【連載】香川県モスク建立計画を追え!地方都市の団地で生きるムスリムと、祈りのルポルタージュ。|第1話 出会いと介入まで(後編)

香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う。
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「香川県にモスクをつくろうとしているインドネシア人がいる」

その噂を聞いた数週間後、私は香川県のx市にいた。グループのリーダーと会い、家にあがったその日から、当初の想定よりもだいぶ重く、深く、そして親密に、計画の渦中に身を置くことになった。これは、香川県にゼロからモスクをつくろうと計画するインドネシア人ムスリムたちの、いざこざとどんでん返しと、そして愛と驚きに満ちた日々を追う現在も進行中のルポルタージュだ。

第1話は、モスクを建てようと計画するムスリムのリーダーと出会い、初めて足を踏み入れた日のこと。前編はこちらから。

***

和室に響き渡るムスリムの祈り

 約1時間後。再び沈黙が訪れ、すぐにわいわいとした雰囲気となった。フィカルさんが「終わりました」という。

「モスクをつくる場所について話し合っていたね。この辺りにつくると、私が毎日来れるから。モスクがあっても、人の出入りがないと意味がないけん。それにモスクができて、人が集まるようになったら近所の人に怪しまれるでしょ? 私このへんに知っている人いるし、説明できると思うんです」

 しかし、バングラデシュ人や他の国籍のムスリムたちはどう言うだろうか。

「私たちも、本当はみんなで協力して一緒にやりたい。ムスリムは、宗教は関係なく、人間みんな家族やと思ってるね。キリスト教でもそう教えとるでしょ。でも一緒にが無理そうやったら、インドネシア人だけでやるしかないね。もし彼らが他の場所でモスクをつくることになったら、お金集めたりサポートするけどね」

 善通寺とか、そういう地名はなぜ出てきたのか。「あー、それはモスクとはあまり関係ないですね。連絡網をつくったんです。いまたくさんインドネシア人が住んでいるね。仲間外れは作りたくないから、みんなで集まる時とか、困った時に連絡が行き届くように、各地域に代表者をつくろうって話になって」。

 正直、めんどくさいことをしているなと思った。駅のホームなどでインドネシア人がいると話しかけ、連絡先を交換しているのだそう。声をかけられたインドネシア人たちも、監視されているような気がして迷惑なのではなかろうかと思ってしまった(しかしコロナ禍でこの連絡網の力をまざまざとみせつけられることになる。これはまた後の回に)。
 
「そろそろお祈りするね。一緒にお祈りしますか? イスラム教徒やなくても、大丈夫よ」とフィカルさん。興味はあったが、神を信じぬ自分が気軽に参加していいものかと思い、今日は見学することに。集団でムスリムが祈るのを見るのは初めてのことで、楽しみだったし、お祈りのときに何を考えているのか聞いてみたいと思っていた。

「なにも考えていないね。集中して無になって、神様をたたえる感じね。集中が一番難しいよ」とフィカルさん。

 それができたらどうなるのだろうか?

「説明するの難しいけど…。うーん…。そうや、ほんまにいい人になるね。誰かに悪口言われても、悲しくても、ニコニコできる人。いいことも悪いことも、全部神様が決めたことやから、何が起こっても気にしなくなるね。神様に全てを任せば大丈夫やけん。私はまだまだそんなんできんけど」と言ったあと、「でもやからって、仕事しなかったり努力しないのはダメね。私日本にきた頃、毎日朝から夜の12時ごろまで仕事しとったよ」と付け足した。

 なるほど。フィカルさんの安定感の源泉はこれなのだろう。私は自らの運命を絶対的な他者へ委ねるという経験をしたことがない。一定の自由と引き換えに、めまぐるしく価値観が揺らぎ続ける社会で育ち、得体の知れぬ不安を常にどこかで感じながら生きてきた。私は本や映画からビジョンを求め、音楽を聴き漁り、さまざまな国を旅し続けてきたが、いま思うと委ねられる何かを探しだし、安心感に包まれたかったのだろう。

 一方フィカルさんは、信仰という規律を受け入れる代わりに、絶対的なものに身を委ねられる権利を幼い頃から持っている。ちょうど同い年の私たちは、対照的な存在で、この関係性自体が何かを暗喩していると思った。

誰にも気づかれず、密やかに営む人々

 各々が縦長の“マイ絨毯”を床に敷いている。その様子を見ていると、刺繍が施された帽子をかぶった男が話しかけてきた。
「私の名前はプトラです。これを見てください。このアプリ、メッカの方向がわかるんですよ。コーランも読めるから、もしイスラムのことを知りたかったらこれダウンロードしてください」と言う。

 日本でも俳優ができそうな顔立ち。どこか若かりし頃の石原裕次郎を思い起こさせる。よく見るとプトラくんの顔がビシャビシャに濡れていた。辺りを見まわすと、フィカルさんの顔もびしょ濡れ。玄関先から声がするので外に出てみると、水場の前で暗闇の中、男たちが列をなしていた。順番に手と足と顔に、ホースで水をかけていく。身を清めているのだ。外壁に囲まれていて、目の前の歩道と境界はされているが、こちらの様子は歩道からでも見える。この光景を見ると、さぞ驚くだろう。
 
 和室へ戻ると、皆打って変わって神妙な顔をし、押入れの方向へ向かって立っていた(メッカの方向なのだ)。奥は女性の集団。手前は男性の集団。先頭に立つ男がアザーンを歌い、お祈りが始まった。手のひらを天に向け、目を瞑る。アッラーアクバルと、鼻にかかったような発音で唱える。両手を耳に当て、少し顔を俯け、小声で何かを唱える。表情から笑顔が消失した。聖で落ち着いた、大人の顔になった。絨毯へ膝を立て、深くお辞儀をする。また立ち上がる。何かを唱える。彼らはいままで何度、この祈りを神に捧げてきたのだろう。






 奥の部屋に目がいった。女性たちは体をすっぽり覆う装束で身を包み、目を瞑っている。神に誓いを立てる静謐な表情は、それだけで神々しい。天井のドーナツ型の電球が、後光や天使の輪っかのように見えてくる。

 遅れて祈りに加わる人もいたが、それも特に問題ないようだ。アッラーへの祈りと荘厳な光景。しかし奥では32インチのテレビにパプリカのPVが流れていて、子どもたちは静かに見入っている。アンビバレントがいくつもある空間。ひっそりと、まるで秘め事のように祈りの時は過ぎてゆく。彼らの声はこの家の中だけで響いていて、外部に漏れることはない。近所の住民でさえ、荘厳な祈りの現場が町内に存在していることに気づいていないだろう。アッラーアクバルという声は、美しく、しかし寂しそうに響いていた。誰にも気づかれず、ひっそりと。隠れキリスタンは、こんな感じだったのかもしれない。


 お祈りは静かにはじまり、静かにフェードアウトした。お祈り前はわいわい話していた彼らも、瞑想後のように静かで穏やかな様子だ。プトラくんは一転、「いやー! みんなで祈るの気持ちいいねえ!」という。驚くほどに爽快で、多幸感があふれる表情だった。

 フィカルさんもすっきりした表情をしている。お祈りを見せてくれたことの感謝を伝えると「ありがとうございます。またよろしくお願いします」とこれまでと一転、ゆっくりとした口調になっていた。比べるのはよくないかもしれないが、私の記憶から似たものを探すと、かつて参加したビパッサナー瞑想の合宿で感じた他者との境界線が消えた時、あるいはクラブやレイブで訪れる説明不可能な一体感と高揚を思い出した。一体感は酸素のように、私たちが生きるために必須な養分なのかもしれない。そう思えば、祈りという行為が、より身近なものになった。

 帰り際、玄関まで見送りに来てくれたフィカルさんは、こういった。

「近いうちにモスクのための募金へいきますので、一緒に来ませんか?」

 もちろん行きたいと即答し、帰路に着いた。
 私はすっかり彼らの世界観に魅了され、説明不可能な安堵感と、興味をそそる対象に出会えた興奮に包まれていた。そして、事前に抱いた疑問はさらに大きくなった。

「なぜ、ここまでしてモスクが必要なのか?」。大切なのは理解できるが、心から納得できていない。正直、今日のようにたまに誰かの家に集まれば、なくてもいいんじゃないか?ともどこかで思っていた。

 そしてもう一つ、私と対照的なフィカルという男に、強い興味を持った。

「これは密着取材をしなきゃな」と思いながら駐車場へ向かった。ここから私は、フィカルという男、そしてインドネシアコミュニティの沼にはまっていく。

次回、第2話「断食日の集金活動」

フィカルさんから電話がある。「来週集金に行くけど、来ますか?」

モスク計画に必須の1000万円の資金調達の集金に同行する。場所は、高松市民の憩いの場である巨大ショッピングモール、ゆめタウンのフードコートだ。

Photos by Shintaro Miyawaki
Text by Daizo Okauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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