ニュージーランド「7日間ぶっ通しの瞑想体験」。 果たして噂どおりトリップ体験はできるのか?<前編>

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4日目でポテチが食えなくなり、5日目で皮膚はまるで餅のようになり…。

僕は、とあるワークショップに参加していた。そこでは喋ることを許されず、朝から晩まで7日間ほど瞑想をし続ける。次々と立ち現れる葛藤や恐怖との闘いの果てに、心が浄化され真理を知り、強烈な多幸感に包まれるという。これは、ニュージーランドにある道場で「ヴィパッサナー瞑想のワークショップ」に参加した実体験記だ。

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この画像はイメージです。

2,500​年の歴史、ヴィパッサナー瞑想とは? 

 道場は、海岸沿いのカウリの森の中にあった。ニュージーランドの北島、コロマンデルというヒッピーやオルタナティブな生活を営む者が多く集まる町にあり、日本家屋のような佇まい。

 その瞑想室の上座にはロザリオのネックレスがかけられた仏像が祭られてある。僕はそこで座布団の上で座禅を組み目をつむっていた。周囲には、人種も見た目もまとまりのない一癖も二癖もありそうな人たちが1​0​人ほど。みな、穏やかな表情で座っていた。

 ヴィパッサナー瞑想とはインドで2​,500​年前に仏陀によって再発見されたという瞑想方法。瞑想を通して体や心の中に、何が起こっているかをありのままに観察し、徹底的に自分と向き合うというもので、心の浄化や、苦悩からの解脱、つまり悟りを目指す。
 なんだか宗教色が強かったり、怪しい宗教団体を思い浮かべるが、まったくそんなことはなく思想や宗教観を押しつけられることはないし、きちんとしたメソッドのもと行われる。

 この瞑想を体験できる道場は世界中にあるのだが、ニュージーランドにも存在することを知ったのは先住民族のマオリの友人宅で居候していたときのこと。そこのママが「以前息子が死んだとき、ヴィパッサナー瞑想のワークショップへ行った。悲しみと向き合ってすべて放出できたし、気づきもあった」と言っていたのだ。

 もちろんヴィパッサナー瞑想の存在は日本で住んでいたころから知っていたし、以前読んだ本には「瞑想中に恐怖や幻覚に襲われてトラウマになる人もいるが、成功すると世界の真理や人間の生きる意味に気づき、上質のドラッグを摂取したときのような、開放感や、多幸感も得られる」と書かれていたので、いずれ体験したいとは思っていた。
 当時僕は1​​年6​​ヶ月程ニュージーランドに住み、マオリやニュージーランドの文化を追っていたが、帰国日が近づいていた。また東京に戻り忙しい生活に戻ると考えると、憂鬱極まりなく、その前に心を掃除するためにも参加することを決めた。

田原俊彦似の白人坊主が語る

 ということで参加したメディテーションワークショップ。道場に到着して出会った、瞑想を教えてくれる先生は田原俊彦によく似たスキンヘッドの白人だった。なんだか親近感。
 彼は若い頃ビルマ仏教の高名なお坊さんに師事し、そこで数年間仏教と瞑想について学んだのだという。伝統的なヴィパッサナー瞑想の方法に独自の解釈を足して、広めている。後で知ったのだが、その筋では世界的に有名な方らしい。

 まずは、ここでのスケジュールやルールを説明してくれた。朝6時から夜9時まで先生の指導のもと休憩や食事を挟みながら瞑想をする。特筆すべき点は基本的には「喋ることを許されない」ことだろう。2​​日に一度、先生との面接のときだけは許される。また、書くこと、音楽を聴くこと、もちろん酒を飲むこともだめ。食事はその道場の敷地内にある畑でとれた野菜料理や果実、はちみつのみ。それ以外、口にしてはならない。当然PCも携帯電話も使うことは禁止されている。超シンプルな生活を送るのだ。

 続いて教えてくれたのは瞑想の方法。「まずは背中をぴんと張り座って、目をつむる。そして、自分の呼吸をよく観察することで、精神を集中させる」。無になろうとするのではなく、思考や感情が湧いてくることも許しつつ、それを観察するらしい。

「私は手助けをするだけです。あとは自分で気づいてください」と田原先生。

 なんだそれ? こうして、何だかよくわからないままはじまった、ひたすらに自分と向き合う7日間。常識がくずれるような体験を数えきれないほどしたが、すべてあげるときりがないので、時系列に沿って短縮版ダイジェストを書いてゆく。ここでは方法論にはあまりふれず、自分の身に起きたことに焦点をあてて紹介しよう。

1日目:「脳って忙しすぎない?」。脳の動きに気がつく

 まず気がついたのは、心の中が忙しいことだ。普段は意識しないが、代わる代わる感情や思考が現れ、呼吸への集中を許してくれない。怒り、悲しみ、喜びのような感情。「そういえばあいつに金返してもらってないな」といったしょうもない思い出、自分の将来についてなどがひっきりなしに現れて、本当に忙しい。

「湧き出てきたものを放っておきつつ、また現れることを許しなさい」と先生。しかしこれがまた難しい。思考を無理やりシャットアウトしようとしてしまう。それではコントロールしているということで、ありのままではない。意味がないのだという。

 ​休憩を取りつつではあるが、1​3時​間もの間ずっと座っているので、足や背中が痛くなってしまい、初日にして思う。「逃げ出してしまいたい」

2日目:「脳内麻薬を大量分泌? 瞑想で頭痛が消えた」

 次の日から緊張がとれたのだろうか、襲ってくる眠気。かくんと、寝落ちしそうになることを何度も繰り返す。はっと目を開けると前方に鎮座する先生、にやっと笑いながらこちらを見ている。

この日は朝から頭が痛くてしょうがなかった。昨夜の寒さにやられたのだろう。最初は瞑想をはじめても集中できなかったが、痛みや体のだるさを放っておくように務めた。
 すると、2時間後くらいからだろうか。脳が活性化し、何かが分泌されているような感じがしたあと、すーっと痛みが消えた。瞑想の効果なのか? 薬を飲まなくても、栄養をとらなくても、脳の使い方で体の不調を治癒することができた…。

 夜9​​時に終了し、部屋に戻ると体中の毛穴が開くような感覚が。全身と脳がすーっとしている。なんだか爽快だ。

4日目:「白光とともに小さなトリップが訪れる」

大きな変化があったのは、4日目だった。 ▶︎記事後半へ。

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