その国では1980年代をさかいに、“音の文化”が消えた。
ヨーロッパとアジアの中間地点にある国、トルコ。
60・70年代には独自の音楽文化が花開いたものの、80年代の軍事クーデターを区切りに自由な思想を生みだす“音楽”は規制され、多くのレコードレーベルは消滅、レコード工場は閉鎖。実質的に新しい音楽シーンが育つ土壌が失われしまった。
Photo by Aylin Güngör
規制から30年たったいま、過去に失われた音楽文化の再生と新しいトルコのミュージックシーン形成に懸ける男がいる。
たったひとりのレコードファンによる決意
「80年代から新しい音楽シーンが生まれていないこの国に、かつて熱気あふれる音楽文化があったことを伝えたいんだ」と話す。
トルコ・イスタンブル在住のHaluk Damar(ハルーク・ダマー)、32歳。トルコの音楽文化を再興するべく、フリーマガジンとレコードレーベル「Record Store Journal(レコードストア・ジャーナル)」を立ち上げた。
Haluk Damar(ハルーク・ダマー)
昨年創刊したフリーマガジンは、レコード盤で聴ける新旧トルコのミュージシャンたちを紹介する季刊誌で、今年始動したレーベルはトルコ国内アーティストにとっての新たな器となっている。
60・70年代を席巻したフォークロック・ムーブメント
1950年代後半から70年代後半にかけては、世界でも屈指の音楽大国だったトルコ。
西ヨーロッパではザ・ビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンなどロックの音が響いていたころ、トルコでは独自の音楽シーンが存在。西洋のロックに影響を受けたサウンドに、トルコ伝統楽器が醸し出すトラッドや民謡など東洋の思想を融合させたサイケデリック/フォークロックは「アナトリアンロック」と呼ばれ、一大ムーブメントを生み出す。
Image via Haluk Damar
伝説のギタリストErkin Koray(アーキン・コレイ)やロック歌手Barış Manço(バルシュ・マンチョ)、プログレッシブ・ロックバンドMoğollar(モゴラー)やApaşlar(アパスラー)などのミュージシャンたちがムーブメントを牽引。その音楽は国内にとどまらずヨーロッパでレコーディングを行い音楽賞を受賞するなど、そのサウンドは海外にも鳴り響いていた。
レコードジャケットにはヌード女性、政治的でラディカルなメッセージ。労働者の声を代弁するような左翼的な思想など、この時代の音楽シーンから聞こえていたのは、トルコに生ける人々のリベラルで自由な叫びだ。
Image via Haluk Damar
Image via Haluk Damar
Image via Haluk Damar
Image via Haluk Damar
音楽・暗黒期に突入した80年代
頂点を迎えていたミュージックカルチャーは突如として終結する。1980年に勃発した軍事クーデターだ。
政治的なメッセージを掲げる音楽は、若者や労働者たちに悪影響を及ぼしかねないと政府は音楽文化を規制。ミュージシャンたちは言論の自由を奪われ、レコードレーベルやレコードプレス工場も閉鎖されてしまった。
音楽活動を諦める者や欧米へと移住するミュージシャンも。こうして60・70年代に栄えた自由な気風の音楽文化は終息を迎える。
国内では新しい音楽が生まれる土壌はない。それだけでなく、海外からの自由主義的な音楽も入ってきづらくなった。いまでこそインターネットで世界の音楽と繋がることができるが、当時はネットなき時代。
「当時はみんな、ブートレグ(海賊盤)とミックステープで音楽を聴いていた。ビートルズにローリング・ストーンズ、クイーンなんかのクラシックロックやプリンス、クラフトワークのようなドイツテクノ、ウータン・クランなどの90年代ヒップホップをね」
Image via phil chappell
ビートルズのブートレグ
Image via LucienGrix
ローリング・ストーンズのブートレグ
ロシアやブルガリアなど東ヨーロッパから“密輸”された海賊盤をあるときは蚤の市でこっそり買い求め、またあるときは友だちや知り合いから裏ルートで手に入れて、ひっそりと針を落としていたのだ。
いまのトルコに欠けているのは“新しい音楽シーン”
ハルークが繰り返し言っていたことがあった。いまのトルコには音楽シーンがない、と。
禁止されてきたとはいえ確かに音楽活動するバンドはいるし、地元のベニューでもプレイする。国内には5つほどのレコードレーベルも存在。レコード工場はないが、バンドは欧米のレーベルを通してレコード製作をしているし、市内にあるヘビーメタルバーにはおじさん世代のパンクスやハードコア兄ちゃんだって集まる。さらに観光収益となるため、イスタンブルのレコードストアは政府からも歓迎されている。
しかし、だ。
人口およそ1500万人の大都市イスタンブルにコンサート会場は3、4軒、主要レコードストアは5軒ほど。バンドは反政府的なメッセージを含めないよう歌詞に注意を払い、60・70年代にあったトルコ独自の個性を放つ音楽シーンは存在しない。
さらに先月の軍事クーデター未遂事件で観光客は減少、レコードストアも打撃を受けているという。
トルコ人女性アーティストBetul Atli(ベトゥル・アトリ)が手がけた、70年代のアルバムアートワーク
「昔の音楽文化」で、いま無きミュージックシーンを形成
ハルークが編集・発行するフリーマガジン『レコードストア・ジャーナル』は、イスタンブル近辺のレコードストアに置いてある。
レコード盤で聴ける新旧ミュージシャンを地道に紹介。自らレコードストアを周り、その店で売っているレコードを調べピックアップし、レコード発売当時の時代背景や音楽シーンの解説、ディスクレビューを執筆している。その大半がトルコ人アーティストのレコードだ。
Image via Haluk Damar
レコードストア・ジャーナルは、今年マガジンから飛び出しレコードレーベルにもなった。
トルコ初のレコードストア・デイが開催された今年4月、記念すべき第1弾となるレコードがリリースされ、イスタンブルのレコードストアに並んだ。イスタンブル出身のインストゥルメンタルアーティスト、TSU!(ティー・ス)の3枚目となるアルバム。
Image via Haluk Damar
発売当日にはレコードストアの店頭に立ったハルーク。自身のレーベルが出したレコードを手にとって会計に並ぶ音楽ファンの姿を見て、「達成感でいっぱいだった」。
禁じられ失われた音楽文化だからこそぎらぎらと輝いていたその個性やスピリットを、忘れ去って欲しくない。カウンターカルチャーが残した遺産はいまのミュージシャンや覇気のないミュージックカルチャーに受け継がれ、新たなミュージックシーンを作り出す原動力になる。
Image via Haluk Damar
TSU!(左)とハルーク(右)
「レコードストア・ジャーナルは、近い未来きっとトルコ音楽シーンを形成する土台になる」。
抑圧された環境の底から負けじと生まれ出てくる文化はいつも強い。音楽が禁じられて30年たったいま、新たなターキッシュサウンドは過去の栄光を背負い、これから再び世界に鳴り響いていくことだろう。
Image via Haluk Damar
—————
Text by Risa Akita