第一次世界大戦中、敵国だったドイツ軍とイギリス軍の兵士たちが休戦して興じたサッカー、壁越しに東のベルリンの民が聞き耳を立てた、西ベルリンでのデヴィッド・ボウイのコンサート。揉めている国の料理しか出さないレストラン。対立する国家や地域のあいだには、ときにスポーツや音楽、食が架け橋として存在してきた。
長らく紛争問題を抱える2つの地域が「テック」の力を借りて、平和を実現しようと始動。一時的な対処療法の平和ではなく、継続的な平和を目指して。
イスラエルとパレスチナを繋ぐ。ハイテクと平和の「Tech2Peace」
「イスラエル人とパレスチナ人は普段は話をしませんし、日常的に交流はしません。互いの国については、バイアスのかかったメディアを通してでしか知らないんです」。
隣接する地域で100年以上紛争が続いている。今日のイスラエル・パレスチナ問題の大きな原因は、第一次世界大戦中に中東を支配していた英国の“三枚舌外交”*にある。世界史で耳にした記憶のある人もいるだろう。
簡潔にいえば、英国がアラブ人とユダヤ人両方に「ここをあなたたちの土地にしてあげます」と宣言したことで、アラブ人が住んでいた土地(パレスチナ地域。英国統治下のパレスチナ委任統治領)にユダヤ人が流入。さらに英国、フランスには「戦争が終わったらここを自分たちで分けよう」とも約束していた。三者にいい顔をした政策がこの土地に混乱を引き起こし、アラブ人とユダヤ人の溝は深刻化していく。
その後、第二次世界大戦にてドイツでのユダヤ人迫害を機に「ユダヤ人のための国が必要だ」と、米国の支援のもとパレスチナ地域でユダヤ人のためのイスラエル国の独立を宣言**。これによって、パレスチナ地域に住んでいたアラブ人の多くが土地を失い、ヨルダン川西岸地区(ウェストバンク)やガザ地区、またはレバノンやヨルダンに避難するパレスチナ難民に。土地を取り返したいアラブ人との衝突が絶え間無くなり、戦争(第一次中東戦争)へ。
その結果、「イスラエル国」V.S. 「パレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区・ガザ地区)」「イスラエル人(イスラエルに住むユダヤ人)V.S.「パレスチナ人(パレスチナ自治区に住むアラブ人)」という現在の構造が生まれ、対立は激化。イスラエル軍によるパレスチナ人への武力攻撃、抑圧は続き、パレスチナ人によるテロも日常的に勃発、泥沼化している。
そんな中で、20、30代を中心にこんな地道な活動がおこっている。「お互いのことをポジティブに話さない両者のあいだに、信頼を築く機会をあたえたかったんです」。そう話すのは、昨年夏に生まれた団体「Tech2Peace(テック・トゥー・ピース)」共同創設者でイスラエル人のウリ・ローゼンバーグ。同団体の目的はただ一つ。「若いイスラエル人とパレスチナ人を対象に、ハイテクと平和構築のセミナーを開催。両者のあいだにポジティブな関係性を長期的に築くこと」だ。
*フランスとは、第一次世界大戦後オスマン帝国の領土である東アラブを分割してそれぞれの勢力圏にしようと約束(サイクス・ピコ協定)、ユダヤ人にはパレスチナの地に郷土を建設することを表明(バルフォア宣言)、アラブ人とはアラブ独立国家の樹立を約束(フサイン・マクマホン協定)。フランス、ユダヤ人、アラブ人の3者にいい顔をした政策。
**2000年前にはユダヤ人によるユダヤ王国が栄えていた。ローマ帝国によって滅ぼされユダヤ人は離散。パレスチナ地域での国家再建はユダヤ人の悲願であった。
「参加者は、イスラエルから15人、パレスチナから15人。厳密に平等です」
「パレスチナ人ときちんと話をしたことのあるイスラエル人は少ないと思います。ぼくの歳(42歳)くらいになっても、まだ話したことがない人もいるでしょうね」。もちろん、それは個人によって異なるものの、「イスラエル人はパレスチナ人のことを“テロリスト”や“野蛮”と無意識的に思っていることも多いでしょうし、パレスチナ人は、イスラエル人のことを“人種差別主義者”、“強欲な人間”だと思っている節もあるでしょう」。
イスラエル人とパレスチナ人のあいだに深く刻まれた敵対意識。その意識を取り除くため、いままでも、両国の若者が参加し平和について対話するピースキャンプなどは存在していた。が、こんな課題が残っていた。「イスラエルとパレスチナから若者が参加するのですが、7日から10日ほどのセミナーを終えてしまったら、帰国。いつもの生活に戻ってしまって、せっかく築いた友好関係が消えていってしまうんです。たとえるなら、異国で出会った者同士がつかの間の恋に落ちるが、それぞれの国へ戻ったら、それっきり。そんな感じです。“一回きりの交流体験”ではなく、継続的な結びつきが必要だと思いました」。
過去に11、12年ほどイスラエルとパレスチナの平和のための対話セミナーを主催していたウリ。セミナーは数日、長くても1週間だったため、「長いあいだ一緒に過ごせる機会ではなかった。どうしたら、これ以上の交流体験を提供できるのかと考えていて」。そんな時に若者向けITトレーニング会社で働くイスラエル人のトマーと会う。「そこで思ったんです。ITトレーニングと平和への対話を合体させたプログラムを作ったらどうだろう、と。長期ITトレーニングのプログラムをしながら、平和について対話する時間も組み込む。〈テックセミナー×平和の対話〉プログラムが誕生した。
昨年8月には第一回をイスラエルで開催。2週間の夏期プログラムで、対象はテック産業に興味のある新卒生や将来の夢をまだ探っている段階の学生、テック業界の経験のない社会人など。「イスラエルには徴兵義務があるので、兵役を終えた就活生などもいますね」。
参加者の年齢は20代前半から20代半ば。人数は30人だ。「イスラエルから15人、パレスチナから15人。ここは厳密に平等な数になるよう守ります」。しかし、パレスチナのヨルダン川西岸地区からの応募者は、越えなければいけない難関が二つある。「一つには、物理的な問題。イスラエルへ入国するには政府からの許可証が必要なので。二つには、社会的な問題。パレスチナ人は、イスラエル人となにか協働することに恐れを感じている。イスラエル人と一緒になにかをしているところが友だちや近所の人にばれたら、裏切り者だと思われるからです。だから実際、顔出しNGというパレスチナからの参加者もいました」。
「ぼくたち主催者があれこれ言わなくても、自然と対話が生まれていた」
2週間のあいだ、ウェブデザインやプログラミング、アプリ開発、3D、グラフィックデザインなどの基本的なテックのスキルを集中学習。IT業界のエキスパートたちもゲスト講師として招かれる。「彼らも、イスラエル、パレスチナ双方から招致しています」。そのほか、就活用のレジュメやリンクトイン(ビジネス用のSNS)のアカウント作成、そして最終日に締め切りを控えた修了プロジェクト。みんな毎日、深夜まで作業しているそうだ。
そしてもう一つの目的「平和への対話」も同プログラムにしっかりと組み込まれている。参加者同士が円座し、毎日3時間。ファシリテーターやゲストスピーカーの導きのもと、「ヘビーなディスカッションになります。まず初日は『どうやったら対立する相手同士が協力しあうことができるか』という基本的な話からはじまり、両地域の文化やアイデンティティへと話は進む。4日目には、紛争について徹底的に話し合います。そのあと、『若者たちはどんな解決方法を生み出すべきか』『ミレニアルズは将来をどう見据えるか』など、具体的な話へと着地するのです」。
腹を割って話すディスカッションや敵対する地域のクラスメイトと机を並べるゆえ、「参加者が突然泣き出すかもしれない、コンピューターラボで喧嘩が起きるかもしれない」。だからゲストスピーカーや講師を選ぶ際は、「テックの天才を連れてこよう、ではなく、テックに長けていて、このような感情的な場面にもうまく対応できる能力をもった人を見極めました」。
蓋を開けてみれば、ウリたち主催者側の不安を裏切るように、ディスカッションは平和だった。「ただ一回だけ、イスラエル人の参加者が泣き出したことがあって」。その日のゲスト講師は、パレスチナのメディア関係者だったのだが、激しい反イスラエルの思想をもっていた。「ショックで動揺する彼女を、プログラムを通して仲良くなったイスラエルとパレスチナの参加者が慰めていた。ぼくたち主催者があれこれ言わなくても、自然と3人の対話が生まれていたんです。イスラエルとパレスチナの“小さなコミュニティ”(Tech2Peace)のなかでも、問題が解決される。美しいことだと思いました」。
2週間のプログラム中、イスラエルとパレスチナの参加者は教室やディスカッションだけでなく、寝床や食事の席も共有する。「2段ベッドで一緒に寝起きを共にします」。イスラエル人と話したことがなかったパレスチナ人、パレスチナ人のことをニュースでしか見知りしていなかったイスラエル人も、「初日こそ、お互いぎこちなかったですが、授業のプロジェクトのため勉強を一緒にしたり、買い物に行ったりすることで、打ち解けていきました。だんだんと会話も砕けてきて、仲良くする方法を教えられずも、自分たちで歩み寄る感じで」。そうしていくうちに、紛争問題など、普段は触れづらい話題についても話は及ぶ。たとえば、とウリがあげたのが、元イスラエル軍人の参加者と、パレスチナ人のクラスメートの話。パレスチナ人たちは、元軍人のパレスチナでの経験を聞きたがり、いろいろ質問していたという。「パレスチナ人はイスラエル軍がやったことは好ましく思っていませんが、軍人のクラスメートに対する偏見の目は決して持っていませんでした」
敵同士が“同僚”に。働く場所を問わない〈テック〉を通して協働する
今年、Tech2Peaceは2回のセミナーを開催する。グーグルからゲスト講師を招いたり、理系トップのマサチューセッツ工科大学とコラボレーションしカリキュラムを組んだりと、内容もパワーアップ。さらに今年は、ボストンの大学と協力し、プログラム卒業生から優秀な人材をパレスチナ、イスラエル双方から選出、「50 50 Startups」という米国のスタートアップ育成プログラムへ送り込み、2ヶ月間一緒のプロジェクトに取り組んでもらう予定だ。「Tech2Peace修了後も、卒業生たちには繋がっていてほしいと思います。一緒にスタートアップを作ったり、仕事の紹介をしあったり。ぼくたちのプログラムが、彼らの未来に繋がってほしい。一度限りのことじゃなくて」。
ところで、イスラエルはテック・スタートアップ天国だ。中東のシリコンバレーと呼ばれ、アップル、フェイスブックなどグローバル企業が進出しているほか、自国でも毎年何百ものテック系スタートアップが生まれている。「イスラエルにあるテック会社で、ユダヤ人とアラブ人が一緒に働く光景も増えている。パレスチナのテック産業も成長していますからね。腕のいいエンジニアやコーダーも多くいる。今後、イスラエルがアラブ市場を拡大していく際には、アラブ語も操るパレスチナのコーダーたちは重要なリソース。いい意味でお互いのことを“利用する”、仕事上のパートナーとしてWin-Winな関係という状況です」。
事実、近年テックを介したイスラエルとパレスチナの関係は深まるばかりだ。たとえば、パレスチナのテック企業に焦点をあて、70億円ほどの資金を集めているイスラエルの投資会社があったり、イスラエルの起業家が、アラブ人が多く居住するイスラエルの地区に航空宇宙テクノロジーに特化した学習センターを作ったり。テックとその事業は、人種や地区をまたいで進んでいる。
さらにテックは物理的な距離も、ものともしない。地域間を行き来することに制限があり、同じ職場で働くことが不可能な場合も多いイスラエルとパレスチナを繋ぐ。現に、すでにパレスチナのソフトウェア会社ではイスラエルを拠点とする20人のエンジニアたちを擁していたり、「イスラエルのテック企業には、ラマッラー(ヨルダン川西岸地区にある都市)のスタッフを遠隔で雇っているとところもあります。スカイプや電話会議があるから大丈夫です」。
一つのプロジェクトを実現、一つのプロダクトを開発するために、敵対する地域の者同士がサイバー上でコラボレーション。それを実現するのが、テック業界の強みだという。それに、「テック業界のいいところは、“色盲”(肌の色を気にしない)であることです。スキルがあれば(人種、肌の色関係なしに)成功できる」とウリ。「テックに壁はありません。イスラエルとパレスチナの若者には、国や地域の境界は、たんなる“物理的なもの”というマインドセットを社会人として働きだす前からもっていて欲しい。パレスチナ人とイスラエル人は憎みあっている部分もありますが、共通する部分も多々あります。お互い、いい人生、いい仕事を望んでいることは両者とも同じですから」。
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Eyecatch Image by Haruka Shibata
All images via Tech2Peace
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine