第10話 いつまでも届かない弁当、工事中の観光スポット。ムスリム70人のはちゃめちゃ宮島旅行|香川県モスク計画、祈りのルポ

香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う。
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2020年、11月の早朝6時。X市の駅前のロータリーで、インドネシア人の70人くらいの団体とともに、私は大型バスを待っていた。朝が超絶弱い私はだれと会話することもなくぼんやりつったっていると、若いインドネシア人女性が、昨晩友だちとつくったというドーナツをくれた。今日は楽しい旅行の日だ。大型バスとマイクロバスの2台を借り、70人のインドネシア人たちと瀬戸内海を渡り、広島県の宮島と原爆資料館をともに訪れるのである。

なんとなく予想はしていたが、はちゃめちゃな旅だった。この日帰り旅行で、どうということのない弁当からも、そして奇跡的に最悪な展開からも、彼らイスラム教徒のありかたをまた知る。そして私は、原爆資料館でイスラム教徒である彼らを追い続けるきっかけとなった遠いあの日のことを、思い出した。

「香川県にモスクをつくろうとしているインドネシア人がいる」

その噂を聞いた数週間後、私は香川県のx市にいた。グループのリーダー、フィカルさんに会い、家にあがったその日から、当初の想定よりもだいぶ重く、深く、そして親密に、計画の渦中に身を置くことになった。

この連載では、フィカルさんと仲間たちがさまざまな問題にぶち当たり、それでもめげず、時に迷走しながらも、モスクのために突き進む姿を追う。資金集め、物件探し、そのどれもが外国人の彼らには大難題だ。浮き彫りになる差別や偏見。仲間との不和。

地方都市で外国人が生きることはどういうことか? 信仰とは? なぜそこまでしてモスクを建てようとしているのか?

これは、香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う現在も進行中のルポルタージュだ。

フィカルさんと出会って、1年が経った。その間に、私たちはお互いの悩みを相談し合う友人になった。だからジャーナリズムというよりも、友人とその仲間たちが夢を追う様子を記録したものという表現が近いかもしれない。

まずは数回にわたり、私とフィカルさん、そしてインドネシア人のムスリムたちとの出会いから今日までの約16ヶ月の道のりを、そしてその日々に私が目にし耳にし、立ち会ってきた彼らのさまざまをレポートしてゆく。

第1話「出会いと、初めて足を踏み入れた日」はこちらから。

 ドーナツをむさぼっていると、マイクロバスがあらわれた。外国人の集団が20人ほど、これまた眠そうに降りてきた。言語や顔のつくりから察するにベトナム人だろう。しばらくすると、入れ替わるように別のベトナム人がぞろぞろ、そのマイクロバスに乗り込んでいく。おそらくこれは技能実習生の送迎バスで、夜勤と日勤の交代の時間なのだろう。ロータリーから20メートルほど離れた広場に目をやれば、ネパール人らしき自転車の集団がたむろし、その奥で労働者風の服装をした日本人の老人が、ベンチに座り雑談をしている。かつて国内の女工や労働者たちが仕事を求め流れ着いた街であるX市。現在は外国人がその役割を果たし、日本経済を支えるという、時代の変遷の縮図がさびれた駅前に鮮やかに凝縮されていた。

大型バス貸切でいくにはワケがある

 この旅行は、フィカルさんを先陣にKMIKが主催した。集金活動で疲れ切ったフィカルさんと、中心メンバーたちにとっては慰安旅行のようなものだが、70人をまとめあげ、旅行に出かけることを考えるとそれはまたそれで大変な労力である。Go to travelのおかげで、バスのリース代は少し値下がりしていたことはラッキーだった。

 大型バスを借り、大所帯で全員一緒に旅行へ。彼らの行動力には驚かされるばかりだが、これには特有の理由がある。まず彼らの多くは日本語を流暢にしゃべれないので、電車の乗り継ぎが不安だ。そして旅先では、お祈りをする場所に困る。電車移動の場合、大阪駅などの大きな駅ではムスリム用の祈りの部屋を設けてくれているところもあるが、ほとんどみつけられないのが現状なのだ。バスを貸し切れば、どこかで停車してもらい、お祈りもできる。

 フィカルさんは食事の準備もしっかりしていた。宮島行のフェリー乗り場で広島在住のインドネシア人女性のハラル弁当屋と落ち合い、70人分の弁当を受け取る手はずを整えていた。その弁当屋はSNSで見つけ、繋がったという。会ったことはまだ一度もない。相変わらず、インドネシア人のネットワークには驚かされるし、聞けば、本当に弁当屋か定かではないらしい。そんな人をよく信用できるなと感心する。

 私自身、宮島に行くのは初めてだった。鮮やかな紅葉、そしてなにより平安時代のみやびな文化にあこがれを持っていた私は、平家が建立した神々しい厳島神社を拝見するのを楽しみにしていた。インドネシアでも観光地として有名らしく、日本といえばあの鳥居といっても過言ではないほどなのだそう。それを見られるチャンスなのだから、70人が集まるのも無理はない。

のんびりと、なんとなく、でも着実に進んでいく旅

 大型バスがロータリーに入ってきた。ドアが開き現れた中年の運転手の表情がインドネシア人の集団を見た瞬間、ピクリと動いたが、彼らがにこやかにお辞儀をすると、運転手はその瞬間に平静を取り戻したようだった。挨拶が警戒心をほどくのは、どの国に行っても同じなのだ。

 さあ、出発だ。KMIKのメンバーきっての人格者であるアディさんが、緑色のオモチャのようなかわいいメガホンを使い、バスに乗るように誘導しているが、その間も各々がトイレに行ったり、広場をうろついていたりとまとまりがない。しかし、アディさんは焦った様子は見せない。彼は香川大学に通い、博士号の取得を目指している。奥さんと子どもとともに来日し、予定の3年は過ぎたが、コロナの影響で帰国時期が延びていた。しかし「なんとかなりますよ。待つしかないです」というぶれないメンタルの持ち主だ。彼の呼びかけに促され、のんびり、ぽつぽつとバスに乗り込んでいく様子を見ていると、宮島行のフェリーに乗り遅れないか、早くも心配になってくる。




 バスの中でちょこんと端っこに座り、近くにいた農家の技能実習生であるワディン君にしゃべりかけた。彼とはフィカルさんの家で一緒にカレーを食べたことがある。来日して2年くらいだが、ずっと野菜作りにはげんでいたので、旅行にいくのは今回が初めてなのだという。 折角日本に来たのだから、もっといろんな場所へ旅行に行ってほしいが、電車に乗ることや、食事、祈りのことを考えると、なかなかいけないのが現実なのだ。
「でも、旅行をしないとお金もたまるし、仕事も楽しいから、別につらいとは思いません」と彼は言い、最近購入したという新型のiphone12をとりだし、得意げに動画を撮影しはじめた。私はiphone7だというのに。ちょうどこの時期、コロナによって生活苦に陥り、帰国したくても帰国できない技能実習生の悲劇が、日々報道されていた。当然ながら、それがすべてではない。特に不満なく働く普通の労働者の日常はニュースにならないからか、情報の混線が起きていた。「かわいそうな人たち」と日本社会にラベリングされていることを、彼らは知っているのだろうか。

静かにはじまっていた、伝説の弁当事件

 時間通りに宮島行きのフェリー乗り場に到着したが、その混雑ぶりはすさまじいものだった。乗船チケットはバス会社が人数分用意してくれていたので、スムーズに乗船できそうだ。さて、乗り込もうと歩いていると、フィカルさんがスマホを手にし、何度も電話をかけている。

 この時、実はとんでもないことが起こっていた。70人分の昼飯を託された例の弁当屋が、約束の時間に一向に現れないのだ。電話に応答はなく、ついにはコールがならなくなった。電源が切れたのだろうか。約束の2時間ほど前に電話をかけると、「ぎりぎり間に合いそうです」と応答があったらしいのだが。まさか逃げられたのか?  いや、そもそも代金はまだ支払っていないので、詐欺にあったわけではないのだが。

 しかしこれでは、みんなが腹をすかせたままの旅行になってしまう。せっかくの楽しい時間も、弁当がなければ台無しだ。何度も電話をかけるフィカルさんの表情は、徐々にこわばっていく。電話がつながったのは、乗船時間の直前だった。ちょうど向かっているとのことだが間に合いそうもないので、次のフェリーの便で宮島まで持ってきてくれることになった。それでも、責任感の強いフィカルさんは、気が気じゃない様子だ。

 20分後に宮島に到着。フィカルさんは片手に青い巨大な塊を抱えて歩いていた。「それなに?」と聞くと「お祈り用のブルーシートね。10メートルくらいある大きいやつね」という。下船すると、ちょうど乗り場の横に広いスペースがあった。弁当屋を待つためにも、そこでお祈りをすることに。ほかの人の邪魔にならないようにブルーシートを敷こうとしたが、強風でふわふわ揺らぎ、設置するのに時間がかかった。周囲の日本人たちが、なんだ? なんだ? という感じで、不思議そうに見ているなかで、ブルーシートの上に70人のインドネシア人が、メッカの方向へ向かって仁王立ちになった。ちょうど、瀬戸内海のほうを向いている。





お祈りのまえには、身を清める。手と足と顔に水をかけていく。

 いつものように、アッラーをたたえる歌を先頭の人が歌い、後ろで列をなす人たちが神妙な顔で下を向く。それにしても、これだけの人数がいたら壮大だ。奥に瀬戸内海と次の出向を待つフェリーがあるのが、なかなかシュール。その時、なぜかシンフォニックなシンセサイザーの曲が聞こえてきた。まるで海に神が降臨したような、ドラマチックなメロディ。イスラム教の旋律ではないし、かなりの大音量だが、周囲を見渡してもどこからなっているかわからない。船の出発音かな? と思ったが、そうでもなさそうだ。

 その天から降ってきたような音の演出効果もあってか、まるでアトラクションのようにも見えてきた。彼らの写真を撮る観光客もいたし、手を合わせるおばちゃんもいた。なんだかんだ、日本人は宗教に寛容だなあと思う。あの音はいったい何だったのだろう? いまでも謎だ。

 彼らはいつもどおりの、祈りをささげていた。人々の声、さざ波の音、汽笛が聞こえるが、敷物が一つあれば、そこは彼らの祈りの場になる。世界中のどこでもだ。





70年に一度の“幸運”に、感謝と笑い

 お祈りが終わりブルーシートを片づけていると、次の便のフェリーがきた。弁当屋がのっているはずだが、いくら待ってもそれらしき人は現れない。フィカルさんの表情がまたこわばる。電話をかけると、また不通になっていた。もう正午を過ぎていた。これ以上待つと、帰りの便に間に合わないので、空腹に耐えながら宮島を散策しなければなさそうだ。売店はいくつかあるのだが、すごい行列だし、団子のようなものしか見当たらなかった。

 ここからは各々、自由行動に。しかし、フィカルさんは相変わらず何度も、何度も、電話をかけている。もはや、旅を楽しむどころではなくなっている。

「みんな腹減ってないのかな?」と観察したが、こんな事態に陥っても、誰もイライラしていない。「まあ、しょうがないか」という感じで、焦っているのはフィカルさんだけ。「あの弁当屋のおばさん、会ったら文句言うね」と、目を血走らせている。

 聞けば、今回の旅行のメンバーはフィカルさんの知り合いばかりではない。しかし誰も文句を言わない。女の子たちは、海沿いでポーズをとってセルフィーに夢中だし、プトラ君たちは鹿のえさを購入し、追いかけられてきゃっきゃっとはしゃいでいた。断食になれている彼らの辛抱強さ、そして運命を受け入れる力を、今回は弁当を通じてまた知るとは。



「フィカルさん、弁当はもうあきらめて、神社を見に行こうよ」と誘った。今回の旅のハイライトの一つだ。フィカルさんも気を取り直し「私、歴史が好きなんや。神社とか大好きだから、すごく楽しみにしているんよ」といっている。私たちは空腹のまま、ひとごみをかきわけて進んだ。途中で一緒になった子たちにカメラを向けると、赤面し「えー、恥ずかしいなあ」という。しかしいざ撮影がはじまると、あれこれポーズをとりはじめ、「これもお願い」と、指でハートマークをつくるなど、どんどん要求してくる。インドネシア人女性は、よくわからない。

 そんなこんなで、やっと厳島神社が見える場所に到着した。しかし、鳥居はどこにも見えない。「あれ? ここのはずだけどなあ」とフィカルさん。遠くに建設用の足場が組まれた巨大な建造物があるだけだ。「え? あれなに?」と誰かがつぶやく。目を凝らすと、足場の奥に、鳥居のようなものが少しだけ見える。

 これは…まさか、改修中なのか。ここまできて、それはないだろう。聞いてみればなんと、70年に一度の大改修が行われているらしい。そういや大昔、ギリシャに行った時もパルテノン神殿が改修中だったなと自分の思い出も蘇った。私のイライラも頂点に達そうとしたとき、フィカルさんがこういった。

「70年に一度しか見られないってことは、一生に一度しかないチャンスってことね。私たちラッキーね」。周囲にいたインドネシア人たちも、あははと笑った。私もイライラするのが馬鹿らしくなったので、一緒にあははと笑った。


 厳島神社を見るという唯一の目的を果たしたので、フェリー乗り場へと向かった。そろそろ出発の時間だが、乗り合い所には40人ほどしかインドネシア人がいない。私は心配になったが、引率役のアディさんは、たまに緑色のメガホンを使い、 なにやら喋っているだけ。間に合うのか? またもはらはらしたが、乗船時間の数分前には全員が集合した。のんびり集まり、のんびり乗船し、次の目的へ向かう。すべてが、なんとなく進んでいく。よくこんなので予定通り進んでいけるなと感心するが、彼らのルールがあるのだろう。

 フィカルさんは、フェリーの中でも弁当屋に電話をかけていた。もう何回電話をかけたのかわからないが、まだ不通のまま。フィカルさんの発信履歴は、弁当屋の番号に占拠されているだろう。「まあええやん。フェリー乗り場におるかもよ」と慰めてみたが、弁当屋は結局現れなかった。フィカルさんの表情は、鬼の形相へ変わっていった。

果たして、弁当は届くのか? このあとはみんなで原爆資料館へ。そこで思い出すある友人のこと、私がイスラム教徒を取材し続ける理由。次の第11話に続く。

Text and Photos by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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