第5話「集まれない時間、依りどころは“1400年前の過去”」パンデミックと日本のムスリム【前編】|香川県モスク建立計画、祈りのルポ

香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う。
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想定外のパンデミックで、モスク計画が頓挫するのではないかという私の不安。それをよそに、フィカルさんたちは荒波の中を突き進む。コロナがあぶりだしたインドネシア人ムスリムの生き方を、私は改めて見つめることとなった。

「香川県にモスクをつくろうとしているインドネシア人がいる」

その噂を聞いた数週間後、私は香川県のx市にいた。グループのリーダー、フィカルさんに会い、家にあがったその日から、当初の想定よりもだいぶ重く、深く、そして親密に、計画の渦中に身を置くことになった。

この連載では、フィカルさんと仲間たちがさまざまな問題にぶち当たり、それでもめげず、時に迷走しながらも、モスクのために突き進む姿を追う。資金集め、物件探し、そのどれもが外国人の彼らには大難題だ。浮き彫りになる差別や偏見。仲間との不和。

地方都市で外国人が生きることはどういうことか? 信仰とは? なぜそこまでしてモスクを建てようとしているのか?

これは、香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う現在も進行中のルポルタージュだ。

フィカルさんと出会って、1年が経った。その間に、私たちはお互いの悩みを相談し合う友人になった。だからジャーナリズムというよりも、友人とその仲間たちが夢を追う様子を記録したものという表現が近いかもしれない。

まずは数回にわたり、私とフィカルさん、そしてインドネシア人のムスリムたちとの出会いから今日までの約16ヶ月の道のりを、そしてその日々に私が目にし耳にし、立ち会ってきた彼らのさまざまをレポートしてゆく。

第1話「出会いと、初めて足を踏み入れた日」はこちらから。

フィカルさんはその日、造船工場にいた。春先だというのに夏のように蒸す空間に鋭利な機械音が鳴り響く中、いつものように工場の隅で祈りをささげた。薄い板で囲んだDIYの礼拝室。体一つしか入らない空間で神を讃え、床に額をつけた。

2020年3月12日、造船工場内に誰かの叫び声が響く。「パンデミックが起きた!」

***
   
 
 2020年は、何かとんでもないことが起きそうな予兆があった。まずは新年早々のイランとアメリカの開戦危機。地方都市で暮らすムスリムたちも、その動向を注視していた。

「またイスラム教の印象が悪くなるね」と、いつもは唖然とするほどポジティブなフィカルさんが、珍しく不安を漏らしたのが印象的だった。9.11でムスリムにテロのレッテルが貼られてから、14億人のムスリムのうちたった一人がテロを起こせば、フィカルさんたちを取り巻く環境が変わる可能性がある。戦争になればなおさらだ。2016年、バングラデシュの首都ダッカで起きたテロ事件に日本人が巻き込まれた直後、日本国内のムスリムへの投石事件もあった。モスク計画へも反対が起きかねない。

 その後、ウイルスが世界に拡大していくニュースがどれくらい続いただろうか。ついにパンデミック宣言がおこる。ジェットコースターのような世相に突入していった。補償を求める声や政治家の悪手への批判がSNSのタイムラインを占領し、各国でトイレットペーパーの買い占めが起こるカオスを見ながら「これは、モスク計画はとん挫するな」と、私は結論づけていた。

 なにしろ、彼らの生活や命が危ぶまれる事態なのだ。フィカルさんが働く造船業界は、海外への輸出に依存する業界だ。国をまたぐ交通網が不全に陥れば、致命的なダメージを食らう。そうなれば職を失うのは日本人ではなく、まずは移民だろう。2006年のリーマンショックで、大量の移民が路頭に迷った記憶がよみがえる。技能実習生はさらに立場が弱く、首を切られやすい。

 心配していると、フィカルさんからメールが来た。いつものようにひらがなだ。

「おつかれさまです。ふごうの ひとが、にほんに もどってこれなくなりました」

 寄付してくれる可能性が少しは残っていたパキスタンの謎の富豪。一時、国に帰省していたのだが、来日ができなくなってしまったのだ。これでゲームオーバーかもしれない。パンデミックでモスク計画が止まることを、誰が予想していただろう。

不動の男、パンデミックでの人助け

 2020年4月某日。「明日、大切な会議があります」とフィカルさんから連絡があった。x市に向かう途中で立ち寄った、高松市の歓楽街はゴーストタウンと化していた。漆黒の闇につつまれ沈黙する街をゆっくりと徘徊するパトカーが、ディストピア感を増長させていた。街の変わり果てた姿に愕然としながらも、X市へと車を走らせた。集合場所はフィカル家だったが、まずはいつものジョイフルでコーヒーを飲み、気を落ち着かせることに。なにせ、久々に人と会うことに緊張感があったのだ。

 店内は夕食前だというのに静まりかえっていて、いつも呑気そうに働いていた眼鏡の店員がぎこちない笑顔で近寄ってきた。彼の気持ちはよくわかる。私の日常もすっかり変えられた。ウイルスへの不安、先行きへの不安、分断への不安・・・不安だらけの中、請け負っていた仕事はすべてストップし、クラブにも飲みにも行けない悶々とした日々を送りながら、同時に「なにか新しいことをしなければ!」という強迫観念に支配されてもいた。することがない私は、地蔵を探してマップを制作するという奇行を開始し、周囲から失笑された。いま思えばかなり迷走していたのだろう。

 コーヒーを2杯飲んだあと、フィカル家へ向かう。玄関前で街灯に照らされてフィカルさんが立っていたので、2019年に初めて会った時のことを思いだした。懐かしさを覚えたのだけど、真っ白なマスクを装着した姿がなんとも滑稽に見えてしまう。つけ慣れていないのか、マスクが微妙にずれているのが愛らしい。彼はいつものようににこにこ笑っていた。「やせ我慢」の文字が浮かんだ。異国でのパンデミック。娘も3人いる。いたわるためにどんな言葉をかけようか? そんなことを考えていた。

「いやー、大変なことになったね。元気にしてた?」と小声で喋りかけたが、彼の返事は相変わらずだった。

「仕事は減ってるけど大丈夫。やることやって、お祈りしてたらなんとかなるわ」 とフィカル節が炸裂する。

 表情から不安は1ミリも感じられない。さすがにその能天気さに驚いてしまった。近い将来に失業する可能性だってあるじゃないか。世界恐慌、ウイルスの強毒化、排外主義の高まり、いくらでもシナリオは思い浮かぶ。

「これから何が起こるかわからんよ。不安ではないの?」と、思わず聞いてしまった。

「いまのところ食べるのに困ってないからね。わたしより困っている人が、たくさんいるね。インドネシアの実家の近所の人たちも心配や。そんなことよりな、モスクの話があるんやけど」と、フィカルさんはコロナの話はそこそこに、話題を変えた。パンデミック危機を「そんなこと」はないだろうと唖然としたが、間髪いれず話を続ける。

「富豪の人が戻ってこれんから、どうしようかなあ? もう少し安い建物も探してるけどな。やっぱりあの物件以外に、いいのはないね。なにか知らないですか?」

 なんと、パンデミックの最中でもモスク計画は変わらずに動いている。ていうか、昨年とまったく同じ会話じゃないか。パンデミックが起きていない世界線に迷い込んだ気分になる。私はこの男のブレなさに感動した。強風の中をゆらゆら揺れる柳の木。あるいは茫洋とした太平洋のようだ。


いつかのフィカルさん。自宅にて。

「まあ、外で話しててもしょうがないわ。今日は会議しますよ。仕事が減って困っている人を助けるんや」

 え? モスクの話じゃなくて、人助け? 相変わらずの情報量に、頭の回転が追いつかない。

非常時にどう振る舞うか? ムスリムたちの平静

 誰を助けるのかも知りたかったけど、私はムスリムがパンデミックをどう過ごし、どうやってこの状況と向き合っているのか? 私はまずそこに興味があった。なかなかリアルに見られる機会はない。さっきのフィカルさんの呑気な表情。なぜ平然としていられるのだろうか。

 フィカル家の引き戸を開けると、どたどたと足音がする。フィカルさんの子どもたちも家にいるということだ。猫のバロンもキャットタワーの上で大口を開け、あくびをしていた。応接間には息をひそめるように、マスクをつけたプトラ君と、技能実習生の女の子であるジェマさんがいた。ジェマさんはフィカルさんのことを「日本のお父さん」と慕う若い女性で、フィカルさんの奥さんにインドネシア料理を教えたり、家族ぐるみの交流をしている。

 プトラ君とジェマさんとの久々の再会はうれしかったが、同時に人と近づくことへの不安がこみあげてくる。私はマスクをつけ直し、畳の上に腰を下ろした。私の動揺と相反するように旧来の友人に会ったかの如く笑っている2人。フィカルさんの笑顔と同じだ。なんなんだ、この癒し系たちは。

「大変なことになったね・・・」私は彼らへつぶやいた。2人はフィカルさんほど鷹揚に捉えていないようで「そうですね」と声をそろえた。

「介護の仕事だから人に移したら大変。マスクや手洗い、めっちゃ気をつけてる。まあでも、それでもコロナになるなら運命やな」と、プトラくん。当時、県外の介護施設でクラスターが起きたところだったし、2人目の子どもが生まれたばかりだ。私からすると不安要素だらけなのだが、その口ぶりは慌てていない。

 一方、ジェマさんは老人ホームで入居者用の食事をつくるキッチンで働いている。日本語がそこまで堪能ではない彼女はテレビのニュースなどから情報を聞き取れず、ウイルスの広がりを日本人の同僚から直に聞いていた。「最初はめちゃくちゃ怖かったですし、手洗いやうがいは気をつけてます。でも神様に任せるしかないですね。仕事が減って残業ができなくなったから、稼げなくなったけど生活には困りません。外出は控えるようになりました。外国人だし、ちゃんとしなきゃなと思って徹底しています」

 やはりこの2人もどっしりと構えている。あたふたしてるのは私だけなのである。しかしどうやって不安を克服したのだろうか?

変化でも前進でもなく。恐怖の処方箋は“1400年前”との接続

「どうやって不安を薄めたの?」と質問をぶつけたところで、きっと明確な答えは返ってこない。生活と地続きの教えを習慣として実践している彼らにとって、それを言葉で表現するのは難しいのだとこれまでの取材で理解していた。彼らの行動や言動をつぶさに観察し、探しあてるしかないのだ。

 ということで、「最近は何をしていたの?」と世間話をすることに。

 仕事以外はほとんど家にいる、という2人。WHOのパンデミック宣言後、日本国内のモスクは、日本政府が発表する外国人に有益な情報をSNSを通じて発信し、手洗いやうがい、マスクの着用を促していた。集団での礼拝や食事を控えることが推奨され、香川県のムスリムたちもその通達を守っていた。

 宗教のアイデンティティのひとつは「集合」だと思うが、その中でもイスラム教は集団意識が強い。なので集まれないことは、私たちが思うより精神的にもしんどいことのようだ。この日もかなり久しぶりの再会。「めっちゃ、さみしいわー。早くみんなでお祈りしたいわ」とプトラ君は言う。
 暇な時間が増えたので、彼らはコーランを読みふけったのだという。なるほど、コーランか。コーランは約1400年前にムハンマドが受けた神からの啓示を記した聖典だが、生活の行動規範なども細かく、具体的に記されていたり、聖典以上の存在だともいわれる。

「コーランを読んでお祈りしていたら、私たちがどう振る舞うべきか、わかった気がしたんですよ。それにコーランを読んでいると神さまの存在を近くに感じ、守られていることがわかるんです」

 36章のヤー・スィーン章には、全114章あるコーランの“心臓”と呼ばれる重要な内容が書かれてある。イスラム教の教義の骨子、ならびに啓示と来世についてが述べられていて、悩んだときや知人がなくなったときなど、様々な場面でこの章を読誦する。フィカルさんは子どもの頃から、困ったときはこの章を読誦している。特に83節を口ずさむと気持ちが落ち着き、良いアイデアが思いつくのだそう。

「でもな、普段からちゃんとお祈りをして、ルールを守ってないといかんよ。困ったときだけ、神様にお願いしても意味はそんなにない。正直言うと、わたしも最初ちょっと怖かったけど、一回お祈りしたら、これまで通り神様に任せるしかないと思った。マスクとか手洗いして気をつければ大丈夫やと、心配せんようになりました」とフィカルさん。

 日常的に戒律を守り、祈りを捧げ、神との関係を築くことは、非常時が訪れたときのインフラにもなるのだ。ここに信仰の真髄を見た気がするが、衝撃的だったのは約1400年前の教えに立ち戻ることで不安を薄めていたことだ。
 私がこの状況でどうやって不安を薄めようとしたかといえば、アップデートを伴う“変化”だ。大震災や、オウム事件、原発事故など社会を揺るがす出来事が起きたときには「なにか新しいことに挑戦する」「生き方をパラダイムシフトする」など、変化を称賛する言葉が世間を席巻する。私もそれに引っ張られ、無意識に変わることで順応しようとした。しかし彼らを見ていると、私はまったく確かではない希望に目を向けることで不安をごまかし、虚構の平静を保っているだけのように思えてきた。アイデンティティとなる精神性や普遍性がないので、変化への希望で不安を薄める。それしか方法がないのだ。そう思うと、なんて刹那的で虚弱な生き方なのだろう。

 後日談だが、私も自宅でコーランの和訳を読んでみた。抽象的な表現が多いので、信者ではない私には、正直言って意味はよくわからない。だが、リズムが美しく、深遠な文章であるということはわかった。特に心に残ったのは次の1節だ。

「太陽が月に追いついても、夜が昼を追い越すこともない。それぞれが決まった軌道に浮いている」

 フィカルさんたちが言う運命とはこのことかと、少しだけ彼らの世界に近づけた気がした。それにしても、詩的で知的で壮大な表現だ。

この時期にも断食を? 国境を越えたラマダンの力

 引き続き3人の様子から不安への処方箋を探していると、いつもより表情がすっきりしていることに気がついた。あ、そうだ。いまはラマダンか。だけど「こんな非常時にもしてるの? 免疫力が落ちてしまうし、大丈夫か?」と、驚いてしまった。(ラマダンの開始時期は月の満ち欠けによって、毎年変動する。2020年は4月23日〜5月23日だった)
 夜明けから日没まで、1か月ものあいだ水や食事をとらない日が続く。断食は強制ではなく、妊婦、病人、高齢者など、断食できない事情のある場合は免除される。パンデミックも免除の理由になりそうだが、「ラマダンはただの断食ではないんです」とフィカルさんは言う。

 断食といえば身を清め、精神を律するための修行といったイメージだが、彼らにとっては喜びと祈りの月でもある。日没後に友人や家族、親戚と集まって普段よりも豪華なご飯を食べるので、楽しみにしている人が多い。また食事だけではなく、悪口、嘘、揉め事も断ち、人間関係を整える。ちなみに最終日から数日は、挨拶を兼ねて理由は述べずに謝り合うのだそう。人間は誰でも悪口を言ったりミスをしてしまうものなので、すべてを水に流そうということだ。ここからもイスラム教が人間関係の調和を重視する宗教だとわかる。

「それと、大きな目的は、飢えの苦しみを知ることですね」とフィカルさん。
 断食で飢える苦しみを追体験し、困っている人を助ける気持ちを高めるのだ。この時期、イスラム教徒のコミュニティは協力して恵まれない人々に夕食をごちそうする。

 フィカルさんの娘たちもラマダン中は断食をしている。給食も食べないというので「やりすぎじゃないか」というと「かわいそうやけど、ご飯が食べられない苦しみがわかる、優しい人間に育ってほしいんや」と言うので、何も言えなくなった。
 ちなみにラマダンの時期、善行や飢える人への喜捨は普段の数倍で日によっては1000カ月分の徳を積めるのだという。すげえ。徳のバーゲンセールのようだ。

 私からすると、パンデミックでも変わらず実践していることに驚いたが、彼らからすればパンデミックだからこそ重要なのかもしれない。それに14億人のムスリムが、国境を越えて同じ境遇を共有し、神の気配を感じるのだ。一体感がやばそうだし、一人じゃないことも確認できる。その壮大な事実があれば、不安は薄まるのかもしれない。

 やがて日が沈み、カレーを食べることにした。 もちろん異教徒の私にもふるまってくれた。久しぶりに会う仲間たちと、断食明けの食事。ありがたそうに、カレーと水を食する彼らは無言で食べる。食べられること、健康なこと。当たり前にあるものと錯覚しがちなものへの感謝ができる彼らを、羨ましくも思った。

 そして食事が終わりついに会議がはじまったのだが、イスラム教がどれほど善意に満ちた宗教なのか、まざまざと見せつけられることになる。

後編に続く。(▶︎ 「分け与える余力ある人が、もっていない人を助けるしかないんや」

Photos by Shintaro Miyawaki
Text by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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