角の店々とローカルピープル間の〈デリ・カルチャー〉。“米国のコンビニ”と呼ばれども非なるデリ、取り巻く事ごと

近所にひとつ、マイデリ(わたしの“コンビニ”)。この前1ドル足りなかったけど、顔見知りの店番兄ちゃん「今度でいいよ」って。
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「よぉ、元気かい」「まあね、ぼちぼちだよ」。これっぽっちのいつもの挨拶だけで「あいよ」と欲しいものが出てくる店が米国にはある。〈デリ〉だ。あらゆる街角に存在する、いわゆる日本でいう“コンビニ”のこと、と度々紹介される店々である。

ただし、日本のコンビニと米国の“コンビニ”は、じゃがりことプリングルズくらい別物ともいえる。ヒープス編集部のあるニューヨークでは、コンビニ〈デリ〉とは近所のオアシスであり、なんといってもローカルコミュニティの根っこだ。今回は米国のコンビニ特有の〈デリ・カルチャー〉を紹介しつつ、デリへの暑苦しい愛を傾けるデリ至上主義者たち(怒らせると怖いぞ)のことも話してみよう。

米国セブンにはおでんもからあげクンもない

 米国に住みはじめてから、めっきり“コンビニ”という言葉を口にしなくなった。なにを言っているのだ、本場米国の“コンビニの王様”セブンイレブンがあるではないか、って? その通り、セブンイレブンは確かにある。しかし、それはコンビニであって“コンビニ”ではないのだ。

 からあげクンからおでん、ワイシャツまで揃う日本のコンビニは清潔で優秀だと世界からも評価は高い。一方、日本の優等生コンビニを想像して米国のセブンイレブンに入ってしまうと、狐につままれた気持ちになるだろう。ランチパックの代わりに顔面くらいの大きさのクッキーが、お〜いお茶があるべきはずの棚にはピンク色(ストロベリーレモネード味)と水色(不明)のスポーツドリンクが、コピー機の代わりには、パニック映画のDVDを1ドルで借りられる「レッドボックス」が堂々と迎えてくれるからだ。

 同じ米国内でも地域によって“コンビニ”は違う。昼間の大通りでも人っ子ひとり歩いていないこともある車社会・ロサンゼルスのコンビニといったら、ガソリンスタンドにあるセブンイレブンのこと。郊外の街に行けば、ライトエイドやCVSというチェーンのドラッグストアがコンビニ代わり。そしてニューヨーク・シティでコンビニは、「デリ(deli)」と呼ばれる“ウルトラ地域密着型のよろず屋”のことを指す。ヒープスの記事でも「デリ」のことを注釈で「コンビニのようなもの」と訳したことがあるが、まさに“のようなもの”であって、コンビニです、とは断言できない。まあセブンにせよデリにせよ、ちょっとした日用品ならだいたい見つかるコンビニエンス(便利)なストア、ということに間違いはないのだが。

不機嫌顔の店主がいて、甘ったるい異国ポップスが流れる。そして、猫がいる

 ニューヨークは、他の都市に比べてこのコンビニエンスな“デリカルチャー”が発達しているように思える。そもそもデリの数がとんでもなく多い。デリのある通りの向かいには他のデリが、なんてのもザラ。数メートル歩けば同じような門構えの別のデリにぶち当たる。

 デリは、1つ25セントのロリポップからトイレットペーパー、缶詰、果物、タバコ、お酒、イヤホン、ロッタリー(宝くじ)まで売っているミニマートだ。食料品店、雑貨屋、花屋、八百屋、果物屋の合体店といってもいい。そして、デリボーイたちがサンドイッチやバーガー、フライドポテトをその場で作ってくれるデリコーナーがある。


 ついでに、ニューヨークではデリのことを「ボッデガ(bodega)」とも呼ぶ。スペイン語で「食料品店」を意味していて、1940・50年代にラテン系移民たちがデリをはじめたことから、その名残がまだあるのだとか。ニューヨークの外の人にとったらボッテガは「?」。ボッデガと口にするときはちょっとした誇らしさが含まれていることが多い気がする(案外、生粋のニューヨーカーはボッデガという言葉は使わず、たんに“ストア”や“ショップ”と呼んでいたりするが)。

 たいていのデリは移民たちによって経営されていて、その移民の系統によって店内に流れる曲が異なる。アラブ系ならアラブのポップスだったり、プエルトリコ系なら甘ったるいラテンバラードだったり。むっつり顔の店主がいることもあれば、明るい笑顔のおばちゃん、お調子者の青年、誰か店員の家族なのか明らかに12歳くらいだろうという少年が店番をしていることもある。そして、猫だ。通称「ボッデガ・キャット」。ネズミをとるために飼われているらしい。この看板猫たちがかなりの割合で店の床の真ん中に堂々と伸びていて、危うく猫踏んじゃいそうになる。

 また、だいたいこのデリというものは、ストリートの角っちょにあったりするので、特定のデリを指す場合は「that corner deli(あの角っちょのデリ)」といった表現をすることもあるのだが、ここで重要になるのが「my(わたしの)」をつけ忘れないこと。「my corner deli(マイ・コーナー・デリ。わたしの角っちょのデリ)」。贔屓の野球チームがあるように、贔屓のビールの銘柄があるように、みんなには贔屓のデリがある。
 やっと懐いてくれた猫がいるかどうか、素っ気なさも愛嬌の店主がいるかどうか、いつものベーコン・エッグ・チーズを言わずとも、ウィンク一つで「わかってる」と差し出してくれるデリボーイがいるかどうか、1パック(6本入り)7ドルのバドワイザーがあるかどうか、50セントくらいなら見逃してくれるテキトウな兄ちゃんがいるかどうかで、“わたしの角っちょのデリ”が決まる。だからデリは、“わたし”がどれほどローカルコミュニティに溶け込んでいるかの指標になり、図らずも浮気をした(いつもは行かないデリに行ってしまった)日には、“わたし”の心には厄介な罪悪感が数ミリくらい芽生えたりもする。




ボッデガ・キャットには出会えず、外で辛抱強く待つ犬がいた。

やっちまったね。“ボッデガ”と名乗ったハイテクコンビニ、嘲笑されるハイエンドコンビニ

 米国のコンビニ文化、もといデリ文化。デリが地下鉄網のようにはりめぐらされた街では、住人たちのデリへのひいき愛がわかったと思う。だから、こんなことがあれば彼らは怒り狂ってしまう。

 1年ほど前に、あるスタートアップが無人ハイテクコンビニを発明した。元グーグル社員だったテック青年たちがつくったのは、全長1メートルくらいの4段の棚。中にはエナジーバーやスナックなどの腐らない食品、そして歯ブラシやシャンプー、タンポンなどの日用雑貨が並べられていて、この棚はアプリと連動。アプリを操作することで棚の扉が開き、内蔵のカメラセンサーが客の取っていったアイテムを記録し、あとで金額が引き落とされるシステムだ。

 このスタートアップはこの棚をオフィスやフィットネスジム、アパートのロビーなどに置き、外に出なくても日用品が買い求められるコンビニのような存在にしようと企てていた。コインを用意しなくてもいい自動販売機といってはおしまいだが、そのコンセプト云々の前に、なにしろ名前がまずかった。このテックコンビニを「ボッデガ(Bodega)」と名付けてしまったのだ(しかもロゴが猫)。こんな無人の棚が、人情がもれなくついてくるボッデガ(デリ)だって!? ツイッターには憤りまくるデリ至上主義者たちの怒りのコメントが散乱する羽目に。

「倉庫のドアみたいな扉のミニバーがボッデガだって? なんて無知なんだ」
「ボッデガを“ただの箱”に置き換えることは言語両断です」
「僕:〔ボッデガ店内に入る〕チョップチーズ(サンドイッチ)ちょうだい。オニオンもね。
 ボッデガ:(無言)」

 さらに、もしこのハイテクコンビニ“ボッデガ”が流行ったとしたら、地域にある本物のボッデガのビジネスに悪影響じゃないか! と止まらない。結局このバッシングを受け、「ストックウェル」というまったく害のない屋号に改名することになった。

 そして個人的に最近「なんだこれ?」となったのが、ヘルシーブームの流れで登場したハイエンドコンビニ「ザ・グッズ・マート(The Goods Mart)」。若い女性が昨年オープンした“セブンイレブンのヘルシー版”で、「ホールフーズ(高級スーパー)とセブンイレブン(コンビニ)の合いの子」だそうだ。高級スーパーとジャンキーなコンビニが合体ってどんなことよ、と紹介ビデオを見てみるといろいろと矛盾が見えてきた。まずは立地、数年前からヒップ度が上昇中の地区(ロサンゼルス・シルバーレイク地区)。ヒップスターにとってはコンビニエントな位置にあるかもしれないが、コミュニティの真ん中にあるとはいえない。そして店内。取り揃えた食品は、すべて非遺伝子組み換え・オーガニック・人口添加物フリー。ヘルシーなのはいい。だが、チョコレート3ドル(約320円)なり、フムス5ドル(約550円)なり、マヨネーズ6ドル(約665円)なり…。メープルシロップにいたっては18ドル(約2,000円)。思った通りだ。これじゃ、ヒップスターコミュニティの金に余裕のあるミレニアルキッズしか買えないじゃないか。おいおい、確かに粗悪だが値段的にはみんなに優しいセブンイレブンを引き合いに出すとは、ズレてないかい?

 このコンビニ、最近ニューヨークの高級地区ソーホーにもやってきた。このハイエンドコンビニを「コミュニティの交流の場にしたい」らしいが…。上述の筆者のように感じた人は多く、『ニューヨークに進出!』記事のコメントには「ニューヨークから出てけ!」「まあ…せいぜいがんばれよ」「ベーコン・エッグ・チーズはいくらなの?(皮肉)」と非難轟々。デリ至上主義者を敵に回すと怖いのだ。

そこにあるだけじゃあローカルストアにはなれない

 コンビニ大国・日本にも、このニューヨークのデリに着想を得たというコンビニがあった。2017年、老舗レコード会社「P-VINE(Pヴァイン)」が下北沢にオープンした「nu-STAND(ニュースタンド)」。“本気のコンビニ”、“不便なコンビニ”、“オルタナコンビニ”と紹介されていた通り、大手のコンビニにはないこだわりの弁当や惣菜があるデリコーナー、スタンダードな商品にくわえて珍しい品も取り入れようとする棚、近所のおじいちゃんおばあちゃんから若者までが集う場があったのだが、すでに閉店されたと聞いた。やはり、大手コンビニビジネスが強い日本では、なかなか難しいのか。

 大手コンビニビジネスが強いわけでもない米国でも、デリの存続は難しい。上述の怒りの事件もそうだが、デリとして不躾にそこのローカルに介入しようとしては受け入れてもらえない。そして、そこにあるだけではローカルストアにはならない。マイ・コーナー・デリ、とローカルたちからそう呼ばれるだけの理由がなければならない。全員の共通解である便利さや品揃えではない、各々の“わたしが行く理由”がなければ。

 …と原稿を書き終わるいま、時刻は深夜を過ぎている。夕飯を食いっぱぐれ腹も空いてきた頃なので、帰りに角っちょのデリに寄る。ちょうど、不機嫌顔の店主がいる頃だ…。

Photos by Kohei Kawashima
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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