彼女はヘビの尾っぽをマッチ箱に隠し持っていた。彼女は一面の荒野に臨む屋根に腰掛け、ぴんと背筋を伸ばしていた。そして時折、少女みたいな笑い顔をみせた。
すベてを理解しているかのようなインテリジェンスを持ち合わせて飄々と世間を歩き、芸術界に名を刻んだ女流画家ジョージア・オキーフ。名声をうけるもいつまでも自由な人で、生涯を終える最後は荒野の真ん中で一人過ごした。その第二の人生の3日間を彼女と過ごした写真家の遠い記憶から、世間から離れたオキーフの女性像を探る。
©John Loengard
砂漠の真ん中に生きた、モダニズムの母
ジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe、1887-1986年)、20世紀の芸術界に名を刻む現代女流画家にして、“自由人”。若い時代はアートシーンをわたり歩き、37歳で20も歳の離れた名声高い写真家と結婚、しかし彼の死後は、喧騒にまみれたニューヨークをふっと去り、ニューメキシコの砂漠と“再婚”。そして98歳の生涯を終えるまで荒野の真ん中で画家としての、そして女としての第二の人生を歩みきった女(ひと)だ。
独立した女性を感じさせるライフスタイルさながら、彼女の絵画のモチーフもエキセントリックだと評される。それは、ニューメキシコの砂漠で自ら拾ってきたカラカラに乾いた牛の骨に、殺風景な荒野、どこか女性器を彷彿とさせるような大胆で繊細な花。我が道をゆく力強さと風変わりな題材から、フェミニストにも熱心な崇拝者が多い。
©John Loengard
浮世離れした彼女の姿をカメラに収めようと、当時から多くの写真家がニューメキシコを訪ねた。米老舗写真雑誌『LIFE(ライフ、現在は廃刊)』の専属フォトグラファーだったジョン・ロエンガード(John Loengard、82歳)もその一人。特集ページ撮影のため、1966年と68年の二度にわたってオキーフのゴーストランチとアビキューのふたつの家を訪問し数日間をともにする。今回、HEAPSの取材に二つ返事で応えてくれたジョンは、遠い遠い半世紀前の3日間を想い出し、そこから淡く滲みでたオキーフの女性像を回想してくれた。
ジョン・ロエンガード(John Loengard)
“画家としてのオキーフ”は封印して。
「初対面のときばかりは、少々警戒していたようでした」。当時78歳だったオキーフはニューヨークからやってきた青年フォトグラファー(若きジョン)を満面の笑みで迎えた、わけではなかった。「『撮影にはどれくらいかかるのか』と聞かれ、2、3日かかると思うと伝えると今度は『どうしてそんなにかかるのか』と言われましてね」。そのあと彼女は一つの“約束”を引っ張り出してきた。「“画家としてのオキーフ”は撮らないこと」。
「画家のポートレート、画家としてのイメージなんてあまりにも面白みに欠け、二番煎じだ、と思ったのでしょうね。画家でもなんでもない部分の彼女を撮ってほしかったのかと思います」。その言葉通り、ジョンの滞在中は一切筆に触れず、キャンバスにも向かわなかったという。
画家としてのイメージを撥ねつけたオキーフ、彼女の芯の強さはこんなところにも溢れる。「亡くなった夫について話すことを頑なに拒みました」。オキーフの夫は、“近代写真の父”とも呼ばれた写真家アルフレッド・スティーグリッツ。裕福な家庭に生まれ、ニューヨークの五番街にギャラリーを開廊した芸術サロンの中心人物だ。ジョンもファンだったという写真界の名士スティーグリッツとの日々は、オキーフにとって追憶したくないものだったというのか。婚姻中、ニューヨークに定住したスティーグリッツから離れるようにして幾度となくニューメキシコに足を運んでいた。自由人だった彼女にとって結婚していたという事実自体に、苦々しさを感じていたのだろうか。答えは彼女にしかわからない。
©John Loengard
牛の骨、ヘビの尾っぽ、盗んだ石を自慢げに披露して。
「オキーフの人柄ですか…。気優しく、あけっぴろげでいて聡明。かつ、ウィットに富んだ人。発言の端々に言葉遊びだったり、きらりと光る機知がありました。その頃、世間が抱いていた“世捨て人”や“砂漠に住む自己陶酔気味の孤高の芸術家”といったイメージとはいささか違うふうで。家事もそつなくこなし、そつなく楽しむ。経済的にも精神的にも自立した女性でした」
©John Loengard
©John Loengard
©John Loengard
©John Loengard
そんな彼女には収集癖があった(のだと思う)。それは自分の絵画の題材に使用した牛の骨もそうだが、もう一つのコレクションを、ジョンは彼女の日課だった飼い犬との散歩で見つけた。「散歩道にがらがら蛇を見かけるとですね、杖でヤッとやってしまって、亡骸を持ち帰るんですよ」。そうして家に帰るとジョンに、小さなマッチ箱を見せた。そこにはがらがら蛇の尾っぽが大切にしまわれていた。「彼女はどこか得意げでしたね。上品な面持ちを携えながら」。
またある時は、お気に入りの石を見せてくれた。「これは友だちからこっそり“盗んで”きたの」。ジョンにそう“告白”し、ニヤりとした。「気心の知れた友だちが持っていたこの石を大そう気に入って、頂戴、と。ダメだと言われたのにどうしても欲しくて、彼女はこっそり盗んできてしまったんだ、と」
少し変わり者で頑固。欲しいものは“自分の手”で掴む。少女のような無邪気さと、自然に生ける者と死せる者をどこか客観的に見ているかのような芸術家の審美眼が、オキーフという女性に同居していたのだろうか。
©John Loengard
はしごに登る78歳、完璧に写真モデルもこなして。
カメラの前で、オキーフは“演者”だった。「スティーグリッツ(オキーフの亡き夫)は生前に彼女の写真を沢山撮りましたから。彼女もカメラの前に立つのは慣れていたようで、自分がどのように撮られるのか理解しているようでした。フォトグラファーにとって申し分のないモデルでしたよ」。でもカメラの前では笑わない。あの笑顔の写真は例外だ。犬との朝の散歩の一幕で、何が可笑しかったのか心の底から笑っている。
LIFE誌の表紙になったこの写真はどうだろう。「ああ、これですか。オキーフの家には屋上に登るためのはしごがありましてね。質朴な木のもの。歳は80近いのに、はしごにひらりと登ることができたわけです」。屋根で雑誌のインタビューを受けていたオキーフを、ジョンは捉えた。
©John Loengard
「人は、彼女は“middle of nowhere(何もないど真ん中)”に住んでいたと言うでしょう。でも、彼女にとってそこは“middle of paradise(楽園のど真ん中)”だったのでしょうね」
楽園の中心で、自然の生死を見つめ、クリエーションの源にした。訪問客にはヘビの尾っぽを自慢げに見せ、はしごを登って愛する大地を俯瞰(ふかん)して。何の変哲もない石を皺の刻まれた手の平の上で愛で、腰を折り曲げ牛の骨を拾い、荒野の風に吹かれ真っ青な空を仰いで帰途につく。フェミニストともアメリカモダニズムの母とも呼ばれるオキーフだが、そう大きなラベルを貼る前に彼女は、ただやりたいことに突き進み、時に人懐こく時にひねた見方をする。ありふれた日常の、常の女(ひと)だった。
©John Loengard
Interview with John Loengard
John Loengard/ Georgia O’Keeffe (66′, 68′)
All interview photos by Kohei Kawashima
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine