ニューヨーク中で一番蛍光灯が使われていて、一番歩きにくいスポットといったらタイムズスクエアだろう。無数のネオンは休むことを知らずに灯りつづけ、世界中の足がこんがらがって歩道を占拠する。世界有数の観光地だ。
誰もが知るタイムズスクエアだが、数十年前、誰もが知っているとは限らない“過去”があった。娼婦にポン引きが昼夜転がり麻薬中毒者が虚ろに横たういかがわしい地区だった、という。そこに落ちていた煤汚れた歴史とありふれた人間模様の始終を、ある伝説のバーが目撃していた。5000枚の記録とともに。
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娼婦、ポン引き、ゲイの溜まり場。駅前・人情酒場で
マーティン・スコセッシ監督(ニューヨークの癖ある人間を描いたら右に出る者はいない)の映画『タクシードライバー』。それかニューヨークの70年代ゲイ風俗を生々しく描いた映画『クルージング』を想像してみてほしい。通りには娼婦やポン引き、ドラッグまみれのジャンキー、路頭に迷ったゲイ。ほとんどが黒人だ。一歩通りを入ればポルノ映画館が立ち並び、ブロードウェイの劇場から出てきた白人はそそくさと退散、みな来ることを避ける危険な地区。40年前、今日の“大人気観光スポット”タイムズスクエアの姿は、微塵もなかった。
世界で一番忙しいバスターミナル、ポート・オーソリティの目の前。西41丁目と8アベニューの角っちょに立っていたのが、いまは無き老舗呑み屋「ターミナル・バー(Terminal Bar)」。巷ではニューヨークいち“タフなバー”と呼ばれ、仕事終わりの、あるいは仕事前の娼婦やポン引き、ゲイの溜まり場だった。毎晩二度の喧嘩沙汰にアルコホリックが朝から集う。
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「いやでもね、彼らは社会の端くれ者でもなんでもない。普通の人、レギュラーピープルだった」と回想するのは、バーマネージャーでバーテンダーでもあったシェリー・ネーデルマン。朝8時から夕方6時のシフトをこなしていた彼は1972年から閉店の82年までの10年間、バーカウンターから常連客や一見さんに目をやり、5000枚のお客のポートレートを残した。
ペンタックスは呑んだくれたちを、いなせに写す
呑み屋にカメラは少々場違いだ。薄暗い店内で、酒を煽りながら仲間と会話にならない会話を続けるのんべえたち。そこにカメラを持って近づいたら雰囲気も興ざめな気もする。しかし、シェリーが撮ったポートレートやスナップ写真一枚一枚からは、客の酒臭い息、酒やけの声、腹から響く威勢の良い笑い声さえ感じられるようで、のんべえたちの自然体を実にいなせに活写している。
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「仕事場(バー)にペンタックスのカメラを持っていって。いい顔つきをしている客を見つけるとさ、店内の角に連れていってライトをたいて撮ってやるんだ。フラッシュは使わずにね。みんないい顔するんだよなあ」。一ヶ月にフィルム一本(36枚)。特別な理由もなく、撮りたいときにシャッターを押しただけだ。「みんな撮られたがったよ。10年間で撮影拒否したのはたった五人だけだぜ」
たとえば、何枚ものスナップに写り込んでいる常連客ポール。シェリーが働きはじめる前からの古株で、しばらく来なくなったのちにまた通いはじめ仲良くなった。でも「彼はなにをしていたヤツかって? そんなの知らないさ」。ドライなウィスキーのようにあっけらかんとしたバーの人間関係だ。
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人種・性が入り混じり。小惑星で展開された群像劇
「ターミナルバーは“タフなバー”はもとより、ニューヨークいちの“ゲイバー”でもあったね」。シェリーのポートレートに写る半数以上もゲイだったという。「若い頃の俺はすごくイカしてたからさ。俺目当てでゲイたちが来たんだ」とシェリーはいたずらっぽく電話口で笑う。「それに、ゲイを甘く見ると痛い目にあうから。そういう意味でもタフなバー、だったのかな」
元はといえば、アイリッシュ系の筋金入りの酔いどれたちが集う呑み屋だったターミナルバーだが、70年代に入るとゲイカルチャーの興隆で客層のメインは黒人のゲイにがらりと変わった。彼ら以外にも、シンガーにプロボクサー、「下手したらそこらの女よりべっぴんな」ドラァグクイーン、昔馴染みのおじいさん、白人の肉体労働者たち、朝9時からショットを引っ掛けるコーデュロイ帽のテレビ局カメラマンがカウンターに肩を並べる。
白人も黒人も人種関係なく、ゲイもストレートも関係ない。この時代ニューヨークにはディスコカルチャーが誕生し、ディスコにはそれこそウォール街のホワイトカラービジネスマンも黒人のゲイもが入り混じり舞い踊っていた。そんなボーダーレスの小惑星は、ターミナルバーにもあったのだ。
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娼婦たちはコニャックのダブルショット片手にジュークボックスをかけ戯れる。「彼女たちの会話だけ聞けば、娼婦だとは決してわからない」。一歩通りに出れば蔑まれ、夜のしじまに姿を消す売春婦たちが一息つける場所でもあった。
明日は明日にならねばわからない
「バーにさ、幸せなんて一欠片も落ちてなかった。哀しい哀しい場所だったさ」
荒稼ぎをしていたポン引きが、“ビジネスパートナー”だった娼婦の妊娠により客を失いホームレスになった。「こざっぱりした身なりのポン引きがホームレスになるまでの一部始終をみた」。それにバスの待ち時間にライトウィスキーのショットをいつも頼んでいた看護婦の白人年配女性もある日ホームレスとなって現れた。「看護婦のときの写真とホームレスのときの写真、どちらも撮ったなんて皮肉だよね」。一寸先は闇とはこのことか。
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75セントのビールに65セントのウィスキーのショット。朝10時のラムコーク。ちょっと薄めたジョニー・ウォーカー。「それ以上呑んだら命取りよ」。忠告したのにアルコール中毒でぽっくり逝ったのか、姿を見せなくなった客。一度見たきりもう見ることのなかった客も多くいた。シェリーが感じた哀しさとは、虚しさと切なさを足して二で割ったような濃さなのかもしれない。
バーとは、一時的な憤りも興奮も、意味のわからない空虚もショットグラス一杯の哀愁も詰め込んだ空間。今宵カウンターの隣同士で盃を酌み交わした者同士が、明日には通りで挨拶もなくすれ違う。とくにニューヨークは、富める者の隣に貧しい者が座っている、そんな土地だ。毎日繰り返されたドライな一期一会は、目まぐるしく変わる電光掲示板とせわしなく歩く通行人のタイムズスクエアで、止めることのできない時代の流れとともに、ごくんと呑み込まれてしまったようだ。
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Interview with Shelly Nadelman
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若かりし頃のシェリー
Terminal Bar (Documentary Film)
Terminal Bar (Book)
Photos by Shelly Nadelman
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine