。くれぐれも気をつけてくださいね。

Interview with Kyaw Kyaw of The Rebel Riot

The Rebel Riot/ザ・レベル・ライオット

2007年、ミャンマーで結成されたパンクバンド。リーダーでボーカリストのチョウ・チョウを中心に、その政治的・社会的な強いメッセージを音楽を通して届けている。またバンド活動にとどまらず、ミャンマーのパンクスを中心としたコミュニティによる社会的な活動も展開。国際的な食糧支援団体であるフード・ノット・ボムス(Food Not Bombs)のミャンマー支部として、コロナ渦の影響を受けた低所得地域や、軍部によるクーデターの影響を受け経済活動がままならなくなってしまった地域に向け、食料をはじめとした生活必需品の支援をおこなっている。さらに、パンクショップやスクリーンプリントビジネス、タトゥーやヘアスタイリング・ピアッシングショップなど、パンクカルチャー関連の事業運営も精力的。


Bandcamp
Official Facebook
Instagram: @the_rebel_riot_band

Eyecatch Photo: ©KaungKaung
All images via The Official Facebook of The Rebel Riot with The Rebel Riot’s permission
Text by Kento Nakatoki
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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