“ブルックリン・カルチャー最重要バー”と呼ばれる盛り場「Sunny’s」の100年
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ニューヨークのアンダーグラウンド・カルチャーを支えるかつての港町、ブルックリンのレッドフック地区。その海辺にひっそりと佇むひとつのバーが「Sunny’s(サニーズ)」だ。1890年にオープンして以来、このWatering Hole(盛り場)は、芸術家や作家、ミュージシャンに「遺産」と呼ばれ、ご近所からは「楽園」と呼ばれ、今日まで愛され続けてきた。

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カルチャーの遺産「最重要バー」

 サニーズはSunny Balzano(サニー・バルツァーノ)が経営するバーだ。ライブミュージックや朗読会、上映会を行い、サロンとしても存在してこれまで数多くのアーティストを生み出してきた。「ブルックリン・カルチャー、最重要バー」と、常連は口を揃える。

 まだピリついた空気の残るレッドフックの通りを外れ、アッパー・ニューヨーク湾を望む場所に「BAR」の文字を灯らせている。その煉瓦造りの暖かい色は、壁を照らす夕暮れどきの茜色が、長い年月をかけて染み付いたかのようだ。
「オアシス」「終着点」「異世界」。サニーズを形容する言葉は様々だが、共通解は「サニーズは特別な場所」といったところだ。

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「ヨット&カヤッククラブ」としての違法営業時代。飲み代はタダ

 サニーとこのバーのはじまりは、実は違法営業。1995年、10年に及ぶインドでの生活を終えてニューヨークに帰ってきていた。もともとは父が店を経営していたのだが、体調が思わしくなく引き継ぐこととなったが、ひとつの問題が。

「親族は僕が引き継ぐことを快く思っていなくてね。この建物を売りたかったんだ。だからリカーライセンスを引き継がせてもらえなかった」

 リカーライセンスを取得できず、酒を売れないならバーは頓挫かと思いきや、サニーは「The Red Hook Yacht and Kayak Club(レッドフック・ヨット&カヤッククラブ)」と称してバー営業することに。さらには「当時は酒、食べ物の支払いは全部ドネーション(寄付)だったんだ。要は、いくらでもいいのさ」との話。港町といえば酒飲みの溜まり場だ。取材陣が唖然としたのはいうまでもない。

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裁判官「私もあなたのバーの常連なんだ」

「近所の“カヤッククラブ”に行ったら、ドネーションリストに名前を書けばお酒がタダで飲めるんだ。そりゃあ来ない方がおかしいさ」とニコニコと話す。結果、サニーズは立ちどころにご近所さん集まる人気の溜まり場に。が、それだけ流行れば当然のごとくニューヨーク市の耳にも入ることになる。

「店に物々しい連中が『最終警告』をしに来たんだ」。結果営業停止をくらい裁判所へ行くこととなったが、裁判官は裁判でこう告げた。

「サニー、よく聞いてください。何を隠そう、私もカヤッククラブの常連です。何度も足を運びましたし、願わくばまた行きたい。あのバーはもうただのバーではない。あの場所が、あのコミュニティにもたらしたものを無視することはできません。よって、あなたにライセンスを取るために1年の猶予を与えます。どうか幸運を。あなたの成功を願っています」。1年後、サニーは「晴れて」リカーライセンスを取得。バー「Sunny’s」として再出発を果たした。

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Photo by Takuya Wada

ショットガンを持った男が押し入ったこともあった

 少々イタリア訛りのある英語。生まれた場所を聞くと、床を指差し「この下さ」。取材場所はサニーズのある建物の2階で彼の自宅兼アトリエだ。81年も前、サニーズで産声をあげ、今もなおこうしてレッドフックでニューヨークのカルチャーとともに歩み続けている。
ニューヨークでは数十年前(サニーが30歳も半ばになろうとする頃)より、アーティストの移住によるエリアの文化的発展の結果、比較的裕福な層が流入して地価高騰するジェントリフィケーションが絶えず起こっており、ブルックリン地区はまさにその渦中にある。
今日のレッドフックは他の地区のように「高級化」を終えた地区ではないが、荒々しい殺伐とした雰囲気を残しつつも、アーティストが移り住み注目を集めているエリア。一部は既に高級エリアだ。

「昔、叔父がよく野良犬に餌を与えていた。その頃は周りに何もないから、店の前に列を作るようになったのはその犬たちだったよ。叔父が死んでからも彼らは決まった時間に来続けた。それがいつの間にか野良犬なんていなくなって、店や人、巡回する警察も増えて、比べ物にならないくらい住みやすい街になった」

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 ニューヨークにかつての荒々しさはない。そんなことを時折聞く。アンダーグラウンドカルチャーはもう死んでしまった、と。しかし、ニューヨークを見届けてきたサニーは、いまやトレンドとなったブルックリン、そしてレッドフックに起きている現象を「素晴らしいことだ」と話す。

「ブルックリンには本当に何もなくて、サニーズもレッドフック周辺で唯一のバーだった。治安だって本当にひどいもので、ここではいえないようなことが沢山あったんだ。店にショットガンを持った男が押し入ったときもあったよ。でもまぁあまりにもひどいエリアだったおかげで、この建物を1万ドル(約120万円)で買えたんだけどね。いまじゃ考えられられないだろう?」

 とても大切にしていることがある、という。それは「ひとりにしない」こと。「来てくれた人に家に帰ってきたような気持ちになってほしい。だから絶対に孤独にさせない。寂しそうにひとりで飲んでいれば「今日一日はどうだった?」と話しかける。壁が溶けてきたら隣のお客さんに紹介する。そして“Family”になって帰っていくんだ。そしてそれは僕の人生でもっとも大切なこと」と、いくつもの会話がとびかったバーカウンターを、愛でるように見つめながら話す。
 巨大ハリケーン「サンディ」がニューヨークを襲ったのは3年前。被害を受けたサニーズが閉店を余儀なくされたとき、“Family”たちが再開店のための資金をキックスターターで募った。資金は瞬く間に集まり翌年のサニーの誕生日に復活を果たす、ということがあった。サニーズが愛され彼のもとへ人が集まる何よりの証拠だ。

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Photo by Takuya Wada

 ニューヨークで生きることの悲しみも、喜びも知っている。サニーの話はニューヨークの歴史を辿っている感覚にさせ、やわらかな表情から浮き出る皺は、紐解いた歴史を刻んだ年輪かのようだ。
 取材中、こんな場面があった。日本について話が及び、筆者が長崎出身だとわかると彼は、「そうか、そうなのか。私たちを許しておくれ。そして今日、君に会えて本当に光栄だ」。声を震わせて手を握ってきた。彼自身、繊細さゆえ長い人生、多くのことに傷つき、孤独を味わってきのかもしれない。サニーズを照らす夕暮れは、今日も寂しくなるくらいに暖かい色だ。

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Photographer: Takeshi Abe
Writer: Takuya Wada

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