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  • Jun 29, 2017
#003「東ベルリンに恋に落ちた。そして、“カセットテープ密輸中毒”になった」【連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録
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「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」

回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。
イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。
冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、
抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。

「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」
人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した
高さ3メートルの「ベルリンの壁」。
それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。
それは「音楽文化」も同じだった。

命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。
しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。

西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東に紹介するため。
これは、かつて“音楽密輸人”だった張本人の回想録だ。

***

音楽狂の青年(ぼく)が“ベルリン熱”にかかってから、古巣マンチェスターを去りヒッチハイクなんかをして西ベルリンにやっとこさ着いたのが、昨日。今回は、西ベルリンで度肝を抜いた第一日目から東ベルリンに心奪われた日、はじめての音楽密輸決行などを思い出してみる。

#003「東ベルリンに恋に落ちた。そして、“カセットテープ密輸中毒”になった」

 西ベルリン、初日の朝(厳密には、その前の晩に到着したから2日目か)。ふるさとの母に無事到着の一報を入れようと思い、公衆電話用の小銭をとお金をくずすため、アパートの向かいのバーに入ってみた。まだ朝だというのに店内では二、三人の年寄りたちがシュナップス (アルコールの強い蒸留酒)をちびちび呑みながら雑談に興じている。棚の陳列をしている店の人が目に入ったので、ぼくはうやうやしく不慣れなドイツ語で「すみません、英語を話しますか?」と声をかけてみた。するとその大きな影はキツいドイツ語訛りの英語で「イエエエッシュ、ダーリンッ」と発する。目の前にデンと立ちはだかったのは、180センチはゆうに超えるトランスジェンダー殿。ショーガールのような厚化粧にだいだいの豊かな髪をして黄と黒の水玉の服でめかしこんだ“男”だった。朝10時をまわったありふれたバーにて、ありふれた常連客と当たり前のように共存している。「ベルリンへようこそ」っていうわけか。ぼくはいたく感動した。

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 この時代ですでに日常風景にすっかり溶けこんだゲイやトランスジェンダーと会話するという、なんともベルリンらしい体験をした後、ぼくはアパートの周辺をぶらついてみた。そのあたりはシェーネベルク地区と呼ばれていて、ヤク中の娼婦がたむろすことで悪名高いポツダマー通りと目と鼻の先にあった。道端には、片足のない肥った娼婦や、編み物をしながら猥褻な詩を朗読している気狂いの老女。ベルリンには世間からはみ出た者たちがそこらにいて、ある意味マンチェスターよりもタガが外れていると思った[1]。

 もう少し歩いてみると、ベルリン動物園駅にたどり着いた。終戦時から時計の針が止まったようかのような趣きの駅で、東ドイツ管轄らしい。外ではキッズたちがヘロインを売り買いし、構内では警官が酔っ払いや娼婦を取り締まっている。腐ったような小便とタバコの悪臭が鼻腔をしたたかに直撃する。耐えきれなく駅を後にしその足でカント通りのカフェに入り、ラテマキアートを注文する。それは取っ手が欠けたスープボウルに注がれ運ばれてきた。

 表に出ると、一台のスポーツカーがぼくの脇でスピードを落とした。「ブランデンブルグ門がどこにあるか知っている?」小粋な男がそうぼくに尋ねる。何べんも地図を眺めていて場所を熟知していたぼくは、案内がてら同乗することになった。「そう、君はイギリス人か。なら、チェックポイント・チャーリー(東西ベルリンの境界線上にあった国境検問所)を通過するのは問題ないだろう。東に行ってみるといいよ」男はさらりとそう言った。

 次の日ぼくは男の助言通り、東ベルリンにいた。雲ひとつない気持ちよく晴れた日だった

 西と東の“国境”を越えるのは思いのほか容易だったが、同時にとても変な気がした。東西をわける白線を跨いだときに襲ってきた言葉にできない不安。微々たる粗相でも刑務所行きだという“冗談抜きに強硬だぜ、共産主義国”に足を踏み入れてしまったからだ。もう後戻りはできない。
 検問所の話をしておくと、それはプレハブ作りで、そこに到達するまでには鉄のガードレールで作られたジグザグの道を通らなければならない(こうやって越境者をゆっくりと歩かせ、監視塔にいる看守たちが双眼鏡でじっくりと監視できるようになっていた)。到着するといくつかの質問に答え(渡航目的を聞かれたら即座に“観光”だ)、当日の深夜まで有効な一日限りの査証代5ドイツマルク(旧独通貨、現在のレートで2.5ユーロ=約310円)を払う。それに6.5ドイツマルク(現在のレートで3.25ユーロ=約404円)を東ドイツマルクに換金することも義務付けられていた。

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 複雑な気持ちのまま検問所をくぐり抜け、ついに東の地を踏んだ。美しい大通り、ウンター・デン・リンデンを闊歩し「ああ、ソ連は戦利品としてベルリンの一番美しいところ(東ベルリン)をもらってたんだな」などと思いながら、ブランデンブルグ門にフンボルト大学、ベーベル広場、ルストガルテン(旧王宮庭園)、ナショナルギャラリーにエジプト博物館の前を通り過ぎる。どの建物も戦争のせいで煤汚れ、弾丸の穴だらけだった。改修工事を終えたベルリン大聖堂だけは、実に立派にそびえていた。

 腹が空いたので、たまたま見つけた食堂に入ることにした。入るなりむわっとした蒸し肉と茹でた芋の匂いを鼻いっぱいに吸いこむと、学校給食を思い出した。そこではぶすっと不機嫌顔で太っちょの配膳係の女たちが水っぽい食事をよそってくれる。着色された紫キャベツなのか漂白された白キャベツなのかわからない洗剤っぽい味のキャベツを、これまた錆びたパイプで汲みあげられたと思われる安ビールで流しこむ。これが共産主義版ファストフードか。あとで知ったのだが、この食堂は夜になるとディスコに化けるらしい(後ほど、この話もしたい)。

 はじめて行った東ベルリンは、どこを見回しても“兵隊”と“制服”ばかりだったぼろぼろと垢の落ちるような東ベルリンは、ぼくの、そして退廃美を愛でるデカダンにとってはディズニーランドだった。この感じ、大好きだ。今度はもっと長くいたい、もっと東ベルリンを奥深く探求したい。ぼくの心は正直だった。

カセットテープの密輸に成功(ただしどこに隠したかは教えられない)

 退廃の街に取り憑かれたぼくがそこに舞いもどることになったのは、そう先のことでもなかった。なぜかというと、ぼくは音楽密輸人としての初ミッション「カセットテープの密輸」を担っていたからだ。動機は、以前チェコスロバキアを旅した際に出会った東ベルリンの知り合いへプレゼントするため。彼らが好きだと言っていたキング・クリムゾンのようなイギリスのプログレッシブ・ロックを詰めこんで。なんせ、東の人たちはレコードが欲しくたって手に入らなかったから

 密輸決行の日、ぼくは西ベルリンの自宅アパートで慎重に“支度”をした。入念にカセットを隠しこんで(どこにどうやってカセットを忍ばせたかは、悪いが言えない)、チェックポイント・チャーリーへ向かったわけだ。
 検問所に到着したときは、さすがに心臓が爆発しそうなくらい早くなった。見覚えのあるジグザグの道をいたって普通に歩き、一つめの狭い個室までたどり着く。個室の天井と背後は鏡になっているから、警備員は越境者が挙動不審じゃないか、何か隠しているのではないかを監視できるようになっている。 

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 煙草をくゆらせていたビン底眼鏡の警備員にパスポートを見せ、難なく第一関門突破。ブザーとともに開いた扉を抜け、二つめの部屋へ。そこでは税関管理人が獲物を狙うハゲワシのように目を光らせていたのだが、予想に反して持ち物検査はおざなりで、ボディチェックもすっ飛ばされたことにぼくは意気軒昂だった。だってもしカセットが見つかったとしたら、ブラックリストに名を刻まれ、東ベルリンから永久追放決定だ。そうしたら、小さいぼろレストラン“Balkan Grill(バルカン・グリル)”でカセットを渡すために密会する東の者に会えなくなってしまう。いま思えば、たぶんぼくはカセットテープの密輸がクセになって、捕まるまで続けようとしていたのだと思う。なんたって、密輸テープを手に入れた東の若い音楽狂たちの喜びを目にできるのなら、危険を冒す価値さえあるとまで感じていたからその日を境に、カセットテープの密輸が“中毒”になった

 次回は、東とは雲泥の差だったギラギラ西ベルリンで、間接的にデヴィッド・ボウイにお近づきになろうとした小話や、伝説のパンクベニューでの予測不可能な出来事(トントン拍子で自分のバンドを結成することになったり、ガールズバンドのマネージャーになってしまったこと)、そしてついに決行されたあの東ベルリンの教会での極秘違法ライブが秘密警察にバレずに無事果たされたのか…!など話したいと思う。

#004「性に音楽、西ベルリン狂乱時代。その頃、東でも世紀の“違法パンクライブ”がはじまろうとしていた」
教会違法ライブの顛末〜マイクが壊れ、ボーカルはやけくそに地声で叫んだ

マーク・リーダー/Mark Reeder

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1958年、英・マンチェスター生まれ。78年から独・ベルリン在住。ミュージシャン、プロデューサー、サウンドエンジニア、レコードレーベルの創設者として英独、世界のミュージシャンを育てあげる。
過去にはニュー・オーダーやデペッシュ・モード、電気グルーヴなど世界的バンドのリミックスも手がけてきたほか、近年では、当時の西ベルリンを記録したドキュメンタリー映画『B Movie: Lust& Sound in Berlin (1979-1989)』(2015年)でナレーションを担当。現在は、自身のニューアルバム『mauerstadt』の制作やイギリスや中国などの若手バンドのプロデュースやリミックス、執筆・講演活動なども精力的に行っている。markreedermusic(ウェブサイト)

▶︎#002「デヴィッド・ボウイがベルリンに移住。まもなくして、ぼくもベルリン行きを決めた」
▶︎#001 「教会で“違法パンクライブ”をしたい。警戒している神父を説得せよ」

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———————
Writer: Mark Reeder
Reference: [1]Reeder, Mark.(2015). “B BOOK: LUST&SOUND IN WEST-BERLIN 1979-1989”. Edel Germany GmbH
All images via Mark Reeder
Translated by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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