「3100万円。期間は9ヶ月です―――」
古びた港町のアパートの1室で、フィカルさんはペルー人の若い男にバリカンで髪型を整えてもらった。船の溶接工として働くその男は、家族を支えるために日本に移り住んだ。母国では美容師だった。頼まれれば、おしゃべりついでに移民たちの髪を整えている。その腕は確かで、サイドがきれいにかりあげられたソフトモヒカンの流行のスタイルに仕上がった。
「フィカル、男前になったな」。ペルー人の男が褒めちぎる。
2020年の6月を迎えていた。コロナウイルスの影響で、香川県の歓楽街はゴーストタウンのような佇まいが定着し、ニューヨークで株の暴落が伝えられた頃、フィカルさんはある壮大な計画を立てていた。“不動産界のドン”にビデオメッセージを送り直接交渉で粘ってなんとか3100万円まで値下げに漕ぎつけた物件を、どうにかして購入すること(詳しくは4話を)。
その噂を聞いた数週間後、私は香川県のx市にいた。グループのリーダー、フィカルさんに会い家にあがったその日から、当初の想定よりもだいぶ重く、深く、そして親密に、計画の渦中に身を置くことになった。
この連載では、フィカルさんと仲間たちがさまざまな問題にぶち当たり、それでもめげず、時に迷走しながらも、モスクのために突き進む姿を追う。資金集め、物件探し、そのどれもが外国人の彼らには大難題だ。浮き彫りになる差別や偏見。仲間との不和。
地方都市で外国人が生きることはどういうことか? 信仰とは? なぜそこまでしてモスクを建てようとしているのか?
これは、香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う現在も進行中のルポルタージュだ。
フィカルさんと出会って、1年が経った。その間に、私たちはお互いの悩みを相談し合う友人になった。だからジャーナリズムというよりも、友人とその仲間たちが夢を追う様子を記録したものという表現が近いかもしれない。
まずは数回にわたり、私とフィカルさん、そしてインドネシア人のムスリムたちとの出会いから今日までの約16ヶ月の道のりを、そしてその日々に私が目にし耳にし、立ち会ってきた彼らのさまざまをレポートしてゆく。
第1話「出会いと、初めて足を踏み入れた日」はこちらから。
Photo by Shintaro Miyawaki
のんびりしている間に物件には借り手がつくかもしれないが、KMIK*の“モスク資金通帳”には500万円しか貯まっていない。そこで「1年間の仮押さえ」を物件の持ち主である不動産界のドンにお願いできないかと相談することに。その間に2600万円を集めるという。失敗すれば仮押さえの際に預ける310万円は、大家のものになる。
不動産屋のドンとの仲介に入ってくれていた別の不動産屋のA社長から返事が来たのは、それから1か月後だった。
「あと9か月。待てる期間はそれいっぱい。それ以上は難しいみたいだから、どうするか考えてみて」。
*KMIKとはフィカルさんがリーダーを務める香川県のインドネシア人コミュニティ。SNSの参加者だけでも300人ほどがいる。
一度ついた火を消さない。白熱するZOOM会議
すぐにKMIKの中心メンバーの10人に参加してもらい、zoomでの会議を開いた。フィカルさんは自室の応接間からスマホで参加した。男は6人。女は4人。まだ幼さが残る20代ばかりだ。フィカルさんは物件仮押さえの決意をメンバーに伝えたが、不安の声でざわつき、寄付の集め方に質問が集中した。フィカルさんのプランは、まずはこれまで通り、足を使った募金活動。そしてインドネシアのクラウドファンディングの活用。日本のものと似たシステムだが、宗教に関するプロジェクトも敬遠されない。ほかにも方法を考えていくが、最悪の場合、フィカルさんの名義で銀行から資金を借りることも考えているのだという。イスラム教では金利が発生する金銭の貸し借りは禁止されているが、やむをえない事情がある場合は許される。いや、しかしそこまでの覚悟とは。
その覚悟に感銘を受けたメンバーたちだったが、ある女性の発言で場の空気が張り詰めた。アルムという名前の彼女は、留学システムを利用して来日後、日本の大手企業に就職した才女だ。信仰心は人一倍厚いが、人当たりがよくフレンドリーで男女問わず慕われていて、器量も良い。彼女はこの決断に模擬的だった。
「正直に言うと、難しい気がします」
信頼の厚い女性の冷静な一言に、沈黙が走った。フィカルさんも彼女の一言には弱い。雲行きがあやしくなったのがわかった。メンバーはざわつく。だが、眼鏡をかけたおとなしそうな女性、エリサの一言でまた空気が変わった。
「でもせっかく、ここまでやったんですよ。お兄さん、めちゃくちゃ頑張っています。ここであきらめたら、せっかく燃えていた火が消える。もう立ち上がれなくなる。お兄さんのために、がんばりましょう」
インドネシアでは、尊敬している年上を兄さんや姉さんと呼ぶ習慣がある。もともと「誰かのために」とか「絆」いう言葉に弱い彼らだが、フィカルさんのためとなると、すぐに感情が高ぶるようだ。
「それに、グループMが助けてくれるんですよね?」
グループMとは関東エリアにある古参のインドネシア人ムスリムコミュニティーだ(本名を明かすことを避けるため、仮名)。グループの中心メンバーは、大学教授や社長のエリート集団で、フィカルさんらKMIKのモスク建立計画のzoom会議にリーダーや副リーダーも出席し、助言をくれている。国内のインドネシア人に影響力のある彼らが本気で動けば、2600万円は奇跡的に集まるかもしれない。
「そうですね。どうしても無理ならば、グループMが助けてくれるはず」と誰かが言うと、次々と賛成の声が聞こえてくる。
「兄さんのためにがんばりましょう!」
フィカルさんの目はうるんでいた。この情緒的なやりとりに、私は根拠のない希望へと集団心理で突き進んでいくような危うさを感じた。それにだ。そもそも、フィカルさん以外は物件を直接見たことがないのである。これは香川県だけではなく、全国のインドネシア人を巻き込み、総動員で挑まなければいけない大プロジェクトだ。フィカルさんは、ほかのKMIKのメンバーたちにも同意を得るために久しぶりに公民館で集会を開き、みんなでその物件を見に行くことにした。
勝負の日。フィカルの情熱は届くのか?
この日から、映像のカメラマンのI氏が参加することになった。映像でもフィカルさんたちの活動を残しておきたい、と相談すると、密着してくれることになったのだった。I氏はボスニアに通い、現地の人々の営みを写真に撮ることをライフワークとしている。コロナでその生きがいを失い、迷走していたようで、声をかけると二つ返事で承諾してくれた。
集会は午前9時に開始だったが、フィカルさんは1時間前の8時に会館入りするとのこと。会館の門の前で、日本人のおばさんが長机で受付をしていた。書類に電話番号や住所を書き込む。これがニューノーマルか。ホワイトボードにKMIK様「3階B室」と書かれてあったので、その部屋へ向かう。フィカルさんが10メートル四方のブルーシートを広げているところだった。ジュースや水なども買い込み、テーブルの上に並べられている。
「これ、全部自分でやってるの?」
「そうね。リーダーは大変ね」とフィカルさん。
今日はみんなを説得しなければいけない運命の日。緊張しているか? と聞く。 「もう慣れたね。1年前まではみんなの前でしゃべるとき、マイクを持つ手が震えていたけど、いまは大丈夫よ」と言う。黙々と準備をするが9時になってもまだ人はまばら。相変わらずのんびりしている。10時頃にやっとぞろぞろと人が集まりだし、各自が1、2メートルくらいの距離を開けて座った。久しぶりの再会が多いらしく、和やかな雰囲気だ。
10時半を過ぎた頃、ついにフィカルさんが群衆の前に立ち、熱弁をふるいはじめた。声の張り方、所作、喋るテンポ、すべてが威風堂々としていて、昨年とは全然違う。私には何を言っているかわからなかったが、議論は前向きに進んでいるようだ。
Photos by Shinsuke Inoue
ここで、入り口から眼鏡をかけた存在感のあるパキスタン人が登場した。その背後の褐色の若者がカレーの弁当を大量に持っている。「あ、社長、来てくれたね。ちょっとみんなの前でしゃべってよ」とフィカルさん。何の社長かはわからないが、肉づきがよいので、富豪に見える。彼は突然の依頼にもまったく動揺せず、のしのしとゆっくり歩き、群衆の前に立った。両手を広げ、「だいじょうぶね、わたし300万円すぐあつめられるね」と日本語で勇ましい演説をぶったのである。
ほんとかな? と疑ってしまったが、フィカルさんや、インドネシア人たちは、嘘のない世界で生きているので、信じていた。その様子を見て、私はさらに不安になっていた。フィカルさんは、何度騙されても人を信じてしまう。なにはともあれ、彼のその一言も後押しとなって意見はまとまった。みんな賛同し、協力してくれるようだ。ちなみにその社長というのは、インド料理屋の社長で、フィカルさんが注文したものを運んでくれたようだ。腹ごしらえをし、お祈りを済ませ、私たちはいざ物件へと向かった。
ここでいいのか? 世俗の残り香が漂う物件
私はカメラマンI氏の愛車に乗り込み、物件の住所に向かう。実は私も直接見たことはなかった。2車線の国道に面した2階建ての建物。長方形の横幅は20メートルほどだろうか。1階は巨大なシャッターが3つ並び、2階は事務所のようで窓が連なっている。10台くらいは収容できそうな駐車スペースがあり、周囲に民家もなく、良い条件のものだった。
私たちが到着すると、30人ほどがすでに集まっていた。女の子たちはセルフィーにはげみ、男の集団は静かな声で談笑している。インドネシア人は女性が明るくよくしゃべり、男性がおとなしいというか、ちょっとなよなよした人が多い印象。そのぶんひとの良さそうな面々ばかりで、タイ人のふわっとした気質に似たところがある。フィカルさんは徒歩の人を車で送迎しているようで、また公民館へも戻っていった。ほんと、よく働く男なのである。
若いインドネシア人男性が、建物をぼーっと見ていたので話しかけると「3000万か…高いね…」とつぶやいた。口では「やりましょう!」と言っていた賛同者たちも、感情の揺らぎがあるのだろう。
しばらくすると、フィカルさんも到着。全員がそろったところで、集団から離れた建物の陰からA社長が現れ、カギを開ける。「わあ広い!」と歓声が上がった。1階は車の展示室だったようで、だだっぴろくお祈りや寄合に適している。内装はほとんど手を加えなくても、人を呼べる程度にはきれいだ。2階の広い部屋は事務所然としているが、小部屋や給湯室もある。たしかにこれなら3100万円でも、法外に高値というわけではないだろう。
少し重たかった空気が、解放的になったのがわかった。言葉はわからないが表情や声色から伝わってくる。みんな子どものように目を輝かせているのでわかりやすい。写真や動画を撮りまくり、その場でSNSなどにあげているようだ。インドネシア人たちは、SNSをかなり頻繁に利用する。プトラ君は私と目が合い「兄さんを信じてよかったです」とつぶやいた。感無量の様相で、また頼れる兄貴への尊敬を深めたようだ。近くにいた若者たちも、彼の声に賛同する。「さすが兄さん!」。すごい一体感だ。この世の春のような、もう購入が決定したかのようなめでたい雰囲気に包まれた。しかしまだ目標とする物件が見つかっただけなのだ。
Photos by Shinsuke Inoue
とはいえ、この1年間のフィカルさんたちの物件探しの奮闘を知っている私は、その彼らの純朴な喜びが胸にしみた。フィカルさんも安心したのか充足感を隠せていないようだ。私は意地悪だと思いながらもフィカルさんの横にいた女の子に「3100万ってすごい金額だよ。不安はないの?」と聞いた。
「はい。難しいかもしれませんが、自信があります。ムスリムは世界中にいますから。頑張っていたら、絶対に誰かが助けてくれます。私たちは、みんな家族です」
彼女のまっすぐな言葉に圧倒された。なんなんだ、彼らの他人への信頼感は。会ったこともない、異国で暮らす人たちが助けてくれることを心の底から信じている。このパンデミックにおいてもそのスタンスは変わらないようだった。彼女の目の奥には、私の知らない世界が広がっていて、また違った価値観やルール、常識があるのだ。私は自分の常識の物差しで彼らの行動を、理解しようとしている。もう、反対することはやめよう。ただ彼らの姿を無心で追ってみよう。そう思った。
しかし、だ。ここが神へ祈りをささげる場になるとは、正直、想像がつかない。世俗的すぎるのだ。中古車屋の面影が残っているし、神々しさは皆無。かつて、ここで社員が電卓を打ち、車を安く仕入れ る交渉や商談をしていた姿の方が容易に想像できる。日本人的な感覚で言えば、香ばしい世俗のにおいが漂っていて、神の世界と相性が悪い。ほんとにここでいいのだろうか? と私は頭をひねった。
7話へ。物件を下見し、一丸となったのも束の間。気になっていた“あの人”の不在。翻された反旗。それでも「みんなでやろう」という彼らの緊急会議、そして焼き鳥バーベキュー。
Text by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine