それは2015年の元旦。年越しを花火で迎えたブラジルはリオ・デ・ジャネイロの風光明媚なコパカバーナビーチにて。海岸前方を見渡すと目の端にキラキラと宝石のように輝く丘が見えた。
「あれ、なに?」と連れのブラジル人に聞くと、「ファベーラだよ」という。
Photo by Risa Akita
ファベーラ(favela)。ブラジルでは貧民街、スラムのことをこう呼ぶ。市内に1000以上もあるファベーラには、リオの人口のおよそ4分の1にあたる150万人が生活すると言われている。リオのガーニバルの踊り手の多くはファベーラの住民たちだという。
丘に輝くのは、所狭しと並んだ家々が放つ灯りだった。
“麻薬犯罪組織が支配する無法地帯”、“不法居住者があつまる場所”、“殺人や強盗、麻薬売買が蔓延る危険地帯”。そんなイメージが頭をよぎるファベーラだが、そこでは「音楽」と「アート」という2つの芸術を通して、若者を中心としたコミュニティを活性化するプロジェクトがある。
リオ・オリンピック開催の今年、世界最大級のスラム街で、若者の未来と世間のイメージ、そして地域活性化に懸けるDJ学校「Spin Rocinha」とアートプロジェクト「Favela Painting」を取材した。
ベッドルームサイズの教室で生まれる未来のDJたち。リオ最大級のスラムに建つDJ学校「Spin Rocinha」
「丘のてっぺんから麓まで歩いていけば、どこかしらからか必ず音楽が聴こえてくる」
リオデジャネイロ最大級のファベーラ(スラム街)、Rocinha(ホシーニャ)。人口25万人、貧困率も高いといわれるこの地区。殺伐とした暮らしを想像するが、朝でも昼でも夜でも、開け放した窓、通りに置かれたラジオ、角の酒場から常に音楽は流れている。
そんなホシーニャには、夜になると明かりがつく“学校”がある。
DJ学校は先生の自宅。3匹の猫も一緒
生徒の耳にはヘッドフォン。指先が回すのはツマミ。
そう、ここは夜間DJ学校の「Spin Rocinha(スピン・ホシーニャ)」なのだ。
スクール創設者で校長先生は、Renato da Silva(ヘナト・デ・シウバ)。別名、DJ Zezinho(DJゼジーニョ)。80年代からブラジル国内外で活動するプロのDJだ。
ブラジル人の母とアメリカ人の父を持つ彼は、アメリカやカナダでの居住経験もあり英語がネイティブ。でも生まれも育ちもいま住む場所もホシーニャ。彼の左腕には「Rocinha」とタトゥー。大きな体から地元愛があふれている。
ゼジーニョがたった一人で創設したDJ学校、なにが特別かというと授業料がタダなのだ。
彼がDJ学校を開こうと思ったのは遡ること2001年。音楽が生活の中心に流れるコミュニティ、サッカーやカポエイラ(ブラジル発祥の格闘技)、アートスクールはあるのにDJクラスはないことに気づいた。
資金集めのため観光客にホシーニャを案内するファベーラツアーを始め、稼いだお金でDJ機材を購入、10年後、念願の地元初DJ学校をオープンしたのだ。
場所は自宅。ベッドルームサイズの小さな学校。Joao(ジョアン)、Joy(ジョイ)、 Jacki(ジャッキー)という名の3匹のDJキャットたちも仲間だ。
授業料なし、経験不問の敷居の低い学校
月曜から土曜の午後7時から9時半までとほぼ毎日レッスンがあるDJ学校、入校条件は「18歳以上であること」のみ。DJ機材を触ったことない人だってOKだし、月謝も一切なしだ。
「初めて来た生徒にはいつも、なんでDJになりたいのか聞いているんだ。そしてここでのルールを教える。『ドラッグは一切禁止。授業、生徒同士、機材にリスペクトを払うこと』。それに俺の“3匹の猫”にもね」
開校から5年でおよそ60人の卒業生を輩出した学校に現在在籍しているのは、20歳の青年から33歳のDJ未経験の女性、そして55歳のサーファーおじさんまで、男女15人が学んでいる。
一回のクラスには4人から6人が参加、ゼジーニョと音楽プロデューサーのDaniel(ダニエル)、プロDJのMaykon(マイコン)がボランティアで講師を務める。
左がマイコン、右がダニエル
初心者には、DJ機材と機材をつなぐケーブルのセットアップからミキサーの使い方、ミックスのコツなどの技術面をゼロから教える。また米国製の機材に表示された英語の読み方も教えている。まさに手取り足取りの敷居の低い学校だ。
音源は、CDやUSBフラッシュドライブ、パソコン。ハウスミュージックやEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)が主流で、Skrillex(スクリレックス)やAvicii(アヴィーチー)、Deadmau5(デッドマウス)など欧米のDJたちが生徒たちに人気。また地元のヒップホップグループも時折やってきて練習しているそうだ。
DJネームはプレイする音楽と同じくらい大切
生徒のうちプロのDJを目指すのは、意外にも少なく4分の1ほど。
本格的にDJになりたい彼らには、自分を売り込むためのデモCDの作り方、イベントプロモーターとコネクションを作るコツ、SoundCloud(サウンドクラウド。無料音楽クラウドサービス)アカウントやDJ用フェイスブックページの作成などのプロモーション面もアドバイス。
またDJの要となるのは、名刺。DJネームにふさわしいロゴを作成、デザインを手掛けてくれるグラフィックデザイナーを紹介したりもする。
「DJネームはプレイする音楽と同じくらい大切だからね」とゼジーニョ。DJとしての“アイデンティティ”の吹き込み方も教える。
ゼジーニョの右腕としてボランティアをしていたDJ Dembore(DJデンベレ)は今ではプロのDJに。同校の生徒でもあった彼は練習を重ねに重ね、コネクションも作り、リオの大きなイベントでターンテーブルを回している。
またここホシーニャでは、マイアミベースといったエレクトロやハウス、レゲエ、トランスにアフリカンミュージック、ソウル、ボッサ、ヒップホップなどが加わったリオのファベーラ発祥のごちゃまぜ音楽、Baile Funk(バイレファンキ)が盛ん。バイレファンキパーティーが街のいたるところで開かれ、若者を集めている。そんな地元イベントやリオ市内のビーチーパーティーでDJとしてスピンし始めた卒業生もいる。
また2ヶ月に1度はファベーラのふもとでDJミーティングを開催。ファベーラのDJたちが集まり、自分の腕前を披露する。そこでは新入生もサインアップすればプレイできるので、人前で練習するいい機会にもなっている。
「俺は親でもドラッグカウンセラーでもないから」
ファベーラの中でも危険だといわれてきたホシーニャだが、今の治安はそこまで悪くないという。「近所の人たちもみな親切だよ」とゼジーニョ。
地元マフィアが牛耳るファベーラでは各地区の掟があり、強盗や殺人、レイプなどを犯せばコミュニティにより処罰されるという。
また教育の質は悪く、大学に進学する若者はほとんどいないらしい。高校卒業後はレストランやホテルなどのサービス業に従事しているという。
いまの生徒の中には過去に麻薬売買していた元ドラッグギャングもいる、とゼジーニョ。
「いまもやっているのかどうかはわからない。でもそういうプライベートな部分には足を突っ込まないようにしているんだ。俺は彼らの親でもないし、ドラッグカウンセラーでもないからね」
ドラッグやアルコール問題を抱え助けや相談が必要な生徒にはアドバイスしたり支援機関を紹介したりするが、あくまでも教えるのは「DJのいろは」なのだ。
スカイプ取材中もひとり男の子が練習しに来て、ゼジーニョはちょっと待っててと彼のDJ機器をセットアップしに席を外した。生徒の大半は週6日のクラスを1ヶ月ほど続けるという。
「みんなクラスに戻ってきてくれるってことは楽しんでいるんだろう」とにっこりするゼジーニョ。生徒の口コミで学校のことが知れわたっている。また生徒の母親から感謝のメールをもらうことも。
「ファベーラの中にいても外にいても関係ない。音楽はブラジル人の生活の核になるものだから」と彼は言う。
3年前の「子どもの日」に、地元の子どもたちのためにDJ体験イベントを開催
しかしDJ学校の建つ場所が、ビーチ沿いの高級住宅地のコパカバーナでもイパネマでもなく、常に貧困と犯罪と隣り合わせにあり十分な教育が受けられないファベーラの丘だということ。
「夜になったらDJ学校に行く」ー 劣悪な貧困街、やることもさほどない生活環境のなかで、みんなの生活のなかに組み込まれた“やること”。
プロのDJを目指しているわけではない4分の3の生徒もクラスに通い続けるということは、小さいけれども何か“やること”ができた喜びやかすかな満足感、張り合いを見つけたということだろう。
何か新しいことを始めてみたい、何かやることが欲しいという“日常に刺激が欲しい者”も、地元のイベントで音楽を鳴らせてみたい、プロのDJになって海外に出てみたいという“DJを目指す者”も。Spin Rocinhaがなければ夢や可能性を諦めたかもしれないそんなファベーラの者たちを、今日もゼジーニョは3匹の猫と一緒に迎え入れている。
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All images via Spin Rocinha
Text by Risa Akita