イスラエルとパレスチナ。寝食をともにした14日間、お互いに思っていたこと、思うこと【XVoices—今日それぞれのリアル】

ある状況の一人ひとりの、リアルな最近の日々のことを記録していきます。
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かしこまらないときにこそできる話があって、そういうものは大抵、理想の行数にはおさまらない。これだって取材ではあるものの、いつものより肩の力を抜いて、メモにとらわれず記事のできあがりも気にせず、ただ話してみたらどんなことを聞けるんだろう。
数字のことやただしさも一度据え置いて。もしかしたら明日明後日には変わっているかもしれない、その人が今日感じている手前のリアルについてを記録していきます。とりとめのないことこそ行間の白にこぼさないように、なるべくそのまま。【XVoices—今日それぞれのリアル】シリーズ、はじまります。

※※※

XVoicesの一人目&二人目は、イスラエルとパレスチナから。隣接した二つの居住地は、100年以上ものあいだ、紛争が続いている。「パレスチナ人とイスラエル人は普段は話をしないし、お互いのことはバイアスのかかったメディアを通してしか知らない」。

溝は深まるばかりにみえるけれど、いま20代・30代を中心に「これからの関係のために、信頼を築く機会を作りたい」と地道に活動しているプロジェクトもある。テック講座と平和構築を目的とした2週間のプログラム「Tech2Peace(テック・トゥー・ピース)」だ。パレスチナ側、イスラエル側それぞれから15人の生徒が参加する。互いに話したこともない彼らは、テックの講座をともに受けるだけでなく、朝から晩まで寝食をともにする。

前回はその運営をする人物に取材をした。今回は、実際にそのプログラムに参加し、終了した生徒に話が聞きたいと相談。ボランティアとしてプログラムに携わるパレスチナ人のアドナン(24)と、今夏にプログラムを終えたばかりだというイスラエル人のニットサン(26)の二人を紹介してもらう。

「プログラム参加前って、正直、相手に対してどのような気持ちを抱いていた?」
「参加中にたのしかったことは?」
「いまでは、相手に対してどんな思い?」
などへの問いを、双方がそれぞれの立場から、ビデオチャットを通してざっくばらんに話してくれた。

「パレスチナの子たちと朝食を一緒に作って。日常のことを一緒にできるのが、アメージングだった」イスラエル人、ニットサンの場合


左がニットサン。

HEAPS(以下、H):いま外出中? 天気いいね。

Nitsan(以下、N):今日は最高の天気。28度くらいある。

H:こっち(ニューヨーク)は、12度くらいまで下がってるよ。

N:オーーーーーノーーーー。

H:笑。今日は時間ありがとう。

N:もちろん。

H:先日、プログラムを修了したばかりだと聞きました。まず、なんで参加しようと思ったの?

N:えぇと、フェイスブックで知ったのがきっかけで。知り合いがTech2Peaceについて書き込みをしているのを見て、おもしろそうだなって思った。で…….るのが、はじめてだったから…..。

H:ごめん、ちょっと電波悪くて、聞こえなかった。もう一回言ってもらってもいい?

N:オッケー。えっとね、ヨルダン川西岸地区出身のパレスチナ人と、一緒になにかするのがはじめてで。イスラエルに住んでいるパレスチナ人とは交流したことあったけど。

H:イスラエルにもパレスチナ人が住んでいるんだね。そんなに深いつき合いはしてなかったってこと?

N:仕事上の関係っていうか。友好的な関係だったけど、それ以上ではないという。彼ら、ちょっと私より年上だったからかな。同年代のパレスチナの子たちと仕事をする機会はなかったんだ。

H:同僚にパレスチナ人がいたんだ。どんな仕事?

N:リーダーシップ育成に関する団体。正統派ユダヤ教徒やイスラム教徒、キブツ(イスラエル国内に点在する共同体コミューン)出身の子やテル・アビブ(イスラエルの首都)出身の子もいた。

H:多様な職場だったんだね。家族や友だちにプログラムに参加するって話したとき、反応は?

N:問題なしって感じ。すごく応援してくれたよ。

H:プログラムが終わったあとも、出会った人たちとつき合いを続けているみたいだよね?

N:そうなの。みんな大好き。ちょうど先日みんなで東エルサレムに行ったんだ、連れてってもらって。はじめて行ったんだよね、実は。

※東エルサレムは、イスラエル側もパレスチナ側も、それぞれが自分たちの地域だと主張しているエリア。

H:へえ〜!さっき同僚にパレスチナ人がいたと言ってたけど、どんな印象を抱いていたの?

N:ちょうど昨日、友だちと同じこと話してた。彼らにどんなイメージを抱いていたかって、わかんないんだよね。考えたこともなかった。ただ、同じ人間、というか。

H:パレスチナの人に否定的なイメージって、あった? 学校で教わったりとか…。

N:異教徒グループやギャング、なんだかそういった漠然としたイメージはあったかな…。

H:そうかあ。プログラムについて聞こうかな。どうやってはじまるの? 打ち解けるのって、最初は大変だったり?

N:プログラムでスマートなやり方だなって思ったのが、最初に、まずは私たちに一つ一つお互いのことを知っていくようにするの。私たちそれぞれを人間たらしめているもの、好きなものとか趣味とかについてを話していく。イスラエルとかパレスチナとかじゃなくて。

H:ほうほう。

N:紛争のことにも最初は触れない。「サーフィン好きなんだ」「私も好き」って、好きなことで繋がりを見つける。そのあとに、お互いの生活や、紛争、何が起きているかを話していく。でも最初は、イスラエル、パレスチナを基準に会話をしていかないんだ。お互いの好きなこととかを知っていくだけ。これがTech2Peaceの中でもっとも素晴らしいなと思ったところ。テックを学ぶパートよりね!「イスラエルとパレスチナ」の後ろに、実際にどんな人がいるのかってことを私たちは知ることができたわけだから。

H:仲良くなるまでには、どれくらいの時間がかかった? どれくらいのセッションとかを踏んだんだろう。

N:すーーーんごく、あっという間だった。最初のセッションでもう打ち解けたよ。あと滞在している部屋が、イスラエル人・パレスチナ人ごちゃ混ぜだった。同じ場所に寝泊まりしているのに、フレンドリーにしないって逆に大変じゃない? 一晩たったら、仲良くなってた。

H:そんなにすぐに仲良くなれるなんて、驚いたんじゃない?

N:すごくね。参加者の一人に、ベツレヘム(パレスチナ自治区に属している)出身の子がいたんだけど、私と同じような仕事を過去にしていたことがあるみたいで。あと、元カレとの同じような恋愛話もあってね。すごく盛りあがった(笑)

H:いろんな話をしたんだね。はじめて知ることとか、知ったうえでも理解できない、あるいは時間がかかるなってことはあった?

N:ウェストバンク(ヨルダン川西岸地区)について?

H:いや、パレスチナの人たちについて。

N:たくさんある。パレスチナ人についてあまり知識がないままプログラムに参加して、はじめていろいろ話をして。両地域が平和になってほしいと願っている。でも、それって実現しないかもしれないとも思っている。女性が好きな格好をできないとか、同性愛者たちにひどいことをしているとか、警官がギャングの一味だとか。そういう正気でないことが起きている地域(パレスチナ)と、平和を築くのって難しいのかなって。

H:率直な意見だ。

N:(パレスチナの)人は好き。そこで生活する人たちに対しては好意を抱くけど、政府に関してはな…。もっと多くのパレスチナ人と一緒に、なにかするチャンスがあったらいいなと思うけど。一緒になにか取り組むのが、平和を築く方法だと思うから。結局、平和は人々から生まれるものであって、政治から生まれるものではないと思っている。政治的な答えもしたいところだけど、それはちょっと難しいな、正直。

H:プログラム中に思ったこと、プログラム後に思ったこととかは?

N:パレスチナ人の人たちと一緒に仕事ができたってことがもうありえないことだった。イスラエルじゃ、若い世代と会うこともないから働くなんてもってのほか。

H:イスラエルじゃ難しいんだ。

N:絶対に無理!イスラエルじゃあありえない。

H:Tech2Peaceのようなプログラムが増えたら、将来的には国同士の平和にまで繋がったりするとは思う?

N:うーんとね、やっぱり国については何も言えない。国については何も言いたくないんだ。それに、お互いの国の前に、まずは自分たちの生きている場所でのそれぞれの問題がたくさんある。教育とか、生活水準とか…。

でも、若い世代は、もっと互いのブリッジを作っていけると思う。団体とかプログラムとか一緒にやっていくような。いま、だんだんとはじまっているようにね!

H:その“なにか一緒に取り組むもの”の一つが、テクノロジーであると。

N:イエス! 医療や行政、どんな業界でも取り組めるよね。私いま、「50 50 スタートアップ」(テック業界のイスラエルとパレスチナの起業家を均等にエンパワメントするプログラム)に参加したいなと思っているんだけど、こういうのが新しい平和だと信じている。一緒に企業をつくって、自分たちの利益と団体を創出していく。政府や国連の力なしにね。そこに頼らなくてもいい。新しいなにかを自分たちではじめる。これがわたしたちの世代ができることじゃないのかな。実際、私自身、プログラムを通して出会ったパレスチナの子と、エルサレム市内の交通や医療などの格差問題を解決するためになにかできないか、リサーチを進めているんだ。

H:協働の動きが、若者世代を中心に、実際に起こっているんだ。

N:最近は、簡単に会話ができるようになったじゃん。フェイスブックやインスタグラムなんかに写真もアップできるし。パレスチナ人の友だちと撮った写真の方に、いいねの数が多かったり。みんな、変化を求めていると思う。

H:Tech2Peaceで、たのしかった思い出について、聞いてもいい?

N:一緒に朝ごはんをつくったこと。一緒に卵焼いて、ティースプーンを配って、テーブルを準備して。いままで兄弟とやっていたことをパレスチナ人とやっているって感覚が新鮮だった。そういう意味では、クレイジーな朝食だったといえるね!

H:いいね。

N:部屋でパーティーもひらいたなあ、ビール片手に、一緒に座っておしゃべりした。お父さんの話やお母さんの話、自分が育った街の話とか。音楽かけて踊って。イスラエルの有名な曲をみんなで歌ったりね。

H:パレスチナの人たち、イスラエルで流行っている曲を知ってたの?

N:何人かは歌詞も知ってた!アラブの曲を歌ったりもした。そういう曲ってよくレストランでかかっているから、イスラエル人でも知っている。歌詞の内容はわからなくても、母国語が違う人たちと一緒に同じ言語の歌を歌うって、ありえないくらいおもしろかった。

H:やっぱり音楽の力って偉大だね。

N:あとは…そんなに大きな話があるわけじゃないんだけど、一緒に買い物に行ったこととか。なんてことない話をだらだらしながら、日常生活のルーティンを一緒にできるということ。これが一番アメージングなことなんじゃないかな。

H:いまでも交流は?

N:この前もヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の友だちを呼んで、私の誕生日パーティーをしたよ。彼らは私の(イスラエル人の)友だちとも仲良くなっていた。あとは、プログラム中に婚約したカップルがいて、みんなで結婚パーティーにいくんだよ。みんなで楽しみにしているの。

Interview with Nitsan Amir

「“2週間のテックパーティー”じゃんって。でもフェイスブックでは、なにもシェアしなかったけど」パレスチナ人アドナンの場合〜

HEAPS(以下、H):アドナンは、パレスチナ人で「東エルサレム」出身。イスラエルはエルサレムを自分たちの首都だと主張しているよね。ってことは、イスラエル人ではないの? ごめん、仕組みがわかっていなくて。

Adnan(以下、A):全然問題ないよ。困惑しているのは僕自身もだから。イスラエル政府が発行したIDはもっているけど、パスポートはもっていないんだ。

H:パスポート持ってないの?

A:国境を越えるときは、イスラエル政府から発行された期限付きの渡航文書を使う。

H:イスラエルで生まれたけど、民族的にはパレスチナ系、パレスチナ人になるんだ。

A:そう。

イスラエルとパレスチナの問題について

・自国の建国を求めたユダヤ人のパレスチナ入植により、もとよりパレスチナに住んでいたアラブ人(のちのパレスチナ人)との間に軋轢が生まれ、衝突が発生するようになる。第一次世界大戦中の英国の三枚舌外交により悪化。

・第二次世界大戦後、アラブ人の地域ととユダヤ人の地域でパレスチナを分割統治する「パレスチナ分割決議」が国連で決議される。が、不平等であるとアラブ人が反発。

・ユダヤ人がイスラエル建国宣言、アラブ人はアラブ諸国の連盟を決し、第一次中東戦争へ。ユダヤ人のイスラエルがパレスチナの大部分を手に入れ、アラブ人がパレスチナ難民となった(ヨルダン川西岸地区、ガザ地区へ。パレスチナ自治区となる。周辺諸国へ逃れる難民も)。

・イスラエルとパレスチナの対立構造とは、「イスラエル国」V.S. 「パレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区・ガザ地区)」「イスラエル人(イスラエルに住むユダヤ人)V.S.「パレスチナ人(パレスチナ自治区に住むアラブ人、難民として逃れた住むアラブ人)」

・イスラエルは、東エルサレム、パレスチナ自治区のいずれにも入植(国際法上、認められていない)を続けている。

H:パレスチナ系のアドナンは、どんな環境で育ったの? 

A:エルサレムで、学校は私立のブリティッシュ・スクールに通ってたよ。あとは、アメリカへの旅行や1年間の語学留学も経験済み。そのあとこっちに戻ってきて、ヨルダン川西岸地区にある大学に入学して、ITの修士号をとったんだ。

H:いろんなところを飛びまわってきたんだね。

A:そう。それで、また修士号をとるためにイスラエルの大学に通って…。いまは故郷の東エルサレムに戻ってきて、交通系のモバイルアプリを開発する企業を起業した。

H:いま東エルサレムにいるんだ。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教の聖地として知られていて、東部には主にアラブ人、西部には主にユダヤ人が住んでいると聞く。どんな環境なの?

A:家族の家に住んでいるよ。数ブロック下にいけば、ユダヤ系(イスラエル人)のコミュニティもある。パレスチナ系の家も近所に、何軒かはあるよ。

H:でも、東エルサレムはユダヤ人が多いよね? ユダヤ人コミュニティの中に、パレスチナ人が住んでいるコミュニティがある、というイメージ?

A:そうだね、そう言えるかな。

H:Tech2Peaceについては、どうやって知ったの?

A:フェイスブックの広告で知った。その当時、テクノロジー学科の生徒だったから、3Dモデルやプログラミング講座に興味があってね。応募することにしたんだ。もっとテクノロジーのことについて学びたかった。でさ、授業料もほぼ無料に近いんだ、50ドルくらい。だから、“2週間のテックパーティー”じゃんって。


一番左がアドナン。

H:「プログラムに参加するんだ」ってまわりの友だちに話したとき、なんて言われた?

A:「えー、やめた方がいいんじゃない?」っていう友だちもいたけど、応援してくれる友だちもいたよ。「私たちはパレスチナ人と平和を築く善良な人たちです」ってPRしたいイスラエル人もいるし。実際、僕自身は、フェイスブックでシェアしたりはなかったけどね。

H:え、なんで?

A:だって、ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区の一つ)出身の友だちもいるから、トラブルになりたくない。本当は彼ら(パレスチナ人)にも、(イスラエル人と)対話をすることの大切さを教えたいんだけど…。

H:“テックパーティー”はどうだった?

A:はじめてユダヤ人(イスラエル人。イスラエル人とは、イスラエルに住むユダヤ人のこと)たちと時間を過ごして、たくさん学んで、いろいろなことを共有して、最高の2週間だったよ。で、今学期はボランティアとして参加しているんだ。ちょうどいま、修了式の途中。

H:ごめん、忙しかったね。

A:ちょうど、いまいる部屋の隣で式が進行中(笑)

H:あららら。ところでさっきの話でさ、はじめてユダヤ人と交流したってことは、それまで関わる機会はなかった?

A:22歳のときまでユダヤ系の友だちは一人もいなかった。ユダヤ系コミュニティは、実家の数ブロック先にあったのにね。だからもっと学びたくて。

H:でもユダヤ系も多く住んでいるエルサレムなら、日常で必然的にイスラエル人(ユダヤ人)と交流するでしょう? 

A:うん。ショッピングモールやカフェとかでね。僕のヘブライ語(ユダヤ人の言語)はあまりうまくないから、お店での注文もちょっと難しかったりね。うちの父さんは、僕が小さなころ、よくイスラエル系のショッピングモールに連れていってくれたから、(イスラエル人には)慣れていたけど。東エルサレム民は、同じような経験をしていると思う。学校ではシオニズムを嫌悪するように学んだけど。

H:シオニズムって、ユダヤ人の民族国家をパレスチナに再建することを目指した運動だよね。これを嫌悪する=ユダヤ人(イスラエル人)を嫌いになれということ…。かつて、たとえば学校ではどんなふうに学んだ?

A:「イスラエル人は、我ら(パレスチナ人)の敵だ」という放送が、毎朝流れた。アラブ系(パレスチナ人)が運営している学校だったからね。

H:毎朝…。そんな教育を受けたわけだけど、個人的にイスラエル人に対して嫌悪を抱いていた?

A:個人的には嫌悪なんてなかった。だって、誰かに「嫌いになれ」と言われたって嫌いになれるもん? 実際にその人たちに会わないと、わからないじゃん。

H:そうだよね。で、実際にTech2Peaceでイスラエル人の参加者に会ってどうだった?

A:僕は留学先の米国でイスラエル人やユダヤ系の人たちには会っていたから、他のパレスチナからの参加者よりも、構えはなかった。偏見なく交流できたよ。

H:アドナン以外のパレスチナの生徒はどうだった?

A:おっかなびっくりしていた子もいたけど。だから、Tech2Peace主催者側が参加者と密にコミュニケーションを取っていたよ。

H:ん、どういうこと?

A:プログラム期間中、主催者側が参加者に連絡して「恐れや不安なく、リラックスした気持ちで参加できているか」を確かめていたんだ。特に英語があまり喋れない参加者は、不安も多かっただろうから。

H:主催者のウリも言っていたけど、パレスチナ人はそれなりのリスクを負って参加しているとのこと。

A:うん。事実、渡航許可がおりずに参加できなかったガザ地区出身の子もいたらしい。

H:みんながみんなオープンになれないなか、イスラエルの参加者と打ち解けるまでにどれくらいかかった?

A:最初の2時間(笑)。それ以上かからなかった。

H:早いね! プログラムにはディスカッションのセッションもあったみたいだけど、どんなトピックについて話しあったの?

A:自分たちのライフスタイルや生活様式について、過去にお互いの地域との交流はあったのか、とか、お互いの地域についてメディアを通してどのような印象があったか、など。(イスラエルとパレスチナ間にある)検問所での体験とかも話した。イスラエル人は、軍隊での経験について教えてくれたよ。興味深かった。

H:プログラムのセッションで、結構突っ込んだ話もしたの?

A:グループに「シオニズム」についてどう思うかと聞いてみた。「学校で、あなたたちは敵だと教わったけど、話してみてあなたたちにはあなたたちの考えがあるんだろうと思って」って。みんなめいめいの意見を答えてくれたんだ。ある人が“イスラエルに戻ること”といえば、もう一方は“イスラエルの建国で十分”だとか。シオニズムは1948年に終わった、とか、いや67年だ、とか、いやいやまだ今日も続いている、とか。ヨルダン川西岸地区やガザ地区も、自分たちの土地だという人もいたし…。シオニズムとひとくちにいっても、いろんな考えがあるんだと知ったよ。

H:何人かは、シオニズムはまだ続いていると考えているんだね。それは、どう思う?

A:イスラエルはユダヤ人の国だっていう考えは、解せないよね。国際的にみたら、イスラエルには僕らパレスチナ人が権利ないまま住んでいるわけで。

H:やっぱり互いに、納得できない話があるままでも、親しくなれたのはどうしてなんだろう。話していくうちに、イスラエル人とパレスチナ人のあいだに共通点とかも、見えたり?

A:共通の興味や文化とか。食べ物とか。

H:へえ! ご飯はつくったりした?

A:ズッキーニ、あとつねに大量のフムス。いつも食べてばっかりだった(笑)

H:食べ物がお互いを繋ぐ。なにか、思い出話あったりする? 

A:毎日がたのしかったよ。文字通り! 内輪の冗談ってのがあって。パレスチナとイスラエルには、似通ったジョークがあるんだ。…ええと、ここでは言えないけど(笑)

H:教えてよ!!!

A:いやいやいや(笑)。行儀のいい日本人には言えないよ。

H:いいじゃん。僕たちは大丈夫だから!!!

A:(頑なに教えてくれない)

H:(あきらめた)。ほかに、お互いに共通した趣味は?

A:プログラム名にもなっている「テック」。テクノロジーを駆使して、なにかをつくることに興味があった。あとは…。うーん…車とか?

H:どんな車?

A:ヒュンダイ(韓国の自動車メーカー)。経済的な車だからね。

H:フェラーリとかマスタングじゃないんだね。一緒にテレビ見たり、音楽は?

A:僕らの世代はテレビ見ないよ。音楽は一緒にたくさん聴いた。パレスチナ人はヘブライ語の曲をたくさん知っていて、イスラエル人はアラブ語の曲を多く知っていることが判明した。

H:イスラエルの子もそう言ってた! プログラムを終えて、何か変わったりした?

A:はじめてイスラエル人の友だちを作ったし、彼らに対してもっとオープンになった。エルサレムや他のイスラエルの都市に住むことにも、前より安心できるようになった。シオニズムに対する考えも少し変わったかな。シオニズムに対するいろんな意見を聞いて、すべてのシオニストを嫌いになろうとは思わなくなったし。Tech2Peaceで出会った友だちとは、いまでも会ってるよ。

H:いいね。どんなことした?

A:シャバッド(ユダヤ教の安息日)の晩餐に参加するのも好きだし、逆に僕もユダヤ系の友だちを初めて家に呼んだんだ。母さんや兄弟にも会わせた。

H:お母さん、よろこんでいた?

A:すごくね。ウキウキしてた。

H:イスラエル人とパレスチナ人が一緒に遊んでいるということに対して、社会はどう思っているんだろう?

A:一般的には快く思っていないだろうね。ヨルダン川西岸地区では、まだまだ保守的な部分も多いから、あまり印象は良くないと思う。エルサレムは大丈夫だと思うけどね。

H:エルサレム市内でも、OKなところとNGなところがあるの?

A:地区によるかな。イスラエル人とパレスチナ人が一緒にサッカーしている場所もあるし、イスラエル人が歩いているのが珍しい通りもある。10年前はもっと保守的だったけど、いまは、だいぶゆるくなっているよ。

H:これからもテクノロジーの力で、もっと緩やかな関係性を築いていきたい?

A:テックのいいところは「ボーダーレス(境界線がない)」ってところ。パレスチナにいてもテル・アビブのイスラエル人の同僚と、一緒にプロジェクトに取り組んだりプロダクトを開発することができる。

H:アドナンは、いまボランティアとしてプログラムを支援しているわけですが、今後イスラエルとパレスチナはどのように歩み寄れると思いますか。

A:共通の基盤を見つけるっていうのがとても重要だと思う。共通点があると、そこに愛が生まれて、愛があると平和が生まれる。お互いの言語を学ぶ教育制度を整える必要も、あると思う。

H:ってことは、未来に対しては楽観的? 

A:昨日もそのことについてちょうど話していたんだよ。人に教養が増えれば、偏見も少なくなる。ソーシャルメディアによって、お互いの声を聞くことができるようにもなった。いまの世代を信じているよ。いままでの世代より、いいツール(ソーシャルメディア)を持っているしね。

Interview with Adnan Jaber

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Eyecatch Image by Midori Hongo
Interview by Kaz Hamaguchi
Text by HEAPS
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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