数日後、携帯電話の呼び出し音で目が覚めた。電話の主はフィカルさんだった。
「お疲れ様ですー! 元気ですか!? こないだは来てくれて嬉しかったわ。えへへへ。次の水曜日にインドネシア人の技能実習生らに会って、募金のお願いをするんですけど、来れますか?」
技能実習制度とは、技能の習得を目的とする外国人を労働者として迎え入れる制度だ。期間は3年。希望者は5年まで伸ばせる。県内在住の800人を超えるインドネシア人のほとんどが技能実習生なのだ。通常は彼らが働いている会社の寮を訪問するらしいが、この日は女性が多いので寮の外で会うことになった。指定された場所は、高松市民の憩いの場である巨大ショッピングモール、ゆめタウンのフードコートだった。
その噂を聞いた数週間後、私は香川県のx市にいた。グループのリーダー、フィカルさんに会い、家にあがったその日から、当初の想定よりもだいぶ重く、深く、そして親密に、計画の渦中に身を置くことになった。
この連載では、フィカルさんと仲間たちがさまざまな問題にぶち当たり、それでもめげず、時に迷走しながらも、モスクのために突き進む姿を追う。資金集め、物件探し、そのどれもが外国人の彼らには大難題だ。浮き彫りになる差別や偏見。仲間との不和。
地方都市で外国人が生きることはどういうことか? 信仰とは? なぜそこまでしてモスクを建てようとしているのか?
これは、香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う現在も進行中のルポルタージュだ。
フィカルさんと出会って、1年が経った。その間に、私たちはお互いの悩みを相談し合う友人になった。だからジャーナリズムというよりも、友人とその仲間たちが夢を追う様子を記録したものという表現が近いかもしれない。
まずは数回にわたり、私とフィカルさん、そしてインドネシア人のムスリムたちとの出会いから今日までの約16ヶ月の道のりを、そしてその日々に私が目にし耳にし、立ち会ってきた彼らのさまざまをレポートしてゆく。
第1話は、出会いと、初めて足を踏み入れた日のこと。こちらから。
集金、ラマダン中の待ち合わせ
「なぜそこまでしてモスクが必要なのか?」。前回の取材で抱いた疑問を、私は彼らにぶつけようと思っていた。
国内のモスクの歴史を調べると、ムスリムの並並ならぬモスクへの思いは読みとれた。日本には現在80を超えるモスクがあるが、最初に建立されたモスクは「神戸モスク」だ。戦前の1935年、滞日のインド系やタタール人ムスリムの喜捨を主な財源として建てられた。その翌年には名古屋市にもモスクが建立されたのだが、財源は滞日ムスリム、そして満州在住のタタール人ムスリムによる喜捨*だったという(残念ながら同モスクは戦災で焼失)。
彼らはロシアで迫害され満州に移り住んだ、今でいう難民だった。交通網とインターネットが発達した現代よりも、当時において「距離」は重い意味を持っていたはずだ。満州のタタール人は、何を思い、遠く離れた土地、名古屋市のモスク建立のために喜捨したのだろうか。
*進んで金品を寄付・施捨すること。
時間は19時。ちょうど日も暮れている。家族づれでごった返すゆめタウンを歩き、エスカレーターに乗ってフードコートのテーブルエリアへ行くと、ヒジャブをかぶった若い女と男が10人ほど座っているのが見えた。男のうちの一人が、手招きをしている。フィカルさんの家で会った、プトラくんだ(第1話を参照)。一団は、マクドナルドのポテトやバーガーをシェアしながら頬張っていた。
「いまラマダン(断食)なんです。お昼ご飯は我慢してたからめっちゃうまいです。ラマダンでも日没後は食事はできます。ポテト食べますか?」と、プトラくんが言うので、私も椅子に座りポテトをいただいた。すると、もう一人の男が「これもどうぞ」と3色団子をくれた。彼は大学の教授で、PhDの資格取得のために来日したエリート。この二人はフィカルさんのグループの一員だ。他の8人は、今回募金をお願いする技能実習生。男たちはダボダボのBBOYファッションに身を包む、若者だった。
「フードコートでのアッラーへの祈り」
女の子たちは私に興味があるようで、チラチラと視線を向ける。目が合うとはにかんですぐに真顔になり目をそらすが、一人だけ笑顔を崩さない子がいた。ピンク色のヒジャブに白い肌。愛嬌がある目でじっと見つめてくる。
彼女は突然「私、富士山に登るのが好きなんです。登ったことがありますか?」と聞いてきた。「イスラムに山岳信仰はあるの?」と聞くと「そんなのないけど、面白そうだったから」と答えた。彼女は、この近くのスーパーで惣菜をつくっているのだという。他の女性たちも、皆同じ業種だった。
しばらくすると、ムスリム帽を被ったフィカルさんが大きな体を揺らしながら現れ、「アッサラームアレイクム。ようきてくれました」と、私に握手を求め、椅子に座った。
さて、皆揃ったところで、フィカルさんが集まっていた彼らに募金のお願いをする。私が予想していたのは、渋る技能実習生をフィカルさんが熱意を持って説得するシーン。募金は一口1万円と聞いていたからだ。1万円といえば、インドネシアでは7万円くらいの価値がある。彼らの日本での給料は、だいたい手取りで月13〜14万円。そこから寮費、来日のために手配業者に払った借金を毎月返済するので、手元に残るのは9万円くらい。さらに自国の家族に数万円仕送りをし、自らの食費や生活費を賄う。もちろん貯金もする。技能実習生の多くは農村部の出身で、両親に家を購入したり、商売の資金を貯めるために来日している。そう考えると、1万円は大金なのだ。
一団は目を瞑り、アッラーとムハンマドへの言葉を小声で唱えはじめた。周囲では家族づれや、カップル、仕事帰りのサラリーマン、女子高生などがガヤガヤと食事と会話を楽しんでいる。フードコートは地域の縮図かも知れぬと思うと同時に、流石にここでは周囲の目が気になってしまった。
一方で、画一化する社会の象徴のようなショッピングモールでさえも、祈りの場と変えてしまう彼らの揺るぎなさへ尊敬の念を抱く。祈りの言葉を聞きながら眺めるフードコートは、どこか遠い世界のように感じるものがあった。
言葉が切れると静かに目を開け、インドネシア語での話し合いがはじまった。フィカルさんの家と同じように、みんなが順番に手を挙げ発言し、周囲の人はそれを黙って聞くの繰り返し。時々、香川県のスーパーマーケットの名前が聞こえてくる。みんな神妙な表情で聞いていたが、BBOY系の男も女性陣も挙手し、なにやら意見を述べはじめた。その様子は「急に金をくださいと言われても…」と言っているようにも見えたが、開始して5分が経過すると、突然沈黙が訪れた。
フィカルさんはこちらを見て「終わりました」という。やはり断られたかと思った瞬間、「みんな協力してくれます」と得意げに言うのである。
驚いた。こんな短い話し合いで決まったのか。しかもフィカルさんが説得しているような様子はなく、終了するまで実に平坦な話し合いだった。「え!? すごいね」と思わずこぼすと、「あとね、彼女たちの会社や友だちのインドネシア人たち、32人も募金してくれるって言ってます。いろいろ技能実習生の寮を回ったけど、ほとんどの人はだしてくれるね」とさらに得意げに口角を上げた。私の疑いに気がついていたのだろう。
女性たちもBBOY風の男たちもまた、やわらく微笑んでいる。
「私たち、とてもいいことしてます。モスクが早くできて欲しいな。どんなのかなあ?」と無垢な表情で、想像力を膨らませている。
話を聞くと、この中の数人はあと6ヶ月もしたらインドネシアに帰ってしまうのだそう。「モスクができる前に帰ることになってもいいの?」と聞くと「全然いいです。モスクがあれば、これから香川県に来るムスリムも幸せになります。それにそのモスクで誰かがお祈りすればするほど、私にもいいことがかえってきます。インドネシアと日本の距離が遠くても、神様には関係ないですよ」と穏やかに言う。彼女のその言葉で、自分は居ない土地、訪れることのない土地のモスクへと喜捨した満州のタタール人の想いに、近づけた気がした。
「モスクが必要な理由と、フィカルさんの葛藤」
彼女の表情を見ながら、私は首をひねった。モスクへの信仰は、私の価値観の範疇を超えている。彼らは自分たちの生活費を削ってまで募金し、フィカルさんは溶接というハードな仕事を終えたあとに疲れた体に鞭を打って集金に出かけている。祈ることが日常の彼らの生活に、モスクが必要なのは理解しているが、よくそこまでやるなあと感心する。
「理由はいろいろあるけんなあ。インドネシアにいたころは毎週金曜日(ムスリムの休日で集団礼拝の日)にモスクに行って、お祈りしていたね。日本に来てから15年間も行っていない。これ、本当に変な感じ。さみしいし、慣れないし、家族にも神様にも申し訳ないわ」
しかしフィカルさんは、モスクがない今でも幸せそうに見えるので問題ないんじゃないか、とも思う。これまでモスクがなかったのなら、どこでお祈りをしていたのか。
「毎日5回のお祈りは、職場や家。私、恥ずかしがり屋さんやから、以前は職場ではできなかったね。同僚に笑われるし、いろんな音がするから集中できんし。でも問題なのは金曜日。ほとんどモスクに行けなかったね。モスクに行けないと地獄に落ちそうで、嫌な感じやわ」
近くにいた数人にも「モスクが必要な理由」を聞いてみたが「みんなでお祈りしたい」「神様のため」「ないと困ります」と、どうもピンとこない答えばかりだ。彼らにとって、モスクは子どもの頃から当たり前に存在しているものだった。その必要性を言語化することは、難しいのかもしれない。
またある女性は、こう言った。
「たまに公民館とかで広い部屋を借りて集まるんですけど、3ヶ月前に予約しないとだめだし、宗教団体だからって貸してくれないこともありますよ。モスクがあれば、手間がかからないです」
なるほど。しかしそれでもこれほど大きな挑戦をする動機としては、私には十分とは思えなかった。
「それともう一つ、一番大切なこと。モスクができたら、日本人に遊びに来て欲しいんや」と言うフィカルさんに、私は半分冗談で提案してみた。
「カレーを売ったらいいんじゃない?」
するとフィカルさん。
「おお! いい考えや。でも売るんじゃなくて、無料でふるまいたいね」
「じゃあ、音楽イベントとか、絵の展覧会とかは?」
「それも面白そうね! あ、でも絵も音楽も偶像崇拝になるからダメか。マルシェはできるわ。あとヒジャブをかぶれるイベントとか。日本人の女の子にヒジャブ、似合うと思うんや」と思わぬところで、話が盛り上がったが、次の瞬間発せられたフィカルさんの言葉に、心がざわついた。
「私たち、テロリストやって言われることがあるんです。他の国で悪いムスリムが、よくないことをしたから、私たちも怖がられる。だから、本当の、私たちムスリムの姿を、日本人に知って欲しいんですね。モスクに遊びに来てくれたら、私たちがどんな人かわかるじゃないですか。お祈りしなくてもいいし、友だちの家にくる感覚で来てくれると嬉しいんや。日本人ともっと仲良くしたいけん」
珍しく語気を強めて語るフィカルさん。普段は見せない葛藤を少し垣間見た。
話し合いは終わり、親しそうに世間話がはじまった。「瀬戸大橋を見たい」「休日何してるの?」「おいしいうどん屋はどこ?」とかそういう内容だ。フィカルさんたちと彼女たちは初対面だと言うので驚いた。旧知の知り合いが集まっているようにしか見えない。
そんな話で盛り上がる中、ある女の子だけ俯いて携帯電話をいじっていた。黒いヒジャブを纏う純朴そうな目をした女性だ。隣でピンクヒジャブの女の子が、意味ありげな笑いを浮かべている。
「この子、日本で彼氏ができたんですよ。インドネシア人の。技能実習生同士が日本で出会って付き合うことがあるんです。実はお金を貯める以外にも、出会いを楽しみにしている人も多いですよ」
黒ヒジャブの女の子は、ほおを紅潮させ、携帯電話を急いで隠した。
「はい。彼とは福岡のモスクで出会いました。それからメールで連絡取り合って、付き合うことになりました。彼氏、福岡に住んでるから、1年に1回しか会えないけど、もうすぐ結婚するね」
モスクは恋愛がはじまる場所としても機能しているのか。これにも驚いたが、1年に一度しか会わない相手と結婚することにはもっと驚いた。大丈夫なのかと心配になった。
「大丈夫です。今はSNSで連絡取り合えるし距離は関係ないですよ。イスラム教をちゃんと信じている人なので、いい人なのわかっているから」
彼女たちの他者との距離感は、物理的にも、精神的にも私が慣れ親しんだものと大きく乖離しているようだ。私はそんなに簡単に人を信じられないし、他者との距離を遠く感じることが多々ある。距離感をより複雑に捉えてしまうことに悩んだ時期もある。この違いを生むものの一つは、祈りと場所を共有する習慣だろうと、私は前回の体験で理解していた。だが他にも何かあるはずだ。彼らとの接触は私と他者との距離感を捉え直す、いいチャンスなのかもしれない。そんな思索をフードコートで巡らせていた。
21時になった。「そろそろ帰ろう。女の子たちも、早く帰らなきゃ危ないね」とフィカルさん。
みんなで一緒に外に出ると、彼らはママチャリに乗り、集団で列をなして帰って行った。フィカルさんは車で来ているので、友人を大学の寮まで送り届け、自宅へ戻るという。1時間半はかかるだろう。私はといえば、正直、すんなり集金できたことに肩透かしを食らった気分だった。この辺りに他人の苦労を好むマスコミの精神性が、どうしても顔を出す。
残念そうにしていると、「次の土曜日に、他の技能実習生の寮に募金のお願いに一緒に行きましょう」と誘ってくれた。今度こそ説得する姿が見たいと希望を抱き、私も帰路に着いた。
金曜日の夜、電話がなった。フィカルさんからだ。
「お疲れ様ですー!明日、集金に行かんようになりました」
「なんで?」
「寮の人たちから電話が来て、話を聞く必要がないって」
「断られたの?」
「いや、わざわざ来なくても喜んでお金を出しますって電話があったんです」
また私は驚いた。次はいつ行くの? と聞くと、「うーん、もう全部行きましたからね。しばらく行かないです」
「いくら貯まったの?」
「300万円くらいですね」
すごい。募金活動を開始して3ヶ月くらいだ。しかし、技能実習生にこれ以上集金を頼むのはかわいそうということで、これから新たに資金集めの方法を考えなければいけないとのこと。
「なんかアイディアあれば教えてください。それと、建物か土地を探すのを手伝ってもらえませんか? 面倒かけるけど」とフィカルさん。
私は快く了解し、頼りになりそうな不動産屋さんを探しはじめた。しかしそのエリアには友人がいない。さて、どうしようか。
15年前、フィカルさんもまた、技能実習生として日本にやってきた。当初は鶏の解体をしていたという。来日したばかり、「寂しくて寂しくて、しょうがなかった」頃の出会いが、彼の人生を大きく変えることになった。
不動産屋の話を進める前に、朗らかで「ええ人」なフィカルさんの半生についてを、一度はさみたいと思う。
▶︎第3話 青春の終わり、日本へ。フィカルさんの半生
Photos by Shintaro Miyawaki
Text by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine