【連載】香川県モスク建立計画を追え!地方都市の団地で生きるムスリムと、祈りのルポルタージュ。|第1話 出会いと介入まで(前編)

香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う。
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「香川県にモスクをつくろうとしているインドネシア人がいる」

その噂を聞いた数週間後、私は香川県のx市にいた。グループのリーダーと会い、家にあがったその日から、当初の想定よりもだいぶ重く、深く、そして親密に、計画の渦中に身を置くことになった。これは、香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う現在も進行中のルポルタージュだ。

***

2019年3月の夜7時。ヘッドライトに背後から煽られながら、私は車で香川県のx市に向かった。瀬戸内海に面した北部の工業帯を抜け、やがて住宅団地の神社の駐車場にたどり着いた。フラフラ歩くサラリーマンや、子どもを乗せチャリで爆走する女性とすれ違いながら、街灯を頼りに指定された住所へと歩く。  

「香川県にモスクをつくろうとしているインドネシア人がいるんですよ」。噂もとい情報をくれたBさんはサーファーで、波を求めてインドネシアに通ううちにイスラム教に改宗し、割礼までした日本人。彼の仲立ちでそのインドネシア人に会い、話を聞かせてもらう約束をした。一体どんな男なのか? モスクをつくろうというくらいだから、さぞ信心深い人なのだろう。しかし私はイスラム教について詳しくないし、ただおもしろそうという理由で取材をしたいと思った野次馬だった。追い返されたらどうしようか。いまさらそんなことを考えていると、民家から男が現れ、巨体を揺らしながら近づいてきた。褐色の肌に彫りの深いインド系の顔だ。身長は180cmくらいあり恰幅もよく、ムスリムがかぶる刺繍が施された帽子をかぶっている。思わず受けとった怪しい印象に、私は身構えた。男は大きな瞳をこちらに向け、口を開いた。

「よう来てくれました。私フィカルね。いまからモスクの打ち合わせするけんね」と流暢すぎる讃岐弁。
このニコニコ笑っている男がフィカルさんだ。38歳のインドネシア人で日本に来て15年が経つ。造船会社で溶接工員として働きながら、娘を3人育てている。モスクをつくろうと奮闘するインドネシア人グループのリーダーで、長渕剛をこよなく愛するムスリムだ。この日は友人と話し合いをしているとのことだった。


フィカルさん。

モスクはムスリムの生活に欠かすことができない礼拝所だが、香川県にいまはない。現在インドネシア人は県内に約800人。また、バングラデシュ人や、パキスタン人など多国籍なイスラム教徒が香川県で暮らしている。祈ることが日常の彼らにとって、モスクがないことは不便極まりないものなのだ。

「どうぞどうぞ。入ってください」と低姿勢のフィカルさんは玄関のドアを開けてくれ、私は導かれるように家の中へ足を踏み入れた。この一歩から未知の宇宙へ突入することになるとも知らずに。

***

この連載では、フィカルさんと仲間たちがさまざまな問題にぶち当たり、それでもめげず、時に迷走しながらも、モスクのために突き進む姿を追う。資金集め、物件探し、そのどれもが外国人の彼らには大難題だ。浮き彫りになる差別や偏見。仲間との不和。

地方都市で外国人が生きることはどういうことか? 信仰とは? なぜそこまでしてモスクを建てようとしているのか? 当初は、移民の苦境を炙り出そうとしていた私だったが、いつのまにかすっかり彼らから学ぶ立場へと変わっていくことになった。“彼らの側”からみた日本社会は、多くのことを教えてくれている。それは自らの欠落を発見し、向き合う、瞑想のようなものだ。

フィカルさんと出会って1年が経った。その間に、私たちはお互いの悩みを相談し合う友人になった。だからジャーナリズムというよりも、友人とその仲間たちが夢を追う様子を記録したものという表現が近いかもしれない。

ちなみにこのテキストを書いている時点では、右往曲折の連続で、まだ十分な資金も集まっていないし物件も見つかっていない。突如起きたコロナ禍のせいでさらに迷走中。つまりはこの連載も、見切り発車ではじまろうとしている。

モスクが本当にできるのか不安だ。しかし当のフィカルさんは「毎日祈っているから大丈夫や」と言い張っている。大丈夫なのだろう。多分。
まずは数回にわたり、私とフィカルさん、そしてインドネシア人のムスリムたちとの出会いから今日までの約16ヶ月の道のりを、そしてその日々に私が目にし耳にし、立ち会ってきた彼らのさまざまをレポートしてゆく。

1話「団地、強烈なスパイスの匂いのする10畳の畳部屋。集まるムスリム、会議と祈りに参加する」

 地方都市の狭いコミュニティ。特別なことが起こらない日々は、この街のすべてを知り尽くしたような錯覚へと誘う。しかし見ようとすれば、見えていなかったものが立ち現れる。この日私は、未知の宇宙へ足を踏み入れた。

 1戸建ての住宅が立ち並ぶ団地。「どうぞどうぞ。ここ私の家ね」というフィカルさんに誘われ、築30年の民家の玄関の引戸をガラガラと開けると、強烈なスパイスの匂いが鼻腔を刺激した。次の瞬間に目に飛び込んできた、上がり框(かまち)に座るヒョウ柄のヒジャブ(ムスリムの女性がかぶるスカーフ)を被った、カレーを食べる女性。吸い込まれそうな澄んだ目と褐色の肌を持つ彼女は、突然に日本人が現れて驚いたのか、こちらをぽかんと見上げていた。

 仲立ちしてくれたBさんからは「モスクの集まり」とだけ聞いていた。きっと静謐で厳かな話し合いなのだろうと思っていたが、早速の不意打ちに面食らってしまった。

 私はなんとか平静を装った。しかし靴を脱ぎ、奥の和室を覗けば今度は私が口をぽかんとあけた。隔てる襖が取り払われた10畳ほどの畳部屋にシートが敷かれていて、20人ほどのインドネシア人がぎゅうぎゅうに座っていたのである。奥の畳の部屋はピンク、赤、白など春の花畑のように色鮮やかなヒジャブを被った女性たちが床に座り、カレーを食べている。彼女たちが纏うインドネシアの民族衣裳の色彩の豊潤さと、和室のギャップに軽く混乱していると、覚えのあるメロディーが聞こえてきた。女性たちの奥にある32インチのテレビに映るライブ映像。「カーモンベイビー!アメリカ!」とDA PUMPがジャンプしていて、ヒジャブを被った子どもたちが飛び跳ね踊っていたのであった。近くに座る女性に子どもの足がぶつかっているが、どちらも一向に気にしない。手前の畳の部屋には男性が10人ほど座り込み、カレーを食している。イスラム教徒がかぶる刺繍が施された帽子をかぶっている人や、ー見すると日本人にしか見えないファッションと薄い顔立ちの若者が、聞きなれない言語でワイワイと雑談していた。



 これは一体どういうことだ? ついさっきまで近代日本を象徴するような団地の路地を歩いていたはずだ。カオスっぷりに圧倒され、しばし忘我。しかし、それを相手に見透かされてはいけない。こういう時は笑顔をつくり、爽やかに挨拶するに限る。

「こんばんは!」

 彼らは食事の手を止め、一斉にこちらに目を向けた。突如現れたイスラム教徒ではない、謎の日本人を受け入れてくれるのかという不安はあった。私がニュージーランドに住んでいたころ、サウジアラビア人の友だちがいた。砂漠の民でプライドが高い彼らは、仲良くなればいい奴らだったが心を開いてもらうのに時間を要した記憶が頭をよぎった。一瞬の沈黙が不安を煽る。けれど次の瞬間、一様に柔らかな微笑みを浮かべ「こんばんは」と返してくれた。

 フィカルさんがこういう。「私たちインドネシア人は、日本人の友だちがなかなかできないんです。仲良くしたいけど、機会がない。だからみんな大歓迎してますよ。ささ、座ってください」

讃岐弁のインドネシア人、フィカルという男

 部屋の隅っこにフィカルさんと一緒に座ると、インドネシア人たちは興味深そうにこちらを見た。話しかけたいが、照れているような表情だ。女性は20代から40代くらいまで幅広い年齢層だ。男性は若者が多い。話を聞くと、来日の理由は様々だった。技能実習生として日本で働いている若者(技能実習制度とは、技能の習得を目的に、外国人を労働者として迎え入れる制度だ。期間は3年。希望者は5年まで延長できる)。戦前にインドネシアで教師をしていた日本人の祖父を持つ日系3世。日本人男性と結婚した女性。教授を目指している大学生。肌の色や、顔つきも多様である。

 ある女性が「辛いから気をつけてね」と白米、カレー、鳥の唐揚げが盛られたプレートを運んできた。カレーを一口。うまい。インドのものに似ているが、よりマイルドだ。

「これ世界一うまいカレーね。でももし口にあわなかったら残してくださいね」とフィカルさん。
「いやー、美味しいですよ! でも辛い!」と言うと、みんなが一斉に声を出して笑った。

 改めてフィカルさんに私の自己紹介をした。「私の職業はライターで、これまでに少数民族や、外国の文化に関する記事を書いてきた。あなたたちに興味があって、特にモスクをつくる計画についてを聞きたいんだけど、いいですか?」
 少しは警戒されると思っていたが、フィカルさんは「ええ!?モスクのこと知りたいんですか? えー!すごいなあ。嬉しいなあ」という。

 速攻で取材の許可がおりた。話が早い。怪しまれるだろうから、私の過去の仕事のポートフォリオや、口説き文句も用意していたので、肩透かしを食らった。




「いやー、本当に嬉しいなあ。イスラム教のことでも、なんでもええから、聞いてくださいね。ここ私の家ね。娘と奥さんと、猫と仲良く暮らしているね。仕事は船の溶接。日本に来て長いよ。今年で私も38歳になりました」

 ということは私と同い年。それにしてもよく喋る男だ。高い音域の声と、入り乱れる讃岐弁。事前に想像していた「モスクをつくる人」のイメージとはまったく違う。物静かな真面目そうな人を勝手に想像していた。私は自分の偏見を恥じた。人なつっこい笑顔をこちらに向け喋り続けるフィカルさんを観察すると、会話の節々でペコペコ頭を下げる日本人的な所作もしっかり体に染みついている。とにかく腰が低い。そして喋り続ける彼の膝のうえで、女の子がスヤスヤ眠っているのが気になったが、フィカルさんの末っ子らしい。

 カレーを食べる群集の隙間から、部屋を見渡してみた。壁には子どもの習字や家族のメンバーを描いた絵、イスラム教の教えが書かれたポスター、簡単なインドネシア語を子どもに教えるための自作の表がはられている。子どものいたずらで、とこどどころ破れた障子と、キキララのシールが無秩序に貼られてあるタンス。どこか懐かしさを覚える家族の日常が積み上げられている。異国からきた男が、この生活を手に入れるために、どれほどの苦労をしたのだろう。


 タンスにはスーツがかけられてあった。するとフィカルさんは「私、人生で2回しかスーツ着たことないよ。娘がそろそろ幼稚園を卒業するから、あれを着て卒園式に行こうと思ってます。本当はイスラム教徒の正装で行きたいけど、目立ったら子どもがかわいそうね」と言う。それを受け、「日本の生活は大変なこともあるでしょ?」と聞くと、思わぬ返答があった。
「仕事とかで辛いことあるよ。でもまあ大体のことはお祈りしとったら忘れるから、大丈夫や」。

 語尾の調子を上げたので冗談かと思ったが、ニコニコした目の視線はしっかりと定まっていた。この安定感。羨ましいと思うと同時に、彼らにとっての信仰をもっと知りたいと思った。

インドネシア式のゆるい会議がはじまる

 フィカルさんがリーダーを務めるインドネシア人のグループは2018年に誕生したもので、インドネシア語で「イスラムの家族」という意味。モスクをつくる以外には、ざっくりとだが香川県で暮らすインドネシア人たちで助け合う活動をしている(後の回で、独自の共助システムについて詳しく書く)。

 フィカルさんはちょうど今年からリーダーに任命され、定期的にミーティングや、バーベキュー、子どもたちにイスラム教のことを教える会を開いている。いまここにいる人以外にも、メンバーは多数いる。しかし、メンバーにはモスクをつくったことがある人はいないし、ほとんどが学生か技能実習生で若い。いうなれば、モスク設立の素人の集団だ。フィカルさんも、これまでに何かのグループのリーダーになったことは一度もないという。おまけに手伝ってくれる日本人もいない中、他の国籍のムスリムのグループとも協力しながら、手探りで進めている。

「私以外は、みんな頭いいから助かってるね。私は頭悪いけどよく動くから、リーダーをまかされているだけね」とフィカルさん。今日の会議のお題は「モスクをどの地域につくるか」と「お金をどう集めるか?」だ 。理想は更地の土地を購入し、新しいモスクを建てたい。無理ならば、モスクとして利用できそうな物件を購入する計画だ。

「最低でも1000万円くらいは集めないかんね。インドネシア人の技能実習生に募金のお願いに行ったり、いろいろやってるけど、難しいです」
 うん? この人たちは、技能実習生からの募金を中心に資金を集めようとしているのか? 当時メディアではひどい労働環境のもと薄給で働く技能実習生たちがしきりに報道されていた。そりゃあ厳しいだろう。てっきり応援してくれる金持ちがいるのかと思っていた。しかも最低でも1000万円? インドネシアだと1億円くらいの価値だろう。そんな金額、集められるのか?

 いよいよ会議がはじまった。フィカルさんは集団の中心に移動し、まずはアッラーとムハンマドへの祈りをみんなで捧げた。しばしの柔らかな沈黙の後、話し合いがはじまったが、インドネシア語なので何を言っているのかわからない。発言する前は挙手し、司会にあてられると「アッサラームアレイクム」と呟く。これはアラビア語で挨拶にも使われるが、「みんなにいいことがあるように」という意味もある。周囲の人は発言を静かに聞く。数分喋り続ける人が多いが、発言を途中で遮ることは絶対にない。これがルールのようだ。

 女性も積極的に堂々とした口調で意見を言う。というか女性の方が発言力がある印象。フィカルさんも、時々彼女たちの主張に押されて困ったような表情をしている。
 賛同を表す「イヤー」というインドネシア語。会話の節々に「がんばって」という日本語や、「みきちょう」や「ぜんつうじ」のような聞き覚えのある香川県の地名が混じる。内容を全く理解できない私は眠気に襲われたが、たまに響く子どもが遊ぶ声で目がさめる。つまらなそうにしていると気をつかわれそうなので、微笑み続けた。

 会議が30分くらい続いた後、耐えきれず隣にいた日本語が堪能な女性に「何て言ってるの?」と聞いてみた。

「彼らとの協力関係を続けるかを話し合ってます」
「彼らって?」
「バングラデシュ人とか、パキスタン人とか。モスクは、ムスリムの人たちみんなが使うでしょ?」

 彼女によれば、いま香川県には800人くらいのインドネシア人が暮らしている。バングラデシュ人は20人、パキスタン人は50人、トルコ人も20人くらい。アフリカ系のムスリムもいる。インドネシア人以外は香川県の東部に多いので、そのエリアでモスクをつくりたがっているが、インドネシア人たちは他の地域に固まって住んでいる。当然インドネシア人たちは人数が多いので、自分たちの近くがいいとなる。

「で、いま発言している彼はなんて言ったの?」
「あの人は大学生。学校の友だちにバングラデシュ人もいて、他の地域にモスクが欲しいことを知っている。だから、なぜここに建てたいかを彼らに説明しないと問題になる、って言っています」

 どうやら1ヶ月に一度、多国籍なムスリムが集合し、共通言語の日本語で会議をしているのだそうで、そこで成り行きを説明してほしいと訴えているらしい。

「揉めないの?」
「ちゃんと説明をすれば、大丈夫だと思います。ムスリムはみんな仲良しです」

 なるほど。日本の地方で暮らすムスリムの世界も、いろんな事情があるんだなあと思いながら聞いていた。引き続きこの女性に通訳してもらおうとすると、子どもの泣き声が聞こえ、あやすために奥の部屋にずんずん入っていった。テレビ画面に目をやると、ディズニーアニメが流れ、ちょうどアラジンが絨毯に乗り、空を飛んでいるところだった。歌声が部屋じゅうに鳴り響く。この自由な雰囲気。これはなんだ? 確かに規律は存在しているし、真面目に話し合っているのだが、どうもゆるい感じがある。他者への包容力に満ちたコミュニティの光景だ。居心地がいい。

後半に続く。(▶︎会議が終わり、祈りの参加へ誘われる|ホースで身を清めてお祈りへ|そして、次の約束。

Photos by Shintaro Miyawaki
Text by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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