あらゆるキッズがいまハードコアのライブに集う。社会主義国家ベトナムの“抜け落ちた90年代”と熱を帯びるストリートミュージックシーン

欧米や日本とも違う。“リアルタイム”を経験していないベトナムの、独自のストリートミュージックシーン。
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レコードショップのない国では、平日からライブハウスが盛り上がる。コンバースやヴァンズを履き、髪の毛をカラフルな青やピンクに染めた何百人ものキッズ——男子も女子もトランスジェンダーもあらゆるキッズだ——が集い、モッシュピットではダイブの応酬が繰りひろげられる。

ステージでかき鳴らされるは、90年代をルーツにしたヘビーなハードコアサウンド。葛藤するあらゆるキッズがそこに寄り合い、ハードコアシーンはさらなる熱を帯びて、社会主義国・ベトナムに独特のストリートミュージックシーンを形づくっている。

時代に翻弄された街で。デジタルネイティブ世代が作り出すネオユースカルチャー

 メインストリーム音楽の対極にある、インディーズミュージック。なかでも〈ストリートミュージック〉シーンが、いまベトナム南部最大の都市ホーチミンで独特な熱気を帯びて興隆している。ここでいうストリートミュージックとは、メジャーとはいえない万人ウケしないサウンドとパンク精神を受け継ぐDIY精神を持ち合わせた、インディーのなかでもよりストリートに根づいたジャンルのこと。音的にはロックやヒップホップなどがあるが、中核となるのは、ニュースクール系*のハードコアバンドだ。

*1990年代前半に出てきた、ヘビーメタルに影響を受けたギターサウンドと、それまでのハードコアに比べてスローテンポになったリズムのハードコア。

 ライブには多くのキッズが集い、海外からのゲストバンドを迎えて開催されたイベントでは、平⽇にも関わらず700⼈以上の動員を記録。同じくストリートシーンで活動する90年代スタイルのメロディックパンクバンドやメタルバンドなどとともに、定期的なイベントを開催している。



 欧米や日本では、90年代に盛り上がりをみせたハードコア、ミクスチャーやメロコア。シーンから離れてしまったリスナーにとっては少し懐かしさを感じるジャンルかもしれない。なぜこの音楽シーンが、いまベトナムで、2000年代に青春を過ごした若い世代によってストリートミュージックとして形成されているのか。ベトナムの、戦争と国家の変容に翻弄された歴史と文化をみてみよう。背景とともに覗くと、いまユースによって作り出されるシーンの力強さが、より浮き彫りになってくる。

政治によって影を潜めたユースカルチャーと、
インターネット世代が手にする“抜け落ちた過去の音楽”

①戦争と西のカルチャー
1955年から75年まで、南ベトナムには“米国の傀儡(かいらい)政権”と揶揄された資本主義路線の国家が存在していた。「ベトナム共和国」だ。その⾸都サイゴン(現在のホーチミン市)のストリートでは、当時流行していたファンクやソウル、グループ・サウンズ⾵のローカルバンドが、駐留していた米国軍人で溢れるナイトクラブを賑わしていた。しかし、75年にベトナム戦争が終結、76年に南北ベトナムが統一されると、国全体は社会主義化へと向かう。海外資本をいっさい受けつけない中央集権の計画経済路線へ。かつてストリートを賑わせた西のカルチャーや音楽は影を潜めた。

70年代後半から80年代後半は、パンクロックの誕生をはじめ、世界各地でキッズ・ユース世代を中心にストリートミュージックが花開いたときだが、それらがベトナムに入ってくることはなく、音楽シーンからすっぽりと抜け落ちてしまった。

②インターネット世代が、90年代と出会う
その後、86年のドイモイ政策で資本主義経済が導入されると、90年代前半から文化的にも経済的にも豊かになっていく。しかしながら、現在も⼀党独裁体制をとる政治体制であり、文化発行物(CDやレコード、印刷物)の発⾏、販売に対してさまざまな規制が存在し、政府機関への登録・許可なく販売することはできない。街中にはカルチャーの発信源となるような若者向けの輸入、中古レコードショップなどは、ほぼ存在しないためパンクやハードコアなどアンダーグラウンドでコアな音楽の情報入手源は、先進国に比べて乏しい。

その状況下で、2000年代に育ったデジタルネイティブたちが、インターネットを通じてリアルタイムで国に入ってこなかった70年代後半から80年代後半の音楽、そして90年代のハードコアなどのストリートミュージックを自分たちの手で探り、聴き、作り、シーンを形成しているのだ。

 今回HEAPSでは、シーンの中心にてキッズから熱烈な支持を得るハードコアバンド、ディストリクト105(District 105)のボーカリスト、ヒュイン・ヒュイに取材。ホーチミン市を中心にハードコアバンドをメインアクトに据えたライブイベントを開催するイベント団体「ハードコア・ベトナム」の創立者でもあるシーンの顔役に、いまのベトナムの〈熱っぽいストリートミュージックシーンとユースカルチャー〉について話してもらった。


District 105。写真左から2番目が、今回取材に応えてくれたヒュイン・ヒュイ。
Photo by Ky Nguyen

HEAPS(以下、H):個人的に初めてベトナムのストリートミュージックシーンの盛りあがりを体感したのは、2018年にホーチミン市でおこなわれた「ターンスタイル (米ハードコアパンクバンド)」を招聘したイベント。平日にも関わらず数百人のキッズたちでフロアが埋めつくされ大盛況でした。

ヒュイン・ヒュイ(以下、HH):ここまで動員できるようになったのは、これまでのイベントでジャンルを限定せず、他ジャンルのアーティストとも連携をしてきた結果だと思う。他ジャンルのアーティストを目当てにイベントに来てくれたキッズは、アグレッシブなプレイスタイルのハードコアバンドのライブを初めて見るとその激しいサウンドやスクリーミングするボーカルスタイルに少し後ずさりしちゃうこともある。それでも、実際に一度でも僕らのショーを体験してもらえば、夢中になってもらえるって信じていたんだ。思惑通り、イベントの後は他ジャンル目当ての多くのキッズが、ハードコアファンになっていたよ。

H:フロアの熱気が凄まじくて驚きました。シーンを作る土台となった団体「ハードコア・ベトナム」は、2013年の結成。結成前後のベトナム・ホーチミンの音楽シーンはどのような感じだったのでしょうか。

HH:普通の、オールドスタイルのロックバンドやメタルバンドなんかが活動していたかな。でも、当時の彼らのようなバンドを取り巻く状況はあまり良いものではなかった。音楽をまったく知らない大手企業がまれに開催するロックフェスなんかはチケットが2ドル(およそ200円)くらいでバンドにまったく還元がないし、バンド自体も物販展開すらしていなくて、そうするとファンたちも好きなバンドをどうサポートしていいかわからないよね。さらに、当時のシーンでは薬物やアルコールの問題も多かったみたい。

H:そんな流れを変えたくて、団体を結成。

HH:ベトナムで若い世代がなにか新しいことにトライできるような環境を提供できるように、希望をこめてハードコア・ベトナムを結成したんだ。よりヘビーでハードな音をキッズと共有するため、そしてDIYコミュニティとして誰にもコントロールされることなく、キッズによるキッズのための環境をつくるために。同じ志を持ったアンダーグラウンドで活動する他ジャンルのアーティストとも協力して、僕らだけの居場所を作りあげようとしたのが結成の理由。ハードコアシーンを象徴する有名なフレーズがあるんだ、「HARDCORE=MORE THAN MUSIC*(ハードコアとは音楽以上のものである)」。これにとても強く共感してね。

*米ハードコアバンド VERBAL ASSAULTの曲名、多くのハードコアファンによってシンボライズ化され、ハードコアの精神を表すワードとして多く使用される。


Image via Hardcore Vietnam

H:そのシーンの中核を担うバンド、ディストリクト105も2017年に結成。メンバーのみんなは80〜90年代のベトナムをキッズ、ユーストして体験している。当時は海外からの情報が入ってこない状況だったと思いますが、音楽との出会いや情報集めはどのように?

HH:音楽との出会いは『パワーレンジャー(米スーパーヒーロードラマ)』や日本のアニメ、仮面ライダーが最初かな。そういう番組のオープニングやエンディングテーマって、ロックやメタルっぽい音楽が多いでしょ? メンバーもみんな大好きだったよ。98年頃にはベトナムでもレンタルテープでそういった番組をみることができたんだ。

H:アニメとは盲点でした!

HH:最初にコアな音楽に触れたのは大好きなWWE(米プロレス団体)のレスラー、CMパンクの登場曲。キルスウィッチ・エンゲージ(米メタルコアバンド)の『This Fire Burns』という曲が使われていたんだ。ストレート・エッジ*の概念を知ったのも、CMパンクがきっかけだよ。

*ドラッグ・喫煙・飲酒・快楽目的の過剰な性行為などを否定する思想。手の甲に大きく「×マーク」を描き自らの主義を主張をする。

H:テレビで見られるものから知っていったんですね。先進国のストリートミュージックシーンをみてみると、70年代後半のパンクの誕生、80年代のハードコアパンク、90年代以降のニュースクール、と各年代におこったムーブメントの影響と、その系譜にシーンが築かれることが多いと思います。そうした都市と比べて、ベトナムでは過去に戦争と政治的な混乱期があり、そういったコアな音楽や情報に出会うチャンスが少なかったのでは、と想像できます。

HH:いい考察だね。ベトナムのハードコアシーンは、起源となったパンクシーンから派生したものではない。ほとんどの人は00年代に流行っていたポップパンクやメタルコアがきっかけでバンド活動をはじめて、そのあといろいろな海外のアンダーグラウンドシーンの情報に触れた。そのうちにピュアなハードコアの思想やスタイル、オリジナルパンクに出会って惹かれていったんだ。


Image via Hardcore Vietnam

Image via Hardcore Vietnam

Image via Hardcore Vietnam

H:自分たちがリアルタイムで聴いてきた音のルーツを遡っていった。

HH:2000年代初頭くらいにベトナムに存在していたロックやメタルシーンに対して、当時の僕みたいに、彼らの音楽ではなにかが足りないと思っているキッズがたくさんいたと思う。ヘビーな音を求めているけどそれはメタルではなくて、ポップパンクよりももっと“ハードななにか”が必要だと感じていた。のちにハードコアに出会ったとき「僕たちがずっと望んでいた音だ」って。

H:ヒュイさんのようにハードコアに出会った若者たちが、いまのシーンを形成。インディーズシーンにおけるハードコアシーンの立ち位置ってどんなところでしょう。

HH:まず、ベトナムのインディーズシーンは、いままさに過去最大の規模になりつつあると思う。数え切れないほどのインディーバンドが活躍していて、ンゴット(Ngot)やカ・ホイ・ホアン(Ca Hoi Hoang)のように、音楽の収入で生活できているバンドも出てきているしね。ほとんどメジャーバンドみたいに活動しているインディーロック系バンドに比べれば、僕らのようなストリートミュージックシーンの規模は小さいといえるかもしれない。けど、僕たちは自分たちによる100パーセントDIYの姿勢を貫く活動に誇りを持っているんだ。それに、確実に僕らの活動するシーンの規模は拡大しているし、シーンを取り巻く状態も良くなってきていると思うよ。

H:たとえば、どんな変化が?

HH:(ハードコア・ベトナムが主催するライブでの)出演バンドの数とイベントの動員は確実に増えている。もちろんバンド自体のクオリティも上がっているし、みんな常に真剣に活動しているよ。ハードコア・ベトナム結成当時は、年に3回くらいのペースでイベント開催していて、動員は50人前後くらいだった。でもいまでは毎月のようにイベントを開催できているし、動員もコンスタントに100人から200人くらい。もちろん、大規模なフェスを開催するときはもっと動員がある。いままでに、700人以上の動員を記録したイベントも何度も経験している。

H:急成長だ。ストリートミュージックシーンにいるバンドには、ホーチミン出身のハードコアバンド、ナイフ・スティッキング・ヘッド(Knife Sticking Head)や、エレクトロニック・ハードコアバンドのモノサイクル(MONOCYCLE)、ポップ・パンク・バンドのセブン・アッパーカット(7UPPERCUTS)ストゥーピズ・キッズ(Stupiz Kiz)などがいます。よく一緒にイベントをするバンドはどれくらいいますか?

HH:だいたい10バンドくらいかな? ライブ出演にあたってバンドには“簡単な宿題”をいつも渡している。それは「シーンをサポートする姿勢を心がけること」「いつでも曲作りをしてライブイベントに出演できるようにすること」。バンドの年齢は最年少で20歳くらい、最年長で34歳くらい。だいたいどのバンドも3年から4年は活動していて、フェイスブックやユーチューブ、スポティファイ、バンドキャンプ、サウンドクラウドなどで音源を配信しているよ。



ストゥーピズ・キッズ(Stupiz Kiz)
Photo by Madhouse

ナイフ・スティッキング・ヘッド(Knife Sticking Head)
Photo by Trang

セブン・アッパーカット(7UPPERCUTS)
Photo by Lam Nguy

モノサイクル(MONOCYCLE)
Photo by Tran Phan Thanh

H:曲の配信といったら、気になるのがベトナムの検閲事情。お国柄、出版物や発行物に関する規制が厳しいと思いますが、苦労したことは?

HH:とても大変だよ。歌詞に汚い英語のスラングが入っていたり、国家システムを批判するような歌詞が入っていた場合は著作権が取れなくてリリースできない。英語の歌詞もすべてベトナム語に翻訳させられて、提出を求められる。たとえばフェスを開催するときも、英語の歌詞で歌う出演バンドがいれば、その歌詞をすべてベトナム語で翻訳して提出しなければならないんだよ。

H:それは大変だ…。ほとんどのバンドが英詞だと思います、フェスを一回開催するのにもものすごい手間がかかってしまう。

HH:これは僕のバンドのベーシストが言っていたんだけど、「先進国のハードコアバンドはみんな自分たちのことを『アンダーグラウンド! アンダーグラウンド!』といっているけど、一度ここベトナムでハードコアバンドをやってみたらどうだ!」って。ここではいきなり警察が会場に入ってきて楽器を取りあげたりすることもできるし、もしなにか発言を誤ればブラックリストに載ることだってあるかもしれない。そうなったら常に“闘争”が続くことになる。

でも僕はあまり気にしていないよ、ずっと自分たちがやりたいことを叫びつづけているだけだからね。

H:ベトナムのアングラシーンは本当の意味でのアングラだと。となると、バンドやイベントの、メディアでのプロモーションもなかなか難しい?

HH:メインストリームのメディアは、僕たちのようなハードコアバンドには触れたがらない。だから、僕たちは常に自分たち自身でプロモートする方法を見つけて実践し続けるしかない。もし他のアングラシーンで困っているバンドがいたら、手を差し伸べたいと思っている。




イベントのフライヤー。
Images by Vui Qá

H:アングラ同士の協力体制があるのか。あと、ベトナムでは他国の都市のように街中にCDショップやレコードショップがない。

HH:うん、CDショップも少しはあるけど、安っぽい歌謡曲しか置いていないから“キッズが寄りつかない店”ばかりだね。そんな店だって年々減っている。
こういった状況は僕らのようなストリートシーンで活動するバンドにとっては不利だと思う。ハードコアやパンク、メタルバンドのCDやレコードや中古盤、グッズをチェックするための“リアルな場所”が必要だと思うから。アメリカや日本にはいっぱいあるよね。

H:だからこそ、多くのキッズは音楽への情熱を共有するため、“リアルな場所”であるライブイベントに集まるのでしょうか?

HH:そうだね。こういった「ヘビーな音楽を聴いているのは自分だけだ」と孤独を感じているキッズも、僕たちのライブに来れば新しい仲間たちを見つけることができるし。

H:ストリートミュージックには、キッズを惹きつける魅力がある。

HH:ベトナムのメインストリームの、いわゆるメジャーシーンの音楽のほとんどは、カップルの愛とか、恋愛がどうした、とか安っぽいテーマばかり。音源をリリースする際のルールが非常に厳しいから、という背景も確かにある。だけど、人が普通に持っている感情、たとえば葛藤する心だったり、悔しさやフラストレーション、怒りを抱えたキッズにとって、そんな歌が意味をなすだろうか?

だからこそ、葛藤を抱えたキッズは僕らのイベントに来て、同じ気持ちを抱えたフロアにいるたくさんの仲間たちと、お互いの似たところを感じながら、理解しあいながら、安心感を得ていると思う。ライブ会場のフロアでは、みんなで狂ったようにダンスをして、モッシュピットにダイブして、おかしな格好でステージに上がったりするんだ。彼らはそうして一体化してゆくんだよ。ハードコアミュージックをはじめ、僕らの開催するイベントを通じて共有しあえる兄弟愛、家族愛にも似た感情は、本当にうつくしいものだと思っているんだ。 

H:自分たちの心情を代弁してくれる場、はけ口となる場が、ストリートミュージックシーン。イベントに参加するキッズの平均年齢や性別ってどんな感じですか?

HH:最近は年齢がどんどん下がっていてさ。まじで。まだ高校1年生の16歳の子もよく来てくれるんだ(笑)。最初は男の子の方が多かったけど、いまでは幅広いよ。女の子、ゲイの子、トランスジェンダーの子。いろんな子が参加してくれている。僕らのイベントの雰囲気が好きで、誰もお互いをジャッジしたりしないから、安心して参加してくれているんだよね。


Image via Hardcore Vietnam

H:イベントに出演するバンドメンバーとも交流したり?

HH:もちろん、ステージ上でもステージを降りてからも交流している。SNSでもリアルでも、双方向でコミュニケーションをしているんだ。僕らのシーンは、ステージに上がるバンドメンバーと観客であるキッズとのあいだに垣根はいっさい存在しない。ステージから降りれば一緒に飲んだり、次のバンドを応援するためにモッシュしたり、みんな友だちだよ。僕たちはロックスターのように無愛想に振るまったりはしないんだ。

H:このシーンは、ベトナム全土に広がっているのでしょうか? その場合、たとえば、北部(ハノイなど)中部(ダナンなど)南部(ホーチミンなど)の地域によってバンドやシーンの気質に違いがあったり。

HH:僕らのシーンのバンドが活動しているのは、ほとんどがハノイとホーチミンの2都市で、中部のフエという都市でもストゥーピズ・キッズと若いバンドが数組活動しているよ。地域差については、そうだな、ホーチミンの方がハードコアやメタルバンドのファンが多いと思う。モッシュのやり方だったり、ライブ慣れしているお客さんが多いんだ。
一つとてもおもしろい発見なんだけど、ホーチミンには多くのファンがいるけど会場探しにとっても苦労するくらい会場が少ない。反対にハノイには会場はたくさんあるのにファンが少ないんだ(笑)

H:そういえば、バンドメンバーでコンバースのインフルエンサーとしてSNSで活動していたり、ドイツのビールメーカーのベトナム向けのCMに出演しているのんを見ました。ハードコアシーンの顔たちが、少しずつメインストリームにも知られている?

HH:コンバースのプロモーションは、コンバースがスイサイダル・テンデンシーズ(米西海岸のハードコアバンド)とのコラボモデルを出したときに、バンドでプロモーションに参加したんだ。最近では、アイコンデニム (ベトナムのアパレルブランド)がスポンサーになってくれて、タオ(ベトナムのラッパー)と僕たちとのコラボレーション作品をリリースしたんだ。ベトナムでは初めてハードコアバンドとヒップホップアーティストがコラボした曲なんだよ。

H:ジャンルを越えた繋がりが形成されてきているんですね。またライブイベントでは、海外のバンドも多く出演していますよね。今年1月におこなわれたハードコア・ベトナム主催のイベントでは、ロシアからデススコア・バンド「スローター・トゥ・プリベイル」を招聘していた。

HH:団体の活動をはじめてから7年の努力の末、ようやくベトナムでもハードコアバンドが活動していることを知ってもらえる状況になってきた。アジア、東南アジアでツアーをブッキングしたいバンドのプロモーターから直接連絡が来るようになったんだ。


Image via Hardcore Vietnam

H:ベトナムのストリートミュージックシーンを盛りあげるために、海外からのバンド招聘は必要だと思いますか?

HH:確実にイエス。なぜなら彼らがベトナムに来てくれることで、シーン全体の活性化に繋がることは間違いないし、ベトナムのキッズが、プロフェッショナルですぐれた海外バンドの演奏やスタイルに触発されて、音楽やバンドをはじめるきっかけになるかもしれないしね。

同時に、海外バンドと共演したベトナムのローカルバンドにあたえる影響も大きい。共演を通して、なにを学んでどのような改善を自分たちのバンドにしたらいいのか考えるきっかけになる。

H:ベトナムのハードコアシーンは他国のシーンとも繋がりができているそうですね。

HH:タイ、台湾、シンガポール、マレーシア、韓国、ドイツのハードコアシーンとは繋がりがあって、良い友だち同士。友人でもあるドイツのハードコアバンド、シェルダイバーとスプリットEPをリリースしたこともあるよ。ここ2年くらいで海外でおこなわれるイベントにツアーで行くバンドもでてきたしね。

H:最後に。ベトナムのストリートミュージックシーンをゼロから作ってきたシーンの中核として、これからベトナムのユースとハードコアシーンの関係はどのようになっていくと思いますか。

HH:これからも100パーセントDIYの精神を大切にしていきたい。大手ブランドや大企業にコントロールされずに、自分たちの信じる音楽、好きな音楽をやる自由を大切にしていきたい。最近すごくうれしいことは、僕らのイベントに来てくれる新しいキッズの顔がどんどん増えていること。落ちこんだり、ストレスを抱えていたり、怒りやフラストレーションを一人でコントロールできないキッズがたくさんいると思う。そんな彼らのために、このシーンを継続すること。自分たちの感情に忠実であり続けること。そうしていけば、キッズとさらに強い絆を築くことができると信じているよ。

Interview with Huỳnh Huy of District 105


Image via Hardcore Vietnam

Eyecatch Image via Hardcore Vietnam
Text by Kento Nakatoki
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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